最初は、戸惑うことだらけだった。
近藤、沖田らに聞かされた話は、どれも常軌を逸していた。
いや、常軌を逸しているのは自分の方だ、と
は思う。
ここはどうやら、もと居た場所とは全く異なる場所だ。
常識や概念が違うとか異国であるとか、そういったことではない。“世界”そのものが違うようだった。同じようで、でも全く別の“世界”。
黒船襲来を分岐点として、別の道へ進んだもう一つの日本国。そんな印象を受ける。
大きな相違は、黒船でなく天人が襲来したという点。
今でも江戸幕府は健在で、日本国は天人によって技術の進歩が目覚しい。ターミナルや空に浮く船はひどく
を驚かした。
それから、真選組という組織が存在している。
“新選組”ではなく、“真選組”だと言う。武装警察として、江戸の町を守る組織なのだとか。似ているのは組織の名前に留まらず、ことごとく、それは人物の名前にも同じことが言えた。
沖田が“沖田”ではなく、近藤が“近藤”でないことに、
は酷く落胆した。
それでも、あまりに似ている。服装や髪型、年齢、喋り方、趣向や仕草、ほとんど同じ処はないというのに、声と外見だけはどう見ても、“新選組”の人々のそれだった。
まさしく天変地異、だった。
にとっては“世界”が入れ替わってしまったのだから。
―――けれど。
は、驚きこそ大きかったが、現状を素直に受け入れた。
受け入れざるを得なかった。それに対する抵抗は、皆無だった。
どっちにしろ、自分は一度、全てを捨てたのだから。
マグノリア
体調が回復に向い、攘夷浪士との関係の疑念が晴れても、近藤は忙しい中時間を見つけて入院中の
に会いに来た。身寄りなく帰る場所のない
を気にかけてくれているようだった。
近藤勲と名乗った“真選組”局長は、
のよく知る近藤勇とは別人だった。
それでもその人柄や、彼自身を慕って仲間が集い、彼があってこそ真選組があるのだということを、この短い時間でも
は感じ取ることが出来た。その人柄に、やはりと言うべきか、親しみと尊敬を覚えるのに時間はかからなかった。
が彼に信頼を寄せるようになるのは、ごく自然な流れだったかもしれない。
近藤が見舞ってくれるときには、差し入れてくれたものを一緒に食べたり、天気の良い日には病院の庭を一緒に散歩したりしながら、他愛のない話をする。
特別なことがあるわけではないが、ただ無為に過ぎて行く時間の中で、
にとってその時間は唯一の楽しみだった。
2週間ぶりに会いに来た近藤は、今日はこんなものを持ってきた、と「めろん」と名のついた果物を得意げに見せた。
真桑瓜みたいなものですか、と言うと、それの仲間だ、と近藤はにかっと笑った。
めろんをつまみながら、外の世界や真選組についてなど、また他愛もない話を始める。そうして、一つの話題に区切りがついて、やってきた一瞬の静けさに、
ははっきりとした声で、
「近藤局長、お話があります」
言った。
ゆっくりとベッドを降り、近藤の座る簡易椅子の横に膝を付いて、出会って初めてそうしたように、深々と頭を下げた。
その様子に近藤は眉根を寄せる。
「私に、真選組の末席を汚すことをお許しください」
「…
。俺達ゃ、お前さんの居た“新選組”じゃ、ないんだぞ」
「分かっています」
薄々感じていたことが現実になって、近藤は苦虫を噛み潰したような顔をした。
こいつは、まだ年若いこの男は、あまりにも“生きること”に真面目すぎる。死に場所を見つけてそこに赴いたにも関わらず、辿り着いたのは良く似た全く別の世界。
生きる意義を失ったような顔をして、それでも抜け殻のような体に魂を留める理由。
「また、刀を振るうことになる。お前さんはその意味をよぉく知ってるはずだ」
「はい」
「…俺ぁそんなことのために
が元気になってくれればいいと思ってたわけじゃねぇ」
「はい。そんな貴方だからこそ、私はお側にいたいと思うようになったのです。敵の刃に倒れるでもなく、仲間と共に朽ちるでもなく、病に命を落とし、何の因果か私はここに来ました」
は額を地面にこすりつけた。
思い出される光景を見まいと、固く目をつぶる。それでも瞼の裏に浮かぶ景色。
「私の命が消えたのは、労咳で息を引き取った瞬間ではありません。もっと前――刀を持つことが出来なくなったあの日、私は、……すでに命を終えていました」
志半ばで死んでいった仲間たち。
無念を晴らそうにも、自分も既に身動きすら侭ならなかった。
全てを諦めていた。
だから、全てを投げ出した。命さえも。
それでも、まだ、自分に出来ることがあるかもしれないと思ったから。
「この世界でもう一度、私の魂が生きることがあるとしたら、それは刀の側で、そして“しんせんぐみ”の側でしか有り得ないのです」
――生きる理由を、ください
再び“側にいたい”と思う人間にめぐり合った。
そのような人間たちとともにまた、一緒に生きていたいのだと。そのための理由が欲しいのだと。
真摯な声は、どこか縋るような響きがあった。
「立ちなさい、
」
静かに、諭すように、近藤は言った。
「局長、私は」
「立ちなさい」
しばらく沈黙が降りていた。近藤は自らも膝をつき、
の手を取ってゆっくりと立ち上がらせた。
まっすぐな、けれど不安定に揺れる瞳を、ひたと見つめる。
にもう、茨の道を歩いて欲しくないと近藤は思っていた。今だって。
平凡な日常でのんびり日々を送ってもいいんじゃないかと、そう伝えに来ていたつもりだった。
この世界は確かにまだ物騒かもしれないが、すでに戦争は終わった。
平和な日常は、ずっと簡単に手に入れられる。
しかし、
にとってそれは魂の風化に等しいのだということが、ようやっと、分かった。理解出来たわけじゃないけれど、けれど。
「お前が真選組で生きる理由を見つけられるってんなら、俺ぁもう何も言わねぇよ。俺たちが全力でお前の家族になってやる。――だが、これだけは忘れるなよ」
「――」
「生きる理由なんて、本当は必要ない。生きている、それだけでそれはとても尊いことなんだ。な、
」
「…………ありがとう、ございます」
ぽろり、
の固かった表情が少し和らぎ、知らず、暖かな涙がこぼれた。
は武士のワリに泣き虫だなあ、近藤が笑って
の頭をがしがしとかき回す。
よく言われます、
は笑いながら返す。
「病気は焦らずゆっくり、治せばいい。だが真選組に帰って(、、、)来たら、しっかり働いてもらうぞ!」
「――はい!」
から、悲壮感が消えていた。
全てではないけれど、どこか吹っ切れたように笑う
に、近藤は一抹の後悔を持ちながらも、それでも笑っていた。
2010/02/28
ありがちでスミマセン。でも続けたい。
マグノリア(和名コブシ):「信頼」「友情」「有愛」「歓迎」