2週間ほど
は田沼の寺で安静にすごした。
最初こそ父親が心配して駆けつけてくれたが、思いのほか元気そうな様子に安堵したようだった。
の特異な体質を理解していたのもあっただろう。
父親は言葉少なに
を気遣って何か必要なものはないか聞いていたが、一通り話をすると、また来ると言って、住職に深く深く頭を下げて帰っていった。
それから毎日寺に顔を出して他愛ない話をしては、住職に頭を下げて帰っていく。
は、観音が安置されているお堂に畳をいくつか組み合わせて寝床にし、沙羅が編みこまれた薄い布を蚊帳のように張り巡らせて出来た空間で日の大半を過ごした。
「退屈だ」
田沼が様子を見に行くと、そう言って布団の上で小説に読みふけっていた。
「元気そうだな」
安心した風に田沼が言うと、
「こんだけ何もしなけりゃ元気にもなるさ」
と、それでも少し罰が悪そうに答えた。
認めること
数日ぶりに夏目に会った。
夏目が
のもとを訪れたからだ。
学校と違うのは、夏目が私服だということ、猫を連れているということ。
傍らにいるぶさ猫を見つけて、そういえば以前に一度だけ見たことがあるな、と思う。
お堂に夏目を通した田沼が、お茶を用意すると言ってお堂を出たのと同時に、そのぶさ猫はなんと言葉を話し始めた。
「(猫が話してる…。何でもアリだな)」
やはりこの猫は妖だったのかと思いながら、しかしさも同然のように二人―― 1人と1匹 ――が振舞うので、
は黙って話を聞いていた。
最初は夏目に何か今日の朝食の文句でも行っていたが、ちらりとこちらを見ると、ふん、とそっぽを向いて、また口をつぐんだ。
「(ん?)」
その発せられる声に聞き覚えがある気がして、首を傾げる。この猫が妖だと知ったのは、つまりこの猫が話しているのを見るのは、今日がはじめてだった気がするのだが。
しかしどこかで聞いたことのある声だ。
首を傾げて少し考えて、そうして一つの心当たりにたどり着いて、
は愕然とした。
――助けてくれた妖は、確かこんな声をしていなかったか。
――助けてくれた妖は、今は巧妙に隠れているが、確かこんな妖気ではなかったか。
「まさか、これ……」
「え?―――ああ、ごめん。気づいてなかったか」
の驚いた声の意図を汲みとって、夏目が一つ頷く。
「そうだよ」
苦笑しながら、夏目が言った。言葉は少ないがお互いに言いたいことはなんとなく分かった。
夏目の返答に
は眼を見開く。
「……あんなに美しい妖が……」
本気で驚愕した表情を作る
に、夏目は不謹慎にも、盛大に吹いて笑い出した。
「失礼な奴だ!誰のおかげで今こうして無事でいられると思っている!」
目を吊り上げて怒っているのは、見紛うことなき、猫である。
より正確に言うならば、招き猫に酷く似た、ぶさいくな、つるりとした、妙に可愛げのある、猫である。
「あまりのギャップに………。いやいや、そうじゃない。うん、確かに助かった。ありがとう、猫助」
「斑だ!」
威勢よく答えたのは、実は妖であるという夏目のペットだった。
「でもよかった、元気そうだな」
「1年分くらい寝てる気がする。目が溶ける…」
「安心したよ」
「うん。まあ、その、なんだ。夏目も、ありがとう。助かったよ」
「今日はやけに素直だな」
「うるさい」
と憮然と言う
の様子があまり普段の仕草と変わらないので、夏目は確かにもう大丈夫そうだ、と胸を撫で下ろした。
「まだここから出られないのか?この、蚊帳みたいなの」
「来週からは普通通りに学校行っても大丈夫だってさ」
「そっか」
「でも、親父は少し気をつけた方がいいかもしれない、って言ってる」
丁度お茶と駄菓子を持ってお堂に入って来た田沼が言った。
手慣れた手付きで蚊帳のような布から手を出した
に、茶を渡す。
「というと?」
「また再発する可能性がないとも限らないってことらしいけど」
「どうやら私のこの“力”とやらはじゃじゃ馬らしくてさ。それなりにコントロール出来るようになんないと、後でまた大変なことになるんじゃないかと言ってたよ。田沼の親父さんが」
“妖気”と呼ばれるその気は、本来ならば妖が持って然るべきものだ。しかし、
には、そして夏目にもその力が備わっている。性格が千差万別であるのと同じように、その力も人によって様々な性質を持つ。
妖や人間に悪影響を与えることも、法力のように何かの力になるようにも使える。
しかし、男に比べて、女のそれは酷く不安定で、ちょっとしたきっかけで枯渇したり、あるいは膨れ上がったりする。特に
の場合はそれが顕著であるらしい。
今回は満月の力や
の体調などいくつかの要因が重なって、
という“器”から溢れて制御が効かなくなった。にゃんこ先生がそれをなんとか吸いとって沈めてくれたから事無きを得たが、次またこのようなことがないとも限らない。
「それで、まあ、なんていうのか。練習みたいなの、することになりそうだ」
複雑な顔をして、
が締めくくった。
それは坐禅や念仏のような精神的なものであったり、身を清めたりする身体的なものであったりするらしい。
「修行みたいだな」
「田沼の親父さんの話を聞く限り、似たようなもんじゃないかなぁ」
は器用に片眉だけをあげて、ふう、と少し憂鬱げに嘆息した。
門まで見送りに、と夏目の帰り際、
は久しぶりに外に出た。
以前ここでクラスメイトの宮本と待ち合わせをして、住職の清めの一波を受けたのは記憶に新しい。
忘れ物をした、という夏目が田沼と共に本堂に引き返すのを、
は門の所で待つことにした。ここのところ床に付いていることが多い
は、門まで歩くのも億劫で、だからお堂までもう1往復するのを辞退したのだ。
「なあ、猫助」
「斑だ」
門にはなぜか、夏目のペットも座って日向ぼっこをしていた。
静かな空間で、二人だけの妙な空気が流れていた。それを崩すように
が口を開く。
「まあいいか。斑、あんたは夏目を護衛でもしてるのか?」
「ふん、護衛など甚だしい。私があれを飼っているのだ」
「逆じゃなくて?」
「あれが私の主人というたまか?」
言われて、たしかに、と思う。
しかし、斑が主人かと言われれば、それもまた違うのだろう。
この二人の関係は、どちらかと言うと“友人”のそれに近い気がした。きっと斑は否定するのだろうけど、けれど夏目は笑って“かもしれないな”と言いそうな気がする。
斑に助けてもらった時には、神々しいまでの美しい妖が現れて、
は正直最初、それが妖だとは思わなかった。美しい大きな妖を見ていたのはそんなに長い時間ではないし、意識は半ば朦朧としていて仔細まで覚えているわけではない。
が、何がどうなってどんな経緯であれ(、、)がこう(、、)なるのかは、
「(不思議だ)」
の一言に尽きる。
今目の前にいるのは、時折近くをふわふわと飛んでいく蝶をなんとはなしに眺めている、普通の、猫である。
およそ、あの神々しい光を放った美しい妖とは似ても似つかない。
がそんな失礼なことを考えていると、ふと、にゃんこ先生はその限りなく細い眼を三日月型にひらいて、
を見上げた。
「小娘」
「
だっつの」
「精々、精進することだ。さもなくば、いつか自分の力に呑み込まれるぞ」
「………。…心するよ」
「ふん」
「がんばらないと、だな…」
田沼と共に門の所で、1人と1匹が階段を下っていくのを見送りながら、
はぽつりとつぶやいた。
「ん?なんだって?」
「いや、独り言。二度目はないぞってことさ」
「うん?」
分かったような分からないような田沼の声を横で聞きながら、
はゆっくりとお堂に向けて歩き出した。
―――もっと、自分を知らなくちゃいけない。
そう、思いながら。
2011/01/30