04.
瞼の向こうに光が見えた
「閤亮淳の遺志を継ぐ、か。お前、名を何という」
男は面白そうに口角を上げた。
「
」
「
。面白い、俺と一緒に来ぬか」
「…あんたは」
「俺は小松尚隆。延王と呼ぶ者もいる」
俺は微かに目を見開いた。
雁。雁州国の王がなぜ。
けれど、それならこの違和感の正体はなんとなく納得が出来る。
「延王。なぜあんたがここにいる?ここは雁じゃない」
「立ち上がったばかりの王朝に久々に訪れてみれば、面白い話を聞いた。ある飛仙の話だ」
「ばっ…尚隆!」
小松尚隆なる男が名乗りを上げた瞬間、隣に居た少年が慌てたように声をあげた。
外見だけ見ると小さな子供だが、頭に布を巻き、延王と名乗る男の名を呼び捨てにするということは、この子供もどうやら只者ではなさそうだった。
男は少年を難なくなだめてしまうと、その飛仙とやらについて話を始めた。
曰く、
その飛仙はこの国での罪人処罰の任についていたが、新王が立った後にその咎で処刑されたという。
が、奇妙な事に、その飛仙が処刑される少し前、一人の巧の飛仙を雁の仙籍簿に移してほしいとの使いの者が雁に来た。ご丁寧にも御璽の入った書簡を持って。
巧国に事情を伺うべく会談を申し込むも、すげなく断られた。問合せをするも、新王朝が立って間もないために立てこんでいて、仔細についての説明は致しかねる、とのなんとも曖昧な回答のみであった。
御璽入りの書簡を断るわけにもいかず、とりあえずその者は一旦雁の仙籍に移され、事情については時期を待つとの事で、既に20余年が経ってしまっている。
「それで事実調査に延王自らがお出ましってか?」
「まあ、そんな所だ」
「(そんな所だ、って…)」
男の真意が測れなかった。
本当に、「そんな所だ」というふうにも、それ意外の目的があるようにも、聞こえる。
延王だなんて、普通の人間が信じるはずもない。この飄々とした男が、数百年以上も続いている国の王だと?
しかし、この男には、なんとなくそう信じさせる雰囲気があった。
「久しぶりに巧に来てみたら面白い噂を耳にしてな。それで、閤の娘という老婆にまで行き当たった。それが昨日の話だ。今日、再び老婆を訪れてみると、なんと件の
に会ったという」
それで、閤亮淳の家のあった場所まで来ると、
を見つけたというのだった。
「…で、あんたはその目的の人間を見つけ出して、どうするんだ。残念ながら、俺はその経緯については今あんたから聞いたばかりで、説明してやれるような話は一つも持ってない」
「まあ、そうだろうな。あまり期待はしていない」
「じゃあ仙籍から削除したいってんで俺に通達にでも来たか?」
「違うな」
延王と名乗った男は、なぜかとても面白そうに口を開いた。
「お前がどんな奴かを見に来たのだ」
そして、自信満々に笑う。
「俺は、閤亮淳は大罪人では無いと思っている」
は目を見開いた。
なぜ。
なぜ、延王と名乗るこの男は、そんな事を言うのか。
そんな、希望を持ちたくなるような言葉を、なぜ。
「人をやって調べさせた。――彼は賢者であった。確かに死刑執行人ではあった、しかし彼は、新王登極の折、自ら申し出て首を差し出したという。数多の有能な官吏を、新王朝に役立つであろう官吏を、暗黒の時代に起きた咎で亡くさないための方策だったと。彼は己一人に罪を全て被せ、そして散ったのだ」
「……なんだって」
それは、閤の娘の手紙にも描かれていない内容のものだった。
ただ責任を取ったというわけでは無かったと。
新王朝のため、その新しい国造りに必要な官吏を亡くさないため、自分一人で全て咎を受け止めたのだ、と。
それだけではない。
新しい王朝のために秋官の改革、ならびに法整備についても進言を行ったという。それは、今の巧国の国造りの礎になっている、とも。
「惜しい事をした。これが雁であったなら、今頃彼は秋官にでも居ただろうものを」
先程まで楽しそうにしていた男が、急に声のトーンを落として、つぶやくように、しかしはっきりと言い切った。
「……」
「そこまでの者が助けたかった輩とは、一体どのような人間かと思ってな」
それでここまで見に来たというのか。
もし彼が本当に王であるとするなら、なんとも酔狂な王もいたものである。
「名前から察するに、お前、海客であろう」
「そうだ」
「だから、海客の王である俺に、お前の庇護を求めたのやもしれん」
「…!……、…そうか」
それで少しは合点が行った。
なぜ亮淳がわざわざ仙籍を雁へと移させたのか。
「このまま巧の仙籍簿に
が載っていると、いずれお前にも咎が及ぶと思ったのだろう。閤と塙王との間に何か取引があったらしい、ということまでは分かっているのだがな」
それから先は結局分からず終いだ、と延王は肩をすくめて見せた。
「さて、目的の人間にも会えたことだ。な、六太。言った通りだっただろう」
「な、じゃねーよ!全く、人をこんな所まで連れてきやがって!」
「……」
延王という男に食って掛かる子どもに
が目をやると、それに気がついた延王は、子どもの頭巾で覆われた頭に手を置いて、得意げに口を開いた。
「これか?これは、麒麟だ」
「…これが」
話には聞いた事がある。
雁にも何度か言ったことがあったから。
けれど、こうして髪を隠した姿を見ると、普通の子どもとなんら変わらないと思った。
「あんたからは血の匂いが全くしない。なんかちょっと悔しいが、尚隆が言った事は間違いじゃなかったって事だ」
その含みを持った麒麟の物言いに
が首を傾げると、声の調子を元に戻した延王は、人を射抜きそうな鋭い眼光と、何かを試すかのような表情で、再び口角をあげた。
「さて、雁の仙籍簿に名のある
。お前を雁の秋官に召し上げたい。どうだ」
一瞬、耳を疑った。
――今、なんと?
いきなりの事に
は眉間に皺を寄せ、現状の整理を試みた。
「…もう俺はこの生活が長い。それに、俺は殺しすぎた。俺の何を買ってそう言うのか知らないが、俺はあんたの下で働けるような大層な人間じゃ……仙じゃない」
「そうなのか?」
「…今日分かったよ。しかも、あんたが今言った事が、駄目出ししてくれた。……俺は、亮淳に助けられないと生きていけないような、ちっぽけな人間だ」
「―――」
「けれど、それに甘えるわけにはいかないんだ。俺は…俺は、亮淳と同じ罪を被るべき人間だ」
の言に、延王の眼光が鋭さを増した。
「お前、亮淳の遺志を継ぐと言ったな」
「言った」
「ならば、見せてみよ。同じ罪を背負い閤の後を追って首を晒すのもいいだろう。だが、お前は雁の飛仙だ。閤亮淳が生かしたその命、継いだ遺志と共に雁で生かして見せよ」
延王を前にして、
は背筋が伸びる思いだった。知らず、ごくり、と唾を嚥下した。
王から放たれる覇気のようなものの前に、知らず、
は足を揃えて直立していた。
「
。時間をやろう。どちらに転んでも、お前がやりたいように出来るよう取り計らってやる。明日、またこの時間。ここに来い」
延王は、踵を返して、麒麟と共に街の方へと去っていった。
一度も振り返らなかった。
2013/08/20