、お前またこんな所にいんのか!」

夜トと雪音が家の門をくぐると、広い庭に植わる多くの木の内の1本の上に、の姿があった。どうやら枝の剪定をしていたらしい。首にはタオルを巻いて、軍手をはめた手には枝切りバサミが握られていた。
そんなを見て咎める夜トに、は平然と笑っていつものように口を開く。

「おや、夜トに雪音。いらっしゃい」
「お前なぁ…」
「玄関は開いてるよ」
「……。………邪魔するぞ」
「お邪魔します」
「はーい」

もうちょっとで終わるから、と言っては頬に伝う汗を首に掛けたタオルで拭った。









07









雪音よりも小さい少年のような風貌をしたの所作は危うげなく、顔色も以前の元気な頃とほとんど同じように見える。けれど、ついこの前までは死ぬか生きるかの瀬戸際に居ただ、周りが心配をするのも仕方ないだろう。
一度は靴を脱いで居間まで上がった夜トと雪音だが、居間の神棚を少し見上げただけですぐに庭の見える回廊までまわり、結局は縁側に座っての庭仕事を眺めていた。

「よし、と……。あれ、自分ではお茶も入れられないのかい?」

木を降りたは庭を眺めている夜トに向って、少しきょとんとした顔で一言。
夜トはあぐらをかいた足の膝の上に肘をついて、その手の上に乗せた顔で大仰に溜息をついてみせた。

「お前な…ちっとは自分が療養中って事を自覚しろよ」
「はは、悪かったよ。冗談だ。今茶を入れるから待ってて」
「あ、手伝います」
「悪いね、雪音。お願いしようかな」

夜ト達が座っていた縁側まで歩いて来ると靴を脱いで、は縁側から回廊に上がって雪音と共に台所の方へと歩いて行った。
夜トは何気なしにその二人の後ろ姿をみやって、その小さな背中に少し目を細めた。
二人が並ぶとの方が雪音より頭一つ分小さい。
それでも、あの今にも消えてしまいそうに力無く横たわっていた頃に比べれば、随分と元気になったものだった。

「はい、どうぞ」

しばらくして二人が戻ってくると、雪音の持った盆からが茶の入った湯のみを取って夜トに差し出した。
おう、と夜トが受け取ってから、雪音とも縁側に腰掛けて庭を眺めながら、茶を飲み始めた。

「随分と綺麗になったな」

庭を見ながら、夜トがぽつりと言う。
荒れていた庭は、が帰ってきてからはちょくちょくと手入れをしているため、今ではだいぶ綺麗になっていた。

「もうちょっと、かな。だいぶ荒れてたからね」
「お前は社には戻んねぇのか」
「まだ夜はお世話になってるよ。昼間はすることがなくて暇だからさ、こっちに来てる」

元気そうにしてはいるが、はまだ全快したわけでは無かった。
死にかけていたは水分神に力を与えられ、なんとか一命をとりとめた。
それからずっと総本社で世話を見てもらっていたのだが、一人で動けるようになってからはまたこうしての家に戻って来ては、家を掃除したり庭の手入れをしたりしている。
総本社に居れば力の戻りも早いが、外に出ていては力は中々戻らない。それを知っていても、の家へと足繁く通っているのだ。

さん、あの…やっぱりまだ社に居た方がいいんじゃないですか?なんか、まだ休んでいた方がいいというか…」

雪音は、それでも申し訳程度にを見ながら言う。
まだ“小さい”と形容出来るほどのは、端から見ているとやはりどこか危なっかしい。

「うん、まあ早く元通りになるためにはその方がいいんだろうけど……」

は庭を眺めながら、少し悲しそうに笑う。

「いくらの神棚から放り出されたって、ここが僕の棲家であることには変わりがないからね。なんだかやっぱり、ここに居る方が僕は安心するんだ」

は、既にの神棚とは縁を切られていた。
いくら本神から新たに力を与えられても、家の神棚の主で居続けると、その力は衰退するとともにまた消滅してしまうからだ。
だから、本人の意向も聞かず、水分神は家の神棚から強制的に放逐した。
放逐されたは、いまやただの“精霊”となってしまった。
それでも、は意識が戻ってから水分神に礼を言った。

生かしてくれてありがとう、と。

「……すみません」
「ううん、心配してくれてありがとう、雪音。夜トも、ついでにね」
「そう思うなら自重しろっての」
「ははは」

は分かっているのだか分からないように適当に笑って誤魔化してから、茶を一口飲んだ。
それから3人は最近の事について、縁側でのんびりと話しをした。
夜トは黄泉へ行った事は多くは語らなかったが、七福神の恵比寿が代替わりしたんだと言葉少なに教えてくれた。雪音は夜トが居ない間に随分と修行を積んだらしく、その事を恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうに話した。
どうやら二人は毘沙門の一門と親しいらしく、随分と毘沙門とその道司の名前が出て来て、はそれを面白ろおかしく聞いていた。
茶も尽きて来た頃、話しが途切れた頃合いを見計らっては再び立ちあがって、一つ大きな伸びをした。

「さて、もうひと仕事しようかな」
「まだすんのかよ」
「あっちの木は今の時期に葉を落としておかないと、次の秋に花が咲かなくなるんだ」
「ふーん」
「あ、夕飯は食べて行くかい?」
「いや、ちょっとここでのんびりしたら帰る」
「えー、食べて行けばいいのに」
「なんだよ、食うもんあんのか?」
「うん、もちろん」
「帰る時間は」
「寝るときに社に帰るくらいだからね、問題無い」
「……そか。じゃ、ご馳走になる」
「うん」

はほんの少し笑って頷くと、また先ほどとは別の木まで歩いて行ってその木に登り始める。

「あ、手伝います」
「いいよいいよ、あとこれだけだから」

雪音が木の下まで行って言うも、は笑顔でそれを断った。そんなに大きな木でもないし長くはかからないのだろう。
雪音は縁側まで戻ってくると、の方を見ながら口を開いた。

さん。結構平然としてるけど、夜トが来てくれて相当嬉しいんだと思うよ」
「なんだよ、急に」
「いや。夜トが姿をくらましてる間、俺1回ここに来たんだよ。その時にさんに姿が小さくなってる事を聞いたら“僕の事はいい、君たちと話せるのが楽しいから”って言ってて。だから、今日の夕飯だってきっと久しぶりに一緒に食べたかったんだろうな、って」
「……そうか」

夜トもが切った枝が地面に落ちるのを眺めながら、ぼんやりと答えた。

「俺が、というか俺たちが来るのが、だろ」
「…あ、うん、そっか」

夜トが来るのが、ではなく夜トと雪音が来るのが嬉しいんだろ、と夜トは言いたかったのだ。雪音は少し目を見開いてから、それから少し笑った。
縁側に雪音も腰掛けて、そういえば、と思い出したように続ける。

「そういえば俺、その時帰り際に“夜トを頼む”ってさんに言われたんだ。……さん、自分がもう長くない事分かってたのかな…」
「……さぁな」

それからは二人とも口を開かず、の作業の様子をしばらく見ていた。
が木から降りてくる段になって、夜トはどっこらせ、と腰を上げる。

「しっかたねーなぁ。手伝ってやるよ」

聞こえるように大きな声で大袈裟に言いながら、夜トはの方へ向かって歩いていく。の小さく笑う声が聞こえて、の指示で夜トは落ちた木の枝や葉を集め初めた。
それを見て雪音も手伝いに加わる。
憎まれ口を叩きあいながら作業をする二人は、その口ぶりとは逆に、やはりどこか楽しそうだった。







結局晩酌までした3人は、夜もだいぶ更けてからお開きにした。
顔を真っ赤にした夜トを連れた雪音と共にも玄関をくぐると、は電気の点いていない暗い屋敷に鍵を掛けた。

「じゃ、ちゃんと真っ直ぐ帰りなよ」
「分かってらー」
「すみません、こんな遅くまで」
「ううん、僕も楽しかったからね」
「………。お前、これからどうすんだ。これからもこの屋敷に棲む気か?」

急に夜トは酔が回った顔で、酔っていないような口ぶりでハッキリとに尋ねた。
雪音は夜トが急に真面目そうな声を出した事に驚いていたが、は落ち着いた顔でふ、と笑った。

「そうだね。少なくとも、この家がの手を離れるまでは、僕はここに棲むよ」
「……そうか」
「うん。だから、またお腹を空かせたらいつでも来ていいよ」
「…おう」
「雪音もね」
「あ、はい!」

夜トは覚束ない足取りで歩き初め、雪音はに何度か頭を下げながら、そのまま二人は今の棲家に帰ったようだった。
夜トと雪音が消えるのを苦笑しながら見送る。

それからは暗い屋敷をもう一度見上げた。
電気も着いていない屋敷は、ひっそりとしてどこか物寂しい。
以前は感じていた神棚との強い繋がりも、今は儚く途切れた薄い気配が微かに残るばかりで、もうそこは余所余所しい場所になってしまった。

は小さく溜息を一つついて、総本社へと飛んだ。
社に着くなり、すぐにでも体に力が少しずつ流れて来るのを感じる。
社は常に神聖な空気で満たされている。それは確かに、精霊となった今でも、ここが本来あるべき場所なのだと自覚させられるほどに。
けれどにとっては、の家は自分の家。と切って考える事はもう出来ないのだ。



―――の人間がいる限り、僕はの人間に寄り添って生きよう



は水分神に挨拶をするため、本殿の方へ向って歩き始めた。
まん丸の月から降りてくる光が、静かにを照らしていた。













2014/08/15

おわり。

それは過ぎし日の、 07