12









目を覚ますと、の居る布団の横には一期一振が座っていた。
おかしいな、とはぼんやり考える。
夜寝る時は刀剣には部屋から出て行ってもらうようにしているし、寝るのだって最近は部屋の隅が定位置だったのに。布団の横には一期一振が居て、今はなぜか自分の身体もきちんと布団に収まっている。
疑問を口にしようとしたけれど、なんだか体が凄まじく重くて、口を開くのも億劫だった。

「………、……あんた……なに、してんの……」


声も酷く掠れている。
はて、自分はどうしたのだったか。
の声に、神妙な顔つきで俯いていた一期一振がぱっと審神者の方に顔を向ける。

「…!…気が、付かれましたか……」

そう言って、ほ、と安心したように眉尻を下げる。

「(………?)」

それがなんだか大げさに見えて、は何度か瞬きをして、寝る前のことを思い出そうとした。
そうか、そう言えば。

「具合はいかがですか」
「………別に」

手入れをして、離れに帰ってきてからの記憶が曖昧だ。多分、離れに帰って来た時にそのままぱったりと倒れでもしたのだろう。
一期一振とは反対の方に顔を向けると、いくらか前までお世話になっていた点滴袋が目に入る。そこから繋がる管は、自分の腕へと伸びていた。どうやら床に逆戻りして、また、看病される事態になっているらしい。
手入れ前にこんのすけが言っていた通り、手入れとは身体に負担がかかる、のだろうか。いや、それとも、初日に何振りも手入れしたからだろうか。
手入れをしたからと言って、汗をかくくらいで自分の体調の変化は特にないと思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。

「申し訳ありませんでした」

顔を一期一振の方に戻すと、こちらへ向けて頭を下げている空色の髪が視界に映る。声は、心なしか沈んでいるようだ。
その様子には心の中で首をかしげる。

「……なにか、悪いことでも……したの」
「………、……貴方に、無理をさせてしまいました」
「…?それ、あんたのせいじゃ、なくない……。僕の体力がひ弱なせい……だと、思う、けど」
「いいえ。こんのすけ殿の見立てでは、恐らく貴方はまだ霊力を使う際の加減がよく分かっていないのだろう、と。だから、何振りも手入れをして必要以上に霊力を使ってしまい、疲弊したのではないかと」
「(……それ、やっぱり僕のせい……だよね)」

手入れはどうやら失敗はしなかった。最初に手入れをした眼の前の一期一振は、どこも変わった所は無さそうだ。
失敗はしなかったけれど、必要以上に霊力?を使ってぶっ倒れてしまった。自分の中に流れる霊力自体を感じる事も出来ないのだから、加減がどうのもない。いや、だからこそ、今回で言えば“使い過ぎた”ということになるのだろうか。
けれどそれでもやっぱり、これは自分の問題にしか思えない、のだけれど。

「貴方にとっては今回が最初の手入れでした。だから一振り手入れして様子を見るべきだった。なのに、私は弟達を治して欲しいあまり、急いてしまったのです。………申し訳、ありませんでした」
「……審神者の仕事、するべき、って……あんたが言った」
「、そうです」
「でも、僕が…審神者の仕事するって、決めた。自分で、決めた」
「ーーー」
「だから、仕事した。それだけ」
「………」

この真面目な刀剣には、あんたのせいじゃなくない、といくら言い募っても納得しないのだろうな、と何となく思って、はそれ以上言うのを止めた。

「とりあえず、続き……するよ」

そう言って上半身を起こして、けれど途端にまた世界がぐるぐると回り出す。平衡感覚なんてどこかに飛んでいってしまって、気がついたら一期一振に体を支えられていた。
内臓が逆さまになってしまったみたいに、気持ちが悪くて仕方がなかった。

「まだお休みになっていなくては…!貴方は、丸3日以上も眠っていたのですよ」
「……、みっか…?」

庭の方を見ると既に陽は傾き始めていて、倒れたのが夜だったから、1日近く眠っていたのかと思っていたけれど。どうやら既にあれから三度は日を跨いでいるらしい。
どうりで、先程の目覚めた時の一期一振の反応か。もしかしてずっと側で看病していたのだろうか。この刀剣は不寝番もよくしているし、一体いつ寝ているのか。
それにしても、3日以上眠っていたのにまだ体がだるい上に目眩までするというのは、余程体力を使ったらしい。いや、使ったのは霊力か。霊力がなくなると、体も疲弊するというのは、こういうことだったのだなぁ、とはどこか他人事のように考えた。

「薬研を呼んで参りますので、横になったままお待ちください」

一期一振はを再び丁寧に布団に寝かせると、そう言い含めてさっと部屋を出ていった。
閉まる障子を目で追っていると、部屋の入り口に白い刀剣が座っているのを見つけて、居たのか、とは少し目を瞬く。
汚れも傷も無くなった白い刀剣は、まさに“真っ白“な出で立ちをしていて、夕日に染まって橙色になっていた。視線を向けると、一瞬かちりと視線がかち合って、す、と逸らされた。
そう言えば、この刀剣は傷は治ったはずなのに、やはり言葉を口にしないままだったな、とは思った。
一期一振が出ていってから少ししてこんのすけだけが部屋に入ってくると、またしても「こんのすけめが付いていながらこのようなことに…!申し訳ございませんでした!」と頭を下げられて、よく分からない気遣いにはまたしても「なんであんたが、謝ってんの?」と繰り返す羽目になった。
やってきた薬研に体調を見てもらい、体力が戻るまでは安静だな、と言いつけられて、結局それからまた布団の上での生活を余儀なくされる事になった。






目を覚ましてから3日程が経っただろうか、体力はまだあまり回復しておらず、食事も少ししか食べられていない状態だった。自由に歩き回れる程の体力もまだ無く、相変わらず退屈な布団の上での生活を強いられていた。
せっかく一人で歩き回れるようになった所だったのに、結局またもとの養生生活に逆戻りだ。一期一振や鶴丸などの見知った刀剣が部屋を出入りして、審神者の看病にあたっていた。
手入れ以降、たまにではあるが、傷が綺麗に無くなった和泉守も離れを出入りするようになっていて、たまにやって来ては審神者と某かの会話をするようになっていた。と言っても、実質言葉を話しているのは和泉守だけで、は「ふぅん」と相づちを打つだけだ。
どうやら彼は、依然、審神者に敵意を持つ刀剣の説得に当たってくれているらしい。
離れに来る時は一期一振と何やら話し込んでいることもあるようなので、審神者と会話するだけが目的ではないようだったが、和泉守は気さくに審神者に声をかけるので、ある程度と打ち解けて来ているようにも見えた。


そんな折だった。
部屋には鶴丸と一期一振が居て、昼を少し過ぎて、がゆっくりと食事を摂っている時のことだった。

「ーー、ーーー!」
「ーーーー!」

離れの入り口の方が騒がしい。同時にドタドタという足音も聞こえてくる。

「……?」
「様子を見て参ります」

側に控えていた一期一振はそう言い置いて立ち上がった。入り口付近にいつものように座っている鶴丸と言葉無く目配せをすると、障子を開けてさっと出て行った。
向かった先では、こちらへ向かって来ようとしている宗三左文字を、薬研が引き止めている所だった。後ろでは心配そうに厚が薬研と宗三に付いてきている。

「待てって、宗三」
「待ちません……。どきなさい、薬研……」
「だから、話を聞け」
「言い訳は聞き飽きました」
「あのなぁ…」
「どうかされましたか」

宗三左文字は重症を負っていて長らく床に伏せっていたはずだが、どうしたというのか。
宗三は満身創痍の様子でほとんど動かない片足を引きずり、壁に手をついて前へ進もうとしている。綺麗な髪も、戦闘で切られたのかざんばらのままで、大きな傷口の残る細い足がボロボロの袈裟から覗いている。
薬研は制止しようと手を伸ばしているが、その状態でもなお、宗三はそれをなんとか振り払おうとしていた。
一期一振に気がつくと、そちらを向いて切れ長の眼を細めた。

「いち兄。宗三が……」
「審神者を出してください」

一期一振に向かって開口一番、宗三はそう言った。眉間には皺を寄せて、どこか思いつめたようにも見える。
今まで宗三は、審神者に極力関わらないようにしていた刀剣の内の一振りだった。
弟である小夜左文字は、もう随分と昔に重症を負って、手入れをされずにほとんど仮死状態で今も眠り続けている。宗三自身も深手を放置され、自分も床に居ながらなんとか小夜の看病をしていた。
この本丸に長男である江雪左文字は居ない。左文字の2人の兄弟は、ほとんど他の刀剣と関わることもなく、ひっそりと隠れるように息をしていた。
それなのに突然今になって、どうしたというのか。

「審神者は今床に伏せています。用件なら、ひとまず私が伺いますが」
「嘘をつかないでください……。手入れが嫌になったのでしょう。だから、そのような嘘を……」
「……?」
「通してください。小夜を………小夜だけでも、手入れをしてもらうまでは、僕は……引きません」
「審神者は審神者の仕事をするとおっしゃっています。体調が回復すれば、順を追って手入れを再開するでしょう。ですから、今はーーー」
「嘘です……。いつになったら体調が回復するというのですか……、そんな言い訳はもう聞き飽きました。もう、待てません。ここを通してください」
「ですから、今はまだ体調が思わしくないのです」
「小夜は……小夜は、もうずっと、長い間……」

宗三は、大粒の汗を浮かべた顔で眉間に皺を寄せ、何かに耐えるように声を絞りだした。
粟田口の短刀が数振り手入れを受けたことを聞いて、小夜にも手入れを、と思ったのだろうことは想像に難くない。けれど、当の審神者は1日目で数振りを手入れした後は、体調が悪いと言ってそのまま離れに引きこもってしまった。
だから宗三は危惧したのかもしれない。
審神者は、手入れが負担の大きいものだと知って、もう手入れを止める、と言うのではないかと。そう、前任の審神者のように。
だから、こうしてわざわざ離れまで、重症の体を押してまで来たのだろうか。

「ええ、宗三殿のそのお気持ち、よく分かります。体調が回復した折は、必ず真っ先に小夜殿の手入れをしてくださるように進言いたします故」
「一期一振、……あなたを信用していないわけでは、ありません。けれど……人間とは、気の移ろいやすいもの。今、してもらえぬのなら……きっとこの先だって、望みはないでしょう」
「そんなことはーーー」

「どうしたの?」

声は一期一振の背後からした。
一期一振がばっと振り返ると、そこには鶴丸を伴った審神者の少年が立っていた。まだ顔色の良くない不健康な顔が、けれどそれを気にしたふうもなく、きょとん、と不思議そうに首を傾げている。

「審神者……、なぜここに来たのですか」

鶴丸を伴っているとはいえ、どういう行動を起こすか分からない刀剣の前に出てくるなど、いささか無謀に過ぎる。剣を向けられる可能性だって、十分にある。
けれどは眉一つ動かさず、一期一振をちらりと見てから再度、宗三の方に顔を向けて口を開く。

「僕に、用事?」
「審神者……。小夜を……、小夜を、手入れしてください」
「…誰?」
「僕の、弟です」
「…ふぅん」

薬研は宗三左文字の後ろで、前のめりになる宗三の着物の袖口を掴んで、なんとか制止しようとする。が、彼がもし本気で制止を振り切ろうとすれば、いくら重症とは言え、あっという間に審神者との距離を縮めるだろう。
薬研の練度はこの本丸では一番低い。とてもじゃないが、宗三には太刀打ち出来ない。
一期一振と鶴丸が居るとは言っても、この至近距離で何が起こるやら、と薬研は神経を尖らせた。
それは鶴丸も同じなのだろう。
審神者の斜め後ろに控えている鶴丸は、審神者からは死角になっているものの、その手は柄に添えられていて、警戒心を隠そうともせず宗三に鋭い視線を向けている。
同士討ちは避けたい。避けなければいけない。
刀剣達はぴりぴりと神経を尖らせて、にわかに殺気立った。
だと言うのに、審神者の少年はそれに気がついていないのか、敢えて無視しているのか、いつもと変わった様子もなく淡々と口を開く。

「今必要なの?」

わざわざ重症の体を押してまで離れに足を運んでいるのだ、何か急ぎの必要があるのだろう。

「ええ、ええ。そうです。今必要なのです」
「……今、かぁ」

は、こてり、と首を傾げた。
霊力の扱いが全くの素人で、前回はとりあえず失敗はしなかったものの、歩き回るのもやっとな今の状況で手入れをして、果たして上手くいくものかどうか。
はそう思ったのだが、宗三はの少しの躊躇を別の意味で捉えたようだった。手入れには、霊力も、資材も必要なのだ。

「……資材が足りないと言うなら、僕を刀解して構いません」

宗三の言葉に、その場に居る刀剣男士の顔が強ばる。
しかし、聞き慣れない単語にはやはり首を傾げるだけだ。

「…、…とうかい?」
「遠征や出陣が必要だというなら、気が済むまで僕が行ってきましょう。ですから、どうか……」

がくり、と宗三が膝を着いた。
壁に付いている細い筋張った手が、小刻みに震えていた。

「小夜を、治して……あげてください」

そう言って、頭を下げた。
あの、矜持の高い宗三左文字が、そう言って頭を下げていた。

「いいよ」

そんな宗三を見て、あっさりと、は頷いた。まだ本調子でないので多少の不安は残るが、とりあえずやれるだけやってみよう、とは思った。
宗三は不思議なことを聞いたかのように顔を上げて、目を瞬いた。呆然と、今は自身よりも高い位置にある審神者の顔を見上げる。

「本当……ですか」
「うん。いいよ」

一期一振から弟の手入れを頼まれた時もそうだったが、審神者が手入れをする、というのは、この本丸にとっては余程のことだったらしい。だからどの刀剣も、審神者の少年が気軽に“手入れするよ”と言うと、驚いたような顔をする。
としては、体調が問題なければ、これが自分の仕事なのだし、しない理由はない。むしろこちらから頼んで手入れを受けてもらう必要があるのでは、くらいには思っているのだけれど。
けれど、審神者の承諾に異を唱えたのは一期一振だった。

「審神者、いけません」
「今必要なんでしょ」
「貴方はまだ手入れが出来るような状態では無いでしょう」
「うん。でも、まあ……1振くらいなら、いけるんじゃない?」
「、しかし…!」
「ほら、行こう」

そう言って、はよたよたと歩き始めた。
言葉も表情も平然としているが、その実、まだ歩き回るのは辛いはずだ。縁側から降りて薬研が持ってきた草履に足を通すと、覚束ない足取りで歩き出す。が、歩く足音は不規則で、時折何も無い所で躓きそうになったりと、見ている側は今にが地面に転げやしないかと気が気ではない。
見かねた鶴丸が側に寄って抱えあげると、いつもであれば“降ろせ触るな”と言うだろうに、今日ばかりは大人しくされるがままになっていた。鶴丸の肩越しに見えたの顔には汗が伝っていて、苦しそうに肩が上下している。
彼は、小さな審神者は、決して自分から「助けて」とは言わない。
それを一月余りで理解し始めた一期一振は、けれどまだ審神者の少年との距離の取り方を図り損ねていた。








手入れ部屋に着いて椅子に座らせてもらった審神者は、小夜左文字が運ばれて来てから、数日前の手入れと同じように手入れしていった。

「まだ2回目みたいなもんだから、失敗しても知らないよ」

そう最初に宗三左文字に言って、宗三が眉間に皺を寄せていたが、そんな心配も物ともせず、小夜は綺麗に元通りになった。
健やかな顔で眠る小夜を見て、宗三は涙をこぼしながら審神者に礼を言った。

「……あんたは?」
「…、……え?」
「あんたも、酷い怪我……してるから。ついで」

そう言って、宗三に向かって手を差し出してくる。
宗三はそれを信じられないものでも見るように、雫の残る目を見開いて見ていた。

「……刀解、しないのですか」
「?なにそれ……?……手入れ、するんだけど」
「……、……いいえ。貴方も本調子ではないご様子。僕は後で結構です」
「別に、へいき」

はそう口では言うが、もはや立っておれずに小夜の手入れも座って行っていたし、今も頬からは汗が滴っている。
傷のない小夜を抱き寄せて正気に戻った宗三は、ふるふると首を横に振った。

「いけません。人間は、僕たちよりも遥かに脆い」
「……へいき」

審神者はまた同じことを繰り返した。それに、と更に続ける。

「弟には、兄さんが必要。……でしょ」

そう言って、尚も手を差し出してくる。
彼は、自分が本調子でないというのに、小夜の手入れをしてくれた。宗三は刀解される覚悟だったというのに、しかし刀解どころか、宗三の手入れまで一緒にする、と言う。
宗三はしばし差し出されるその手をみて、逡巡した。けれど結局最後には、自分の刀を差し出した。

「……感謝します。審神者殿」

宗三の眼に溜まった涙が一粒、流れ落ちていった。
そのやり取りを見ていて今日2振目の手入れを引き止めるわけにも行かず、一期一振は審神者のすぐ後ろで作業を見守っていた。いつ倒れるかと一期一振はハラハラとした気持ちで見ていたが、しかし手入れ自体に問題はなく、無事終えることが出来たようだった。
手入れを終えた審神者は、傷も服もすべて元通りになった宗三を見上げて、

「……綺麗な髪だね」
「あ、え……?」

それだけ言って刀を宗三に手渡し、立ち上がった。途端にふらり、とたたらを踏む審神者の体を一期一振が支える。審神者は流石に、この時ばかりは手を振り払わなかった。
少し立ち止まった後に再び自力で歩き始めた審神者が、そのまま手入れ部屋を出て行こうとするのに、宗三は慌てて口を開いた。

「ありがとう、ございました」
「…うん。これが僕の仕事、だから」

はそれだけ言うと、手入れ部屋から出て、また草履に足を通した。いや、通そうとした。
草履を履こうと縁側に座り込んでしまうと、途端に体が震えて仕方がなかった。さっきは何とか持ちこたえたけれど、やっぱり駄目だったようだ。膝が笑って、しょうがない。立ち上がるどころか、体のバランスを保っているのも一苦労だった。

「……眠い…な………」

ぼそり、それだけ言うと、は立ち上がることなくそのまま意識を失った。
側に控えていた一期一振が、力を失ってバランスを崩したの体を難なく受け止める。一つ、ため息をついた。

「全く、無茶をなさる…」

けれどその言葉とは裏腹に、どこかその口元には小さな笑みが浮かんでいた。









2018/09/08

僕を、殺して 12