差し伸べられた手
展望デッキからは吹雪で白一面に埋め尽くされた景色が見えた。
普通なら寒そうだとでも思いそうな所だったが、思考に沈んだ
には目の前の景色は入って来ていなかった。
こつん、額をガラス窓に付ける。
外の景色のようにまた、
の中でもびょうびょうと冷たい風が吹きすさんでいた。
思考が停滞して、先に進まない。
無意識の内にまた、溜息をついた。
「お邪魔していいかしら？」
ふと響いた声に振り返ると、そこにはアークエンジェル艦長、マリュー・ラミアスが立っていた。
「はっ！」
いつも通り、反射的に敬礼をする。
が、それに返って来たのは軽い苦笑だった。
「この間も言ったけれど、私はオーブの軍服を着てはいるけれど、正規の軍人ではないわ。そんなに固くなる必要はないのよ」
カガリとの遭遇を教訓に、この艦に乗艦した翌日、朝食を摂るよりも前の朝一番に
は艦長室へと挨拶に訪れた。
先の大戦序盤から、完成直後のアークエンジェルを指揮した士官というくらいの知識は持っていたが、実際会うまでは顔すら知らなかった。それが、まだ若い女性の士官だと知った時には驚いたものだが。その意外な気安さに呆気に取られた程だった。
その際に言われた、気楽にして構わないという言葉を思い出す。
「、はい」
「と言っても、貴女も軍人だったものね。気持ちは分かるわ、私も以前は軍人だったから」
「…恐れ入ります」
「ふふ、いいのよ。堅苦しいことは、今は無しで行きましょ」
穏やかに笑んだマリューの顔は、女である
ですら一瞬見惚れてしまいそうなほど、美しかった。
けれどその中に残る少しの茶目っ気が、この女性の強さと優しさを表している気がした。
アークエンジェルは以前は脱走艦と呼ばれていた通り、艦長もまた、以前は地球軍の軍人だった。
けれどその過去を払拭するように、艦長は慈愛に満ちた聖母のように、時に乗組員に助言し、時に寄り添っていた。
「まだアークエンジェルは慣れないかしら？」
「いえ…！…あ、いえ、はい。少しまだ…」
「ふふ、そうでしょうね。貴女は空母が長かったと聞いたわ。宇宙航行艦はあまり縁がないのでしょう？」
「はい。クサナギにはキサカさんと一緒に一度中を見せてもらったことはありましたが、実際勤務したことはありませんし、まして戦闘など…」
「そう。でも困ったことがあったら言ってね。相談に乗るわ。ラクスさんやミリアリアさんも居るし、ほら、男性だと聞きにくいこともあるでしょう？」
いたずらっぽく笑うマリューに、ようやく
も少し肩の力を抜いた。
気さくな人だ、そう思った。
「はい。ありがとうございます」
笑みというには程遠かったが、それでも表情を少し緩めると、マリューはいたずらっぽい笑みを引っ込めて少し心配げに眉を潜めた。
「何か考え事でもしてた？――ううん、迷ってたのかな」
「……、…はい」
言われて、少し
は頭の中でどう言うべきか考えた。
まだ自分の中でも整理出来ていないこの感情をどう表現するべきか、分からなかった。
自分の感情が混乱していて、頭の中は既に疲弊していた。
それにも関わらず、それこそ幼少の頃から軍人として育って来た
は、既に現在の状況を分析し、この状況が次にどう発展していくのか、その中で自分はどうすべきか、何が出来るのか、何が必要かを弾きだしていた。
その計算に、整理のつかない感情だけが、ぽつんと取り残されていた。
哀しい、つらいと感じる孤独感
憎い、戦いたいと感じる復讐心
どうして、なぜと感じる無力感
いろんな感情が渦を巻いて、到底収集が付きそうになかった。
どう伝えるべきか考えあぐねて、結局
は今考えているままを伝えることにした。
「義父のことを…考えていたんです。軍人としての私の頭は、彼が居なくても、次の状況の為に動き出しています。けれど、義父が居なくなってしまったことで頭の中に大きな隙間が出来てしまったみたいで、そこに色んな感情が渦巻いて…氾濫しているんです。次にすべき事が見えていても、足が中々前に踏み出せないようで…そのまま踏み出すのは、何かが違う気がして…」
マリューは黙って聞いていた。
静かに、けれどじっと
の目を見つめながら、時折静かに相槌をうち首を軽く頷かせる。
「生かしてくれた事の意味、そんな事は明白です。だから自分がどうすべきかも、分かっているつもりです。ですが…」
「感情が、追いつかないのね」
「…はい」
はそっと目を伏せた。
瞼の裏に現れるのは、悔しそうに歪められた義父の顔。
激しく揺れる空母の中で見た光景。
足を踏み出そうとするのに、どうしてもその景色がチラついて足が震え、一歩を躊躇してしまう。
「…時間が、必要なのね。大事な人を亡くしたんですもの。感情は、そう簡単には整理出来ないものよ。それが例え、軍人でもね」
「――」
「こんな事を言うと、また甘い事を、なんて言われてしまうでしょうけど」
「いえ、そんなことは決して！」
「うふふ、ありがとう。以前、この艦にいた厳しい士官の顔が浮かんだわ。彼女ならきっと私にそう言ったでしょうね」
「艦長である貴女に、ですか？」
が意外そうに聞くと、マリューは懐かしさに目を細めて、寂しげに微笑んで首肯した。
「そうよ。私よりずっと艦長に向いていた、軍人らしい軍人だったわ」
「そんな、貴女は立派な艦長です。貴女以外にアークエンジェルの艦長は務まりません」
「ありがとう。でも、今でもそう思うのよ。彼女は立派だったもの」
――だった、その言い方に引っかかりを覚えた。
聞いていいものか迷ったが、
は思い切って口を開いた。
「――その方は、今…？」
「先の大戦で…ね。アークエンジェル級二番艦ドミニオン、その艦長だった女性よ」
は一瞬言葉を失った。
ドミニオンの艦長だった女性は、では以前はアークエンジェルに乗っていたということだ。
アークエンジェル級二番艦ドミニオン、それは先の大戦でブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエルが乗艦し、そして最後はアークエンジェルのローエングリンによって散った艦の名前だったはずだ。
アークエンジェルのローエングリンの発射を許可出来るのは最高指揮官、つまり艦長のみ―――。
そのローエングリンがドミニオンを沈めたということは。
「(何という宿命だろうか)」
マリューの心情は人には計り知ることは出来ないものだっただろうと、想像するに余りある。
「――そう、ですか」
はかろうじて、それだけを喉の奥から絞り出した。
「…彼女は誰よりも軍人らしい軍人だった。自らも自らを、軍人たらしめんとしていた。だからかしら、ね。最後は軍人らしく、市民を、ひいては世界を守るために、その身を焼いたわ」
「――」
先の大戦で戦ったということ。
そこには英雄としての彼らは多く描かれているが、その中には多くの犠牲を払ったことは言うまでもない。
この艦の乗組員、一般市民、多くの犠牲者が出ていたはずだ。
彼女達には退路は残されていなかった。
親しい人間が死んでいく中で、振り返ることも出来ず、ただただ、前のみを見て進んで来た彼女たちが、今またこうして立ち上がれた事は、奇跡に等しいのではないか。
しかも彼女は艦長という、最も重たい責務の一つを果たさねばならなかった。
その華奢な両肩にたくさんの人の命、世界の命運がのしかかりながら、彼女はそれらを背負いながら、戦った。
「たくさん、死んだわ。この艦の仲間も、たくさん死んだ。生き残った人達だってボロボロだった。…それでも、少しずつだけれど、みんなまた前を向いて歩くことが出来たのよ」
「――」
「だから、ね。大丈夫」
「――はい！」
何て強いのだろうと思った。
何と強く、そして優しさをも併せ持った包容力。
ふわりと笑んだマリューに、
は頭を下げずにはおれなかった。
「ありがとうございます！」
深々と、礼を取った。
温かい言葉をありがとうございます。
戦ってくれて、ありがとうございます。
世界を守ってくれて、ありがとうございます。
色んな意味を込めて。
「ふふ、そんなに畏まらないで」
「あ、いえ、えー…はい」
今度こそ、
の顔も少し微笑みを形作った。
昼食にしましょう、そう言った細く、けれど強い意思を秘めたマリューの背中を追って、
も展望デッキを後にした。
この人に付いて行こう、そう決心しながら。
来た時感じた、引きずるような心の重みは、既に無くなっていた。
2013/01/14
マリューさん大好きです。超尊敬してます。マジ惚れる。戦う女性かっこよすぎる。