09
眼が覚めると、畳の匂いのする和室に居た。ここ数日、
の過ごす部屋は物置部屋から、この綺麗になった審神者部屋になっていた。
熱が下がってからは、体のだるさや眼のかすみはだいぶ良くなっていた。眼が覚める度に周りに刀剣が居る事に酷く落ち着かなくて、渋る刀剣を丸め込んで、夜寝る間だけでも刀剣には部屋から出てもらうことに成功した。
しかし、確認していないが、
が眼を覚ました頃を見計らって部屋へと入ってくるので、どうやら刀剣は夜の間も離れに、というよりも部屋の前に常駐しているようだった。
昨日の夜の内に、慣れない布団から出て、ふかふかの毛布だけ引きずり出して、部屋の隅で横になっていた。ふかふかの布団で眠ることが慣れなくて、あんまり居心地が悪いので、自然とそうなったのだ。
端っこは落ち着く。
こんなに自分以外の気配が多い所だと尚更だ。端っこで背中を壁に向けて眠るのがどこか安心できた。
目が覚めて障子の方を見れば、母屋側の廊下に人影が薄っすらと映っている。
廊下にこちらを背を向けて座っている様子のその刀剣のシルエットが、恐らく夜を徹してこの部屋の不寝番をしていたのだろうことを伺わせる。
守る、そう言った刀剣の言葉は嘘ではなかったのだと、それを見る度に
の気分は沈む。
何が目的かは分からない。
自分を守ることで刀剣男士達に何か利益があるとも思えないが、しかし、あるからそうやって守るなどと言うのだろう。それが分からないのがまた、なんとも気持ちが悪かった。
しばらくぼうっと部屋を眺めていると、別の人影が障子に写り込んだ。何かを持っているらしい人影は、不寝番をしていた人影と何か言葉を交わすと、二振揃って障子の前に立った。
「おはようございます。お目覚めですか」
そうやって、
から声が返らない事を分かっていながら、それでも一応中に声を掛けてから空色の髪の刀剣が部屋の中に入ってくる。折り目正しく障子を開けて入ってきた空色の髪の刀剣は、
の方を見て、少し困ったように眉を寄せて、けれど声は明るく口を開く。
「またそのような場所でお休みになったのですか」
昨日から、ここが
の定位置だ。それに文句を言われる筋合いは無いはずなのに、空色の刀剣は「布団でお休みください」とこんのすけのような事を言ってくる。
全くもって、過保護にすぎる。
それが
には慣れなくて、居心地の悪い思いを現在進行系でしている。
「………」
「ちびすけ、食事を持ってきたぜ。ついでに薬もな」
いつものように、空色の髪の刀剣とセットで白衣の短刀と短髪の刀剣が部屋に入ってくる。
は体を起こして部屋の角に背を向けて座る。
白衣の短刀の手には、言葉の通り食事のようなものが乗ったお膳があった。昨夜から点滴も外れたので、食事をしろということなのか。
部屋の隅で毛布にくるまったままの
の前に、白衣の短刀が足の付いた漆喰のお膳を置く。
「ほれ。これなら食えると思ったんだが、どうだ?」
そう言って、黒い手袋が小ぶりの土鍋の蓋を開ける。土鍋からは、もう長らく見ていなかった白いお米が顔を覗かせた。ほどよく卵が絡んでいるおかゆからは、素朴だが、空っぽの胃を刺激するには十分すぎるほどのいい香りが漂ってくる。
思わず、ごくり、と唾を飲み込んだ。
けれど日頃の習慣か、どうしても食べるのを躊躇する。
眼はご飯に釘付けなのに手を付けようとしない
を見て、白衣の短刀は余分にあった蓮華を持っておかゆを一口くちに入れた。
「この通り、毒なんて入ってないぜ」
毒味用に余分に蓮華を用意していたらしい。刀剣達が気にかけるのは最もだが、しかしその心配は少し的を外れている。
毒で殺してくれるなら、
にとってはむしろ本望だからだ。
が食事に手を付けない理由は、いつもと同じだ。
このご飯を食べて、また次に襲ってくる空腹が嫌なのだ。それに、どうせすぐ死ぬのにご飯を食べたくない。
食事を摂らない事の方が今は問題だと分かってはいても、どうしても躊躇した。
それに、こちらを見てくる刀剣達の視線も居心地が悪い。
その視線だけでもどうにかしようと白衣の短刀に眼を向けると、ん?と彼は小さく小首を傾げた。まるで口で言えと言わんばかりだ。
「……………見られてると、落ち着かない」
「おっと、そりゃ悪かったな」
白衣の短刀はそう言うと、さっさと部屋の入口へ向かった。他の刀剣もそれに続く。換気換気、と呑気に言いながら部屋の障子戸を全て開けて、ついでに廊下の雨戸も開けて、庭の方に足を放り出して座った。
こちらへ背を向けてはいるが、何となくこちらを気にかけているのが分かる。だが、じっと見られている先程よりは遥かにマシだ。
くるまっていた毛布を脇にどけてから、
はようやく蓮華を手にとった。
そうして恐る恐る、白い米を掬った。米はくたくたになるまで煮込まれていて、固形物を受け付けない胃でもこれなら食べられる気がした。
一口、口に含む。
じわり、と卵と出汁の香りが舌に広がった。
美味しい。
素直にそう思ってしまったことが、なんだか悲しかった。
母さんや兄弟達にも、食べさせてやりたい。
そう思うと、途端に食欲が失せた。
自分だけこんな大層なものを食べて、と罪悪感に苛まれる。
けれど、これを食べないと、自分は今度こそあっけなく犬死するだろう。稼ぐ人間の居ない家族がどうなるのかなんて、痛い程知ってる。
味のしなくなったおかゆを、機械的に口に運んだ。流石に全部、どころか半分も食べられなかったが、何も食べないよりはマシだろう。
蓮華を置いてしばらくすると、静かになった頃合いを見計らったのか、白衣の短刀が戻ってくる。
「ちゃんと食えたな。上出来、上出来。で、こっちが薬だ」
「………」
お膳の端に乗っていた折り畳まれた白い包みを手渡してくる。見たことのないそれを手の平に乗せて眺めていると、飲み方分かるか?と再度それを取り上げられた。白い包みの中にどうやら粉薬が入っていたらしく、紙を開くと何かを煎じたような粉が乗っていた。
「ちっとばかし苦いが、茶で流し込めばなんともねぇよ」
薬なんて高価なものを、無条件で飲める日が来るとは思わなかった、と
は再度渡された薬を眺めながら思う。
刀剣達は食事も薬も平然と渡してくるが、彼らは偉い殿様に仕えた刀剣の付喪神だと言うし、彼らにはこれが普通なのだろう。そのことがまた、なんだかやるせなかった。
「こうやって紙を傾けて口の中に入れて、茶を飲む。簡単だろ?」
「…………」
説明された通りに、粉を口に含む。
舌に乗った薬の苦さに思わずむせてしまいそうになりながら、慌てて茶で流し込んだ。けれど結局むせてしまって、ゲホゲホと咳き込んだ。
「あっはは。まあ、最初はそうならぁな」
「……………、……苦い」
薬は苦いし、なんなら茶も苦かった。
「苦いのは嫌いか?」
「…………」
そう白衣の短刀が尋ねると、
はとても嫌そうな顔つきをして黙り込んだ。それがどうやら可笑しかったらしく、また白衣の短刀は笑った。
よく笑う刀だ、と
は思った。
「妙薬口に苦し、だ」
そう言って、白衣の短刀はお膳を持って短髪の刀剣と一緒に部屋を出ていった。すれ違いざまに、白い刀剣がやってきて、定位置と言わんばかりに部屋の入口近くの壁に陣取った。
残った空色の髪の刀剣は食事の間にお湯の張った桶を持って来ていて、白衣の短刀が居なくなった場所に入れ替わるようにして座った。
「明日にはこの離れの浴室も使えるようになるそうです。それまではこれでご辛抱ください」
そう言って、暖かい湯気の立つタオルと、お湯の張った桶を畳の上に置いた。
どうやらこんのすけに、母屋よりも離れの整備を優先するように依頼したらしく、審神者が暮らすのに必要最低限の設備を整えるように急ピッチで屋敷守たちが働いている、と空色の髪の刀剣は聞いてもいないのに語った。
「………いい。自分で、出来る」
「そうですか」
体を拭くのまで手伝おうとしてくるので、
は渋々口を開いた。口を閉じたままだと、この刀剣達は何でもやろうとしてくるのだから困ってしまう。
が言うと、一期一振は頷いて、素直に引き下がった。
そうして着物をはだけて体を拭こうとしたはいいものの、よくよく見れば、自分の体はそのほとんどが包帯に覆われていて、拭ける所など無いような有様だった。
そういえば、包帯は全て綺麗に巻かれ直されているので、刀剣の誰かが巻き直してくれたのだろう。
包帯を適当に取り去って、拭ける所だけでも温かいタオルで体を拭くと、生き返ったような心地がした。
温かいタオルで体を拭くなんて、なんて贅沢だろうか。
は、ここ数日で何度も思った事を、また再度頭の中で繰り返す。
今は、体力が回復して自由に動けるようになるまでは、利用させてもらおう。
そうしなければ、悔しいが、自分は犬死一直線だということは目に見えている。
今だけは。
今だけは、こいつらの目的の分からない世話焼きを利用して体力を取り戻すべきだ。
そうして時期を待って、いずれ、また。
体を拭き終わって包帯をどうしようかと考えて、とりあえず適当に巻いておこうともたもたしている所に、やはり無口の白い刀が静かに近寄ってきた。いつか井戸端でしたように、また、
の腕をとってするすると包帯を巻き直し初める。
「………」
「……………」
お互いに何も話さない。
腕に包帯を巻くのは片手では少し不便なので、助かるのは確かにそうなのだが。
ちらり、と白い刀剣を見上げる。
相変わらず、腕や顔や首など見える範囲には紫や赤黒い痣が広がっていて、似合わないな、と思った。
「あんたは、いいの」
「……」
の言葉に、白い刀剣は
の眼を見返してから一つ瞬きをした。
何が、と眼で問いかけて来ているようだ。
「……あんたも、怪我してる」
そう言うと白い刀剣は一瞬、手を止めた。それから、ぽん、と
の頭に手を置いて、ぽんぽんと軽く叩く。
まるでそれが、いいんだ、とでも言っているかのようで。
「………そ」
それだけ
は応えた。やはり、白い刀剣はしゃべらなかった。
部屋にこもってばかりでは気も滅入るでしょうから、と言われ、
は縁側に座って庭を眺めていた。
縁側に来るまでにも空色の髪の刀剣が
を抱えようとするのに、「自分で歩く」とまたもや
は刀剣を制する必要があった。
けれど部屋の端から縁側まで歩くだけでも膝が笑ってしまい、息が上がる。すっかり弱りきった体に笑えばいいやら、嘆けばいいやら、
は小さく溜息をついた。縁側に着いて座り込んだ時には肩で息をしているのだから、嫌になる。
外は程よく日差しが届き、空気は冷たかったが、ぽかぽかとしたいい陽気だった。それでも体を冷やさないように、と刀剣はひざ掛けを持ってきたり羽織を羽織らせたりと、随分と世話を焼いてくる。もう断るのもめんどくさくていいようにさせているが、意図の分からないその世話焼きに
の不審が消えることは無い。
縁側から見える外は既に靄など跡形もなくて、庭を遠くまで見渡せる。もちろん、母屋も見えたが、そちらは相変わらずひと気は無かった。
庭には時折鳥も飛んでいて、以前も鳥などが居ただろうか、と
は首を傾げた。いや、そもそものんびりと庭を眺めたりしたこともないし、以前がどうだったかなんて、比べようもないのだけれど。
縁側には空色の髪の刀剣も座っていて、庭を眺めていた。いや、
をただ監視しているだけかもしれない。
最初は
とひと1人分ほど空けて座ろうとしたが、
が睨んで向こう行け、と言ったので、少し離れた所に座っている。
が刀剣達に冷たい言動をしても、彼らは全く歯牙にもかけない。いや、短髪の刀剣だけは睨み返して「お前、」と言い返そうとして来るのだが、しかし周りの刀剣がそれを諌めるのである。その意味も意図も分からなかった。
「ここは、以前は年中霧に覆われて薄暗かった」
しばらく
が庭を眺めて鳥の数でも数えていると、少し離れた所に座った空色の髪の刀剣が口を開いた。
は当然の如く、それに返事も返さない。それにも気にした風もなく、刀剣は続ける。
「我々もそれが普通になっていて、だからあなたが来て、霧が晴れたのを見て、思い出しました。空とは、青いものだったのだと」
前任の澱んだ霊力が、この本丸に元より備わる浄化機能を麻痺させた、とこんのすけが言う。それによって空気は停滞し、陽の光を遮り、ついには穢れを呼んだ、と。
「神は、穢れを溜めすぎると“堕ちる”と申します。いつ、誰がそうなってもおかしくなかった。………あなたが来た事で、穢れは祓われた。堕ちるものを一振も出さずに済みました。………ありがとうございます」
そういう空色の髪の刀剣に、
はちらりと目をやった。
彼は、庭を眺めていた。
ただ、その口元には小さな笑みが乗っている。
「(僕は、何も……していない)」
その感謝はお門違いだ、と
は思った。
がこの本丸のためにしたことは何一つとして無かった。いつも、自分のこと、家族の事で手一杯で。
審神者に選ばれたくらいなのだから、もしかしたらこんのすけや空色の髪の刀剣が言うように、“霊力”と呼ばれるよく分からないものを持っているのかもしれないけど。
けれど、無意識の元に何か起こっていたとしたって、それに感謝されてもどう言えばいいのか分からない。
いや、むしろ、彼らの言うことが本当なら、自分は自分で殺される機会をむざむざ無くしていたということだ。それに感謝されるなんて、本当に滑稽に過ぎる。
「(僕……何でここに居るんだろう……)」
家族を守るためだった。
殺してもらって、金を手に入れるためだった。
それなのに、殺してもらえないどころか、殺してくれるはずの刀剣達を癒やしていただなんて。
本当に、
「(……どうしようもないな……)」
目を閉じて、柱に寄りかかった。
どうすればいいのか、分からなかった。
自分は、どうしたら、いいのだろう。
早く死にたくて仕方がなかった。
2018/07/05