流れる風の
木々が大きく揺れていた。
台風が近づいている影響で、風がいつもより強く、不規則に吹いている。
昨日の予報では、
の住む地域には今回は上陸のおそれは無いと言っていたが、それでも近くを通って行くために、強風にご注意を、とも言っていた。
雨は無く、曇空の下でいつもとは違う空気が早い速度で駆け抜けていく。薄灰色のちぎれた雲も、忙しなく空を流れていった。
はなんとはなしに河川敷に腰掛けて、川面を見つめた。
いつもよりも水面が波打っている。
けれど強い風は台風と言われて想像する程激しいものでもなく、むしろ、涼しげな風が頬を撫ぜるのが気持ちよかった。
陽もなく、雨もない。
なんとなく気持ちがよくなって、下校中にただぼんやりと、風に当たりたくなった。
それだけのことだった。
そうしてしばらく座っていると、じゃり、と人の歩く音が近づいて来た。
既に何度も
の後ろを自転車や人が通り過ぎていて、音自体は珍しくともないのだが、その足音はなぜか
のすぐ近くで歩みを止めたらしかった。
訝って振り向こうとする前に、それは
の隣にストン、と腰を下ろした。
横をちらりと覗き見れば、隣に座ったのは白い服に笠を被った人だった。
「(なんだっけ……なんかこんな格好した人達をテレビで見たことあるな…)」
それはお遍路さんがよくするような格好に似ていた。
はあまり見たことがないので気が付きはしなかったが、背中にあるのは竹籠、杖や笠も随分と年季の入った竹で作られたもので、人間のするお遍路の格好というには、どこか違和感がある。
隣に座ったと言っても二人の間には少しの間があったけれど、それでもこの何もない河川敷に二人、こうして座っているというのも奇妙な光景だった。
相手がどういうつもりかは知らないが、仕方なく
は腰を上げようかと片手を地面に付けた。
「風が強いですなぁ」
「…………、はい、そうですね」
自分に向けられた言葉か、そもそも返答を求めるものかも分からず
は一瞬考えたが、ここで何も答えないというのも随分と愛想がない。
一応、それとはなしに返事をしてみる。
相手の顔は笠をかぶっているためか口元しか見えない。その口元は優しげに笑んでいる。
声からするに、壮年の男性のようだった。
「おや、私の声が聞こえるのですかな、人間のお嬢さん」
「え」
そう言って隣に座った人(、)は、笠を持ち上げて微笑んだ顔を
に向けた。
顔も体の作りもとても人間によく似たその妖は、けれど耳の先だけが綺麗に尖っていた。
「(……妖、か)」
「嵐でも来るのでしょうかなぁ」
隣に座る妖は最初こそ驚いたような、けれど楽しそうな顔をして見せたが、
が己の声を聞ける事にはあまりこだわった様子もなく、楽しそうにそう続けた。
「……。…台風本体は今回はこっちには来ないみたいだけど」
「おや、よくそんな事がお分かりになりますなぁ」
「…天気予報でそう言ってたから」
「天気予報とな?まっこと、人間の文明の発達や、目を見張るものがありますな」
「はぁ…」
害がある無し云々を考える前に、本当に世間話ししかしない妖に、
は持ち上げかけた腰を再び落ち着けた。
「お嬢さんはこの辺にお住まいで?」
「うん、まぁ」
「そうですか。もしかして、奏翔(かなと)の言っていた
様ですかな?」
「へ?奏翔と知り合いなのか?確かに私は
だけど」
おや、とその妖はまた楽しげに微笑んで、自分の笠を頭から取って体ごと
の方を向いた。
すでに白髪になった短髪の下に、柔らかな笑顔があった。
「では、改めてご挨拶を。私は創弦(そうげん)と申す者。私も旅を生業とする妖でございましてなぁ。奏翔とは、もう随分と古い腐れ縁でございまして」
「そう、なんだ。えーっと、
です。……人間です」
「ほほほ、面白いお嬢さんだ」
「はぁ、どうも…。……創弦さんはなんでこっちの方に?」
「以前より何度も訪れたことがあったのですが、久しぶりにまたこの辺りの水を飲みたくなりましてなぁ。この辺の水は実に美味い」
「そうなんだ。知らなかった」
「まさか
様にお会い出来るとは思いませなんだ。いやぁ、運がよい」
そう言ってはまた、微笑んで何度か首を縦に振る。
「よければ、美味しい水の出る沢までご案内しましょう。貴女の時間が許せば、ですがな」
「え、それは行ってみたいけど…こっから遠い?」
あまり遠いと、夕飯の支度が間に合わない。
「何、ここから歩いて少しですよ」
「人間も飲める水だよね?」
「ふふ、もちろんでございますとも」
「お酒とかじゃない…よね?」
「普通の、水でございますれば」
「じゃあちょっと待っててくれる?水を汲めるもの、何か持ってくるから」
「それであれば、私が竹で何かこしらえましょう。水が入ればよいのですかな?」
「え?うん。じゃあ、えーっと、頼もうかな」
「はい」
そうして二人は連れ立って歩き出した。
本当に歩いてすぐの所、少し山に入ったひっそりとした場所に、その沢は唐突に現れた。
「すごい。何かこの水、光ってない?」
「ええ。これはとある妖の里から流れ来るものでしてなぁ、年中流れているというわけではない、珍しい水なのです」
「…え。これ本当に人間が飲んでも平気か?」
「ええ、試しに飲んでごらんなさい」
言われて、半信半疑、
は恐る恐ると行った風情にほんの少しだけ手に掬って、試しにペロリと舐めてみた。
その水の甘いことといったら。
「甘い!……水が甘いなんて」
砂糖の甘さではない。
けれど、今にも香しい匂いが漂って来そうなほど、その水は美味しかった。
「お気に召して頂けましたかな?」
「うん、なんかすごいな。これでお米炊いたら絶対美味しいご飯になる」
「ほほほ。保証しますよ」
手で掬った水を何度か口に含んだ後、
は創弦がその場で作った竹の水筒を3つ程もらって、その水を持ち帰ることにした。
「器用なんだな、創弦さんって」
手の中の竹の水筒を見て、
は感心したように言った。
竹の節を利用して作ったそれは、竹の節の部分には小さな穴が開いていて、そこから水を出し入れ出来る。竹で作った栓までご丁寧に付いていた。
それを、創弦はいとも簡単に、そばにあった竹で作ってみせた。
「私の父は弓職人で、私も小さき折より竹で様々な道具を作る職人の真似事をしておったのです。それで、まあ、こういうのは得意なのでございますれば」
創弦は少し照れくさそうに言った。
それからまた先程の河川敷まで二人は戻ってきた。
創弦は笠を被りなおすと、明日にはこの町を発つ予定だと言った。
「人間と話すなんていう珍しい時間を、どうもありがとうございました。是非、またどこかでお会いしたいもんですな」
「そうだな。水と、あと水筒もありがとう。穴場見つけられてラッキーだった。あ、もし奏翔に会ったらよろしく言っといてよ」
「ええ、致しましょう。では、達者で」
「うん、創弦さんも」
創弦はまた、杖をついて歩き出した。
一度振り向いて会釈をしてから、創弦は西日を背にして去っていった。
汲んで来た水で炊いたお米は、想像以上にふっくらとして、美味しかった。
父にはどれだけ高い米を買ったのだと言われる始末で、水の美味しい穴場の話をしたら、それでもなんとか納得してくれた。
それから何度か美味しい水の湧き出る沢に行ってみたものの、いつ行っても沢は枯れていて、水を汲む事は出来なかった。
確かに珍しい沢だとは言っていたけれど、ではこの前は本当にたまたま運が良かったとでも言うのだろうか。
少し残念だったが、きっと創弦が何か知っているのだろう。
次に創弦に会うまでの、楽しみだと思う事にした。
今でも
は、台所の一角にひっそりと、竹の水筒を飾っている。
2014/02/26
なんでもないのほほんとした話。