けほ、けほ…
乾いた咳が喉を通り過ぎる。
一つ、また一つ、違和感を訴え続ける喉から空気が抜けていく度に、死へと近づいているのを実感する。
それでいい。
それで、いい。
確実に見えてきた死の淵を、
はただ、静かに見つめている。
―――沖田先生、
はいま、行きます。
沖田がこの世を去ってから、幾許か。
局長、副長の訃報を聴いてからすでに久しい。
鳥羽伏見以降、最期まで付いて行くと言う
を土方は許さなかった。近藤や土方が一緒にいられない代わりに、沖田の弟分である
に彼の看病を言いつけた。
沖田を看取った
は、しかし皮肉にも、沖田と同じ病に犯されていた。
病魔に体を蝕まれながら、それでも手招く死神が酷く待ち遠しい。
早く、早く。
早く、黄泉の国へ連れて行け。
きっと、局長や副長には怒鳴られてしまうだろう。普段は温厚な沖田先生だって、いつものように、
を叱りつけるに違いないのだ。
どうしてこんなにも早く来てしまったのだ、と。
そう言いながらも、きっと局長は、でも会えて嬉しいと言ってくれるだろう。
その横で副長は、気合が足りないだとか、そんな愚痴をいつまでもこぼすのだ。
沖田先生は、何も言わずに、暖かく見守ってくれる。そして最後には笑って言うのだ、仕方ないなぁ、と。
―――だって、沖田先生。この世から色が、すべて、消えたんです。
私は、色のない世界では生きていけません。生きたくありません。
怒られると分かっています。でも、私は、生きません。
もう、誰も。誰も、いないのですから。
の意識は闇に溶けるように、消えた。
そのままもう二度と、この世界に帰ってくることはなかった。
アンモビウム
ピッ
ピッ
ピッ
規則正しい電子音が、意識の水面に波紋を作った。いままで波一つなかった水面(みなも)が、少しずつ揺れ始める。
私は目を閉じている。
ぼんやりと、そんな事を思う。
意識はとても低い所に停滞していて、身体はまどろみの中に浸かったまま。浮き草のように浮かぶ感覚が抜けない。
ふわり、ふわり。
どうしたい、という欲求もない。考えることがない。考えられないわけではない、ただ、それを忘れてしまったかのように、
はただ、現状に漂って(、、、)いた。
「――ねィ―――。―――でしょうや―――――」
ひたり
外界からの刺激が意識の波にかすかに雫を落とし、新たな波紋を広げる。
聴覚から入ってきた刺激。これは人の声だ。
沈んでいた意識が浮上し始める。
まだ、まどろんでいたいのに。
初めて欲求が生まれた。
同時に、早く目覚めたい、とも思う。
“この人”の声をもっと聞きたいのだ。もっと、もっと聞かせて。声が聞きたい。
だって、これは
―――おきたせんせい
最初は声だった。酷く掠れた小さな声は、おそらく音にはならなかった。
視界は酷く霞がかかっている。まだ、見えるようになるには少し時間がいる。
でも口は、もう動く。
「おきた、せんせい――」
声が、音になった。耳がそれを受け取って初めて、自分が“沖田先生”と言ったのだと理解した。
霞の晴れない世界で、驚いたように誰かが振り返った。
の方を見て、
「目が覚めやしたかィ」
ぽつりとつぶやく。
段々と晴れてきた視界には白一面の天井。
ここはどこだ。息がしにくい。起き上がろうとしても、そう簡単に身体は動いてくれなさそうだった。
視線をゆっくりとめぐらせて、視界に入ってきた人の顔に、
は再び昏倒するかと思った。
「おきた、せん、せい――!!」
ありったけの力を振り絞って上半身を起こした。
「おーっとと!危ない、危ないってぇ!」
目を丸くしてこちらを見る青年の横から手が差し出され、バランスを崩した
を支える。がっしりとした体つき。
恐る恐る顔を見上げると、そこにあった顔に、途端に目から涙が溢れ出した。
「こんどう……きょくちょう………」
しばらく涙は止まらなかった。
*
人が血を吐いて倒れていると通報があって現場へ駆けつけたのは、ちょうど見廻りをしていた土方と6番隊の隊士だった。
倒れている男の尋常でない様子に、男はすぐに病院に運ばれた。
男は刀を手にしていた。加えて、場所が場所だっただけに――真選組が目を付けていた攘夷浪士のアジトのすぐ近く――、当初は内輪揉めで棄てられたのかとも疑われた。
診断は、労咳。つまり肺結核である。
攘夷活動とは関係なさそうだ、と監察からも報告が上がったが、なんにしても話を聴いてみないことにはどうにもならない。目が覚めてから処遇については考える、ということで話は止まっている。
男の病態はひどく危ない状況にあった。天人の技術で肺結核はすでに不治の病ではなくなった。それでも、末期まで来ていた病状はそう簡単には回復の兆しを見せなかった。
長い治療の末、男に面会の許可が降りたのはつい昨日のことだ。
真選組が拾ったのだから世話を見るのは当然、とまるで猫や犬と同じように言ってのけた近藤は、沖田を伴い時間を見つけて、拾った(、、、)男に会いに来た。
それを待っていたかのように、病院に来てから一度も目を覚まさなかった男は初めて、二人の前で目を醒ました。
男は
と自らを名乗った。
近藤を見て涙をこぼした
は、
「お会いできて嬉しゅうございます」
と、萎えた体で正座をし、手を布団について、頭をこすりつけるように深々と頭を下げた。
2010/02/26
続きそう。
アンモビウム:「不変の誓い」「永遠の悲しみ」
※病気等の知識についてはド素人ですので信用されませんように。