失せ物探し
うせものさがし <前>
一条戻り橋を通り、源博雅朝臣は、安倍晴明の屋敷へ向かっている。徒歩(かち)である。
そろそろ陽も、山の端に没する刻限である。
左腰に朱鞘の刀を差し、手には酒を持っていた。今宮中で噂の西国の酒が手に入ったので、それでまた一杯やろうかと、持ってきたのである。
屋敷の門が見えてきた。いつものように、門扉は開け放たれたままである。
と、門の前に誰ぞ立っているものがある。
すぐに、
であると気が付いた。
は門を見上げるように、門から少し離れた場所で、突っ立っている。
「
。どうした、中へ入らんのか」
声をかけると、
はゆっくりと、こちらを向いた。
しかし、博雅は首を傾げる。
の様子が、いつもと違う気がするからである。
「
?」
こんにちは、とも、お久しぶりです、とも、言わない。表情を変えない。いつかのように、何かまた、変な夢でも見たのかとも思うたが、それともまた、様子が違うようである。
感情がないのである。
ただ無感動に、こちらを見上げてくる。無言である。
「晴明に叱られでもしたか?」
違うことは分かっている。何か言いはしないかと、声を掛けただけだ。
すると
は、迷うように視線を左右にさ迷わせたあと、口を開いた。
「博雅どの。晴明どのに取り次いでは頂けませぬか」
の声で、そう言った。
晴明は部屋から出てくると、叢の前に立つ
を見て、
「ほう」
とだけ言った。
それから、いつものように簀子の上に座した。博雅はまだ、
の隣に立っている。
「晴明、
の様子がおかしいのだ」
「見れば分かる」
「分かるのか」
「まあな。まあ、座れよ、博雅」
いつものように言う。慌てる様子もない晴明に、博雅は納得いかないような顔で、簀子に軽く、腰をかけた。沓(くつ)ははいたままである。
「そなたも、座らぬか」
「ここでようござります、晴明どの」
晴明が声を掛けると、
はそう言った。博雅が、ますます怪訝そうな顔をする。
はそのような喋り方はしないし、晴明と博雅のことも、晴明どの、博雅どの、とは言わない。
悪しきものにでも憑かれたか、と博雅は思った。
「まあ、そうゆうな。話は、酒を飲んでからでも遅くはなかろう」
晴明の言葉に少し迷ったふうの
は、では、と草履を脱いで簀子の上に座した。
蜜魚が酒の用意などをして配膳をしても、
はどこか遠慮をするように少し控え目に座したままである。何か深く考えるように、沈黙している。
の傍には、八夜がいなかった。
最近では、気がついたら
の傍でくつろいでいるのが当たり前の八夜がいない。いや、先程庭にはいたのである。しかし、塀の傍でじっとこちらを見たまま、近寄ろうとしなかった。やがて、どこかへ走っていった。
博雅は
の方をちらちらと見ては、晴明に、どうにかしろ、と目線を向ける。
晴明は、のんびりと酒を口に運ぶばかりである。
「して、いかがした」
一刻ほどそうしていたところで、ようやく、晴明が口を開いた。
口元には、あるかなしかの笑みが、灯っている。
「―――晴明どのに、お頼みがござります」
の目には、光がなかった。どこかぼうっとしているように見える。言葉をかみしめるように、話す。
ここまで来ると、すでに、博雅もこれが
ではないと分かり始めていた。
しかし、晴明が邪険にも扱わず、何も言わないので、博雅は口を挟む機会を逃したままだったのである。
「どのような?」
「失せ物を、探して頂きたいのです」
「はて、何を失くしたのだ」
少し顔をうつむけて、ぼそりとつぶやいた。
「私の、屍でござります」
それ(、、)は、
の声で淡々と、言った。
2010/03/11