「ただいまー!」
「おかえり、リクオ」
「あ、。ただいま!またどこかに飲みに行くの?」

がジーパンにロングティーシャツという、まるで人間のようなラフな格好をしている時は、決まって人間の町へ飲みに行くのだとリクオは知っていた。
案の定、は飲みに出掛けると言う。
今しがた帰ってきたリクオとすれ違うようにスニーカーをつっかけて、は人間の吸う煙草を新たに咥えた。
その目立つ白銀の髪と目も、人間の姿に化ければ暗い茶色になる。手足の文様も、今は袖の下に隠れていて見えはしない。
年月を重ねても全く変わる事のない外見と相まって、パッと見はどう見ても“ただの人間の若者”である。

「ああ。お前も行くか?」
「飲めないお酒飲みに行っても仕方ないよ」
「なんだ、つまんねぇ」
「あのねぇ、お酒は20歳からって決まってるんだよ」

現在小学3年生であるリクオは、ついこの間までは総大将を真似てイタズラばかりしていたが、けれどこうやって見ると、浮世絵町に住むごくごく普通の、子どもだった。
それも、人間の。

「知ってるぜ。けどなぁリクオ、一つ教えてやるよ。遊び方を知らないといい大人にはなれない」
「余計なお世話だよ!」

為にならないようなことを堂々と言い切って、楽しそうには笑う。
じゃあな、と一言言い置いて、足音軽く玄関を出て行った。









見えた光が










今の世の中はもと居た場所に酷く“似ている”とは思う。
妖が存在しているのだから全く同じではないが、それでも街並みや人の嗜好はどことなく昔を思い出させる。ゆうに800年程前の事だが、時折は昔の町と今の町並みを比べることがある。
何がどうなってこの世界(、、)へ来たのか、どうして人間だった自分が妖怪に変化してしまったのか、未だに何も分かっていない。けれどはもう探すことをしなくなった。
仮に今、昔の世界に帰れるとしても、は帰ったりなどしないと確信を持って言えたし、探す必要ももう無くなったからだ。ここが自分の居場所だ、そう思える場所がにはもう存在するのだから。






終電もとっくに終わり、始発がそろそろ動き出そうかと言う頃、はようやっと本家に帰ってきた。
静寂に包まれた闇深まる刻限だが、本家となれば話は別だ。夜に活動する妖どもは、夜は長いと言わんばかりに、賑やかに相撲や賭け事に興じている。
それを横目に見ながらは自室へと足を向けた。
途中、前から見知った顔が歩いてきた。奴良組特攻隊長を自ら名乗る、青田坊である。

「おう、帰ったか
「青。リクオはもう寝たか?」
「とっくの昔にお眠りだ。リクオ様は人間の子どもだからな」
「そうか」

ぬらりひょん、鯉伴と続いた奴良組総大将の血筋だが、妖怪の血を4分の1しか受け継いでいないリクオは、どう見ても人間の子どもだった。
それが好ましくもあり、また少し、寂しくもある。

「人間の町で飲んでたのか?」
「ああ」
「全く、お前は本当に人間が好きだな」

よく言われるよ、とは苦笑と共に心の中で相槌をうった。
は人間が好きだ。
人間の世界の服装やカタカナ文字を理解しようと他の妖怪達はがんばってはいるが、その努力は中々に報われない。が、は全くもって、うまく人間の世界に溶け込んでいた。
人間の使う外来語も使いこなし、人間の若者がする服装も違和感なく着こなしている。

「好きだぜ、人間は。あいつらは阿呆で面白い。飽きることがない」

じゃあ俺は眠いんで寝る、そう言い置いて、は今度こそ自分の部屋へと足を向けた。

「お、帰ってきたのか」

その後ろ姿を見つけて黒田坊が青田坊に寄ってくる。
どうやら今まで相撲を見て博打を打っていたのを引き上げてきたものらしい。

「ああ、また人間の町で飲んでたってよ」
「モノ好きな奴だ」

100パーセント妖怪であるにも関わらず、は妙に人間くさい。
それを邪険にする幹部連中もいることを知っていて、はそれをやめようともしない。今更言っても無駄なのは百も承知、周りの妖怪も既ににどうのと言うことは無くなっていた。











昼間も大分前に過ぎて、庭では洗濯物を取り入れようと女妖怪どもが働いている時分。
今しがた起きたは、乱れた髪を手櫛でほどきながら土間の方へと廊下を歩いていた所だった。

「おはようございます、若菜さま」
「おはよう、
、ここ教えて!」
「おっと、若は今お帰りかい」

元気よく駆けてきたリクオに一つ笑む。リクオはたまにこうして学校の宿題の内容をに聞きに来る。

「居間で待ってろ。水飲んだら行く」
「うん!」

水を飲んで程無くしてが居間へ行くと、リクオは既に問題集を広げてああでもないこうでもない、と首を捻っていた。

「どこが分かんねぇって?」
「ここ!この問題、どうやったって答えが出ないんだ」
「あー、これはだなー」

そう言って一つ一つ、丁寧に教えてやる。
学校なんて行っていたのはそれこそ相当昔の話だが、しかし小学生レベルの問題ならばなんてことはない。
他の妖怪達に聞いても有意義な答えが返ってこないことを早々に学んだリクオは、そうしてに勉強の手ほどきをせがんだ。

「あー、そういう事か!さすが、教えるの上手だね」
「そらぁどーも」

必死になって机にかじりついて問題を解く様子を見ていると、ふいにの口をついて疑問が飛び出した。

「リクオ、3代目は継がねぇって言ったって?」

唐突に言い出したに、リクオは驚いたように手を止めて顔をあげた。
その顔には“なんだいきなり”と書いてある。
リクオは以前は3代目を継ぐ気で居たはずだが、つい最近になって“継がない”と言い出した、と鴉天狗が嘆いていたのを聞いたのだ。

までそんな事言うの?ボクは継がないよ。フツーの人間になるんだ」

今までは、リクオに3代目について尋ねた事は無かった。
カラス天狗や他の妖怪どもがもうそれは嫌というほどしていたし、リクオがこのまま人間の子どもとして平和に成長する、そんな未来もいいかもしれないと、少し本気で思い始めていたからだ。

「そうか。それも、まあいいさね」
「…?は皆みたいに、ボクに3代目を継げって言わないの?」
「言って欲しいのか?」
「そういうワケじゃないんだけど…だって、も妖怪じゃないか」
「そうだぜ。まぁでも俺は、人間も案外捨てたもんじゃねぇって思ってるしな。あいつらは馬鹿で、面白い」
「何それ!」
「あはは。……俺も、人間だった頃があったのさ」
「え!?」

リクオにとってそれは初めて聞く事実だった。
当然だ、総大将にもその事実を言ったのは随分と最近になってからのことだった。が人間であったのを知る者は、奴良組の中では盃を交わした相手だけだった。鯉伴の居ない今となっては、総大将のみぞ知る所となっている。
それをリクオに話したのは、単なる気まぐれ、としか言いようがない。

「初めて聞いたよ!」
「初めて言ったからな」
「え、それってどういう事?いつの話?」
「それはまた今度な」
「今度っていつ?」
「お前が酒を飲めるようになったら話してやるよ」
「えー!ずっと先じゃないか!」
「ガキのおめぇには早いって言ってんだよ」
「ケチ!」
「お?そんな事言う奴には勉強教えてやんねぇぞ?」
「え、ごめん!それだけは…!」
「はは…」

素直に謝るあたり、この環境にあってよく真っ直ぐと成長したものだと思えて仕方がない。
これで、いいのかもしれない。
リクオは、殺生とは無縁の所で、平和に成長すればいい。
普通の子どもとして育ち、やがては好きな人間の女を見つけて、温かい普通の家庭を持って、温かいベッドの上で家族に見守られながら死んでいけばいい。











本当に、そう思っていた。












「妖怪ならば、オマエらを率いていいんだな!?」

ざわり、の中で何かがざわめいた。忘れたわけではなかったが、長い間感じていなかったそれに、は総大将の“血”を感じた。

目付きが変わった。
言葉使いが変わった。
姿が―――変わった。

ぬらりひょん、鯉伴を彷彿とさせるその姿は、まさにリクオのその血を表しているようで。
小さな夜リクオは、しかしその小ささを感じさせないほどに“自信”を持っていた。“力”を持っていた。
あの木魚達磨でさえ一瞬怯むほどに。

はつられるようにして普段している人間の姿から妖怪の姿に戻る。
久しぶりだ。
妖怪の血が体を巡るのが分かる。既に慣れ親しんだそれが、珍しく、沸々とたぎっている。
感覚が研ぎ澄まされる。
パチパチと、待ちきれないかのように小さな電撃が無数に体からほとばしる。
眷属が己の影の側近くに戻り、そして待っているのが分かる。
主が動き出す時、すなわち妖怪を率いる者が歩き出すその時を。

「おめーら、ついてきな」

リクオの言葉に、口の端がニヤリと釣り上がるのを止められなかった。
リクオが望むなら人間のままでもいいかもしれない、そう思ったのも本当だった。
しかし、今はそれを凌駕する程の歓喜と興奮に包まれていた。



ついに、待ちに待ったこの時が来た。



は列を成してリクオに続く群れの中に加わった。
ぬらりひょん、鯉伴とも交わした盃を、いずれリクオとも交わす日が来る事を確信しながら。














2013/04/04

青天の霹靂 04