とにかく逃げた。


ひどいなんてもんじゃない。最悪だ。地獄だ。


猛獣が闊歩する森。
どうやら人肉を好むらしいそれらは、俺を見つけると猛ダッシュで突進してきた。大きな口を開けて。
よほど腹が減っているらしい。
赤い口の中が、既に血の色に染まっているように見える。白い牙が光る。白と赤のコントラスト。
あれに噛まれるのは、かなり、痛そうだ。

一度死を覚悟したのに、これは何か違う。

これは、本当の野垂れ死にだ。
とにかく、逃げた。











腕を噛まれて、足を噛まれて、それでも逃げた。
やっぱりかなり痛かった。
戦う術のない俺が生き延びられたのは、ほんの少しの知恵と、多大な運の良さがあったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
偶然がいくつか重なって、そしてたまたま走った方向に村があって、俺はなんとか助かった。
正確には、少しの間、生き長らえた。

どうやら俺が連れてきてしまったらしい獣達は、勢いそのままに、村を襲った。
村人の中には護衛みたいな人を雇っていて、生き延びた人たちもいた。けど、大半は獣の胃袋に収まった。そのお陰で追ってこなくなった獣達から俺は逃れることが出来たのだから。



けれど世の中、それで話は終わらない。



今度は人間が追ってきた。
災いをもたらした重罪人だとか思われていたんだろう。

もう、気がついてた。

なぜか、日本人のように見えなくもないのに、言葉が通じない。
髪の毛の色がすごいことになっている。ついでに眼の色や、遂にはしゃべる鳥型人間や犬型人間まで出てきた。
遊園地のアトラクションだとかそんなふうに楽しめたらどんなによかっただろうか。いや、どっちにしても笑えない。全く以て、面白くない。



結局、捕まった。



何日か牢屋で過ごして、日本語をしゃべる人間とも話たりして、分かったことは、結局死ぬのだということ。
斬首刑だとか言っていた。
どうにも、こちらが求める前に、向こうがこちらを連れていきたがっているようだ。











目の前には長蛇の列が出来ていて、それぞれみんな縄で後ろ手に縛られていて、そして戦々恐々とした表情で、立っていた。
少しずつ列は前へ進む。
段々と大きくなるのは、斧が振り下ろされる音、何か重量のあるものが、ごとん、と落ちる音。
なんてエグいことをするんだ。
自分が死ぬ瞬間が少しずつ近づいてくる様を見つめ、自分がどうなるのか実演を見せられ、その時を迎える。
酷い所だと思った。
どうしてこんな所に来てしまったんだろう。荒んでいる。病んでいる。
しかし、考えてみれば、以前いた所もあまり変わらなかった。苦笑が漏れた。
それはそうだ、だから俺は、ここにいる。


いよいよその時が来た。
前のひとりの首から上が地に転がって、ああ死にたくないな、とぼんやりと思った。


黒子のように全身真っ黒で、黒い袋を逆に被った男は、機械的に腕を振り上げた。
言い遺すことは、とか何も聞かれない。本当に、やっつけ仕事だ。
ぶん、斧が風を切る。
最後に思い浮かんだのは、なぜか母さんの顔だった。

元気でいてくれたらいい。

本当に、笑える。自分を殺そうとした人間の心配をするなんて。俺の生首は笑っているだろうか。
思っていると、斧が明後日の方向に落ちるのが目の端に映った。疑問に思って顔を上げると、大きな鷲のような、毒々しい色の翼を持った獣が、黒子を食べたところだった。


なんてことだ。今度は獣に助けられた。


一目散にその場の人間が散っていった。悲鳴が場を埋め尽くす。
転がっていた斧で縄を切る。
待機していた他の黒子は逃げる人間を引き止めて片っ端から斧を振り回していた。
その黒子を、持っていた斧で斬りつけて、ついでに側で見学していた偉い役人みたいな人間達も斬りつけておいた。
どう見ても私腹を肥やす役人風情だ。典型的すぎる。

けど、最後の黒子は武人風で、素人に斬りつけられてやられるようなボンクラではなかった。まんまと逆に斧でざっくりと袈裟掛けにやられて、「あーあ逃げときゃよかった」と思った。

血しぶきが上がるかと思ったが、そんなことはなかった。大量の液体が、とりえあずどばっと流れた。
読んで字の如く血溜まりが出来た。
てか、ヤベ、これ自分の血じゃん。


血の池にダイブして、霞む景色の中で最後の黒子が見下ろしている。
最悪だ。地獄だ。
別れを言う人間が、俺を殺した男なのか。

「お前、名は」
「…………………、……」


答えた後に、ああもう名乗ったって仕方がねぇのに、と思う。
その景色を最後に、ブラックアウトした。













「てめえが断罪人を殺してくれたお陰で、斧を振る人間がいなくなっちまった」

なぜか眼が覚めた時にも俺の横にいたのは、最後の黒子だった。
というか、俺、生きてる。
既に体中の傷は治りかけていた。
マジか。
獣に噛まれた腕も足もボロボロだったし、なによりあの斧の袈裟掛けに、完全に俺は死んだ、ハズだった。
どう見ても生き残れるような傷じゃなかった。
どんだけすごいんだ、この黒子。
すごい黒子は亮淳(りょうじゅん)と名乗った。亮淳は、器用に日本語を使った。

「だから、これからはお前がやるんだ。拒否権はねぇ」

何を、とは聞きたくなかった。
どうせ、死刑執行人を、という意味なんだ。

「俺が言ってる意味、分かるか?」
「…、分かりたくねぇけどな」

なぜ拒否権がないのか、それはそれを拒めば今度こそ、俺はこの男に殺されるからだ。
俺の言葉を聞いて、男はふん、と鼻で笑った。小馬鹿にしたような笑い方だ。腹が立つ。

「死んでもいいと思ってた。実際何度も死にかけた。でも、こうして生きてる」

そう、俺は生きてる。
どこをどう間違ったか、運に助けられ、獣に助けられ、この男に助けられて。

「だから、生きてやる」

例え、それが人の命の上に立つことだとしても。

「それでいい」

亮淳は、また小馬鹿にしたように笑った。
それから斧を寝台の横に立てかけて、部屋を出て行った。

斧を見つめる。
長い、長い戦いが始まる。

なんとなくそう思った。






02.「元」死にたがりや










2010/10/17

祥瓊の回はエグかった。

この世界は確かに絶望するはずだった 02