「(キミは、いつ花を咲かせるんだろうな)」
そう心の中で尋ねてみる。
もちろん返答を期待したわけではない。けれど、いつまでも変化の見せないその蕾に、なんとなくじれったくなったのだ。
大輪の花を咲かす、準備をしているのか。
―――今日もその花は、咲かない
新しい、イノチ <前>
ある日、珍しい事に、
の父が花束を持って帰ってきた。
会社の飲み会があると言って帰りが遅くなった日の夜のことだ。
聞くと、どうやら大きなプロジェクトに関わっていて、それが大成功したんだとか。その祝勝会とでも言う飲みの席でもらったんだという。
とても大きな花束は両手で横に抱えると体の幅からはみ出してしまう程で、白と黄を基調にまとめられていた。
トルコ桔梗、金魚草、ユリ、蕾や既に咲いている様々な種類の花々。
父から花束を生けて欲しいと言われ、
は家にある唯一の花瓶に生ける。
花を生けるのは中々に難しく、多少不揃いな感が否めないのは仕方のない事だろう。
生けた花は、居間の一角を可憐に彩った。
それから数週間程経った週末。
毎日水を取り替えて意外と長持ちした花達も、既にいくらか前に全て枯れてしまった。
ただの一輪を、残して。
大きなユリの蕾だけは、なぜか、今だにその蕾を開くことがなく、かと言ってそのまま枯れるでもなく、居間の一角にただひっそりと佇んでいる。
そのユリのために、
は新たに一輪挿しを買った。
なぜその花だけが残っているのかは分からない。
毎日水を取り替えているとは言え、なぜか茎が腐っていく様子もない。
「(……不思議だ)」
今日の朝起きて居間を見た時にも、ユリの蕾に変化は無かった。
買い物に出掛ける間際に見たユリも、白い蕾が開く様子は無さそうだった。
「あれ?……どこ行った」
が買い物から帰って来てみると、妙な事に気がついた。
居間の一輪挿しに生けていたユリの蕾が、無くなっていたのである。
父はまだ帰って居ない。今日は接待でゴルフだと言っていたし、その父がちょっとだけ帰ってきて何かしたという事もないだろう。
にも関わらず、一輪挿しには水が入っているのみで、その花瓶の周りにユリが落ちているわけでもない。
花だけ落ちているというのならまだ分からなくもないが、茎ごと花自体が無くなっていた。
「…変なの」
花瓶を片付けようと持ってみると、足元のフローリングに水滴が落ちているのに気がついた。
小さな水滴は、目を凝らして見てみれば、なぜか居間を横断して居間の入口の扉まで続いている。
まるで、誰かがユリを持って行ってしまったみたいに。
「……嫌な予感」
このまま見なかった事にしてしまおうか。
一瞬
の脳裏にそんな考えが浮かぶ。
いや、これが学校ならまだしも、ここは自分の家である。
もし何か嫌な事(、、、、、)でも起こっていようものなら、父が帰ってくる前になんとかせねばなるまい。
は買ってきた物もそのままに、花瓶をとりあえずあった場所に戻して、水滴の後を追ってみることにした。何が起こるか分からないから、水滴を見て、周りを見て、足を数歩進めて、また水滴を見て、周りを見て、の繰り返しである。
居間の入口の扉を開けると、その水滴は2階へ続く階段を登っていた。
「おいおい…勘弁してよ…」
階段を登ると、すぐ手前にあるのが父の部屋、その奥は
の部屋だ。
水滴は
の部屋へと入っていた。
ある意味ほっとしたが、しかしほっとしてはいられない。
いつもは何も考えずに開ける扉を、
は慎重に、音を立てないように、ゆっくりと開けた。
「…」
何かがいる気配は、する。
けれど姿が見えない。
部屋に入り、後ろ手にそっとドアを閉める。
1歩、2歩、足を進めた所で
―――ボタ!
「っ!?」
何かが落ちてきた。
思わず驚いて身を引いて、したたかに体をドアにぶつけた。
見れば、それは12・13歳くらいの、子どもの形をしていた。
「う、へ…」
「……?」
何処かにぶつけたのだろう、落ちてきたソレ(、、)は頭をさすりながら顔を上げる。
その姿を見て、思わず、
「(きれいだ)」
は警戒するのも忘れて、心の中でそう思った。
真っ白の長い髪。
真っ白な肌。
真っ赤な目。
流れるような着物を着た姿は大変愛らしい、だと言うのにあたふたと動くその間の抜けた様子に、目元が緩むのを止められなかった。
ようやっと長い着物を引きずって体を起こした少女は、
の顔を見ると、パッと、それこそ花が咲くように明るい顔をした。
「ああ、やっとお会い出来た、我が君!」
「…………、何だって?」
次いで少女から出た言葉に、
は一瞬フリーズした。
「我が君!」
「ちょっと待て、待て、とりあえず落ち着こうか。てか離れろ」
嬉々として足元に纏わりついていくるそれを少々荒っぽく引き剥がす。
少女の髪は濡れていた。どうやら水滴はこの少女らしきものの髪から滴り落ちたものらしい。
とりあえずタオルを渡してやって髪を拭くように言うと、
の言う通り素直に従った。
どうやら見る限りでは予想していた“脅威”ではなさそうだ、とほっと胸を撫で下ろす。
あらためて座布団に座らせた姿を見ると、なんとも可愛らしい女の子である。
が、恐らく人間ではないのだろう。
「で、あんたは?どっから入ったの。ついでにユリどこに持ってったの」
「わたくしは、貴女様のお父上にこの屋敷まで運ばれ、そして貴女様によって命を授かった者でござります、我が君!ああ、こうして我が君の拝顔の栄に浴するとは…!」
「話が見えないな…」
いや、待て。
父によってこの家に運ばれた?しかも
に命を授かった、とは。
「まさか…あんたがあのユリ…だったり?まさかねぇ」
「その通りでござります、我が君!」
「(なにそれ)」
確かに、言われてみれば、先程からとても香しいユリの匂いが辺りに立ち込めている。
これは、この小さな少女がユリであることの証なのか。
「………とりあえずその我が君ってのを止めようか」
「とんでも無いことでござります、わたくしは貴女によって生み出された者。そういうわけには参りません!」
「ってもねぇ…なんか恥ずかしいし」
「では、
様と…!」
「……………、……あ、そ。まあいいか」
一応妥協したらしい案を出すので、なんだかそんな事で言い争うのも面倒になって来て、
は呼び名については後回しにすることにした。
「あれ、つか何であたしの名前知ってんの?」
「貴女様のお父上がお呼びになっているのを、何度も聞いたからでございます!」
「……なるほど」
これが本当にあのユリだというなら、居間であった事は全て聞いていたということになる。なるほど、名前を知っているのも頷けた。
それにしても、と
はとりあえずこの生物をどうすべきか考えた。
「あんたの話だと、えーっと?ユリなんだよね?父さんが持ってきた、あの」
「はい」
「最後まで残ってた、あの?」
「そうでござります」
「……あたしが命を吹き込んだって?」
「はい。毎日水を取り替えてくださり、毎日“大輪の花を咲かせよ”と念を込めてくださいました」
「(念……ね)」
「少し時間はかかってしまいましたが、こうして、人の姿を保つまでに成長することが出来ました。何とお礼申し上げたらよいか…!」
これは、どうしたものだろうか。
こんなことが果たして起こり得るのだろうか。いや、少女の話が本当だとするなら、現実に今目の前で起こっているのだ。
「(これは妖?花の妖精?何なんだろう…)」
どちらにしても、なんとかせねばなるまい。
いや、
一人でなんとか出来るのかを、とりあえずは確認する必要がありそうだ。
「……えーっと、一応聞くけど、帰る家は?」
「ここでござります!」
「(あ、やっぱり…)。困ったな……」
「え…?」
「あーっと、大変申し訳ないんだけど………」
これは、言った方がいいものか、どうしたものか。
彼女を創ったのが故意ではない以上、これからの事など全く考えていないわけで。
しかし、どう見ても彼女は
を“主”として、尊敬と親愛の情を持って見ている。それは少女の言動や表情からするに自明だろう。
いくら不可抗力だったとしても、それを突き放してしまうのは、少し可哀想だ。
けれど隠した所で良い事はあるまいと判断して、これからの事を考えるために、とりあえず現状の把握をすることにした。
「あたしが君を創ったということなんだけど、いや、実は故意にしたわけじゃなくて、ね…。なんというか、不可抗力なんだと思うんだよね、多分…」
言う内に、少女の表情から覇気がなくなり、眉尻が下がっていく。
先程までの元気はどこへやら、急にしぼんだ風船のようになってしまった。
「あー……ごめん。あたしもそうしようとして君を生み出したわけじゃないんだ。正直、君を見て驚いてる」
少女は下を向いたまま、しばらく無言だった。
それから、ぼそり、と言う。
「……わたくしは、お邪魔でしょうか……?」
「そういうわけじゃないんだけど……どうしたらいいかあたしも分かんないんだ。そうだな……君は、どうしたい?」
「我が君とっ…!」
ば、と少女が顔を挙げる。
不安気に眉を寄せて、必死の様子で口を開く。
「
様と共に居たいと存じます!」
「……そっか。そうだよな」
自分が創りだしてしまったというのなら、このまま放り出すのも無責任というもの。
ならば、道は最初から決まっているじゃないか。
「オーライ。じゃ、君も
家の人間になるか」
「…!はい!」
途端に、ぱ、と顔が明るくなる。
心なしか赤くなった目元に、大袈裟だなあ、と頭を撫でてやれば、少女は照れくさそうに笑った。
「あ、そういえば名前は?」
「姓は
でござります!」
「…下の名前は?」
「ありません!」
「だよねぇ。……あれ、この流れはあたしが名前付ける感じ?」
「名を付けてくださるのですか!」
「(う……。こういうのガラじゃないよなあ)」
しかし、いつまでも“キミ”と呼ぶわけにもいかない。
「ちょっと待って、どうしようか……あ、あんま期待しないでよ、センスは無いと思うから」
あまりにもわくわくとした目で見られるものだから、とりあえず釘を刺してみる。
いえ貴女様が付けてくださるのならなんでも、と言う少女の横で考えること、しばし。
「緋鷺、というのはどうだろう。ヒサギ、なんか、えーっと、目が紅いし白い綺麗な髪してるんで」
恐る恐ると言った風情で
が少女を見ると、少女は、ヒサギは目に涙を溜めていた。
「ヒサギ……、なんと美しい響きでしょう。わたくしがこのように美しい名を頂いてもよいのでしょうか」
「大袈裟だなぁ。ま、とりあえずよろしくな、ヒサギ」
「――はい!」
「わたくしも参ります!」
「だーかーらぁ、学校はダメだって」
「なぜでございますか!わたくしも
様と共に参りとうございます…!」
「だって万が一人間に見られたら大変だろ?」
以前、妖が学校に出た時の事を思い出す。
鞘葉のように、もし不完全な形で人に見られたりしてまた問題になっても面倒だ。
「それに、学校じゃあヒサギに話しかけられてもあたしは応えてやれないし」
「でも…では、わたくしは、この屋敷で一人、何をせよと…!」
「……光合成?」
「!?」
コントのようなやり取りをしながらも、どうにかヒサギを言いくるめてから、
は学校へと足を向けた。
出て行く時に見たしょんぼりとした様子のヒサギに、可哀想な事をしたかな、と少し罪悪感を覚える。
授業が少ない日にでも、一度連れて行ってやろうか。
そんな事を思いながら学校での1日を過ごし、いつもの時間に帰路についた。
あともう少しで家という所で、
は道の上をうろうろしているヒサギを見つけた。
ヒサギは
の姿を認めると、ぱ、と明るい顔をして駆け寄って来る。
「お帰りなさいませ、
様!」
「ただいま、ヒサギ。出迎えてくれたのか」
「はい!」
「部屋の中で待っててもいいんだよ?」
「いえ、わたくしが待っていたかったのです!それに、光合成は家の中よりも外の方がたくさん出来ますから!」
冗談で言ったつもりだったのに、どうやら本当に光合成が出来るらしい。
さすが花、と思いながら、ヒサギを伴って家の中へ入る。
今日は学校とやらはいかがでしたか、うん普通だなぁ、そんな会話をしながら部屋に入り荷物を置く。
折角ちゃんと待っていてくれたのだからこの後一緒に散歩にでも行こうかと考えながら、
がヒサギの方を振り向くと、ヒサギは身体を縮こめて蹲っていた。
「ど、どうしたヒサギ!?」
駆け寄ってよく見てみれば、顔色が悪い。
「気持ち悪いのか?大丈夫か?」
「
様…、お、お水を…。お水を頂けますか…?」
弱々しい声音で言う。
はヒサギを横たえてやりながら、急いで階下から水を持って来た。
ヒサギに与えてやると、ごくごくと喉を鳴らして飲む。1杯では足りないと言うので、もう一度階下に下りてポットに水を入れて持ってくると、ポットの水を飲み干さんばかりの勢いで水を飲んだ。
「ふう…、ありがとうござりました、
様」
「大丈夫か?」
「はい、だいぶ気分もよくなりました」
「そうか。でもまだ横になってた方がいい」
そう言って、飲み干したコップを受け取って、ヒサギをもう一度横にさせる。
「申し訳ござりません。どうやら、水が足りなかったみたいで…以後気をつけます」
「そっか。そういえば昨日夕飯も食べてないもんな。何か食べられるか?」
「いえ、わたくしは食べ物を摂らなくてもいい身体のようです。けれど、やはり水は必要だったのですね」
どうやらヒサギ自身、まだ自分の身体の事が分かっていないらしかった。
「(それもそうか。この子は昨日命が生まれたばかりの、云わば赤ん坊のようなものだ)」
突然外界に放り出されて、まだわからない事も多いのだろう。
その中で、知っている人間が居なくなって一人にされては、さぞ寂しかったに違いない。
「明日は一緒に学校、行くか?」
「…!良いのですか!?」
「こらこら、まだ寝てなさいって」
「申し訳…でも、明日は学校に行ってもよいと!?」
「まあ、体調が問題ないようならな」
「では明日までには治します!」
「はは、その調子だ。まあ、教室には居られないと思うけど、そうだな、屋上辺りで待っててもらおうか。そうしたら、お昼ごはんも一緒に食べられるし」
「…!はい!」
だいぶ顔色の良くなったヒサギは、明日の事を大変楽しみにしているようで、学校とはどのような所か、何をする所か、どんな人間がいるのか等を、
が眠るまでしつこく尋ねていた。
最初はどうなる事かと思っていたが、兄弟の居ない
にとっては妹が出来たようで、不本意ながらも少し楽しかったりしていた。
2013/08/31
前後半に分けました。