「やめなよ」

少し怒ったような声に振り向くと、自分をまっすぐに見据える人間の女がいた。
今までこんな人間はいなかった。
自分の姿を見られて、どうすればいいのか戸惑った。
今までずっと、自分に気付いてほしいと思っていた。ずっとずっと、思っていた。でも、誰一人、自分の声を聞く人はいなかった。
それが普通だと思っていた。いつしかそれに慣れていた。

はずなのに。

どうすればいいのか、分からなかった。




慣れていたのに





ここ最近、校内には妙な雰囲気が流れていた。
授業中は平穏を取り戻したかのように教室は静まり返っていたが、それでも授業が終わると皆、顔を突き合わせてひそひそと小声で会話をした。
まるで、誰かに聞かれてはいけない話をしているかのように。









ちょうど1週間前の朝。
突如校内に悲鳴があがった。1限目が終わって少したってからのことだった。
その悲鳴に駆けつけた教師は、女子トイレの前で真っ青になっている女子生徒を引きずるように保健室へと運んでいった。
女子生徒は叫び声を上げ続けた。
当然のごとく、その階の教室から顔をのぞかせていた生徒――否、たとえ興味から野次馬になっていないとしても、大半の生徒――には、その女子生徒の声が丸聞こえだった。

曰く、

「幽霊がいた」

全くそいういった類の話を信じていない生徒達であっても、彼女の恐慌ぶりに不安を募らせた。あまりに怯えた女子生徒の悲鳴は、誰もの心に恐怖を植えつけるには十分すぎた。









「なあ、。聞いたか、あの話」

黒髪のそいつは、酷く居心地の悪くなってしまった昼休みに、声を小さくして、申し訳程度にこちらに近づいてきた。
つい最近、実は同じクラスの田沼も妖の存在を知る人間だと知ってから、挨拶を交わしたりちょくちょくと話をするようになっていた。
この田沼、控えめだが、意外と芯が強い奴だということに気が付いたのはほんの数日前だ。

「聞きたくなくても聞こえてくるよ」

弁当を食べ終わって居眠りをしそうになったところで声をかけられて、は少々不機嫌声で答える。
それに怯まず、田沼はそれでもそろり、と前の空いた席へと腰掛けた。

「ちょうど1週間前から始まったあれ。また今日も1人出たらしい」
「ふうん」

1週間前の朝、幽霊が出たと騒いだ子が出たことは皆周知の事実。
それから毎日1人ずつ、同じように騒ぐ子が出ることも。

「なんか、学校行きたくないって言って休んでる奴も結構いるってよ」
「それで空席が多いのか」

かく言うの前の席の人間も、ここ数日見ていない。田沼の話を聞くに、故意に欠席しているのだろう。

「トイレとか部室とか、とにかく色んなところで目撃証言があって、先生達も怯える生徒の対応に困ってるみたいだ」
「ご苦労なことで」

女子トイレに始まり、次は陸上部の部室、放送室、理科室と、“幽霊”が出るのは実に様々な場所だ。

「このままじゃあまともに授業なんて受けられないよな」
「田沼、あんた何が言いたいの」

いい加減しびれを切らしたは、机に肘をついたまま田沼を睨み上げる。酷く遠まわしに何かを言おうとするこいつの言い方に腹が立つ。
そしては、それを汲み取ってやろうなんて、そんな良心は生憎と持ち合わせていなかった。

「これ、お前の専門分野なんじゃないのか、
「なんだよ専門分野って」

ため息を一つ。

「あたしが祈祷師か何かだと思ってるの?それなら田沼の親父に頼みなよ。そっちのがよっぽど専門分野じゃないか」
「そうかもしれないけど、が何も出来ないわけじゃないとも思うんだ。困ってる人がいる。もしかしたら自分に出来ることがあるかもしれないなら、それをするべきだと俺は思う」

セイジツ(・・・・)な目に見つめられて、は大きな溜息をこぼす。
そういうの、嫌いなんだって。

「…お人よしめ」
「……。…俺も手伝うからさ」
「足手纏いが関の山じゃないの」
「照れるなよ」
「あほか」

かくして、二人の妖探しは始まった。













「やめなよ」

意外にあっさり見つかったその妖は、今まさに図書館へ入っていこうとしていた。
午前の休憩中に図書館なんかにいるのは、真面目な図書委員くらいだと相場が決まっている。そんな健気な図書委員を脅かそうなんて、趣味が悪いというか幼稚というか、呆れてしまう。
田沼に焚きつけられて、適当に探し始めて3日目。
は問題の妖らしきものに接触した。
白い浴衣のようなものの上に、模様の入った暗い色の羽織のようなものを着ている。目は黒い布で隠れていて見えないが、ほっそりした顔の作りと長い髪から女のようであることは分かる。
驚いた妖は、一瞬自分のことだと分からなかったのかキョロキョロと辺りを見回した。けれど信じられないのか信じたくないのか、気のせいだろうとまた図書館に入ろうと歩き出す。

「やめろって言ってんだろ」

がしり、身に纏っている白衣の袖を掴むと、その妖は驚いたように口を半開きにして、固まった。目を覆う布がなかったなら、見開かれた目がを見ていただろう。

「え?」
「え、じゃないよ。あんた、最近生徒を驚かしてるっていう妖だろ?何のつもりか知らないけど、やめてくんない。色々と迷惑なんだ」
「わ、たしに、言ってる?」
「ここにお前以外のアヤカシがいんのかっての」

そう言われて律儀にも周りを見渡すあたり、怒っていいのか呆れるべきなのか。
田沼は、後ろに控えて様子を見てはいるが、おそらくの前にいる妖は見えていない。足手纏いにならないようにとの気配りかもしれないが、どうやらそんなものは無用らしい、と教えてやろうか。

「何でこんなことするんだよ。事と次第によっちゃ、叩き出すよ」
「!ごっ、ごめんなさい!」
「……」

凄んでみたものの、怯えた顔の妖に素直に頭を下げられて、拍子抜けした。溜息を禁じえない。妖に怯えられると、返って複雑な気分になる。
自分がそんなに恐いのか、あるいは、この妖の気が小さいのか。
ってか、気の小さい妖ってありなのか。

「話、聞いてください…」

悪いことをした自覚があるのか、妖はボソボソとつぶやいた。弁明をする気もあるらしい。

「あーっと、……うん、聞く。聞くよ。脅かして悪かった」

逃げる気もないと悟って、は態度を軟化させた。何か事情があったのかもしれない。それを聞いてやるくらいは、まあ、してもいい。

「とりあえずこの辺で待っといてくれる?次授業なんだよね。あ、…いや、待て待て。こんなトコでまた誰かに姿見られでもしたら面倒だし、屋上で待っててくんない?昼休みになったら、行くからさ」

すみませんでした、ともう1度つぶやいく妖が上の階に消えるのを見送ってから、田沼とは教室へ戻るために踵を返した。ちょうど4限目の始まりを知らせるチャイムが鳴って、二人は走り出す。

「案外あっさり話が進んだみたいだな」
「だな。凄んでみたらすっごいビクつかれて、逆にびびった」
「…その妖の気持ち、なんとなく分かるかも」
「……」
「冗談だって」









かくして、昼休み。
申し訳程度の柵しか立っていない屋上は、普段は立ち入り禁止になっている。にも関わらず、はものの見事に鍵を開錠してみせた。

「特技の一つや二つ、持つべきだと思うけどね」

田沼は何も言う気になれなかった。




田沼と共に屋上に上がってみると、そこには昼間の妖がいた。
屋上の淵に立って、空を見上げている。

「待たせた」

振り返った妖は、いえ、と少し微笑んだ。
昼を食べるからこっちに来ないかと言うと、妖は悩んだようにしていたが、二人がご飯を食べ始めると数歩の所まで来て、少し2人との距離を空けてから座った。

「あんた、人を驚かすの、好きなの?」

半分まで弁当を食べ終えて、は黙ったままの妖に声をかけた。
妖は酷く驚いたように顔を上げて、いえ、と顔を振る。

「じゃあ、何で」

たちまち妖は俯く。そのまま何も言わないので、泣き出したのかと半ば本気で思い始めたとき、ぽつりぽつりと妖が話し始めた。

「ずっと人間と、話がしたかった。何度も話かけた。でも、誰も私に気が付かなかった」

そのうち、諦めて山の中でひっそりと暮らすようになったという。けれど、ふとしたことで山を降りてきて、久しぶりに人間がたくさんいる建物に来た。若いエネルギーが溢れる生徒に引き寄せられるように、また、声をかけてみた。
すると、今度はなぜだか、声が聞こえたらしい。生徒が反応を示してくれた。
けれど、それは望んでいた応えではなかった。

「その女の子、悲鳴、あげて。走っていった…」
「…偶然、その生徒にはあんたの声か、あるいは姿が見えたんだろうね。不幸にも、完全ではない形で。だから誤解されたんだ、“ユーレイ”だ、って」

見えない田沼にかいつまんで説明をしながら聞いた話は、まあそのようなことだった。
つまりは、人間と話がしたかった、と。

「普通の人間は妖とは話出来ないからさ。山に帰りなよ。探せば、まあ話くらいしてくれる妖いるんじゃない?」

は自分でも少し安直かなあとは思ったが、しかし人間相手に友達になってくださいというのもムリな話だ。闇雲に声をかけるなんて、それこそ話にならない。
でも…とか、やっぱり…とか、迷うように妖はつぶやいていたが、いくらか逡巡したあとに、結局は素直にうなずいた。 その様子にほっと息をついたところで、それでも、でも…と続いた言葉に、は首をかしげる。

「また、遊び来て、いいですか」

思わずため息がこぼれた。

「いいわけないでしょ…。話聞いてた?」
「ここには、もう来ない。あなたの、ところ。…あなたと、話、したい」

つまりは、学校には来ないがのところには来たい、と。

「……言っとくけど、面白くないと思うよ。あたしと話しても」
「……いい。話、するだけ」
「…物好きだよ、あんた」
「……」
「…はあ。間違っても学校とかデパートとかコンビニとか、そういうところで話かけないでよ」
「でぱと……?」
「ああもうとにかく人間がたくさんいる場所では、って意味」
「分かった………。それ以外、なら……?」
「………好きにすれば」

がそういうと妖はとスッと立ち上がり、扉へと向かって歩き出した

「ありがとう。楽し、かった」
「そうかい…。…あ、あんた名前は?私は
「…鞘葉(さやは)です。、さま。…また、どこかで」

つぶやいて、鞘葉はふらりと扉を出て行った。
その背中は、どこか安心しているようにも、喜んでいるようにも見えた。
帰り際に生徒に会わなきゃいいけど、と思いつつも、どうやら一応帰る気にはなってくれたようだと、は思った。

「どうやら気は済んだみたい。今帰ってったよ………って、どうした田沼」

振り返ってみると、田沼は驚いた表情で、今しがた妖が出て行った扉の方を見つめていた。あの妖が見えていた、ということはないと思うのだが。
が声をかけるとやっと自分が呆然としていたことに気がついたように、罰の悪い顔をつくる。

「…今、扉の窓ガラスに目隠しした女の人が一瞬写った気がしてさ……。あやうく今日の1人になるところだった」
「…そういうことかい」

鏡やガラスに移った姿が、運悪く人間にも見えてしまったのだろうか。見えてしまった生徒が、霊感が他の人よりも強かったのか、あるいは別の要因があるのかは分からずじまいだが。

以来、学校で悲鳴が上がることは無くなった。








2009/12/03

不思議だ 04