鬼だ。
亮淳は、鬼だった。

とにかく、俺は一日中斧を振っていた。
振った数だけ増えるのは、物言わぬ生首。どれもが悲痛な表情を浮かべていた。

毎日のように、業務(、、)の後に家に帰ると、亮淳の鬼のような訓練が待っていた。何度逃げようと思ったか知れない。
本気で殺そうと真剣を向けられて、俺は只それから逃れるのに必死だった。
昼間は斧を振り、夜間は死の猛特訓で、俺はくたくただった。
それでもそれに耐えられたのは、一重に自分の“生”を永らえさせるためだ。
一瞬でも気を抜けば確実に俺は、仕返しに飛び掛ってきた“処刑人”の親族友人に返り討ちにされていただろう。
あるいは、特訓とは名ばかりのリンチで、俺は亮淳の剣の錆になっていたはずだ。
そうならなかったということは、かろうじて、そして奇跡的に、俺はなんとか生を繋げるだけの精神力を身に付けていたんだ。


“仙籍”というのに載ったらしい俺は、理解出来なかった人々の言葉が理解できるようになった。
なぜかちょっとやそっとでは傷を負わなかった。
いや、亮淳の剣以外には、というべきか。平民が持つ武器では、俺は傷一つ負うことはなかった。仙籍に入ったからなのだと亮淳は言っていた。
以前大傷を負った時に生き延びたのも、この為だったらしい。

長い年月が過ぎた。

毎日、毎日、来る日も来る日も、斧を振る。

その頃には既にこちらの知識も随分と付いていた。
ここは、日本とは“世界”が違うのだということ。こちらでは日本のことを蓬莱と言うらしい。
十二国では王が国を束ねること。王は麒麟が選ぶのだということ。
王は仙人で、だから老いることはない。だが何らかの理由で前王は崩御し、今、この国には王がなく、だから荒れている。妖魔が闊歩し、人心は乱れている。


亮淳は飛仙なのだというが、なぜそんなものになったのかと聞いても、答えはいつも、「そんなことをお前に話す義理はねぇ」。
俺も飛仙ということになっているらしいが、それがどういう事だか実はよく分かっていない。




里祠に龍旗があがり、それが王旗に変わると、いくらもせずして俺の仕事は無くなった。
仕事どころか、亮淳には家を追い出された。

「どこへなりとも行って、好きに生きやがれ」

既に人の一生分ぐらいの間その地で生きていたにもかかわらず、こちらの世界にここ以外の居場所はなかった。
それはそうだ、どこの世界に死刑執行人と友人になりたがるやつがいるというのだ。
亮淳のもとに残るように頼み込むことも出来たのかもしれないが、これをいい機会だと思うことにして、旅に出た。

旅に出た先で、必要な路銀を貯めるために住み込みで働いたりして、その地に馴染む前にまた次の旅に出る。
長く居すぎると、もうそこから離れられない気がした。
荒廃した国では何日も飲まず食わず、野宿は当たり前で、旅の途中に妖魔がひっきりなしに襲ってくることもよくある事だった。しかしその時に気づいたのだ、亮淳に随分と鍛えられたせい(、、)で、自分にとって妖魔などは大して旅の障害になりはしないのだ、と言う事を。





そんな旅を、常人であれば成人するぐらいの年月、続けていた。





久しぶりに帰ってきた唯一の“自分の国”は、見違える程に豊かになっていた。
緑が増えた。人間も増えた。立派な家も、整備された道も、人の笑顔も増えた。
田畑には実りが、町には活気が戻った。
王とはこれほどまでに、国にとって必要なものなのだということを目の当たりにした。
それに相対するように、自分が暮らしていた家のあった場所は、更地になっていた。
近くの家の戸を叩き、更地に建っていたはずの家の事を尋ねてみると、思わぬ答えが返ってきた。

王が立って幾許もせずに、この家の主人は重罪人として処刑されたのだと。

重罪人。
その意味する所は、もちろん死刑執行人なのだろう。しかし、人を殺したとは言え死刑執行人も立派な公職のはずだ。
詳しく話を聞こうにも、その家の人間はあまり話をしたがらなかった。
もとより、親より伝え聞いた話だから詳しくは知らないのだと。
あの家とは関わりたくないのだという態度が、なんとなく印象に残った。
それはそうだ、と自嘲が漏れた。これが亮淳の、俺たちの、して来たことなんだ。


それからすることも特に決めていなかった俺は、町でまた住み込みの仕事を探し、なんとはなしにその町に居座った。
たまに時間が空いた時は、特にそうしたいと思ったわけじゃないが、以前家があった更地に足が向いた。いつ来ても変わらない。
誰もいなかった。
何もなかった。
重罪人の家があった場所だったからか、新しい家が建つこともなかった。
道を挟んだ向かいの樹の下から、なんとなく、ぼんやりと、更地を見つめた。
本当に、なんとなく、足が向いただけだった。


しかし幾度となく足を運ぶ内、心に浮かんだ事があった。


どうして数十年前、俺は家を追い出されたのか。
王が立ってからすぐに処刑されたという亮淳。
そんな話は俺が居た頃にはついぞ聞いたことが無かった。


もしかすると、亮淳は自分がそうなることを見越して、わざと俺を追い出したんじゃないか。
亮淳は鬼のようだった。本当に何度殺されると思ったことか。そう思うと信じられない話だが。
が、しかし俺は現に今、生きてる。
それに、あの何度も逃げ出したいと思った厳しい訓練。あれがあったお陰で、俺は妖魔ですらも恐れる必要が無いほどの、剣の腕を身に付けた。生き延びる術を手に入れた。


何度も更地を訪れ眺める度、同じ気持ちがぐるぐると頭の中に蠢いた。


まさか、と思う。
でも、と思う。
やはり、とも思う。

そうしてまた、まさか、と思う。

「亮淳。あんた、本当は何がしたかったんだよ」

答える者はいない。答えも出なかった。

そんな事の繰り返しだったある日、その日もまた、なんとなく、更地に足が向いた。
珍しいことに、その日は更地の前で佇む人影を見つけた。
もう随分と歳のいった老婆は、まるで俺がそうしていたように、ただ更地を眺めていた。
そしてふと俺と目が会うと、驚いたように目を見開いて駆け寄ってきた。

…、あんたって人じゃないのかい」

驚いたことに、老婆は俺の名を言い当てた。

「…ああ、そうだが」
「そうか…そうかい。あんたは生きてたんだねぇ」

そう言って懐かしそうに目を細めた。




老婆は亮淳の娘だと言った。
俺はしばし呆然とした。
そんな話聞いたことがなかった。娘がいたなんて。

「父は母とは離縁していて、私と母には顔を合わせたがらなかった。文を出すことも受け取ることすらも嫌がった。自分の職を忌避していたんだって母は言っていたけど。小さい私は父が何をしているか何て知らされてなかったし、それは寂しい思いをしたんだよ」

そんな亮淳が、数十年前に自分から文を寄越したのだと言う。
そこに全てが記されていたと。
自分のしてきた事はあくまで公職であり誰かがしなければならないことだった。
自分がしなければ、誰かが同じことをしていたのだと。
だが、古い悪しき伝統を新しい王の時代に持ち込んではいけない。
だから、それを背に負って古い時代と共に消える人間が必要なのだと。
そう書いてあった。

が帰ってきた時は、気にかけてやってくれって。それで、自由に生きろって伝えてくれって、それが最期の言葉だった」

どこかで聞いた言葉だと思った。
ああ、そうだ。亮淳は俺にも最期にそう言ったんだった。「好きに生きろ」と。

亮淳の最期の手紙の言いつけを守り、娘である自分が折を見て、もしかしたら“”が帰ってくるかもしれないこの地へ足を運んでいたと、老婆は言った。
老婆の話を聞いて、俺は自分が考えていた事が事実に限りなく近いだろうことを悟った。
亮淳、俺を救った恩人。
俺を巻き込まないために、全て自分が被って、そして死んだ男。

彼に、亮淳に、俺は“救われていた”のだった。

「あんたが元気そうで良かったよ。きっと父ちゃんだって、笑ってるさ」

そう行って老婆は笑った。
亮淳が笑ったら、きっとこんな笑顔だったのだろうと、なんとなく思った。
亮淳の笑顔なんて、ついぞ見ることはなかったんだと、そんなことにすら今更気がついたのだけれど。

零れそうになる涙に気が付かないふりをして、俺は空を見上げた。





03. さいごの言葉を覚えていてね






亮淳の娘は自分と息子夫婦のもとで暮らさないかと言ったが、俺にも一応今の生活がある。それは断っておいた。
老婆は自分の今の居場所を伝え、困った時はいつでも頼るようにと言って、去っていった。

それからその場を動けないでいた俺が、陽が沈む時分にやっと腰を上げた頃、一人の影が近づいてきた。 男は黒い髪を一つに結い、腰には立派な剣を帯びていた。一目でそれが冬器だと分かった。 側には小さな少年を連れている。

「ここに足繁く通っている男がいると聞いてやって来たのだが。お前のことか?」

男が言った。
何か、違和感を感じた。

「…さあ、そうかもな」

こんな辺鄙な場所に何度も足を運んでいたのだから、変な噂でも立ったのかもしれない。
男は曖昧な答えを返した俺にもあまり気にした風もなかった。

「そうか。お前、何者だ?」

その質問に、俺は訝しんだ。 町の人間のような格好だ、どこにでもいるような。そして飄々とした調子でもある。
けれど、男からは明らかに“只者ではない”雰囲気があった。
そう、多分それが違和感の原因だ。
敢えて言葉に置き換えるなら、それは「自信」だ。あるいは、「威厳」。

「…」

考えあぐねた。答えるべきか、どうかを。
だが、逃げることはしたくないと思った。亮淳の思いを裏切ることはしたくない。
あんな話を聞かされた後なら、尚更。
だから、俺は賭けたのだ。

「閤亮淳の遺志を継ぐ者だ」

それは亮淳と同じ罪を背負うということ。
それが何を意味するのか俺は分かってるつもりだった。だから敢えて、そう言った。

「ほう、自らそれを告げるのか。大罪人、閤亮淳の遺志を継ぐと」

男は面白そうににやりとわらった。











2012/06/10

「閤」(ごう)は亮淳の苗字

この世界は確かに絶望するはずだった 03