つまり、そういうこと











いつもより早く終わった学校の帰り道。
少し雲の掛かった空から、ゆるやかな日差しが降りてくる。
気持ちのいい風に鼻歌でも歌いそうな気分で、は学校帰りに少し家から離れた神社へ向けて歩いていた。
なんのことはない、その界隈で取れる山菜を摘みに行こうとしていたからだ。
家からは少し遠いが、人里から離れているということもあって、近所のおばさま方に先を越される心配が少ない。
山道、と言っても舗装こそされていないが、人が通れるように均されている道を神社に向かって歩いていた時だった。

ガサガサガサ

「…?」

もう少しで神社という所で、何かが草を踏み分けて進むような音が聞こえてきた。
それは結構な速さで進んでいるようで、どちらかと言うなら走っているとでも表現した方が良いほどのスピードで近づいて来る。
妖ものの類か、そう訝って来た道を戻ろうか逡巡した時だった。

「わっ!」
「え?―――う、わぁっ!」

突然視界の中に飛び込んで来たものに勢い良く突き飛ばされて、それと一緒になっては地面に転がった。

「いてて…ごめん、大丈夫か!?」
「あ、たたた…。ちょっと、何…ってあれ、夏目?」
「……?」
「こんな所で何してんの、夏目」

夏目の通学路を把握しているわけではないが、少なくともここは学校からは随分と離れた所にある、しかもあまり人も通らないような道だ。
そんな場所で、全速力で森から走って出てきた夏目は、普通に見れば“変わっている”。
が、変わっているのはも同じ事。

「あーいやー、その、別に、」
「夏目ー、友人帳の夏目ー」

歯切れ悪く答えを渋っている所に、藪の中から近づいてくる低い声が届いた。
聞こえた声にの表情が酷く嫌そうに歪められる。
まだ姿が見えていないために、妖か人間かは判断がつかない。
が、“友人帳の”と言うからには、少なくとも妖がらみであることは想像に難くない。

「……お友達?」
「…だったらいいんだけど」

ガサガサと草を掻き分けて森の少し入った所から顔を出したのは、大きな体に3つ目を付けた、灰色の体の妖だった。

「あのさぁ、アレ…」

友達か、と聞きはしたが、どう見ても穏やかな雰囲気ではない。
が妖を見上げていると、妖もに気がついた。

「うまそうなのが、もう一匹…」

を見ながら、口角をあげる。

「げ…」
「逃げるぞ、!」

一言そう言うと、夏目は立ち上がって走りだす。

「え、ちょっとちょっと…!」

走りだした夏目に、あわててもかばんを拾って後を付いて走りだした。
すぐ後ろからは妖が付いてくる音がする。声もしっかりと後を付いてきていた。

「何、あんた何かしたの?」
「してない!あっちが勝手に追いかけて来るんだ」
「えー、とばっちり…!何か策は?」
「すぐそこの神社に逃げ込む!」

言っている側から、目の前に石の鳥居が見えてくる。
二人して鳥居をくぐり、広くはない境内を走りぬけ一気に社殿まで辿り着いた。そこまで来て、ようやっと、夏目とは立ち止まった。

「ここまで来れば、大丈夫、だろう…」

荒い息を整えながら夏目が言う。

「はぁ、はぁ…。よくこの神社を知ってたな、夏目」
「うん、妖に追いかけられる時には、よくここに逃げ込むんだ」
「よく、て…。あんたそんなに頻繁に妖に追いかけられるわけ?」
「あー、まあ、色々と」
「何、色々とって。わけ分からん」
「はは」

一時、二人の荒い息だけが境内に静かに響いていた。
息が整って来てから、そういえば、と夏目が話を繋げる。

こそどうしたんだ、こんな辺鄙な所で」
「あたしはこの神社に用事。山菜取りだよ。この時期には良く取れるからさ。ひっそりとしてて穴場だから帰りに寄ったんだけど…予想外の展開だった。…ここから出られるのかな」
「うーん、多分大丈夫じゃないかな。大体1時間くらいここで休んでると妖は居なくなってるし、それに神社から出てすぐだと寄ってこなくなることもあるし」
「やけに詳しいな、夏目。苦労してんね」
「え、や、別に」
「なぜそこで照れる」
「や、だって…。そんな事あんまり言われ慣れてないし」
「あっそう…。あの猫助はどこに行ったの?仮にもあれで用心棒なんでしょ」
「あー、ニャンコ先生は…今頃どっかで呑兵衛なんじゃないかな」
「呑兵衛?昼間っから?てか猫って酒飲めるの?」
「ご本人曰く、猫ではないらしいよ」
「…謎だらけだな、猫助」

二人は社殿に腰掛けながら、言葉少なに話した。
ゆっくりと時間が流れる。
共通の話題と言ったら妖の話題だけかと思っていたら、思いの外、学校や地元の事でも話がぽつりぽつりと出てくる。
沈黙と小さな会話が代わる代わる出てくるが、不思議と沈黙も苦痛ではなかった。

「そろそろ大丈夫かな…?」

夏目が腕時計に目をやりながら言った。
この神社に来てから既に小一時間が過ぎていた。

山菜取るんだっけ。手伝おうか?」
「あー、どうしよっかな…さっきのやついるか、とりあえず見てみよう。いなかったら、じゃあちょっとだけ手伝ってもらってもいいか?」
「ああ、もちろん」
「助かる」

二人は入ってきた鳥居の方にそろりそろりと近づいて、辺りをそっと見回した。
相変わらず良い日和で、柔らかい日差しを受けた木々の葉が、そよそよと風に揺れている。

「居そうか?」
「こっちは大丈夫そうだけど…」
「…うん、こっちにも居ない、かな?」

鳥居から少し出た所でも、先ほどの妖の姿は見当たらなかった。
二人はほっと息を付く。流石に、妖がウロウロしている所で山菜採りなど願い下げである。

「なんか大丈夫そうだな」
「うん。よし、じゃあ山菜採り手伝ってもらおっかな。えーっと…この葉っぱなんだけど、分かるか?」

近くを見回して見つけた山菜を手にとり、分かりやすいように夏目に見せる。
似たような葉っぱでも毒のあるものはないから、大した問題ではないのだが、色々混じっているとあとで仕分けるのが面倒だ。は山菜の特徴などを簡単に説明した。

「ん、多分大丈夫。えーっと…これ、だろ?」
「うん、そうそう。じゃあ頼んだ」

30分程、お互いを見失わない程度に近くを物色していた。
がこんなもんでいいよ、と声をかけると、りょーかい、と夏目が軽く笑って、ハンカチに包んだ山菜を丁寧に持って来る。
それを見て、も心持ち嬉しそうに顔を綻ばせた。

「お、結構取れてるな」

程よくハンカチに包まれている山菜を見ては嬉しそうに声をかけた。
つられて夏目もの持っているビニール袋に目を向ける。山菜の入った半透明のビニール袋も、夏目のハンカチよりもよく膨れていた。

もな」
「ふふふー、今日はごちそうだな」
「よかったな。さすがの方が多いな。山菜採り、よく来るのか?」
「良くって程でもないけど、たまに―――」

言いかけたの言葉は最後まで続かなかった。

「夏目っ!」

が悲鳴にも似た声を上げた。
夏目もすぐに異常に気づき、の目が鋭く睨んでいる自分の背後を振り返った。
そこには、先ほど追いかけていた妖がナイフのようなキラめくなにか振り上げていた。
は咄嗟にビニール袋を地面に放り、夏目の手を取って力強く引っ張った。よろけた夏目が地面に転げ、は夏目と妖の間に身を滑りこませた。

「っの!」

カバンを振り回して牽制するも、ひょいと妖は後退って、またじりじりと寄ってこようとする。
咄嗟には不動明王印を結んでいた。

「(どうする?出来るのか、あたしに?)」

一瞬の躊躇。
つい最近、田沼の父親に教えられたばかりの小呪。
両手で印を組み、短い真言(マントラ)を唱えるだけの、ごく初歩的なもの。
気休めに、それでも何も知らないよりはいいだろうと、簡単なものを一つ教えてもらったのはつい先日だ。
妖に向けて真言を放つのはもちろん初めての事、実際これが効くのかどうかも分からない。
いや、は自分のこれが何かに役に立つとは思っていなかった。
それこそ読んで字のごとく、“気休め”なのだから。
だからこそ、この土壇場で躊躇した。
下手に足止めなどと考えずに、これだけ妖が近くにいたとしても、無防備に背を向けて逃げた方がまだ安全なのではないのかと思えたからだ。

、逃げよう!」

夏目の声にびくりと肩が弾んだ。

「っ、イチかバチかだ!ナウ――」

が真言(マントラ)を唱えようとしたその時、リン、と鈴の音が響いた。
上空に現れた何かによって、地面に大きな影が広がる。

「夏目殿ではありませんか」
「、三篠!」
「これは、これは。低級め、立ち去るが良い」

三篠がひと睨み効かせると、先ほどの妖の剣幕もどこへやら、さっさとその場に背を見せて林の中へと消えていった。
あっという間の幕引きに、夏目が大きく息を吐いた。
が、はそれに安堵する暇もなく、その大きな影に息を呑んだ。

「助かったよ、三篠」
「何、通りかかったまで。お役に立てたなら光栄」

ゆっくりと上空から降りてきた三篠を見上げる。
地上に降りたとは言っても、元々大きな三篠なだけあって、どうしても見上げる形になる。
ほっとした様子の夏目に、しかしは印を解くことも忘れて巨大な妖を見て目を見開いていた。
こんなに大きな、しかも“禍々しい”と表現するのが適切のように思われる気を放つ妖を、これほど間近で見るのは初めてだった。馬のような顔と片手、けれど片手と体は巨大な人間のもののようでもある。
巨大な妖の姿形も去ることながら、が一番驚いたのは何より、その巨大な妖と夏目が、なぜかとても和やかな雰囲気で話をしていることである。

「…、お友達?」

徐々に驚きがほぐれてきたは、それでもなんとか先ほどと同じようにそう尋ねるのが精一杯だった。

「え?あー、まあ…」

今度は肯定の意味なのだろうが、夏目は説明に窮したように言葉を濁す。
うん、まあ、友人帳つながりで。
ぼそりと夏目は言った。

「おや。こちらは祓い屋ですかな?」
「え?」
「いや、違う。ただの同級生だ」

祓い屋か、そう聞かれては慌てて印を解いた。
そう思われても仕方ないだろう、この状態では。

「ほう、ご学友か。これはまた、変わったご学友をお持ちだ」
「それはこっちのセリフだ。何気に妖にも顔が広いんだな、夏目」
「なんというか、不可抗力で」
「どんなだよ。ま、今回はそのお陰で助かったけど」

「おや?」

3人――二人と1匹――以外の声がその場に響いた。
その新しい声が聞こえたと思ったら、上から影が降ってきた。どうやら三篠の上に居たらしい。
影はすとん、と軽やかに着地した。

「どこかで聞いたことのある声だと思ったら」
「あ、あんたこの間の!」

降ってきたのは、古風な和装を身にまとい、キセルを優雅に吸う妖、ヒノエだった。
いつぞや、嫌な妖から救ってくれたことを思い出して、は驚きに声を上げた。

、だったかい。元気そうじゃないか。夏目も、久しぶりだねぇ」

「夏目、ヒノエと知り合いなのか?」
、ヒノエと知り合いなのか?」
「…」
「…」

見事に夏目との声が被る。
一瞬の沈黙。
二人は不覚にも、しばし半目で睨み合った。
ヒノエだけが面白そうに、紫煙をくゆらせながらクツクツ笑っている。
はこの前起きた事のあらましを、夏目に簡単に語って聞かせた。

「うん、あの時はホント困ってて。ちゃんとお礼言っときたくて。その、ありがとな、ヒノエ」
「礼はこの前ちゃんと聞いたさ。ああでも、貸しにしといたんだったかねぇ、確か」
「う、それは…」
「よし、じゃあこれからちょっと付き合いな」

そう言って、ヒノエは神社の境内から外れた森の獣道をさっさと歩き始める。

「え、え?ちょっと…」
「夏目も、時間があるならおいで。斑様もきっともう来ている頃さ」
「ニャンコ先生もいるのか?」

またあの中年ニャンコは、とかブツブツ言いながら、夏目も既にヒノエの後を付いて歩いている。
ついでに言うなら、三篠はさっさと上空を飛び越えて先に向かったようである。

「おーい、ヒノエ、あたし夕飯の支度あるんだけど」
「なに、ちょっと顔出して一杯引っ掛けるくらいでいいんだよ」
「いやいや、未成年だし!」
「この間の借り、借りたまんまでいいのかい?」
「えー…」

そう言われると、なかなか引けない。
飲むつもりは毛頭ないが、とりあえず先ほど放った山菜の入ったビニール袋を拾い上げて、も夏目の後に続いた。
それほど歩かずに着いたのは、少し開けた広場だった。

「おーやってるねぇ」
「なっつめっさまー!」
「なんだ、夏目も来たのか」
「うわ、ニャンコ先生やっぱり昼間っから飲んでる。夕飯入らなくなるぞ」

どんちゃんやっているのは、それなりの数の妖だった。
陽気に、頬を赤らめて酒を飲んでつまみを摘んでいるのは、どこからどう見ても、妖だった。
牛の頭と一つ目の二人組み、小さな妖、顔に蝶々を貼りつけた妖、色んな妖が、無防備に呑んだくれている。

「…不思議だ…なんだこの空間は…」
「ほら、も何してんだい、こっち座りなよ」

地面には大きな葉っぱで出来た急ごしらえの座布団まで用意されていて、はヒノエに促されるままにとりあえず腰を落ちつけた。
その横に夏目も座る。
ちょっとだけだぞ、としっかりヒノエに牽制を入れて。
注がれそうになる酒をなんとか断りながら、何もしないのも気まずくなって、は試しに勧められたつまみに少しだけ手を出してみた。
普通の、人間が食べるものと何ら変わらない味がした。美味しかった。

「…夏目はよく妖とつるんでるのか?」

夏目は牛頭に酒を注がれそうになるのを程よく回避しながら、それでも目の前で繰り広げられる妖の会話に笑っている。
その夏目を横目で見ながら、はこの状況をどう受け取ったものかと夏目に尋ねることにした。

「つるんでるというか…こいつらは、ご覧のとおり人畜無害だし、何だかんだで色々手助けしてくれる奴らなんだ。だから、まあそうだな、一緒にいることもあるよ」
「へぇ…」
は妖がいっぱいいるの、苦手か?」
「苦手というか…初めての事だし。あたしの中では、妖ってやっぱり“ワケ分かんないもの”ってカテゴライズで、警戒する対象であっても、仲良くするものでは無かったし…。でも妖の全部が全部悪い奴でないのも知ってて、確かに手助けしたりされたりもあるんだけど…。正直、よく分からん」
「はは、そっか。俺は、最近はちょっと妖に関わりすぎだって言ってくる人もいるんだけど、悪くないとは思ってる、かな」
「悪くない…ね。なるほど、それは言い得て妙だな」
「ん?」
「いや、そのまんまさ。あたしのこんがらがった考えをうまく現してると思ってさ。つまりはそういうことなんだな、って」
「ふうん?」
「うん、そうだ。悪くはない、な」

そう言って、はまた一つ、つまみを摘む。

「そういえば、さっきなんかしてなかったか?なんかこう、手を組んで」
「あーあれ、ね。この前田沼の親父さんに教えてもらったまじないみたいな」
「もうそんなこと出来るようになったのか?」
「っても気休めだよ。実際効くかどうかなんてやったことないし。あのでかいのが来てくれて助かったよ。このまま試す機会が来ない事を祈るね」
「まあ確かに」

それにあんなものを人前でするなど、恥ずかしいじゃないか!
は口には出さずに、心の中でそう付け加えた。

夏目と会話しつつも、ヒノエや三篠やその他の妖とも少し、言葉を交わした。
他の妖も、の事を特別気にかける様子はなかったが、それでも変わった人間が一人増えたくらいには思っているのか、たまに酒を勧めたり摘みを持ってきて一声掛けていったりする。

その内、呑んだくれたニャンコ先生を見かねて夏目がもう帰るぞ!と言い出すまで、なんとはない会話が続いていた。






「ほら、これ。持って行きな」

帰り際、ヒノエがに渡してくれたのは、笹でつつまれたお饅頭だった。

「変なもの入ってないよな?」
「人聞きの悪い。そんなもの入っちゃいないよ」
「冗談だよ。なんか、色々もらってばっかで、こんなんで借り返したのかよく分かんないな」
「私がいいんだから、いいんだよ」
「そっか。ちょっと癪だけど、まあ面白かったよ、ヒノエ」
「全く、素直になれない子だねぇ」
「そういう性分だし」
「まあいい。また来るといいさ、
「うん、まあ、そうだな。またな、ヒノエ」
「ああ」

そう言って、ニャンコ先生を抱えて待っている夏目に駆け寄った。
ニャンコ先生はすっかり出来上がっている。ときどきしゃっくりしながら夏目に支離滅裂な質問を飛ばしていた。

「あ、忘れるところだった。はい、。これ山菜」
「どうも。ハンカチは洗って返すよ」
「じゃあお言葉に甘えようかな。じゃ、俺こっちだから」
「うん。猫助も、程々にしろよ」

ニャンコ先生はえーいうるさい、とかよく分からないことを言ってまた夏目に何やら言われているようだった。
夕陽に向かって歩いて行く夏目を見送って、もまた、家路についた。
山菜をどう調理しようか、とか。
このお饅頭は果たして父親に見えるだろうか、とか。
そんなことを考えながら、確かに手に乗る饅頭の温かみを感じていた。












2012/09/02

不思議だ 13