「…ウサギ?」
「そう、ウサギ」
「………拾ったのか?」
「うん、拾った…」
犬猫が捨てられているのはよく聞く話だ。しかし、ウサギは基本的には“買う”ものだ。捨てられるというのは、あまり聞かない。
「………いや、犬猫ならまだしも、ウサギ?」
「ウサギ、なんだ」
驚いたような困ったような、そんな顔で田沼が首を傾げる。
も自分が話していることが、よくあることだとは思っていない。
不思議だよなあ、と、
はぽつりともらした。
人間というものは
落ちていた、のだ。道端に。
それはウサギだった。草や人参を食べる、人のペットにもなる、あのウサギだ。眼のところが黒くなったパンダウサギだった。
昨日、
が家までの道を歩いている時のことだった。そろそろ団地に差し掛かろうという道で、角を曲がると団地の入口の信号が見えてくる位置にそれはいた。
一瞬気がつかなかった
は、踏み出そうとした足の先にウサギが所在なさげに小さくなって座っているのに気が付いて、驚いて足を出した姿勢のままで止まってしまった。
なぜこんな所にいるのか。
いや、団地の端の畑ではたぬきが出るような辺鄙な所だ、いてもおかしくはないのだが、しかしやはりこれだけ整えられた道の上に、しかも逃げるでもなく人間を見て微動だにしないというのはどこかおかしい。
とりあえずウサギを見ながら、ウサギを避けて進もうとした。
――なぜか、付いてきた。
なにか食べ物をくれるとでも思ったのか知らないが、ウサギは無視して歩いていた
の後を、少し離れて、ぴょんぴょんと付いてきた。
「見つけた」「出てきた」ではなく“落ちていた”と表現するのは、そういった理由からだ。まるで拾ってください、飼ってくださいとでも言っているような行動ぶりだった。
結局家まで付いてきたそれを
は拾い上げて、父には内緒で部屋へ上げた。放っておいても玄関の前で待っていそうだったのだ。
ウサギは鳴かないし、隠すのはあまり難しくない。色々と説明も面倒だし、どちらにしても飼うわけではないのだから。
「それってさ、やっぱり誰かのペットとか」
「普通そう考えるよなあ。野うさぎっぽくないし…。なんかポスターでも作ってやるかなぁ…」
面倒くさそうに
は言うが、満更でもなさそうだった。
「イタチ?」
「…うん、拾ったんだ」
「何で」
「知らないって…。しかも、おんなじ場所でだよ」
昨日あのような話をしたばかりだと言うのに、あの話の後、
は今度はイタチを拾った。
イタチは別に珍しくともなんともないし、むしろ間違って人の道に出てきてしまったと言う方がしっくり来る。
しかしなぜか、やはり人間を見ても逃げない。それどころか、ウサギよろしく、
の後を家まで付いてきた。
「なに、なんか動物に好かれるようなことでもしたんじゃないの?」
「どんなだよ…」
「また今日もなんか出たりして」
田沼が冗談めかして言った言葉は、果たして、その通りになった。
「………………化かされてんのか?」
家へ帰る道すがら例の場所に居たのは、今度はキツネだった。
キツネと言われて想像するような、黄色の毛並みに鼻の先から腹にかけてを白くしたキタキツネだ。随分綺麗な毛並みをしているが、そのキツネは少し痩せて、しかも、動かなかった。
「なぜにキタキツネ。――死んでる…?」
動かないキタキツネに
はそっと寄って行く。ゆっくりと顔を覗き込む。
息は、している。しかしぐったりとして、良く見れば首の後からは少し血を流している。
が寄っても逃げる余力はないようだった。
「………はぁ」
ほっておくわけにはいかない、か。声に出さずに独り言つ。
ここまで来れば、乗りかかった船だ。
はキツネを抱え上げた。思ったよりもキツネは軽かった。
とりあえずあまり揺らさないように、と一歩踏み出した瞬間、地面をかすめて行った影に
は空を見上げた。
鷲だ。くちばしの大きな鷲が、
の遥か上空をくるりと回り、飛び去って行く。
キツネの首にある怪我に、今の鷲。
――無関係ではないような気がした。
とりあえず今はそれを無視して、キツネを自分の部屋に入れて手当てをしてやり、寝床を作って暖かくしておいた。とはいえ、手当てと言ってもたかが知れていた。キツネの容態など
には見ても分からないのだから。
側でキツネを眺めているとウサギやイタチが寄ってきて、一緒になってキツネを眺めるように、小さく蹲っている。この2匹はどこか普通の動物とは違った。きっととても賢いのだろうと
は思った。
キツネはとりあえず息はしているし、水をやれば一応飲むのだから、瀕死というわけではなさそうだった。
ただしそれは素人目の見方なので、やはり医者に見てもらった方がいいだろう。動けないくらいには重症なのだ。
父が帰って来てから車を出してもらおう、
は仕方なしにその結論に至った。さすがに一人では町にある病院まで連れていけない。
今までウサギもイタチも隠していたけれど、事情が変わってしまった。やはりキツネのことを話すなら、他の二匹のことも話さなければいけないだろう。
「(父さんにどう言い訳するかな…)」
そんなことをつらつらと考えながら時折キツネを撫でてやり、父の帰りを待った。
「大丈夫か、お前」
キツネに話しかけてみる。
キツネは目線をこちらに寄越して、頭を撫でていた
の手に鼻面を寄せて、か細く鳴いた。
「…キツネって、鳴くんだな」
その鳴き声は、なんだか切ない響きを持っていた。
長いような短いような時を待ち、いつもの時間に父が帰ってきた。
いざ父に事情を話してから、
は頭を抱える羽目になる。
――父には、キツネが見えなかった。
「じゃあなんだ、これは妖なのか?」
その問に答えてくれる者はいない。
ちなみに、ウサギとイタチも見えていないようだった。だったら隠す必要なかったじゃん、とは
の言だ。
しかし、困った。
父が見えないのなら、獣医にだってこのキツネは見えないだろう。
じゃあ誰が怪我を見るというのだ。
再び一人と三匹のみとなった部屋で考えたものの、どうするべきか皆目検討もつかなかった。
コツン、コツン
どうするか考えあぐねていると、窓に石が当たるような音が二回、間隔を空けて何度か部屋に響いた。
よく聞くとなにか鋭いものでつつくような音だ。
ふと、昼間の鷲が脳裏に翻る。
思ったときには咄嗟にカーテンを開けていた。
案の定、大きな鷲が出窓の手すりに止まっていた。
窓ガラスを開けるかどうか迷ったが、しかし相手が妖ならば話が通じるはずだ。
攻撃されるかも、という可能性は無視して窓を開け放った。少し冷えた夜気が窓から入り込んでくる。
「…。あんた、何か知ってんのか」
窓ガラスを開けても鷲は逃げなかった。いや、微動だにしなかった。どこか品定めでもするかのように、じ、と金色の眼で
を見つめている。
が半ば睨むように鷲を見返す。にらめっこでもするように、しばし、そのまま時間が過ぎた。
ふと、鷲が笑ったような気がした。
「
様」
鷲は、
の名を呼んだ。
「(やっぱり。こいつ、何か知ってる)」
が更に言い募ろうと口を開くと、それよりも早く、鷲が早口でしゃべりだした。
「いやー
様、思っていたとおりのお方ですなぁ!一度お目通りしたいと思っておりました、まあよろしく」
鷲は嬉しそうにそう言うと、片翼を
に向かって差し出した。
正確には、片翼を広げて前に半分突き出した、だけのように見える。
「……」
この翼は「よろしく」の言葉通り握手を求められているということでいいのか。
二の句が継げないとはこういうことを言うのだろう。しばし呆然と鷲を見つめてしまった。
鷲はその風貌に反してとても若い声をしていた。明らかに声音は“わくわく”とか“どきどき”とかそんな響きを持っていて、
は頭を抱えたくなった。
多分、というか絶対、鳥の世界に握手という文化は存在しないと思うのだが。
「人間というものは初めて会うと握手をするものだと聞いたのですが、違いましたか?」
アクションを起こさない
に、鷲は不安気に話しかける。
大きな自分の翼を見ながら、鷲はひどい失敗をやらかしたような声で首を傾げた。もし表情があったとするなら、しまったという顔をしていただろうことは想像に難くない。
「いや、まあ、合ってるけど……」
言って、とりあえず翼を握ってやる。
すると鷲は目をくりくりと光らせた。
「わたくし、奏翔(かなと)と申します」
続いた声は、とても弾んでいた。
「大陸を渡り旅をしているものです。先日、この地域に立ち寄った際に偶然にも貴女様のお話を聞きまして、こうして参上いたしました」
「そうかい。あんたも妖だな?」
「はい、ご覧の通りでございます」
バサ、大きく翼を広げた様は威圧感がある。二・三度羽ばたいて、その大きな翼を収めた。大きな翼、鋭いくちばし、細長い爪。これが敵意を持った妖でなくてよかったと胸を撫で下ろすべきだろう。
表情こそないが、人間の言葉を解して、話す。ヒトの形をしないものがヒトの言葉を話すのは大きな違和感が拭えない。金色の瞳を見つめていると、鷲の口から更にヒトの言葉が発せられる。
「献上したものはお気に召しましたか?」
言われて、一瞬
は首を傾げた。なんのことを言っているのか。
しかしすぐに後ろにいる3匹のことに思い至って、眉間に皺を寄せた。
「これ、あんたがやったのか」
「はい。化生の者はお嫌いでしたか?」
「そういう問題じゃないだろ…」
「人間は、人と会うときには何か“てみやげ”というものを持参すると聞いたのですが」
「もうどこにツッコミ入れていいか分かんないよソレ。てか、誰に聞いたんだよ」
「違ったのでしょうか…?」
どうにも分かっていないような鷲に、とりあえずあんたここに座って、と鷲を室内に招き入れて窓を閉めた。さすがに鷲が座ることは出来ないので、適当な場所に留まってもらった。それほど大きくはない室内に入ると、益々その鷲が大きく感じられる。下から見上げた時には漠然と“大きい”としか分からなかったが、実際、普通の鷲よりも随分と大きいだろう。
室内に奏翔を招き入れると、ウサギとイタチは毛を逆立てて机の下で震えていた。完全に怯えきっている。それを背中に何気なく庇うようにして、
は奏翔と向かい合う。
「ウサギとイタチはまだ許すにしても、このキツネはどうしたんだよ。怪我してる」
キツネの傍らに座って、奏翔に問う。
キツネもおそらく、動けたならば即座にここから逃げ出すだろう、息が先程よりも随分と荒い。それを沈めてやるように、何度も何度も毛を撫でつけてやる。
「暴れられては連れて来られませんので。
様、狩りとはそういうものです」
何を今更、とでも言いそうな奏翔に、
は溜息をつきたくなった。
「ここは人間の世界だ。そしてあたしは生憎と人間なんだ。わざわざ会いに来てくれた気持ちはすごい嬉しいんだけどさ、こっちにも人間のルールとか価値観みたいなのがあるんだ」
奏翔は首を傾げた。奏翔にとってはプレゼントのようなつもりだった。だから、ありがとうを言ってもらえたとしても、咎められるようなことはないはずだと思ったのだ。
「人間は動物を愛でるものだと聞いておりました」
だから、捕ってきた。
が喜ぶと思って。それだけの話。
「そうなんだけど、捕りたいから捕るとか、連れてくるのに大変だから傷つけるとか、そういうのはこっちじゃあダメなんだ」
よく分からないという奏翔に何度も言って聞かせると、それでもなんとか理解してくれたようで、「分かりました、少々お待ちを」と言って窓から飛び立っていった。
再び戻って来たときには、口に何か小さな瓶のようなものを咥えていた。
「薬瓶でございます、
様。此度の無礼、お許しください。決して悪気があったわけではないのです」
そう言って、奏翔はその大きな頭を深々と下げた。
「人間は、悪いことをした時には頭を下げるものだと聞きました」
沈んだ声でそう言った。
けれど、真摯な声だった。
「…そうだな。ありがとう、奏翔」
そう言って頭を撫でてやると、奏翔が目を細めて笑ったような気がした。
キツネの怪我が治りきるまでは
の家に寄り付かなかった奏翔も、キツネが完治してウサギ、イタチと一緒に
が3匹を森に送り届けると、奏翔はまた
の所へちょくちょくと顔を出すようになった。
はその時には奏翔を快く迎え入れ、別の大陸の話や奏翔の仲間の話を教えてもらった。
しかし、季節が変わる頃には多種多様な木ノ実をこれでもかというほど
のもとに持って来ると、また次の旅へ出ると言って、そのまま西の空へと飛び立っていった。
2010/09/21