03








「痛って……てて」

は肘から手の方に掛けて出来た刀傷と流れる血を見ながら、さすが高そうな刀は切れ味が違うな、と妙な感心をしていた。
この本丸へ来てから3回夜を越えた。
まさかこんなに長く生きていられると思っていなかったのに、思いの外”穏健派”の刀は多いらしく、は一向に殺してもらい損ねていた。
あれから刀の前に突然姿を現してみたり、嫌味のようなことを言ってみたり、初日のように挑発してみたりしているのだが。
刀は向けられるし、それで斬られたり、刀を向けられなくても拳や足で殴られたり蹴られたりはする。のに、どうしてか皆あと一歩を躊躇しているのか、思い切りが悪いのか、穏健派が止めに入ってしまうこともあって、結局息の根が止まるまでには至らない。

「(人間殺すの、びびってんのかな)」

目に入った瞬間に首をはねるなり、心の臓を一突きするなりすればいいものを。
武芸の心得も何も持っていない、無防備で丸腰な子供が相手なのだから、歴戦の刀の付喪にしてみればそれは酷く簡単なことに違いないのに。
どうしてか刀剣達はそれをしようとはしなかった。
それがどうしてなのかは、の知る所ではないけれど。

今日新しく出来た右腕の刀傷は、先程屋敷の側を歩いていた時に、飛び出してきた刀剣に鉢合わせて負ったものだ。
数日何も食べないのは慣れているし水だけで飢えを凌いでいたのだが、先ごろ屋敷の方から芳しい匂いが漂ってきて、特に食べ物を探そうと思ったわけでもないが、することもなく手持ち無沙汰だったのも相まって、ついふらりと母屋の方に近づいたのが悪かった。
いや、むしろ刀剣に出くわしたこと自体は良かった。しかし、やるなら傷を負わせるだけではなく、ひと思いにやってほしかったものだ。
より少し背が高いくらいのその刀剣は、凄まじい敵意はあるものの、殺そうという気はないようだった。酷く睨まれていたので、殺そうという意思が全く無いわけでは無さそうだったが、殺せない、と言った感じで。
まるで嫌がらせと言わんばかりに刀剣はに馬乗りになって、刀で一突きすればいいものを、やはりそれはせず、殴ったり踏みつけたり首を締めたりするばかりで、痛めつけるだけ痛めつけたらさっさと引き上げていってしまった。
無抵抗の人間を殴るのがつまらなかったのかもしれないし、もしかしたら穏健派の誰かに止められているのかもしれない。そういえば一緒に居た別の刀剣が「それ以上はいち兄が」とかなんとかと言っていた。

そうして出来上がった、ただ痛いだけで死に至るわけでもない傷や打撲の跡が、じくじくと体のそこここから痛みを訴えていた。
腕の傷には適当に水をかけておいたけれど、まだじわじわと血が滲んでいる。しかし、出血多量で死ぬには少しばかり傷が小さすぎる。中途半端で痛いだけなんて、それこそが嫌だと思っていた事態に着々と近づいていることについ、ため息が漏れた。

「(まだまだ、これから。次は上手くやる)」

離れに戻ってきてからは、は傷を持て余したまま何をするでもなく、縁側に座ってぼんやりしていた。寒いし日が照っているわけでも無かったが、物置の埃っぽい小部屋にこもっているのもつまらない。
することと言えば、うまく殺してもらう方法を考えるくらいしか無かったが、そうすることはまだ少しだけ、の気持ちを明るくさせた。
金を得ることが一番の目的であることには違いない。
けど、上手く殺してもらえたなら。
ここが自分の最後の地になるのなら。

もう、これ以上がんばらなくていい。

今まで家族のために頑張ってきたし、それを負担に思ったことは無い。
けれど、これ以上どんなに頑張ったって何一つ報われないこの世界で、ただただ生きるために頑張り続けるのに、少しばかり疲れていた。
ここで命を終えることが出来るなら。
家族にいい思いをさせてやることが出来るし、もう、これ以上報われない努力をしなくていい。それは、とても素敵な事に思えた。

そうしてどのくらい経った頃か。
ふと、目の端に何かが翻って、はそちらに目をやった。

「………」

いつの間にか、そこには白い布が立っていた。
は目をぱちくりさせた。全く気が付かなった。足音もしなかった。
濃い靄があるせいで遠くまで見渡せないが、薄暗い靄の中、かろうじて人影が見えるくらいの距離に、ぼんやりと浮かび上がるように、その青年は立っていた。一瞬幽霊かと思ったのは仕方ないだろう。そうでないと気づいたのは、体をすっぽりと覆っている布の裾野から鞘が覗いていたからだ。
頭まで被っている白い布でほとんど顔は見えないが、その隙間から少し見える金の髪と青い目が、の方を控え目に向いている。
緑と青の間のような色の透き通る目が、けれど随分と汚れてしまった布の合間からこちらを見据えていた。
いや、ほとんど睨みつけていると言っていい。

「……………なにか用、ですか」

が問いかけて見ても、何も言わない。
その刀剣がつかつかと無言での前に歩み寄り、数歩の所に立ち止まった。
その右手が刀の柄にかかっているのを見て、は少し期待した。
もしかして、ここまで殺しに来てくれたのだと思ったから。

「………」
「………」

しばらく睨み合うようにお互いを見ていた。
布の塊は、縁側に座るを見下ろして。
は、庭に立つ刀剣を見上げた。
刀剣が近づいた事で、その顔がよく見えるようになった。その顔は薄汚れていたが、とても整った顔をしていて、けれど眉根を寄せて険しい顔だ。
何がしたいか良く分からなかったが、向こうから来てくれて手間が省けた、とは思って口を開く。

「………試し斬りでもしたくなったんですか」
「ーーー」
「ここまで来て、怖気づきました?ここの刀剣は腰抜けばっかなんですね」

敢えて刀剣が腹を立てそうな言葉を選ぶ。
布の刀剣の顔は益々険しくなったが、けれど刀を抜こうとはしない。

「…………、……」
「……?」

刀剣の口が少し動いて、掠れた声がわずかに漏れた。けれど、がその声を拾うには至らない。少し首を傾げると、刀剣は一度口を引き結んでから、もう一度口を開いた。

「………その刀傷、どうした」

鋭い眼光が、の斬られた腕に向けられていた。

「斬られました」
「………刀剣男士にか」
「それ以外ここに居ないと思いますけど」
「………」
「なんでそんな事、聞くんですか」

先を越されて悔しがっているのか、あるいは別の何かがあるのか。前者に決まってる、と思っては布の塊を見上げる。

「お前………、審神者、だろう」
「まぁ一応、形だけは」
「なぜ、ーーーしない」
「……?」
「なぜ、刀剣を欲しない」
「??欲するというか……殺してくれるのは、待ってますけど。むしろ、あんた達が僕のこと、好きにしていいんですけどね」
「お前は死にたい、のか」
「うん。死にたいというか、殺してもらいたいです」

もうなんだか、遠回しに嫌味を言うのも面倒になって、直球に言ってみる。そうすればきっと、刀剣だって後ろめたさもなく、ばっさり行けるだろうと考えを少し変えた。
こうやって一人で離れを訪れるくらいだから、手を下すのだってやぶさかじゃないと思ったけれど。

「…………なぜ」
「金が欲しいからです」
「…………」

包み隠さず言うと、その刀剣は少し驚いたように目を開いた。そうして今度は蔑むように目を細めて、けれどやはり、それに対して刀剣は何を言うでもない。刀剣の物言いは判然としなかった。
何をしに来たかもよく分からない。
それからしばらく沈黙して中々口を開かない刀剣に、は一つ息をついた。

「あんた、めんどくさそうな人ですね」
「お前はっ…!」

刀剣は顔をしかめてから、つい、といった感じに声を上げた。
それにが目をぱちくりさせたのに我に返って口を引き結んで、けれど再び口を開こうとした、のだが。

「審神者様、どなたかいらっしゃるのですか」

霧に包まれた庭の向こうの方から小さな足音と声がした。こんのすけの声だ。
それに気がついた刀剣は一瞬だけ声のした方を振り向くと、さっと身を翻してあっという間に霧の向こうに姿を消した。走っていても流石は刀剣と言うべきか、ほとんど足音もない。ただ、人が動いて靄が不規則に動いた跡だけが、そこに刀剣が居たことを物語っている。
何がしたかったのだろう。
刀剣が消えた方を見るが、薄暗い靄が広がるばかりで、刀剣が戻ってくる様子もない。

「審神者様。どなたとお話しされていたのですか」

現れた狐は、訝しげに辺りを見回している。声が少し緊張しているので、に何かあったのではないかと危惧していたのかもしれない。

「ーーー別に。変な刀剣が来てた」
「その刀剣男士様は何をしにここへ?」
「さあ、よく分かんない。………で、あんた、どうしたの」
「はい。薬箱をお持ちしました」

狐はまだ少し気にしたように周りをきょろきょろ見ていたが、に問われて口に咥えた箱を咥えなおして、の方へやってくる。それを、は黙って見下ろす。
初日に放っておけと言ったと思ったが、こんのすけは毎日の元にやってくる。その度にもう来るなと言ってはいるのだが。

「……………」
「なんでしょうか」
「あんたさ。僕のこと、構うことないんだけど」
「私は審神者様のサポート役ですので」

こんのすけは、審神者が構うなと言うのに、ふらりと現れては何か助言のようなことを言ったり、食べ物を置いていったりする。これがにとって、意外に邪魔だったりする。

「だからいいって言ってんのに。どうせあとちょっとで死ぬ」
「審神者様。その傷は放っておけば化膿して、酷く苦しむ事になります。最悪、それで命を落としてしまっても、審神者様の不手際となって特別手当の対象にはならないでしょう。それは審神者様の本意ではないはず」
「んん……それは、まあ、そうかもしれないけど」
「審神者様とて、苦しむのはお嫌でございましょう」
「……そうなんだけどさ」
「せめて、消毒だけでもしてはいかがですか」
「でもなぁ」
「痛みが引けば、死ぬまで心穏やかに過ごせますよ」

どうやら初日や次の日にが本気で殺してもらおうとしているのを理解したようで、こんのすけは開き直って説得の仕方を変えたようだった。
殺してもらうためには、生きておらねばなるまい。
生きている間は、穏やかに過ごせた方がいいに違いない。
その原理でこんのすけは行動するようになった。

「……分かったよ。そんなに、言うなら」

この狐の言うことに踊らされているようで面白くないが、確かにこんのすけの言うことも一理ある。
刀傷で死ねばあるいはとも思わなくもないが、一撃で死ぬ方が確実なのは間違いない。
死ぬ際に苦しむ事無く、というのは難しいだろうが、高い確率でこれから苦しむであろう致命傷でもない傷を放っておくのも、苦しみを助長するだけで、確かに、嬉しくはない。
今回は口車に乗せられてやろう、とはこんのすけから薬箱を受け取った。
と言っても、まともな手当などほとんどしたことが無いし、やり方もよく分からない。
こんのすけが消毒を、と言うので、袖をまくって消毒液らしい液体を腕に適当にかけた。袖をそのまま戻そうとしたら、こんのすけが包帯とガーゼを差し出してきたので、何もしないのも着物が血と消毒液でべちょべちょになりそうなので、とりあえずガーゼを当てて適当に包帯で巻いておいた。巻き方も分からないから適当だが、それに頓着するようなでもない。

こんのすけは、が覚束ない手で包帯を巻くのを見ながら、しばし思案した。
彼がどうしてそこまで死に急ぐのか、どうして金が必要なのか、こんのすけは未だにその真意を測りかねていた。
けれど構うな、と言われた所で審神者のサポートがこんのすけの役目であるし、何より、この危なっかしい少年を放っておけなかった。
金が欲しいから殺してほしいだけだ、そう口では淡々と言うけれど、自分が死んでも金が必要だということは、自分以外の人間のためにそれが必要だということだ。
いくら金があったとしても、本人が死んでしまってはそれも意味がないのに、けれど、は自分の命と引き換えに金が欲しい、と言う。
それは誰か、あるいは何かのために、彼が命を投げ出そうと考えているのだと思ったから。
おそらく、いや多分きっと、それは当初が確認していたように、彼が死んだ場合に金が渡る手筈になっている、彼の家族のためなのではないか、と。
もしそうなら。
そんな悲しい理由で、彼をみすみす見殺しには出来なかった。

「審神者様、昨夜はよくお休みになれましたか」
「へ?」

が包帯で巻き終えるくらいを見計らって、こんのすけは口を開いた。
昨夜はお休みになったか、と。
こんのすけとしては、審神者の目の下の隈が取れず、この少年がちゃんとした生活を送れているのか、ちゃんと眠っているのかが心配になったのだ。
目の下の隈や顔色の悪さは、言ってしまえば会った初日からではあるのだが、それでもこの数日で悪化しているような気がした。
こんのすけとしては出来るだけの側に居たいのだが、がそれを酷く嫌がって追い払われるので、必要最低限しか近づかないようにしている。そのため、審神者がどんな生活を送っているのかをこんのすけは把握出来ていなかった。
こんのすけの問に、は少し不思議そうな顔をしたものの、素直に口を開いた。

「眠れたけど」

屋根があって、風が入らない場所で眠れるのは、貧民街の自分の貧相な家よりも幾分もマシな環境だった。

「でも、一人だからなぁ。ちょっと寒い」

雪は降っていないものの、昼間でも息が白くなるくらいには寒い。
貧民街では兄弟でくっついて眠っていたが、ここではそれも出来ない。一人で眠るのは、寒かった。

「厚手の布団が離れにもあると思いますが。探して参りましょうか?」
「布団?そんな贅沢なもの、いいよ」

その言い方に、こんのすけは違和感を覚えた。布団を贅沢というのも気になるが、その言い方は、まさか。

「まさか布団をお使いになっていない、なんて……言いませんよね」
「だったら何?」
「……!」
「なんか上着?羽織?は見つけたから、それにくるまって寝てる」

物置の奥に羽織を見つけて、はそれで暖を取って眠っている。
がそう言うと、こんのすけは少しの間沈黙した。
動物の顔はあまり表情が分かりにくいが、こんのすけは分かりやすい方だろう。その顔が、気難し気に押し黙っていた。
さすがに夜は布団で寝ているものだとばかり思っていたのに、まさかこの寒空のもと、羽織一枚にくるまって眠っていたのだろうか。

「……。布団がございますので、寝具でお休みになった方がよろしいかと。疲れの取れ方が全く違うそうですよ」
「隙間風が無いだけでも全然快適。それだけで十分」
「布団はもっと温かいですよ」
「いいよ、汚すし」
「汚していいのです。あれは審神者様のために用意されたものなのですから」
「本当の審神者、だろ。僕はひとみごくう?だし。もうすぐ死体になる人間が使うのは勿体無い」
「………」

と話す度、こんのすけはこの少年の育ってきた環境に頭を抱えたくなる。
それに、自分はもうすぐ死ぬ、そう断じている姿が、何よりも痛ましかった。暖簾に腕押し、とはまさにこのこと。いくらこんのすけが生かそうと頑張っても、にはその気持ちが全く無い。
まだ親の庇護下にあるべき少年が、どうしてそこまで思いつめなければいけないのか。
こんのすけはやるせなくなって溜息をこぼしたい気分だった。
布団に関してはもうこれ以上何を言っても無駄だろうと、くるりと屋敷の方へと身を翻す。

「審神者様。こんのすけは何か食べる物を取って参ります」
「いいよ、別に」

本来なら、審神者は専用の端末から政府の担当部署に申請をすることで、食料や生活に必要なものを取り寄せることが出来る。
ブラック本丸と言えどそれは機能しているのだが、それを使うのをが嫌がったのだ。どうせすぐ死ぬのだから必要無い、と。
食料は台所に届くようになっている。
けれど、がそれを取りに行くはずもなく。
その審神者のために、こんのすけが何か手軽に食べられそうなものを探して持って来ているのだ。軽いものなら口に入れてくれるかもしれないと、淡い期待を持って。

「良くはありません。審神者様は人間です。殺してもらうまでは、生きておかねばならないのでしょう。空腹では死んでしまいます」
「いいって。この家にあったものなんか食べられない」

やはり、堕ちかけの刀剣の住む屋敷にある食べ物なんて、碌なものはないだろうし。
いや、毒殺も有りか?とは思ったものの、食中毒だと言われでもしてもみ消されても面白くない。それに。

「死ぬ時ってさ」
「?」
「まあ、ほら。色々出たりするから。だから、なるべく腹は空っぽにしときたいんだ」

貧民街では、死んだ人間を見る機会なんていくらでもあった。目の前で人が死ぬのを見たのだって、一度や二度ではない。
人は死ぬと、体にある穴から色々出てしまうのだ。
仕方がないのだけど、そして死んだ後の自分の死体の状態なんて、それこそ気にしたってしょうが無いんだけれども。
死体になって家族の元に還るのに、みっともないのはやだなぁ、と。
そんな風に思ってしまうのだから、人間とは不思議なものだ。

「……そんな、こと……でも、審神者様は……生きていらっしゃいます」

の言葉を聞いて、こんのすけは愕然とした。
早く殺してもらいたい、とはまるで人が抱くような感情を見せもせずに、淡々と言う。のに、そうやって折りに触れて、酷く人間らしい感情を見せる。
きっとこの少年は、温かい世界を知らないだけなのだと。
こんのすけは何となく思った。
こんのすけはしょぼんと頭を垂れて、元気の無い声で言う。

「もしかして、昨日お渡しした果物も……」
「どっか行った」
「……何か物を食べたくなったら、いつでも言ってください。こんのすけ、刀剣男士様方に頭を下げてでも取って参ります」
「いいって。僕に構うなよ」
「審神者様ーー」
「もう、あっち行けよ」

はうんざりするように言って手を振った。

「……何かご用命があればお呼びください」
「もう僕のとこ、来ないでよ」

そうしないと、お前がつらいんじゃないの。
最後は口には出さなかったけれど。
この、今にも涙をこぼしそうに下をむいてトボトボと屋敷の方へ向かって歩いていく狐を見ると、なんだかこちらが悪いことをしているような気になってしまう。
元はと言えば、政府がやったことだろうに、とは思う。
それでも、

「(優しいやつなんだろうなぁ)」

だから、僕なんかと関わらない方がいいに決まっている。
これから死ぬ人間の世話なんてするのは、生き残る人間がつらくなるだけだ。
それは、よく知ってるから。









2018/05/11

僕を、殺して 03