「そなたたちも、夢々粗相を致すなよ。剣の錆になりたくなくばな」
「へい、それはもう!」

がめ組の暖簾の前まで来ると、中からはそんな物騒な声が聞こえてきた。
びっくりして足を止めると、すぐに中から強面の侍が出てくる。
眼光するどく、睨まれれば竦み上がってしまいそうな強い目がを射抜く。その侍はチラとに一瞥をくれると、そのまま興味が無さそうに立ち去っていった。
一瞬の事で驚いてその場から動けないでいると、外の様子を暖簾の隙間からそーっと覗こうとしていた小頭と目が合った。どうやら先程のお侍が立ち去ったかどうかを確認したかったらしい。

「小頭」
「おっ、ちゃんか。さっきのお侍様は行ったかい?」
「え、うん。もう行っちゃったみたいだけど」
「そうかそうか。おう、そんな所で突っ立ってないで入んな」
「あ。うん」

話を聞くと、どうやら先程のお侍は山田朝右衛門という方らしい。もとは公儀御様御用(おためしごよう)の山田家の当主であったが、今は浪人に身をやつしている。
そのお侍の事ならばも名前だけは知っていた。顔を見たのは初めてだったが、町人からは“首斬り朝右衛門”と恐れられているお人だ。
どうりで、め組の若い衆の先ほどの反応である。
たまにめ組に出入りすることもあるらしい。
め組でなくとも、江戸の町民なら進んで関わりを持ちたいとは思わない人種だ。
は先ほどの鋭い眼光を思い出して、一つ身震いした。出来れば鉢合わせしないようにしよう、とは心に決め、手の中にある桶をぎゅっと握りしめた。








首斬り朝右衛門









「―――、――!」
「――!」
「―――ッ!!」

聞きなれない喧騒に、朝右衛門は土手に向けていた足を河原へと逸らした。
近づいて行ってみると、どうやら子供の小競り合いらしかった。というよりも、多勢に無勢の弱いものいじめに近い。4人の子供が、小さな男の子と、それを庇う女の子を蹴るや殴るやの暴行である。

「小さな子に大勢で寄ってたかって、恥ずかしくないの!」
「うるせいやーい!」
「弱虫ー!」

そんな声が聞こえてくる。
女の子の後ろでは、小さな男の子が蹲って泣いている。女の子はそれを庇って一人で大立ち回りと行った所だ。

――女子(おなご)であるのに元気のいいことだ

朝右衛門は半ば関心しながら、手を振り上げた小僧の腕を手始めに掴んだ。

「弱いものいじめとは、感心せんな」
「なんだよ、こいつ!」

腕を取られた小僧は朝右衛門を振り返って鋭い目つきで噛み付いたが、その顔を見てはっとした表情になると途端に顔を青くした。

「うわ、こ、こいつ首斬り朝右衛門だ!」
「うわー!逃げろ!」

そう言うや否や、蜘蛛の子を散らすように、あっという間にいじめっ子達は逃げていった。

「(助けてくれたのはありがたいけど……よりにもよって、この人…!)」

先ほどまで大立ち回りを演じていたは、助っ人にほっとしたのも束の間、その顔を見て冷や汗をかいた。

「あ…ありがとうございました、お侍様」

なるべく顔を見ないように深く一礼すると、は蹲ったまままだ泣いている男の子に向き直った。

「ほら、もう泣かない。もう大丈夫だよ」

は袖で涙を拭ってやり、男の子の着物についた埃をはたいて落とした。

「おっかさんが心配してるんじゃないの?帰らなくていいの?」

が声を掛けてやるが、男の子はぐずって中々泣き止まない。
困ったな、と呟いたは、そういえば、と思いついたように自分の後帯に挿していた風車を取って、男の子の手に持たせてやった。

「ほら、これあげるから。元気出しなよ」
「うわぁ、お姉ちゃんありがとう!」

途端に男の子は笑顔になって、自分の袖で再度涙を拭うと、どこかへと走り去っていった。きっと家に帰ったのだろう。

「全く。現金だなあ」

男の子を見送ったは、いまだ朝右衛門が後ろに立ったままであることに気がついて、身をそわそわさせた。
何か粗相をしてしまっただろうか。
もしかして、喧嘩両成敗と言われて、何か罰でももらうのだろうか。
そんな事を考えてビクビクしていると、朝右衛門が近づいてきての右手を取った。
は咄嗟に身を堅くする。
やっぱり、と思って次に降ってきた言葉に、更には驚いた。

「怪我をしておるではないか」
「あ……!えっと、このくらい、平気。…です」
「手当てしてやる。来なさい」
「え、あの……」

確かに、の右手には擦り傷があった。いじめっ子に押されて尻もちを付いたときに咄嗟に手を地面について出来たものだ。
朝右衛門は見かけはとてもおっかない人であるし、でも知っているあの有名な“首斬り朝右衛門”である。
その人を前にすれば何のやましいことの無い大人でも、肩をすぼめて縮こまってしまうような厳格で厳しい方である。
だからきっと叱られてしまうと思ったのに、けれど優しい顔つきで逆に怪我の心配をしてくれて、しかも見ず知らずの子供に手当てまでしてくれるという。

「(いい人……なのかな?)」

このくらいの怪我なら大した事は無かったが、無骨な手がの手を引くのに、は大人しくついていった。
身元は十分証明されていたので、付いていくことに抵抗は無い。元“首斬り朝右衛門”として今でも町民から恐れられてはいるけれど、彼が斬る首は重罪人のものである。
確かにその雰囲気や強面はちょっぴり怖かったけれど。
でも、助けてくれた。
そして、の左手を引くその無骨な手は、とても優しかったのだ。
だから、きっといい人なんだろうな、とは素直に従ったのだった。

「お主、名は」
「あ、です」
「そうか。私は山田朝右衛門という」
「朝右衛門様、ですね…」

いうと、こくり、と朝右衛門は緩く頷いた。
先ほどまで感じていた恐怖が、不思議と薄れている事には妙な居心地の良さを覚えた。












連れて来られたのは朝右衛門の住んでいる長屋で、とてもじゃないが元公儀御様御用の幕臣が住んでいるとは思えないような、ごくごく普通の、もう少し言ってしまえばみすぼらしい、長屋であった。
手狭な居間に向い合って座り、手当てしてもらうことしばし。

「ほら、これでいいだろう」

そう言って朝右衛門は、慣れた手つきで白い包帯を巻き終えた。

「助けてもらった上に、手当てまでしてくれて、ありがとうございました」

は畳に手を付いて、深々と頭を下げた。

「うむ、礼儀もきちんと出来ると見える」

顔を上げると、柔らかな笑みがに向けられていた。
はきょとん、とその顔を見上げた。
いつもの厳しい顔とは似ても似つかない、柔和な笑みだ。
その落差たるや、ちょっと言葉を出すのも忘れて口をぽかんと開いて見つめてしまうくらいの落差があって、は驚いてしまったのである。
朝右衛門は、しかし、と続ける。

「しかし、女子が一人でいたずら小僧共に立ち向かうとは、些か無謀が過ぎよう」

笑みを引っ込めて出てきた朝右衛門の厳しい言葉に、はポカンと開けていた口を閉じて、慌てて居住まいを正して再度口を開く。

「でも、ほっとけなかったんです。あいつら、あんな小さな子を大勢で寄ってたかって。可哀想だったから」
「そうか。その勇気は褒められるべきものだ。よくやった。けれど、もう少し我が身も顧みることだ。泣く親がいるだろう?」
「それは、…はい」
「うむ。分かればよい。今度は周りの大人を呼べよ。よいな」
「はい」

は素直に頷いた。
きちんと聞き入れたに、朝右衛門は満足そうに深く頷いた。

「そうだ、確か饅頭があったな。持って行きなさい」
「え…!あ、あの、もらえません、手当てまでしてもらってるのに…」
「いいさ。ほら。家の人と一緒に食べなさい」

数個入っている饅頭をは渋々受け取って、けれど戸口に立った時には満面の笑みでは頭を下げて朝右衛門の長屋を辞した。














「こんにちは、朝右衛門様!昨日お世話になったです」

翌日、昼も過ぎた頃に、は山田朝右衛門の住む長屋の一室の前に来ていた。
戸口で声を掛けると、少ししてから障子戸がすっと開かれて、中から朝右衛門が顔を出した。

「おお、か。どうした」
「これ、おっかさんとおとっつぁんから!昨日の御礼です」

手には真新しい、水の張られた桶がある。中には生きた鮎が2匹泳いでいた。

「これは、すまんな。気を使わせてしまったようだ」

そう言って、朝右衛門はそれでも嬉しそうに笑って受け取った。
その微笑みを見てもなんだか嬉しくなる。
きっと町民は知らないだろう。
首斬り朝右衛門と恐れられるお人が、こんなに優しそうな顔で笑うなんて。

「いえ!うちは桶屋をやってるんです。この桶も昨日こしらえたばかりの物なんですよ。一緒にもらってください。あとこれも!」

そう言って小さな桶を二つ追加で渡す。

「かたじけない」
「いえいえ!」

朝右衛門は鮎ともらった桶を部屋に置くと、そうだ、と声をあげる。

、これから時間はあるか」
「え?はい。配達は終えたから、空いてますけど」
「では、少々付き合いなさい」
「?」

朝右衛門は刀を腰にさすと、部屋を出てさっそうと歩き出した。も少し戸惑いながら後を付いていく。
着いたのは小間物屋だった。駄菓子屋も兼ねているような店で、小じんまりとはしているが、品数はそれなりにある近所でも有名な店だ。

、好きなものを選びなさい」
「ええ!でも…」
「子供は遠慮などするな」
「もう子供じゃないです!いや、でも、困ったなぁ…」
「昨日、童に風車をあげてしまっただろう。その代わりだ」
「え、あ、はぁ……。えっと、どうしようかな」

どうにも朝右衛門は引く気もないようなので、あまり遠慮しすぎても失礼かもしれないと思い、は渋々小間物屋を物色し始めた。
少し悩んでから、は明るい顔で朝右衛門に向き直った。

「じゃあ、これ!」

は昨日男の子にあげてしまった風車と似たような色と大きさのものを選び、指さした。

「風車でなくともよいのだぞ」
「いえ、これがいいんです」

そう言ってニコニコ笑うに、朝右衛門もそれならば、と希望どおりにその風車を買ってに与えた。

「ありがとうございます!」
「なんの」

はご機嫌顔で、朝右衛門も満足したような顔で店を後にした。
道すがら、は隣の朝右衛門を見上げてから口を開いた。

「朝右衛門様は、首斬りをしてたんですか?」
「……そうだ」

突然の質問に、そしてその質問内容に、朝右衛門の声が強張る。
自分のその仕事を誇りに思いこそすれ、嫌悪したことは全くなかった。けれど、町民からはいつしか“首斬り朝右衛門”として恐れられるようになった。
大人が恐れれば子供も当然、同じ反応をする。
“首斬り朝右衛門”に対する子供の反応は、昨日のいじめっ子達のものの方が正常と言えるだろう。
それにももはや慣れたものだ。
けれど、その噂なんて関係ないかのように接してくるに、朝右衛門はほんの僅かばかりに心を許していたのだ。いや、許したくなっていた。
けれど、そのから発せられた言葉に、若干の落胆を覚える。
その反応が普通ではあるのだけれども、けれどどこか、その名前とは無縁の所で相対していたかったという気持ちも心の隅にはあったのかもしれない。

「そっかぁ」
「……恐ろしいだろう、私が」

もちろん頷くだろうと思って問うた問い掛けだった。
けれど返って来た言葉は、朝右衛門の予想とはどこか逸れていて。

「最初はそうだったと思うんですけど。でも、今は全然そんな風に思えません。逆にすごく驚いてるくらいです」
「驚いている?何にだ?」
「朝右衛門様が怖いって言ってる人達に、です!こんなに優しいお侍様なのに、何怖がってるんだろう、って」

は本当に不思議だとでも言うように首をかしげる。
には、“こんな優しい人が本当に首斬りなんてしていたのだろうか”と疑ってみたくなったのだ。
聞けば、首斬りをしていたのは本当だと言うのに、でも彼はこんなにも優しい。
それに、びっくりして腰を抜かしそうになるくらい、このお侍は柔らかい笑みを浮かべるのだ。
一体町人はこのお侍の何を見て怯えているのかと、は本当に不思議でならなかった。

その様子に朝右衛門はしばし目を見開いて、風車に風を吹きかけて回しているを見下ろした。
そんな言葉が子供の口から飛び出してくるなんて、想像だにしていなかった。

「ふふ。お前は面白い女子だな」
「え、そうですか?」

心外だと言うように眉を寄せたに、また朝右衛門の笑みが落ちた。

「あ、新さんだ!」

風車を回していたが、途端に笑顔になって走りだした。
の走って行く先を見ると、朝右衛門もよく見知った顔が立っている。

ではないか。使いの帰りか?」
「ううん!今ね、朝右衛門様に風車買ってもらってたんだ!」

が言っている間に、朝右衛門が二人の元へと辿り着く。

「これは、徳田殿」

朝右衛門は畏まって頭を下げた。

「ああ、朝右衛門。二人とも、知り合いだったのか」
「昨日、がいたずら小僧共に一人で立ち向かっている所に行き会いましてな」
「朝右衛門様に助けてもらったんだ!」
「そうか。良かったな、
「うん」

どうして風車を買ってもらったのか、と新之助が聞くので、せっかくだから茶屋にでも座ってのんびり話そうという事になり、事の顛末を茶屋の店先の唐傘の下でのんびりと語らっていた。

「そんな事があったのか。もなかなかやるじゃないか」
「でも今度からは大人を呼ぶようにって、朝右衛門様に言われちゃった」
「そうか。それが正解だな」
「あたしも新さんみたいに強かったらなー」
「ははは」

それから新之助にごちそうになった団子を楽しみながら、3人はのんびりと会話に花を咲かせていた。

「あ、さすがにそろそろ帰らないと、おっかさんにどやされちゃう」

団子も綺麗に平らげて、ゆっくり飲んでいたお茶も2杯目が空になった所で、それでもまだ少し名残惜しそうには椅子から立ち上がった。

「新さん、今日もごちそうさまでした!朝右衛門様も、風車ありがとうございました!大切にします」
「ああ、一人で大丈夫か」
「まだ真っ昼間ですからね、大丈夫です!じゃあ新さん、朝右衛門様、また今度!」

は元気よく二人それぞれにしっかりと頭を下げてお辞儀をすると、気持ち足早に家への帰途についた。
それを見送りながら、大人二人は暖かな笑みを浮かべる。

「なかなか肝の座った良い女子でございますな」
「そうだろう。まだ小さかった時から知っているが、しっかりしていて頑張り屋で、つい甘やかしたくなる」
「なるほど、分かる気が致します」
「朝右衛門、はなかなか芯は強いが少々考え無しな所があってな。たまには気を掛けてやってくれんか」
「は、それはもちろんでございます」
「実は、俺の正体を知っている数少ない町人でもある」
「なんと!そうでしたか」
「この団子は、黙っていてもらう代わりの報酬さ」
「なるほど、そういう事でしたか。それを知って尚いつもと変わらぬ態度で接するとは、見上げた女子でございますな」
「ははは、そうだな。それがいいのさ」

談笑も程々に、二人もゆっくりと席を立って店を後にした。
次に会う時もまた3人で団子が食べられればよいな、そんな軽口を叩きながら、その場はお開きとなった。










2015/07/20

上様を除けば、朝右衛門が一番好きです。