黄泉から帰ってきた夜トと雪音が久しぶりにの棲む屋敷を訪れると、いつもとは違った屋敷の雰囲気に二人は目を見開いた。
庭の木々は枯れて腐った実を落とし、畑の野菜は黄色く変色して力なく萎れてひなびている。あんなに丁寧に手入れをされていた庭は今は荒れ放題で、見るも無残な姿を晒していた。
それを見れば、何かがあったのだという事は言葉にしなくても分かる事だった。
夜トと雪音は一瞬だけお互いに目を合わせると、一斉に屋敷へと駆け出した。








06









「おい、!いないのか!」
さん!居たら返事をしてください!」

玄関は鍵が閉まっている。いつもならチャイムを鳴らせば返ってくる声も、今日はむなしくチャイムの音が響くだけ。大声で呼んでみても、なんの反応も無い。

「雪音、いくぞ」
「ああ!」

夜トはその場で雪音と共に姿を消し、玄関の内側へと瞬間移動した。
靴を荒々しく脱ぐと、二人はの名を呼びながら片っ端から屋敷の中を走り回った。
そうして少し探しまわってから、夜トが居間へと辿り着いた時、その居間の神棚の前に小さな体を見つけた。

っ!」

慌てて駆け寄る。
倒れていたのは、まぎれも無くだった。
けれど、その体はあまりにも小さい。
2・3歳のような体をしたはぐったりとして、辛うじて浅く短い呼吸をしていた。
大きさの合っていない服は袖が余る程で、それほど長い間動けない状態が続いていたのだということを物語っていた。

「おい、しっかりしろ!」

夜トが抱え上げると、その体はいとも簡単に夜トの両腕に収まった。
声を聞きつけて、遅れて雪音も居間に姿を現した。

「……!さん…っ!?」

側に来て顔を覗きこむと、薄く、が目を開いた。

「……ああ、その声は……夜トと雪音かな…?いらっしゃい……」

酷くかすれた声が喉を通って出てくる。
焦点の合わない目は虚空を見上げている。目を薄く開いているのに、その目は既に光を捉えていなかった。
夜トはその事実に愕然とする。

「お前、お前っ…!」
「ふふ、夜ト神……。酷い慌てようだ…」
「お前な!自分がどんな状態か分かってんのか!?」
「うん、まあ、ね。……とても、疲れたよ。もう何も見えないし…、自分で歩けないんだ……」

は少ししゃべるのも辛そうに、長く細く、息をはいた。

「最期に君たちに会えて、良かった…」

そう言って、ほんのり薄く、笑う。

さんっ…」
「弱気な事言ってんじゃねぇよ。しっかりしろ!」
「…僕は十分生きたよ。これからの時代に僕は……必要が無くなった。だから消える……。ただ、それだけの……事、さ」
「…!」

そう言って、は目を閉じた。

「おいっ!」

慌てて口元に手をやると、かろうじて息はしている。
その事に安堵しながらも、意識をそう長く保っていられないという事実に危機感が募る。
もう先は長くない。
それは手に取るように分かるから。

「くそっ!」
「何とかなんねーのかよ、夜ト!」
「わかんねーよ、分かんねーけど……そうだ、雪音、来い!」
「お、おう!」

夜トは、ダメもとで一つの心辺りに飛んだ。
それは以前が話していた、総本社の事だ。


吉野水分神社


家はそこから勧請を受けて神棚を作り、それにが宿った。
総本社に行った所でが助かる保証は無い。
けれど、何もしないよりは良い。
飛んで出た先の社殿の前で、夜トは辺り構わず声を張り上げた。

「水分の神!俺は夜ト神と言う!あんたのトコの分霊が消えそうなんだ、力を貸してくれ!」
「水分様!お願いです、助けてください!」

夜トと雪音が声を張り上げてから間もなくして、社の中から老婆が出て来た。顔に浮かぶ皺、白い髪は過ごして来た歳月を思わせたが、真っ直ぐに背筋を伸ばした姿は大社の主らしく凛としている。

「あんたが水分の神か」
「――いかにも」
「こいつ、を助けてやってくれ。あんたのトコから勧請されて出来た神棚に宿った神だ。家が衰退して、こいつ自身にももう力が残っていない」
「……力を与えてやることは出来る。しかし………それは本当に必要な事であろうか?」
「は!?何言ってんだ!?」

凛とした佇まいを崩さない老女は慈愛に満ちた面持ちでなお、そんな事を言った。
社の階段を降り、夜トの前まで進み出る。の小さな顔を覗きこんで、悲しそうに眉尻を下げた。

「可哀想だけれど。この子がこんなになってしまったという事は、それはもうこの子がにとって必要とされなくなったということ。必要とされない神など、生きていても寂しいだけ。それは、きっとこの子だってきっと同じ事を思うのではないだろうか」
「それは……」

その皺の寄った細い手で、水分神はの顔にかかった髪を払いのけた。
それは、本当にの事を思っての言葉のようだった。
、と彼女は言った。
夜トが言ったわけでもない家名をすぐに言えるほど、彼女はもしかしたら、の事をよく知っているのかもしれない。
それでも、助ける事はむしろ寂しいことではないか、と。

「だから、と共に天に召されたほうが、あるいはこの子にとって、そして神にとっての幸せというものなのではないだろうか」
「そんなはずはないっ!」

夜トは、気がつけば大きな声で反論していた。
まるでそれは自分に対して言われた事であるかのように、大きくかぶりを振って反論していた。

「神だって、心がある、魂がある!例え見守っていた一族に見放されても、それでも生きていたんだ!生きられるなら、生きたい!生きて、いたい!」

水分神は目を見開いた。
まるで、自分の事のように夜トは顔を歪めて訴えていた。
生きているのだから、生きたいのだと。

「あの、神器の分際で言うとおこがましいと思われるかもしれないですけど……」

一言前置きをしてから、雪音も口を開く。

「少なくとも、僕達にとってはさんは大事な友人で、大事な人です。僕達は知ってます、彼はの家を守り、の人々を見守っています。の人達が遠くに行ってしまった今でも、です。だから……」

必死の二人の訴えに、水分神は少し考えるように俯いた。
水分神は、今まで多くの分霊が消えていくのを嫌というほど見てきた。
社を持っているものはまだ良い。
けれど、神棚に宿る分霊は多くはないが、かつては確かに大勢居たのだ。それが、今ではこれほどまでに減ってしまった。それは一重に、大豪族と呼ばれるような一族の多くが今は衰退してしまい、更には人間の信仰が薄れてしまったが故だ。
それでも、まだこの分霊――――は、こうして他の神から必要とされているのだと、助けて欲しいと、救いの手を求められている。

水分神は、俯けていた顔をそっと夜トの方へと向け、夜トの手から小さなを受け取った。

「――分かった。出来る限りの事はやってみよう」
「「!!」」
「ただし、力を与えたからと言って助かる保証はない。自身が生きたいと思わねば、もはや私にもどうする事も出来ないのだから……」
「それでもっ……!」
「……よろしくお願いしますっ!」

夜トと雪音は二人して深々と頭を下げた。
水分神は、はい、と静かに返事をしてから、社の中へと入って行った。

さん……」
「大丈夫、あいつがこんなトコでくたばるかよ。……大丈夫」

夜トはまるで自分に言い聞かせるように、雪音の頭をかき回してから言った。

「……うん」

二人はそうして社の前に座り込んで、ただ、待ち続けた。













2014/08/08

それは過ぎし日の、 06