「おーい、いるかー?」

玄関口で声をかけてしばらくすると、鍵が開いた音に続いて玄関の扉が開かれる。雪音が不思議がっている前で、屋敷の中から一人の少年が姿を現した。
高校生くらいに見えるその少年は、二人を見るとニコリと笑った。

「そろそろ来る頃かと思ってたよ、夜ト神」
「わりーな、今日も世話んなる」
「うん、いいけどね。歓迎するよ」

慣れた風に会話をしてから、はつい、と夜トの後ろにいた雪音に目をやった。

「もしかして、新しい神器かい?」
「おう!雪音ってんだ」
「そう。よろしく、雪音。僕は。まあ一応、神って事になるかな」

そう自己紹介したの笑顔に、雪音はぎこちなく「どうも」、と軽く会釈を返した。








03









夜トは勝手知ったるなんとやらなので、屋敷に入るなり勝手に部屋へと上がろうとする。日当たりの良い南向きの2階の部屋が、夜トのお気に入りだ。
バスタオルの位置だけ教えると、夜トは早速風呂に入る、と言って鼻歌まじりにタオルを取りに行ったようだった。
基本は、部屋を貸したり布団やタオルを用意してやったりはするが、風呂の準備などの自分で出来る所は自分でしてもらっている。
はというと、まさか夜トが神器を連れて来るとは思っていなかったので、部屋の用意をするついでに、雪音を連れて1階の庭に面した部屋まで雪音を案内した。

「すげー」

部屋へ通すと、雪音は驚いたように部屋を眺めて口をポカンと開けていた。

「広さだけはあるからね。この部屋を使っていいよ」

雪音が案内された部屋は16畳ほどの一間で、庭に面した障子と窓ガラスを開けると、綺麗な庭が一望出来た。
ここに置いてある箪笥や机は自由に使っていいと言われて、雪音は始終感心しっぱなしだった。

「まさか夜トが神器を連れてるとは思わなかったから、今から準備するんだけど手伝ってくれるかな」
「あ、はい」

とは言っても、普段ほとんどすることのないは、庭の手入れと屋敷の掃除が趣味みたいなものなので、定期的に部屋は掃除している。だから今更そこまで大掃除をしなくて済むし、昨日は天気が良くてちょうど布団を干した所なので、すぐにでも使えるだろう。
雪音に手伝ってもらった事と言えば、机や箪笥にかかっていた掛布を外して叩くのと、布団にシーツを掛けるのくらいだ。

「これで大丈夫だと思うけど、もし埃っぽかったらこっちに箒とチリ取りあるから」
「あ、いえ。全然大丈夫です。ていうか、いつもに比べたら天国って言うか」
「あはは、そっか。夜ト神はいつもは野宿してるとかって言ってたけど、君も一緒に?」
「……はい…」

雪音が苦渋を舐めたような表情をして言うので、も困ったように笑って仕方ないね、と言った。

「早く社が持てればいいのにね」
「全くです」

憮然という雪音に、は苦労してるなぁ、と心の中で呟いた。

「まあ、うちに居る内は自分の家だと思ってくつろいでもらっていいから」
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。雪音くん、ちょっとこっち」

箪笥の一番下を引き出して、は雪音を手招きした。手には何着かの浴衣を持っている。

「寝間着とか無いだろうから、これ、使っていいよ。ちょっと大きいかもしれないけど」

紺地に白の模様が入っている、中学生くらいの子供が着るのにちょうどいい浴衣だった。
何着かあるがどれも丁寧に仕舞われていて、一目でそれらが大事にされていることが分かる。
流石に雪音は恐縮してしまった。

「え、でもいいんですか。俺が使っても」
「うん。これは末代が子供の頃に着てたんだけど…もう使わないからね」

そう言っては寂しそうに笑った。
雪音はについては詳しく聞かされていないけれど、なんだかよく寂しそうな顔で笑う人だという印象を持った。
これだけ大きな屋敷に神様一人で住んでいるということに、きっと関係があるんだろうと雪音は思った。

「使ってくれると、僕も嬉しいんだけどね」
「……ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
「うん」







それからまたは夕飯を作って、新しく入った仲間と共に食卓を囲んだ。

「なんかいつもより豪勢だなぁ」
「うん、今日は雪音が来たからね。ちょっと頑張っちゃったよ」
「扱いが違う…!」
「つべこべ言うなよ。ちゃんといつも持てなしてやってるじゃないか」
「まあ、そうだな。ホント助かってるよ」
「だろ?それに夜トが神器を連れてくるのも珍しいしね。そのお祝いも兼ねてって事で」
「そーだな!じゃあ、かんぱーい!」

いつもにも増して楽しい食卓に、珍しくは晴れやかな笑顔をしていた。
庭で採れた野菜をふんだんに使った料理に、今日は鶏も一羽さばいたらしい。雪音も夜トも満足の行くまで料理に舌鼓を打った。
は家からほとんど出ない変わらずの生活だから、外の世界の話しを聞かせてくれる夜トの話に面白そうに相槌を打つ。新しい神器も加わって余程嬉しかったのか、夜トはいつもより饒舌だ。
けれど、その端々に見える陰りに、は目ざとくも気がついていた。
陰り。
夜ト自身はいつも通りのように見えるけれども、それは、神の気の中に微かに混じって、その神聖な空気をじわじわと濁している。

ご飯をあらかた食べ終えた雪音は寝ると言って早々に部屋へ引き上げていった。
そうするといつものように、神棚のある居間の机について、月を眺めながらの晩酌が始まる。
話は自然、雪音の話が多くなった。

「いつも野宿させてるの?かわいそうに」
「う、うるせー!その内俺はなぁ、全国に支社を持つ大社(おおやしろ)の――」
「はいはい。それはもう何度も聞いたよ」

夢は大きい方が良いとは思うけれど、この神の場合はもう少し現実を見た方がいい気がする。
そう言った所で夜トの心にはちっとも響かない事は既に身を以って知っていたので、は小さな溜息を吐くだけにしておいた。

「それより夜ト、大丈夫か?」
「何が」
「それ、雪音だろう。何度刺された」

は夜トへと視線をやった。正確には、夜トの首元に。
言われた意味が分かり、夜トは慌ててうなじを隠すように手をやった。

「……いい子に見えるんだけどなぁ」
「……」

雪音を神器にくだしたのはそう前の話ではないはずだ。
にも関わらず、これは既に何度か刺されている。それは神から見ればすぐ分かる程には、進んでいるように見えた。

「あまり酷いようなら、後手にならない内に――」
「分かってんだよ。うるせーな」
「本当に分かってるかい?あの年頃は難しい。お前は神だ。我慢して身を滅ぼすくらいなら、早い内に放逐するか、あるいは――」
「分かってるって!」

ダンッ、と夜トは机を拳で叩いた。カタン、と机の上の食器が音を立てて揺れる。
はもう一度軽く溜息をついて俯く夜トをみやった。
俯いていて表情はよく分からないが、その握られた拳に、引き結ばれた口に、何か思う所があるのだろうかとは考える。

「大丈夫だよ」

一言だけ、夜トはそう言った。
夜トは仮にも神だ。
社も無くどうやって今まで存在してこられたのかは知らないが、それでも長い間この世に生を灯して来た、れっきとした神だ。
神であることの分は弁えているだろう。
その夜トが“大丈夫だ”と言う。

「あいつは、俺が鍛える」

顔を上げてを見返して来る夜トの目は、真剣だった。
それを見てしまえば、外野が何かを言うのも野暮に思えてきて、はふ、と笑った。

「そ。まぁ、精々がんばってね」
「そのつもりだよ!」

夜トはやけになってぐい、と酒を煽った。
そんなに一気に飲むと二日酔いになるよ、と軽口を叩きながらも、はほんの少し目を細めた。
神器がいるということは問題もたくさんあるのだけれど、その懐かしい感覚に、知らず口元を歪める。
ほんの少し、羨ましいなんて思ってしまったのは、夜トには秘密にしておこうとは思った。










数日の家に滞在していた夜ト一行は、ある朝唐突に「今日帰るわ」と宣言した。
いつものことながら唐突な事だ。
はいつものように握り飯を二人分用意してやり、二人に持たせてやった。
名残惜しげに去ろうとする雪音の頭に手を乗せ、はにこりと笑って口を開いた。

「またいつでもおいで」
「………はい」

雪音は本当に後ろ髪が引かれる思いなのだろう、出来ればこのままここに置いて欲しいと言う顔をしていた。
はそれには苦笑で返し、

「…それと、あまり夜トをいじめてくれるなよ。あれでも一応、大事な友人なんでね」

寂しそうに笑うに雪音は首を傾げつつも、先の方で雪音を呼ぶ夜トの方に向かって駆けて行った。
は二人の姿が見えなくなるまで、軒先で見送っていた。














2014/07/11

それは過ぎし日の、 03