が王宮へ来てから10ヶ月が経とうとしていた。
相変わらず修行修行の毎日で、修行が無い日は厨房の手伝いには時間を費やしていた。
魔法の上達も順調で、近頃では防壁魔法もほぼ完璧に扱うことが出来るようになり、浮遊魔法や他の系統の魔法にも少しずつ手を出し始めている所だ。
以前シャルルカンにしてしまったような魔法の暴走はそれ以来なく、の低姿勢は相変わらずだったが、ヤムライハのへの評価は日々上がる一方だった。







そんな中だった、事件が起こったのは。
それはよく晴れた、ある昼下がりのことだった。







09









その日もいつも通り、は午前中まではヤムライハと魔法の修行に励んでいた。
以前一度食堂で一緒に食事を摂って以来、は食堂での食事を遠慮するようになってしまったので、今日もは部屋で一人で昼食を摂るからと言って、一度昼前に二人は別れた。
次にヤムライハが昼食を終えていつも修行をしている庭へ出ると、珍しくはまだ来ていなかった。
いつもはヤムライハが昼食を終えると必ずと言っていいほどが先に庭へ来ているので、珍しい事もあるものだ、とヤムライハはさして気にせずにひなたぼっこをしながらが来るのを待った。

さすがにおかしいと思い始めたのは、それから小1時間ほど経ってもが姿を現さなかったからだ。
急に厨房の手伝いにでも駆りだされたのだろうか、とヤムライハはの部屋を尋ねたが、そこは蛻の空で、誰もいない。厨房に行ってを見ていないかと聞いてみても、誰も今日を見たという人は居なかった。
厨房の手伝いやその他の用事が急に飛び込んだとしても、連絡だけはちゃんと寄越すが、何の連絡もなしに午後の修行をすっぽかすなんてことは、今までの彼女の行動を思い起こせば考えられなかった。
その段になって、何かが起こっているのだとヤムライハは駆け足から杖に乗っての空中移動へと切り替えた。
手当たり次第にを見なかったかと聞いて回っていると、門番からを見たという話が飛び込んで来た。

門番は、柄の悪そうな若者達に連れられて町へ降りるを見かけたらしい。

ヤムライハは、心臓が一際大きく鳴ったのを感じた。それも、すごく悪い意味で。
柄の悪そうな若者、ヤムライハにはその人相に合致する人々に心当たりがあった。
ヤムライハは慌ててジャーファルの居る政務室へと急いだ。

「ジャーファルさん、が!」
「どうしたんです、ヤムライハ。そんなに慌てて…」

突然、政務室の扉が壊れんばかりの勢いで開かれたのと同時、血相を変えて飛び込んで来たヤムライハにジャーファル始め、文官の面々は驚いて作業の手を止めた。

が、危ないかもしれないんです…!」
「ヤムライハ、落ち着きなさい。とにかく、何があったか手短に話してください」

ヤムライハはジャーファルに、門番がが町へ降りるのを見かけたこと、柄の悪い若者が彼女を連れていた事を報告すると、ジャーファルの目はどんどん鋭くなっていった。
許可の降りた王宮内でさえ、自由に出歩く事を自分で戒めるように、はあまり王宮内を歩きまわらなかった。修行には1日足りとも休まずに出席していたし、ヤムライハとの待ち合わせをすっぽかしたこともない。
そんなが、言伝もせず、勝手に町へ降りるというのはとても考えにくい。
それに加えて、門番の目撃した情報。
柄の悪い若者、そのフレーズにはジャーファルにも心当たりがあった。彼女が一度は牢に入れられる事になったきっかけを作ったのも、柄の悪いボンボン達のせいだったのだから。
そしてその推測が当たっているならば、これは異常事態と呼んでも差し支えないような事態になろうとしているのだということは、ジャーファルはよく理解していた。

「わかりました、一人で飛び出さずによく報告してくれました。ヤムライハは一足先にを探しに行って下さい。私も警邏隊を集めてすぐに向かいます」
「わかりました…っ!」

入ってきた時同様ヤムライハは慌てた様子で、今度は門から出る時間も惜しいと言った様子で政務室の窓から空へと飛び立っていった。
いつもであれば行儀が悪いと叱るジャーファルだったが、今回ばかりはそれを見逃して、警邏隊率いるドラコーンに援助を仰ごうと政務室を足早に出て行った。









捜索は数時間を超え、既に陽が西に傾き始めていた。
の目撃情報は中々得られず、捜索をするヤムライハ、ジャーファル始め、警邏隊の面々の焦りは募るばかりだった。どうやらを連れて行った若者達は裏道を巧妙に移動したらしく、あまり人の目には留まらなかったようである。
やっとのことの目撃情報を掴んだヤムライハは上空から、ジャーファルは地上からその地点へと急いだ。

「居た!あそこ!」

ヤムライハがそれを見つけたのは、既に辺りが黄昏に包まれ始めた時刻だった。
けれど、上空で目を皿にして探していたヤムライハは、しっかりとの姿を捉えていた。地上からヤムライハの後に続いていたジャーファルが、ヤムライハが指し示す先に、数人の若者に囲まれた小さな身体を見つけた。
ヤムライハとジャーファルは全速力でその若者達との距離を詰める。

「お前たち、やめなさい!」

ヤムライハが声を張り上げた。
周りの若者たちには見覚えがある。ヤムライハやジャーファルの推測は、残念ながら当たってしまったのだ。

再度確認などしなくても、そこにいる小さな身体は間違いなく、だった。

ジャーファルとヤムライハは冷水を浴びせられたような気がした。
その若者達は、10ヶ月程前、の働いていた店で問題を起こし、の怒りを買って重症を負っていた若者たちだった。怪我が治って、に報復に来たとでもいうのか。
振り返る若者達の間から見えた身体は、身体の至る所が斬られて血で濡れいていて、力ない四肢が地面に投げ出されていた。それはまるで、若者達自身がされたことをそのままに仕返しをしてやった、そう言いたげな光景だった。
高い建物と建物の間の、薄暗い狭い路地に、周りを囲った6人の若者に比べたら余りにもちいさな、ゴミのように血で汚れてしまったの身体。
目は閉じられていて、生きているのかも疑いたくなるようにぴくりとも動かない。
周りには壊されてバラバラになったの大切な杖が、無残にも転がっている。
6人の若者はそれぞれがその手に鋭利な刃物を持っていて、その全てが血で濡れいてた。それが誰の血かなんてことは、考えなくてもすぐに分かる。

若者たちが逃げ出すよりも早く放たれたヤムライハの初撃によって、6人の若者は何かに吹っ飛ばされるようにの周りからいなくなった。それをジャーファルが次々にお縄にしていく。

「2人逃げたわ!」
「我らに任せてもらおう」

ジャーファルの後から遅れて付いてきていたドラコーン以下警邏隊の面々が、逃げた2人を追って路地の更に奥へと入って行った。
既にジャーファルによって締めあげられ泡を吹いている若者4人を、残った警邏隊に引き渡しながら、ジャーファルはの元へ駆け寄った。
既にヤムライハが地上に降りて、に駆け寄っていた。
ヤムライハは目に涙を溜めながらの上半身を抱き上げる。
力の無い首がかくんと傾いている。口からはか細い息がヒューヒューと抜ける音が漏れるのみで、ヤムライハの声に反応はない。

…!」

ヤムライハがそれでも気丈に杖をかざして治癒魔法を施すと、しばらくして、か弱くぴくりと、ささやかな反応があった。

「……ヤム、ライ、ハ…さま…」

腫れ上がった瞼をゆっくりと少しだけ押し上げたは、小さくゆっくりと2度ほど瞬いて、ヤムライハの姿に目を留めた。

!しっかりして…!」
「……あた、し…魔法…………使いま、せん、でした、よ………」
「っ!!……どうしてっ……!」

まるで「えらいでしょ?」と続きそうなほど、は安らいだ顔でヤムライハにそう言ってのけた。
は、自分で外そうと思えば外せる腕輪を付けたままだった。魔法があれば、力にものを言わせるだけの若者など簡単に蹴散らせたものを、彼女はそれをしなかったようだった。
は初歩的な魔法どころか、防壁魔法(ボルグ)すら一切使わなかったということだ。
怒りに任せて人を傷つけることを恐れたのだろう。
それはが、誓いを確かに守った証拠だった。
けれどその結果がこれだなんて、あんまりだ、とヤムライハの頬に涙が伝う。
それからまたすぐに意識を手放したを、ヤムライハは急いで王宮まで運んだ。医師と魔法使いによる必死の治療が行われたが、その日が目を覚ますことはなく、今夜が峠と言う医師の言葉をヤムライハは大きな粒の涙を目に溜めながら聞いていた。
ぎゅ、との手を握る。

冷たい、小さな手だった。










2016/03/06

渇いた、大地 09