はただ、立ち尽くした。
どこを見ても、人、人、人。
人の渦。

そして、の目指しているはずの目的地は、なぜだかどこにも見当たらない。

「(都会……舐めてた)」

見送りの申し出を断って出てきた割に、この結果はあんまりである。
は自分自身に溜息をつきたくなった。
それから、先程から電車が入っては出発し、そして幾分もせずにまた電車が入ってくる駅の発着ホームを睨みつけた。









変わり者同士











首都、東京。
その23区に隣接する市にある母方の実家に、は冬休みを利用して訪れた。
いつもは一緒に上京するはずの父は、珍しく仕事の関係で行けないと言う。
それを、一人で大丈夫だと豪語し実家を出た。今日まで祖母宅での短い滞在期間を過ごし、は既に帰路についていた。
祖母に駅まで送ってもらい、ローカル線でなんとか主要駅まではたどり着いた。

が、そこからが問題だった。

どうやら、は道に迷ったらしい。
道、とは少し違うが、これだけ大きな駅構内で、慣れない田舎の人間にとってみれば駅もまた町のようなものである。
しかもそれが首都の名を冠する駅ともなれば一入だ。
駅員に道を聞いて、その通りに道を進んでいるつもりではあったが、どうやらそうではなかったようだ。
少し大きめのスーツケースを引きずりながら、既に1時間程経っていたが一向に目的のホームには辿り着かない。慣れない人ごみの中をあちらこちらへと歩き続けて、は既にくたくただった。
駅構内は温かく、むしろ熱い位で、寒さに凍えないで済むのは有難かったが、通路らしき道から少し開けた場所に出た所で、はついに柱によりかかってズルズルと座り込んだ。

「(…なにこれ、何でこんなに案内板があるの)」

頭上を見上げれば四方八方を指す案内板。
一応自分の目的のものを探すも見つからない。

これだけあったら案内板の役割を果たしていないんじゃないのか、とか。
案内板を見上げようにも、この人ごみだと道の真ん真ん中で立って案内板を見上げるなんて出来ないんじゃないか、とか。

つらつらと考えは出て来たが、肝心の“この先どうすればいいのか”は皆目検討もつかなかった。
もう一度駅員に道を尋ねるのが最善のようには思われる。
が、その辺をほっつき歩いている駅員は残念ながらいないし、有人改札の駅員はひっきりなしに来るお客の対応中である。駅員に質問を浴びせるべく出来たあの長い行列に加わる気力は、既にには無かった。

「大丈夫?」
「へ?」

降ってきた声に振り仰いて見ると、しゃがみ込むを心配そうに女性が覗き込んでいた。

「あ、えっと…」

女性は、そ、と自然な素振りでの向かいに同じくしゃがみこんだ。

「人酔いでもした?」
「…そんな所です」

いきなり、道に迷いました、と言うのも躊躇われて、つい適当に相槌をうつ。
女性は綺麗な髪を背中に流し、グレーのジャンパースカートに白のハイネックという出で立ち。首には暖かそうなマフラー。

「こっち。座るところあるから」

そう言っての手を取って、女性はスイスイと人ごみを掻き分けて歩き出した。ついでにのスーツケースをさりげなく取って持つ所を見ても、随分と出来た人である。
女性に付いて一つ階段を下ると、土産物の並ぶ広場に出た。確かに、側にはロッカーや人がくつろいでいる広場がある。

「さ、座って」

広場でも端の方の1つだけ空いた席にを座らせると、女性はちょっと待っててと言いおいて、人ごみに消えた。すぐ戻ってきた時には、手にペットボトルを持っていた。

「あったかい方がいいかと思ったけど、ここはそこまで寒くないから」

そう言って冷たいペットボトルのお茶を差し出す。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」

女性は人のよさそうな顔で、ふわりと笑う。
よさそう、ではなく実際にとてもいい人だ、とは思った。
「お茶、飲んで」と促されるまま、はお茶を口に含んだ。冷たいお茶が、歩きまわって火照った体には返って心地良い。
ほう、と一息ついた所で、どうやら体力的だけでなく、精神的にも随分疲れていたようだと思い至った。ゆっくり座って一息ついて、少し緊張が取れたような気がした。

「体調、大丈夫?」
「あーっと、大丈夫、です。そんなに酷くないというか」
「そっか、なら良かった。私は蓮花。あなたは?」
「あたしはです。
。ステキな名前ね」
「あ、りがとうございます…」

あまり言われ慣れない褒め言葉に、若干戸惑う。
名前を褒められて嫌な気はしないが、それを素直に喜べる程は出来ていなかった。

「蓮花さんは東京駅、慣れてるんですか?」

話をごまかすように、は早口で聞き返した。

「私?んーそうでもないけど、ここにはたまに来るんだよ。人が多くて好きなんだー、こういう所」

周りを見回して、それは楽しそうに言う。
人ごみが好きな人も居るんだな、とは内心少し驚いた。

「珍しいですね。あたしはあんまり人が多すぎてちょっともう、参りましたけど」
「そっか。人間だとそうだよね。私は、ほら、妖者だから。人間が多い所にはあんまり縁がないから、楽しんだよねー、こういうトコ」
「へえ、そうなん………だ………、て……?…………はぁ!?」

何なんだコレは、とは心の中で盛大にツッコミを入れた。
一瞬、そのまま聞き流しそうになった。
まさか“田舎ものなんだよねー”というノリで妖であることをカミングアウトされるとは思わなかった。

「……妖、なの?」
「うん、妖なの。あれ、気がついてなかった?」
「……」

これまた人間より人間味あふれる妖も居たものだ。

「や、普通に人間みたいな格好してたから……当然のように人間かと思ってた」

驚きのあまり敬語も吹っ飛んで、それでもはぼそぼそと釈明をした。
服装もそうだが、喋り方も、所作も、表情も、どこを取っても“人間でない点”はなかなか見つけられない。
しかも人間の駅に普通に現れれば、もう疑う余地は無いではないか。

「やった。私の技も磨きがかかったわね」

技、とはなんとなく怖くて聞けない所だ。

「は、もしかして……蓮花って普通の人間には見えてない?」
「そりゃ、妖ですから」
「……」

そうか、先程から周りの人から冷たい視線を感じるのはそのせいか。
は諦めにも似た境地だった。
これは、いつものパターンだ。ここが旅先で良かったと思うべきか、飽きもせず繰り返してしまうことを嘆くべきか。

「そうか、ちょっとまずいのかな?ごめん、。歩ける?」
「え、」
「場所、変えよう」

そう言って、蓮花はまたもの腕を取って歩き始める。

「配慮がなかったね。歩きながらなら多少はマシだろうと思うのだけど、どうかな?」

の手を引っ張りながら遠慮がちに振り向く蓮花に、はつい笑みをこぼした。

「あっはは、蓮花は面白いな」
「あれ、どうして?」
「だって、蓮花は妖なんだろ」
「うん、そうよ」
「なのに、人間の心配して、人の目を気にして、まるで人間みたいだ」
「そう?」
「うん、そうだよ」

妖が人間の“常識”に気を使うなんて。
はそのことに驚いていたが、しかし気を配ってくれた事に感謝の気持ちを覚えた。
の言葉に、蓮花は嬉しそうに微笑んだ。綺麗なほほえみだった。
まるで、そう、蓮の花がふわりとその花弁を広げたかのような。

「目的地はどこ?よかったら送っていくよ。それともどこかへ帰る所?」
「新幹線なんだ。実は道に迷っててさ」
「そうじゃないかなと思った。シンカンセン、多分こっちかな」

“シンカンセン”の発音が少しおかしかった気もするが、蓮花はちゃんと新幹線乗り場までを案内してみせた。

「蓮花は人間より人間らしいな」

新幹線乗り場の改札でここだよと言った蓮花に、は苦笑を浮かべた。

「そうでしょう、そうでしょう」

あまりに誇らしげに言うものだから、苦笑を笑みに変えて、二人で一緒に笑った。
乗りたい便までまだ時間があったので、と蓮花は改札近くの柱に背を預けて、人の流れを何とは無しに眺めていた。
が虚空にしゃべる“不自然さ”は先程とは変わっていなかったが、急ぎ足で道を歩く人々はを振り向くことはなかった。

「私、榛名山ってトコに住んでるんだ。その山の上の、森の奥深く。人間なんていない所。だけど、たまに寂しくなって人間の格好をして町に降りるの。人がいっぱいいる所が好きだから、何回かにいっぺんは電車に乗ってここまで来るのよ」
「電車?妖って電車に乗れるんだ」
「妖は人には見えないからね」
「うわ、特権!」

無賃電車であろうことは想像に難くない。
いや待て、そうするとこのペットボトルはどうしたのか。はその先は考えないようにした。

「どうしてあたしが妖が見えるって分かったの?」
「ん?分かってなかったよ」
「?じゃあどうして声かけたの」
「だって、本当に困ったって顔してたんだもの。だから、声掛けたの」

それがまるで当たり前のことのように蓮花は言った。
妖が見えることを承知の上で、声を掛けたわけではないと。
人ごみの中で時々そのような人を見つけると、そうやって声を掛けるのだと言う。人間は妖が見えないことを知っていて、声を掛けても応えは返って来ないことを知っていて、それでも声を掛けるのだと。

「でも、は応えてくれたから、“ああこういう人間もいるのね”って思ったのよ」

何か面白いものを見つけたように、蓮花は少し意地悪そうに言った。
はそれには微妙な顔をしたが、しかし、人間に声を掛けても応えてもらえなかった時の蓮花の気持ちを考えると、少し気持ちが陰った。
応えてもらえなくても、見てもらえなくても、蓮花は困った人間に声を掛けることを止めないのだろう。
その人間をも(、、)思いやる蓮花の姿勢があったお陰で、は無事目的の場所に辿りつけたというわけだ。揺るぎない精神には頭が下がるばかりである。

「人って、不思議だね。たくさん、たっくさんいる。親子連れとか、大勢の同じ服の子どもとか、見ていて飽きないの。それに、楽しそうな顔を見ると、こっちまで元気になるよね」
「…蓮花はちょっと変わってる。そういう風に思うのは、きっと人間なのにさ」
「そう?今までが会った妖は、そんな風に言わなかった?」
「人間を好きで好きでたまらないっていう妖は、多分そんなに多くないと思う。いないことはないと思うんだけどさ……だから、蓮花は少数派かな」
「だから、“変わってる”?」
「うん」
「でも、妖が見える人間も、多分少ないんじゃない?」
「まあ、うん、多分、その通りだけど」
「あら。じゃあ、も変わってるね」
「……間違ってはない」
「ふふ、素直じゃないね!」
「自覚はしていますとも」
「いいじゃない、いいじゃない!変わり者同士、仲良くしましょ」
「…そうだね」

そう言って、また二人は笑った。

全く以て、不思議だった。
人間が楽しそうな姿を見ると、元気になるという蓮花。
あまりに普通に接して来たからかは分からないが、の中の「妖=常識の通じない奴、あるいは危険な奴」という“常識”を、いとも簡単に崩し去ってくれた。だから、妖であると言われても、何か裏があるのでは、何か罠に嵌めようとしているのでは、とは疑うこともしなかった。

けれど、世の中はそういうものなのかもしれない。

無意識の内に、“これはこうだ”と決めつけた自我が自分の視野の広さを広げたり狭めたりする。
それに気がついていなかっただけなのかもしれない。

改札で手を降って別れた蓮花には、丁寧にお礼を言っておいた。
人間が人間に対してそうするように、敬意を持って、「ありがとう」と。
蓮花はふうわりと笑って、「困った時は助け合いだね」と、嬉しそうに言った。
もう会うことはないかもしれないけれど、その笑顔はきっとずっと忘れないだろうとは思った。

















2012/02/09

たまにはこんな妖が居てもいいかな、と。

不思議だ 12