「どうした、夏目」
珍しくも自分のクラスに顔を出していた友人に声を掛けると、彼は少し気まずそうに振り返った。
白皙の少年は少し口ごもると、
いるかな、とつぶやいた。
でも独りじゃない
ちょうど帰り仕度をしていた。
!という田沼の声に教室の入口に目をやると、
にとっては珍しい組み合わせが視界に映る。いや、この二人は知り合いという話だったし、単に
がこのペアを見たことがないだけだ。
かばんを担いで入口へ向かうと、なぜか嬉しそうな田沼と、なぜか気まずそうな夏目が立っていた。
「何、どしたの。二人して」
「夏目が呼んでる」
「え?ああ」
「この前は、どうも」
夏目と初めに会ってからまだ1週間と経っていないが、もとよりあまり教室から出ない二人がそれ以来会うことは無かった。これが2度目ということになる。
「うん、別に。ってか、なんで田沼嬉しそうなの」
「うん、別に」
と同じような事を言って田沼は口を閉じる。口元には微笑が残る。
田沼にしてみれば二人が仲良しになってくれたようで単に嬉しいだけなのだが、
から見れば嫌味な笑顔にしか見えない。それについてはスルーすることに決めて、さっさと話しを進めようと
は口を開く。
「何か用事?夏目」
「うん、用事って言えば用事なんだけど」
しかしそれ以上は気まずそうに、「そうでもないというか」とよく分からないことを続けて言葉を濁らせた。この前会ったときはそこまで口下手な奴じゃなかったような気がしたのだが。
何か言いにくいことなのか。あるいはここでは言えないようなことなのか。
田沼の方を気にしているのがなんとなく目について、言いしぶる夏目を遮って
はああ、と声を上げた。
「悪い悪い、忘れてた。あたしが神社に案内してくれってお願いしたんだったな」
「え?」
「ほら、行くよ」
「あれ、二人とももう帰るの?」
「田沼、また明日な」
それ以上何か言われる前に、と
は夏目を急かして廊下を歩き出した。
校門から出て少し歩いた所で、後ろを付いてくる夏目を振り返った。
神社への道ではなく、単なる
の通学路だ。夏目の家がこっちにあるかどうかは知る所ではないが、彼も何も言わないのでとりあえず足がいつもの通い慣れた道へ向いただけ。
「で?」
「え?」
「え、って……。何かあたしに話があったんじゃないの?あそこで言えないようなことか、田沼に聞かれたくないような事か、どっちかかと思ったんだけど…。余計なことしたか?」
夏目は驚いたように目を見開いたが、しかしふっと笑いを漏らした。
やっと自然な表情に戻ったな、と心の片隅で思う。
「参ったな。
は何でもお見通しか」
「夏目が分かりやすいんでしょ」
「はは、そっか。うん、実はさ、この前の事なんだけど」
「この前のって…葎(むぐら)の事?」
「そう。あれ、誰かに言ったりしたか?」
「いや?誰にも話してないけど」
「えーっと……友人帳の事、も?」
夏目の言わんとしていることが分かって、ああ、と
は一つ頷いた。
「夏目がそういう体質だってことも、友人帳のことも、誰にも言ってないよ」
「田沼にも?」
「田沼にも」
「そ、か。えっと………その、すまないんだけど、出来れば――」
「その事は黙っててくれ、か?」
「――うん」
「……理由を聞いても?」
夏目は一瞬押し黙ったが、次第にぽつりぽつりと話し始めた。
葎のように名を求めて来る妖が後を立たないのだということ。単に返してください、と言う輩もいれば、脅して返してもらおうとするものもいること。全く友人帳と関係ないにも関わらず、その名を聞きつけて奪い取ろうとするものがいること。そして、それに伴なう危険。
「だから、結局は隠しておくのが一番安全だと思ってる」
心配をかけたくない。
迷惑をかけたくない。かけられない。
だから、誰にも言わない。
言葉少なに説明する夏目はそんなような事を言った。今までどんな事があったのかは知らないが、真摯な言葉はひどく重みがある。きっと多くのものを聞き、見て、実際に肌で感じてきたのだろう。つらいこともたくさんあったのかもしれない。言葉には出来ないようなことも、本当はたくさんたくさん、心の内に抱えているに違いない。
傷ついたような、けれどそれを隠そうとする夏目の表情に、
の顔も自然に曇る。
夏目が長い間考えて出した答えが、自分でなんとかする、ということ。
今回は不可抗力で
に知られることになったが、でも口外はしないでほしいと言ってきた。
―――――――けれど、じゃあ。
「あんたはどうすんの」
はヘの字に曲がった口から不機嫌そうな声を上げた。
「俺?」
「一人でその危険やら脅威やらに立ち向かうっての?」
術らしい術も使えないと言っていたじゃないか。
葎の件はなんとか収まったから良かったものの、もし相手が強行手段に出ていたらどうしたのだろう。大したことは出来ないと言っていたように、対抗しうる術(すべ)があるかどうかは怪しい。
「話しを聞く限り、かなり穏やかじゃないようだけど。それであんたはどうやって身を守るっていうわけ?誰にも頼らずに、たった一人で、どうやって?」
の言葉に、夏目は反論されることを予測していなかったというように硬直した。どう反応していいか迷っているようでもある。
目を右往左往させて、けれど次には、いや、と首を振った。
「俺は一人じゃないよ。昔は確かに、無力で何も出来なくて、人に助けを求めることも出来なかったけど。妖が見えなくなればいいのに、ってずっと思ってたけど。でも今は、力を貸してくれるやつがいる」
事情を知る者はほとんどいないけれど、でも力を貸してくれる者も確かにいるのだと。
もう、独りじゃないんだと。
その顔は、ひどく穏やかで。
「妖には振り回されてばっかりだし、俺自身も大したことは出来ない。けど、今は前ほど嫌じゃないって思ってる気持ちもあるんだ。これまでだって、まあ、なんとかなってるし」
たくさんの哀しい色を覆いかぶして、ふわり、何かを思い出すように夏目の口元が笑みを形作る。
自然に漏れた、本人ですらも知らない内に漏れてしまったような笑みが、何よりの証だった。
「だから、大丈夫」
「…そうかい」
「でも、ありがとう」
「ん?何が?」
「心配してくれて」
「……してないし」
「はは。うん、でも、友人帳については他言しないでもらえると、助かる」
「しないしない。誰にも言わない。夏目の弱みを握るって意味じゃあ申し分ないけど、暇つぶしで遊ぶには随分とリスクが高そうだ」
「素直じゃないな」
「あんたに言われたかないし…」
「あ、神社だけど、案内しようか?」
「え?ああ、いいよ。必要ない。一応あんたよりは長くここに住んでるしな」
「そっか。そうだな。じゃあ俺はこっちだから。今日はありがとう」
「いいよ、別に」
「はは。またな」
「うん、また」
差し掛かった角を左に折れた夏目の背を見送る。言いたかったことは全て言ったと言わんばかりに、夏目はすっきりした顔をしていた。
ちょっと先の所にいた猫に気が付いて気安く抱き上げる夏目を、惰性で見つめていた。
夏目んトコの猫だろうか。つるりと丸い、なんか変な猫だ。
なんとはなしに目をやると、後ろ向きに抱き上げられたその猫と一瞬目があった気がして、
はドキリとした。背筋に冷たいものが走る。
確かに今、こっちを見ていた気がした。しかもその目は、何か言いたそうに意味深に細められていて。
――まさか、あれ…………
すぐに、そんな阿呆な、と否定する。まさかあれが妖だなんて。考えすぎだ。
でも、――確実にあのぶさ猫はこっちを見ていた。しかも目が合った一瞬、圧迫されるような大きな何かを感じた。嫌なものではなかったし、悪意や邪念があったわけでもないけれど。
しかし、もしあれが、そう(、、)なのだとしたら―――
あのぶさ猫は相当な力を持った妖ということになる。それと悟らせない事が出来るほどに、力があるということなのだろうから。
猫に向けられた夏目の穏やかな横顔―――
それを見つけて、
は一つ、溜息にも似た息をついた。
どっちにしても―――
「ほんと、余計な世話だったみたいだな」
さて帰るかな、ぼそりとつぶやいて、夕日に背を向けた自分の影を追うように、今度こそ
も家路についた。
2010/02/08