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が一騒動起こしてから3週間と少しが経っていた。
体力も少し回復して、おかゆだって小ぶりの土鍋の中身を全部食べられるくらいになっていた。とは言え、粥を食べた後に反動で全て戻してしまうことはまだあって、完全に回復したとは言いきれない。
けれど、昨日、体力が戻って一人で歩くのが苦で無くなって来たのを確認してから、夜、は一人で部屋を抜け出して、母屋へと向かおうとした。昼間は常に部屋に誰かいるし、夜だって部屋の前に誰かがいたが、厠に行くと言って抜け出せばなんとかなると思ったからだ。
母屋へ向かおうとした理由はいつもと変わらない。適当な刀剣を見つけて、あわよくば殺してもらおうと思ったのだ。
けれど離れを出てすぐ、母屋にたどり着く前にあっけなく白い刀剣に見つかって、部屋に連れ戻された。
部屋の前に空色の髪の刀剣が居たというのに、母屋と離れの間にも別の刀剣が不寝番をしていたらしい。意外に徹底している。
そのお陰で、母屋へ行くにはまた別の手段を考えなければ、と考えていた矢先だった。




ふ、と目覚めると、目の前には庭が広がっていた。
そういえば今日も、昼ご飯を食べた後、暇を潰そうと縁側に座って庭を眺めていた。薬を飲んだからか、昨日の夜に一悶着を起こしたからか、とても眠くて、柱に寄りかかってぼうっとしていたのは覚えている。どうやらそのまま眠ってしまったようだった。
いつの間にか横たえていた体を起こすと、なぜか頭の下には枕が沿えてあって、ついでに体には既にあった羽織の上から白い羽織が更に掛けられていて、本当にここの刀剣は過保護だなと呆れた。
少し離れた縁側には、羽織を羽織っていない白い刀剣が座っていた。最初に空色の髪の刀剣に向こう行けと言ってからは、刀剣達はと距離を空けて座るようにしているようだった。にとっては助かるのだが、言ったことをきちんと守るのが、またなんだかむず痒かった。
は目をごしごしとこすって、まだ高い陽の照らす庭を寝起きのぼうっとした頭で眺めていた。
それからとりあえず立ち上がって、ひざ掛けをその場に置いて白い刀剣に近づく。白い刀剣はに気がつくと、何だ、とでも言いたげに座った状態のままでを見上げた。

「……これ、あんたの。……どうも」

既にあった羽織は肩に掛けてあるし、ひざ掛けもあるし、暖を取るものは十分過ぎるほどにある。そう思って白い羽織を差し出すと、白い刀剣は一つ瞬きをしてから、羽織だけ掬い上げる。
それからがまた先程の位置に戻って梢の音をぼんやりと聞いていると、母屋側の方からざりざりと誰かが歩いてくる音がした。
また離れに出入りしている誰かかと思ったら、それとは別の、いつか見たような気がする刀剣が歩いてきた。背が高くて、髪が長い、三つ編みの刀剣だ。以前、を殺そうとする別の刀剣から守ってくれた刀剣が、なぜか離れまでやって来ていた。その後ろには、やはりこれも以前見かけて幽霊と見間違えた、白い布を被った刀剣が続いている。

「鶴丸。来たぜ」

庭まで来ると、三つ編みの刀剣が白い刀剣に向かって言う。白い刀剣は、それに一つ頷くことで応えた。
それから三つ編みの刀剣だけがの方へ近づいてきて、縁側に座ったと目を合わせるように屈んだ。

「お前、飯食ってるか。少しはマシに見えるようになったが、もっとちゃんと食べねぇとぽっきり折れそうだぞ、お前」

そう気安く声を掛けてくる。いや、彼が気安いのは最初からだったな、とは思った。
以前会った時と全く変わらず、所々怪我をしていくらか血が滲んではいるが、青い澄んだ瞳は溌剌として、をひたと見据えてくる。この刀剣も、当然のようにを気遣うようなことを言った。

「お、和泉守。来たな」

審神者部屋から出てきたのは、白衣の短刀だった。いや、今は白衣を着ていなくて、短髪の刀剣と同じような服を着ている。制服や軍服と呼ばれる服に似ている気がする。いつもは腰に差していない本体を、今日は腰に佩いている。

「いち兄、厚、準備はいいか」
「いいぜ」
「さて、行きますかな」

口々にそう言って、三振は離れの部屋から出てきて靴を履いて庭に降りた。
白い刀剣も立ち上がって、羽織に腕を通す。

「山姥切、任せたぜ」

白衣の短刀がそう言うと、布の刀剣が一つ頷く。

「ああ。任された」

それを確認してから、空色の髪の刀剣は、

「では」

それだけをに向けて言って軽く礼をして、布の刀剣以外の全員が母屋の方へ向かって歩いて行った。白い刀剣だけ一度振り返って、と眼が合う。けれど何を言うでもなく、他の刀剣諸共そのまま見えなくなった。やはり彼も、まだ、足を引きずっていた。

「(…………?)」

どこに行ったのだろう。そう思ったが、別にどこでも自分には関係ない。
それよりもはむしろ、残った布の方に眼をやった。
先程の短いやり取りを見るに、既に刀剣達は何かを示し合わせているようで、布の刀剣はの見張りを任されたようだ。
の視線に気がついたのか、布の刀剣はちらりとを見て、それから頭の上の布をずいと引き下げて殊更顔を隠そうとする。

「案ずるな。鶴丸には及ばないが、俺も腕には覚えがある。見張りは任せろ。こんな写しでは不満かもしれないが」

布の刀剣はそんな事を言った。
いろいろとつっこみどころが満載で、コメントに困る。
案じてないし、見張りを頼んだ覚えもないし、ついでに写しはそもそも意味が分からない。
しかし布の刀剣はそう言ったきり、うつむいたまま庭の方を向いて立ち尽くして、それ以降口を開かなかった。も特に話したいと思ったわけではなかったのでちょうど良かった。





昼前に出ていった刀剣達が帰って来たのは陽もそろそろ暮れようかという頃だった。
は慣れない風呂からちょうど上がった所で、まだ雫が滴る髪をそのままに、沈む夕日を縁側から眺めていた頃合いだった。

「ただいま、ちびすけ」

白衣を着ていない紫紺の瞳の短刀は、離れに近づいて来てからを見るなりニッと笑ってそう言った。
ただいまと言うのだから、どこかに出掛けていたのだろう。それが母屋なのか、もっと別の場所なのかは分からないが、日頃母屋に頻繁に出入りしているらしい彼らが”ただいま”と言った所は見たことがないので、今日はもっと別の場所に行っていたのかもしれない。
帰ってきた一団に三つ編みの刀剣は居なかったが、それ以外の刀剣は行った時同様にまとまって離れへと戻ってきた。
ただいまと言った紫紺の瞳の短刀は、それが嬉しそうというかどこか誇らしそうで、彼らがどこに行っていたのだか不覚にも少し気になってしまった。

「………おかえり」

ただいまと言われたので、おかえりと応えた。
どうやら返事が返ってくるとは思ってなかったのか、空色の髪の刀剣は少し目を瞬いてを見ていたし、紫紺の瞳の短刀も一瞬きょとんとして、それから、くく、と笑った。

「………なに」
「いや、なんでもない」

ただいま、と言われて応えがないのは寂しい。それは刀剣でも一緒だろうと思った。
だからつい、ほとんど条件反射で応えてしまって、は少しバツの悪い顔を作った。

「髪、拭かないと風邪引くぜ」

紫紺の瞳の短刀はそう言って、が肩に掛けていたタオルでわしわしと髪を拭き出した。

「いいよ……自分で出来る」
「ちびすけのは雑なんだよなぁ」

そんな事をぶつぶつ言い合う。
には彼らの目的が分からず戸惑う事も多く、それは今も変わらない。けれど以前よりは、は刀剣達を受け入れているように見えた。例えそれが、元気になってから再び殺してもらおうとするためだとしても、いい変化であるように、一期一振には見えた。

「風呂の沸かし方は覚えられたようですな」

空色の髪の刀剣も、少し相好を崩してに問いかけた。
いくらか前に風呂場が使えるようになってから、最初はいらない、と突っぱねていたのだが、ほとんど押し込められるようにして風呂場を使うはめになった。
温かい大量のお湯で体を洗うということにも慣れなかったし、ボタンを押せば湯が出るということにも慣れなかったし、慣れないことだらけで最初は戸惑ったが、今では2日に1度は風呂に入るようにしている。
家族の元に戻った死体があんまりにもみっともないのは嫌だ、その気持ちからは風呂に入るようにしたのだった。こんのすけなどは酷く喜んでいたので、それは口には出さなかったけれど。
どうやら離れの水道は水道栓が閉まっていたために、水が出なかったらしい。元栓を開ければ簡単に水が出たのを見て、は「だったらわざわざ井戸なんて探さなくてよかったのに」と心の中では思っていた。
水道の元栓どころか電気も無いような家にしか住んだことのないには、それを使いこなすなんて出来るはずも無いのだが。

「……ボタン、押すだけだし」
「そうですな」

流石に、ボタン一つ押せば湯が湧く風呂の使い方は覚えた。そのつもりでぼそぼそとが言うと、空色の髪の刀剣も同意して、やはりどこか嬉しげに頷く。
帰ってきた面々は、もう慣れたものだと言わんばかりに離れに上がり、が使ったまま放置していた布団や水差しなどを整頓したりしている。

「山姥切、すまなかったな。変わったことは無かったか」

の髪を拭いて満足したらしい紫紺の瞳の短刀は、廊下で静かに中の様子を伺っていた布の刀剣に声を掛けた。
布の刀剣は結局、最初に言葉を発して以来、一言も口を効かなかった。もともと無口なタチなのか、人間としゃべりたくないだけか。どちらにしてもには都合が良かったので、放っておいたらそのままほとんど口もきかずに来てしまった。

「いや、特に問題はなかった」
「そうか。またよろしく頼む」
「……ああ」

それだけ会話をすると、布の刀剣はちらりとの方を見て、それからやはりには何も言わずに離れを出ていった。







明くる日。
昨日の夜もは母屋へ向かおうと部屋からそっと出ていこうとしたのだが、不寝番をしていた空色の髪の刀剣に当然のように見つかって、部屋へと連れ戻された。
どうするべきか、無い頭を絞って考えても、焦燥が募るばかりでいい案は全く出てこない。そんなものが簡単に思いついて、そして実行に移せるのなら、こんなに長い間生き永らえることもなかったのだけれど。
けれど、歩けるほどには体力を取り戻した途端に立て続けに行動を起こすを見て、刀剣達も何かを決めたようだった。
この日、朝食を食べ終えてが縁側でぼうっとしていると、声が聞こえるくらいの範囲、けれど少し離れた定位置に空色の髪の刀剣が座った。

「………手入れを、してくださいませんか」

空色の髪の刀剣は、落ち着いた声でに向けてそう言った。
はその問に答えを返すかどうか考えて、とりあえず思った事を口に出す。

「手入れ?……何の?」

刀剣の言葉に、審神者は首を小さく傾げる。何の手入れをしろというのだろうか。

「わたくし共、刀剣の手入れです」
「……、……手当て?」

それはつまり、刀剣男士の手当てをして欲しいということだろうか。
手当てなら、医学に疎い素人のに頼むよりも、詳しそうな白衣の短刀などに頼めばいいものを、とは不思議に思った。
けれど一期一振は、何も知らないに憤るでもなく、呆れるでもなく、丁寧に説明した。

「刀剣男士は、本体の刀を修復することで、顕現した肉体も治癒するように出来ているのです」
「……へぇ」

それで、手入れ、なのか。知らなかった。
研修でそんなことを言っていたような気も、しなくはない。けれど元よりここへは殺してもらうつもりで来たので、そもそも難しい話はあまり得意ではないし、ほとんど真面目に聞いていなかった。もしかしたら、というか恐らく、渡されたマニュアルなどにも書かれているかもしれないけれど。は生憎、漢字のたくさん並んだ文章を読むのは苦手だった。

「それ、審神者にしか出来ないの」

わざわざに頼むくらいなのだからそうなのかと思い聞いてみると、空色の髪の刀剣はひとつ頷いた。

「ええ、そうです。ですから、皆、傷が放置されたままなのです」

なるほど、それで合点がいった。
なぜ怪我がずっとそのままなのだろうと思っていたから。
だから、白い刀剣もずっとあのままだったのだ。
もしかして、刀剣達はだから、自分を生かそうとしたのだろうか、とは思った。
と会って話が出来たり、を殺したり傷つけようとしたり出来る刀は実はほんの一握りで、多くの刀剣は傷ついたまま放置されている、らしい。
それを癒せるのが審神者だけだといういうのなら、だからきっと彼らは、を生かそうとしたのだろう。
もし、そうなら。

「………それしたら、殺してくれる?」
「え…?」
「手入れってやつ。それ、したら刀剣は元気になるんだろ」
「はい、なります。ですから、手入れをしてくださいませんか」
「いいよ。それで、みんな元気になったら、僕を殺してくれる?」
「……出来ません」
「…………なんで?」
「あなたはこの城の主だからです」
「………でも、刀剣が全部元気になったら僕は用済みじゃないの」
「いいえ。貴方はここで、審神者の仕事をなさるべきです」

の考えは、どうやら少し違ったらしい。全ての刀剣が元気になっても、尚、には審神者の仕事をするべきだ、と言う。
自分は城の主になったつもりは無かったし、そうまでして刀剣がを生かそうとする理由も分からなかった。第一、この城の主、と言うことは、この刀剣達の主、ということになる。
刀剣達は、自分を主として仰ごうとしている?
その考えに、は心の中で鼻で笑った。
そんなこと、あるはずがない。
ますます、彼らのしたいことが分からなかった。

「……理解出来ない。何であんたは僕を生かそうとするの?」
「我ら刀剣の付喪は、人の想いが募って出来たものです。それはご存知ですか」
「……ちょっとだけ」
「我らは、本来なら人間を敬い、慕い、護ろうとするものなのです」
「それは………変、だよ。荒れた本丸では、刀剣は人を殺すもの、なんでしょ」
「それを基準にしないでくだされ。それは極々特異な環境下においてそうならざるを得なかった場合に、そういうこともあるかもしれません。しかし本来は、刀とは人に寄り添うものです。我らも、あなたの行いを見て、考え方を垣間見て、貴方を支えたいと考えた。ただそれだけのことなのです」
「………僕のどこをどう見たら……そうなるの」

ほとんど接点など無かった刀剣達が、の何を見て、どんな行いを見て、そんな考えになるというのか。皆目検討もつかない。
けれど空色の刀剣は静かに立ち上がっての横まで来て、座りなおした。そうして、懐から白い何かを取り出した。

どくん、との心臓が跳ねた。

「………そ、れ………」

あの、手紙だった。
どこかに飛ばされたか、廊下の隅で埃でもかぶっていると思っていたのに。

「僭越ながら、中身を拝見致しました」

そう言って、ぐしゃぐしゃに皺のついた手紙を差し出してくる。
はそれを少しの間見つめて、それから恐る恐る手を差し出す。
弟の、颯太の死が書かれた手紙。母が書いたのか、よれて、滲んだ文字の羅列。
それを思い出すと、手紙を受け取ろうとした手が知らず、小さく震えているのに気がついて、ぱ、ともう片方の手で抑えて胸に抱き込んだ。
怖かった。
弟の死を再び目の前に突きつけられるのが、怖い。
自分が死ぬのだって怖くないのに。これは、家族の死は、に酷い衝撃と深い悲しみを運んでくる。
たまらなく怖くて、は、震えた手を抱え込んで俯いた。

「……ご愁傷様でございました」

沈んだ声が上から降ってくる。
けれどその声に、の頭にさっと血が上る。

「……どの口が、それを言うの」
「………」
「あんた達が僕を殺してくれてたら………こんな、こと………」

ああ、これは八つ当たりだ。
そんな事は分かっている。
分かっているけど、どうしても遣る瀬無くて、行き場のないこの感情をどうしたらいいか分からなくて、つい、恨み言が口をついて出た。

「……僕が、殺されてれば……颯太は……僕の弟は……、きっと、まだ、元気に……、……」

声が震える。
なんてみっともないんだろう。
八つ当たりするのも、声が震えるのも、自分なんかが言っていいことじゃない。こいつらに言ったって、どうしようもないのに。

「………、………ごめん。あんたに言っても、仕方、ないのに」

はあー、と長く息を吐いて、はさっと手紙を取って懐にしまった。
中はまだ、見られそうにない。

「貴方は弟君の死を知り、嘆き、悲しみました。貴方が自分の命を捨ててでも救いたいと願っていたのは、その弟君であり、家族であった。それは人間として当たり前のようで、けれど中々出来ないことです」

は、しばし刀剣の言った事を考えた。どうやら、彼らにはの考えていたことは筒抜けらしい。
いや、が事を起こすまではそのような節は無かったのだから、手紙を見て、もしかしたらこんのすけからも何かを聞いて、そのような結論を得たのかもしれない。
最近、あの狐は空色の髪の刀剣と行動を共にすることが多かった。何か一緒に企んでいるのかもしれない。
けれど、何を馬鹿な考えよ、と蔑まれることがあっても、自分が行った事を遠回しに褒められるなんて思ってもなくて、は俯いたままふるふると小さく首を降る。

「そんなこと、ない。普通だよ」
「いいえ。命を賭して家族のために何かしたい、その気持は、刀剣である身ながら、私にも身に覚えがあります。この肉の体を得た今は、特に」
「………」

彼は弟が多い、らしい。
いつも一緒に居る二振も彼の事を「いち兄」と呼んでいるし、だいぶ折られたようだが、まだ他にもたくさん弟が居るらしい。
そんな彼は、弟の死の知らせを受けて行動を起こしたを見て、その真意に心動かされたのかもしれない。
だから、あんなに態度が180度変わったのか。

「……同情?」
「…そうです。同情の何がいけませんか。それに、貴方は曲がりなりにもこの城の主です。主に信を寄せ、尽くすのは臣下の役目」
「……あんた真面目そうだもんなぁ」

見上げると、そこには真っ直ぐとこちらを見据える瞳がある。白い刀剣と似た、けれど少し趣の違う澄んだ黄金色の瞳がの目を捉える。

「ええ、ですから諦めて、審神者の仕事をしてみる気はありませんか。そうすれば、政府から貴方のご家族へ定期的にお給金を渡せるようにもなるそうですよ」
「……それ、狐が言ってたの」
「はい。こんのすけ殿に政府に確認して頂きました。事実です」
「ふぅん……でもそれ、まともな本丸運営が出来れば、の話でしょ」
「ええ、ですから、その“まともな本丸運営”を行うのです」
「……あんた、正気?貧民街の餓鬼なんかに出来ると思ってんの?」

心底呆れたようにが言えば、どこからそんな自信が来るのか、一期一振はしっかりと頷いて見せた。

「出来ます。我らが精一杯ご助力致します。あなたは、まずは言われた通りに作業をすればよろしい。それなら、出来るでしょう?」
「……無理だと思うけどなぁ」
「諦めるのは、やってみてからでもよいのではありませんか。どのみち、このままでは給金など出ないのです。ダメ元でやってみるというのは、悪い策ではないと思います」
「………、そう……かな」
「ええ。少なくとも、このままこの本丸で、あなたが殺されるのを待つよりも有意義な策のはずです。貴方は私達でお守りしますので、殺されるのを待つのは、中々辛抱のいる策ですぞ」
「……あんた、結構腹黒いって言われない?」
「さて、なんのことやら」

そう言って、ゆるりと口元をゆるめて見せる。
本当にめんどくさいやつに当たったよなぁ、とは思った。
でも、もしかしたら。
そんなふうに思いたくなる気持ちを、でも、なんとか押し込める。
期待すると、いつか裏切られる。だから期待はしない。
のその様子を見て、一期一振はもうひと押し、と言わんばかりに口を開く。

「こんのすけ殿」
「お呼びですか、一期一振様」
「今日見せて頂いたものを、彼に」
「はい」

一期一振が呼ばうと、どこからともなくこんのすけが駆けて来る。一期一振と呼ばれた刀剣が何事か言うと、これまたどこからともなく小さな端末を取り出した。
の手の平にも簡単に収まりそうなサイズの端末を廊下に置くと、こんのすけがスイッチを押す。
すると、の前にホログラムが映し出された。

「………?」
「昨日、我らは任務を一つこなしました」
「……にんむ」
「はい。政府が出す、時間遡行軍との戦における、任務です」

その言葉に、は目をしばたいた。

「……戦争、してきたの」
「いえ、昨日はいわゆる”遠征”に分類される任務です。護衛や見回りが主ですので、直接刃を交えるような戦ではありません」

前線での任務、つまり時間遡行軍と実際に刃を交えるのは、通常の本丸ならば審神者の指示の下に行われる。それは審神者の時間の歪みを感知する能力が必要だからだ。
しかし、この幼い少年は霊力こそあれど、その技術はまだない。
だから、一期一振達はその必要のない、政府の出す任務の中でも難易度の低い“遠征任務”を一つこなしてきたのだ。
それはひとえに、に、刀剣達が本気だと示すためだった。
映し出されたホログラムには、戦績、と書かれていた。

「これが、この本丸における実績です。異常をきたした本丸では、まずこれを積み重ねて、正常な本丸として復帰したと政府に認定してもらう必要があるそうです」
「………そんなこと…出来るわけ……」
「出来ます。ここに、一つ、印が付いていますね」

白い手袋をした手が、付いた印を指差す。
確かに、何か印が一つ付いている。

「鍛刀したり、担当官と面談したり、いろいろせねばならぬことはあるようですが、まずはこれです。遠征任務に依って、この本丸が稼働していることを示すものです。そして、こちらを見てください」

画面が変わる。今度は、数値が映し出された。ゼロが幾つか並んでいて、それなりに大きい数だ。

「これが、貴方のご家族に支払われた貴方の給金です」

一期一振の言葉に、は耳を疑った。
支払われた、とこの刀剣は言ったか。

「支払われた……?」
「ええ、そうです!」

の訝しげな声に、今度は廊下に座ったこんのすけが誇らしげに言い放った。

「このこんのすけ、この約一月、政府に何度も掛け合って、任務を一つこなした暁には、給金を出してもらえるように交渉をしていたのです!」

鍛刀や手入れなど、本来正常な本丸であれば成されることは、この本丸では行われていない。
最初は政府の担当官も聞く耳を持たなかった。
けれど確かに、この本丸の浄化作用が正常に稼働していること、審神者に下る刀剣男士が出てきたことを理由に、本来審神者が受けるべき待遇を要求したのだ。もちろんその中には、給金も含まれる。
担当官は渋ってはいたが、しかし任務を一つこなせれば、まず少しずつ通常の審神者の待遇を受けられるようにするよう認めさせた、とこんのすけは語った。

「そうすれば、審神者様もきっと、心を動かしてくださると思いましたので……」

こんのすけはそう言って、のすぐ横まで歩いて来て大人しく座って頭を垂れた。声は心なしか濡れているような気がする。

「そういうことです。ですから、決して不可能なことではありません。現にこうして、この本丸は少しずつ正しい方向へと動き出しているのです」

空色の髪の刀剣が言う。
は、ホログラムが映し出す数字を見つめた。
確かに、自分が殺されて手に入れられる額に比べれば、全然少ない数字。けれど、それはが貧民街で働いてひと月で得る金額よりも、遥かに大きい額だった。これだけあれば、4人になってしまった家族ならひと月は十分やり過ごせるだろう。

「これ……ほんとに……?」
「ええ。本当です」

力強く頷く刀剣を見て、は救われるような心持ちだった。
まだ、こいつらを信じることは出来ない。
期待した所で、また、どうせ裏切られるのがオチだ。

だけど。

だけど、貧民街でなんとか仕事を見つけて、生きる術を得たように。
ここでも、ここでの生き方を覚えられたなら。
そうすることで、家族を救うことが出来るなら。
それは、一つの選択肢となり得る気がした。
無理だ無理だ、と思っていた。そう信じて疑わなかった。事実、この本丸に来た当初のひとりでは、本丸運営なんて出来なかっただろう。
けれど。
この、こんのすけや、刀剣達の力を借りれば、今ならば、あるいは出来るのではないかと。
実際、彼らは見せてくれたのだ。それが可能である、ということを。
この疑り深い自分を見越して、敢えて先手を打って、任務までこなして。そうして、が文字通り己の命よりも大切にしている家族へと金が渡ることを、証明して見せたのだ。

まだ信用は出来ない。
でも。
確かに、目の前にはそれが出来る可能性を示す、光があった。

「……あんた達、いろいろと根回ししてくれてたんだな……」

呆れたような、感心したようなの声に、はい、と誠実な1振と1匹の声が返る。
これはなんという気持ちなんだろう。
胸の底から、何かこそばゆいような、そわそわするような、そんな気持ちが沸々と湧いてくる。
すぐに楽観視することは出来ないのだろうけれど、でも確かに心がどこか軽くなるような気がして、は心臓がぎゅっとなるのを感じた。

「……ありがとう、こんのすけ」

がこんのすけの頭を撫でてやると、こんのすけは喉を鳴らしての手にすり寄った。
そして、もう片方の手で、はどうするか迷って、けれど、空色の髪の刀剣の右肩にかかる黒い布の、廊下に垂れたその端っこをほんの少しだけつまんで、俯いた。

「…………あり、がとう。いちご、ひとふり」

震える声を叱咤して、出たのはその言葉だけ。
けれど、それで十分だった。

「ーーーはい」

一期一振はその手を掬い取って、両の手で包み込んだ。
やせ細った頼りない、小さな手だった。









2018/07/27

僕を、殺して 10