ヤムライハは王の自室に赴いて、定例となった修行の報告を行っていた。
については、ヤムライハからの定期的な報告が義務付けられているからだ。
「さて、修行の方はどうだろうか」
「はい。魔力(マゴイ)の量がとても多く返って制御するのが大変ですが、しかし本人の努力の甲斐あって、少しずつ魔法として形が整って来ています」
「そうか。真面目に取り組んでいるようだね」
「ええ、それはもう!表情が乏しいので分かりにくいのですけれど、実はとってもがんばり屋さんなんです」
報告は修行の進度や、
の魔法の具合などが主だが、今回の報告の中には当然、
がシャルルカンを傷つけてしまった数日前の事も含まれている。
シンドバッドはその話を聞くと少し意外そうな顔をして驚いたが、特にそれについては厳しい言及をしなかった。
「そうか。そんな事が…暴走はそれ以降はあっただろうか?」
「いえ、あれ以来は一度も。彼女自身も、感情が激昂すると自分の怒りを制御出来ないみたいで。今まで感情をうまく表に出して来なかったからでしょう。感情が一度振り切れると、自分でも意識せずに魔法を使ってしまうようです」
「そうか。感情のコントロールが出来るようにするのも、また修行の一つだな」
「はい。私もそう
に言いました。それに……シャルルカンの時も、相手を傷つけたと知ってとても落ち込んでいました。次の日なんか上の空で、見てるこっちが可哀想になるくらいで……」
ジャーファルには既にシャルルカンとの一件は報告してある。
はまた見張りを付けて、腕輪も元通りにした方がいいと自分で思っているようだったが、今回はそれほどの大事にはならなかったため、ジャーファルは特にお咎めをしなかった。
ヤムライハはそれが妥当だと思っていたが、それに一番釈然としないのは
だったようだ。
「本当はとてもやさしい子なんです。ただ、力の使い方が分からないだけで」
「そうだな。しかし、俺にも彼女の魔力の量が常人とだいぶかけ離れている事は分かる。あれだけの力、使えこなせれば相当な戦力になるだろうな」
「はい。いつかきっと、魔法を自在に操れるようになると思います」
「ああ、それは頼もしい限りだ。それまではまだだいぶ時間がかかるだろうが、引き続き頼んだよ」
「御意」
08
それから半月ほど経った昼餉時。
いつものようにシンドバッドとジャーファルは大食堂で食客の人々と大テーブルを囲んで食事を摂っていた。
そこに、食堂で動き回る人間の中にいつもは見ない顔を見つけて、ジャーファルはおや、と食事の手を止めた。
空いた皿を下げに来た給仕の人間の後で手伝いをしている人々の中に、珍しい顔が居たからだ。
王や八人将など主要な人物の回りはいつものように給仕の者が世話をしていたが、その給仕が下げる食器などを回収して厨房へと運ぶ下働きのような人の中に、
が居た。
側に居た給仕の者にジャーファルが聞くと、どうやら
はヤムライハが忙しくて修行が出来ない日にはそうやって給仕の手伝いをしているのだという。
表情は乏しいが、しっかりテキパキ働く
に厨房の人間も大変助かっているのだと、給仕のものは嬉しそうに語って聞かせてくれた。
少ないが小遣い程度の駄賃も出しているらしく、最初
はそれを受け取るのを拒んでいたが、ヤムライハからそれは働きに対する正当な報酬だと諭されて、渋々と受け取るようになったという。
次に
が出てきて食堂の隅で作業しているのを見つけたジャーファルは、ちょうど今しがた食事の終わった席を立って
の元まで寄って行った。
「精が出ますね」
「…あっ……、ジャーファル様……」
は作業していた手を止めて、慌てて拱手して数歩下がって礼を取った。
「構いません、続けてください」
「あ、いえ………あの……」
そうは言われても、そんなにまじまじと見られていては作業も覚束ない。
は一度は作業を再会しようと作業台の方を向いたが、直ぐにまたジャーファルの方を振り向いた。
「あの……何か入用のものがあれば、取ってきますけど……?」
「ああ、いえ、そういうわけではないのです。少し貴女と話がしてみたいと思ったものですから」
「話……ですか……」
「ええ」
それを傍で聞いてた給仕の人間が「自分がやっておくから」と気を使って言ってくれた言を有り難く受け取って、ジャーファルと
は場所を変えて話すことになった。
「(なにか……粗相をしてしまったんだな、きっと……)」
ジャーファルが厨房横の休憩室に行こうと言うので、
はジャーファルをそのような所で休ませるわけにも、とは思ったものの、ジャーファルがそこを指定するので何も言わずに従った。
厨房横には、調理人や給仕の人間が食事を摂ったり休憩するための部屋がある。とてもではないが国の要人が来たりするような場所ではないその場所を、なぜジャーファルが指定したのかは
には分からなかった。
ジャーファルにとっては、政務室やその他の
に馴染みの無い場所では
が緊張しきって話もままならないのではないかという配慮のもとだった。それでも隣に座る
が戸惑っているのがしっかりと伝わってきて、ジャーファルは心の中で溜息をついた。
はよく利用する場所でこそあれ、ジャーファルに“連れて来られた”からか、始終小さくなっていて、ややもすれば怯えているようにも見えた。
会った初日に突き放すように言ったことを気にしてのことかともジャーファルは訝ったが、しかし考えてみれば
はいつもこうだったような気もする、と特に気にしないように努めた。
昼餉の後には賑わうそこも、今はほとんど全ての人間が仕事で動き回っているために部屋には誰も居なかった。それが返って
の緊張を助長しているような気もしたが。
「すみませんでした」
二人が席につくと、ジャーファルが口を開くより先に
は謝罪の言葉を口にした。
「どうして謝るのですか?」
「……だって、私が勝手に手伝いをしていて……勝手に王宮の中を歩きまわってて……それがきっといけなかったんです……よね……」
既にそれは
の中で確定事項であるかのように、
はジャーファルと目を合わせようともせず、俯いたまま顔の色をなくしていた。
両の手は、膝の上で指先が白くなるほど握られている。
「いいえ、そんなことはありません。むしろ自分の時間を手伝いに使って頂いて礼を言わなければいけないのはこちらの方です」
「………?」
「でも、あなたはもっと自由に時間を使っていいのですよ。折角以前よりもずっと自由が効くようになったのですから」
「………いえ……あたしも何か……役に、立たないと…」
役に立たないと、気を使ってくださっている多くの方々に申し訳が立たない。ただでさえ、何も出来ない出来損ないなのに。
きっとジャーファルだってそう思ってるはずだ。そう考えながら、
は俯いたまま言った。
「いい心がけですね。厨房の仕事は楽しいですか?」
「………はい。皆さん、とても良くしてくれます」
「それは良かった。お給金ももらっているとのことですから、町にでも遊びに出かけたらいい」
「……………、……お許しを頂けるのなら……、いつか、行きたい、です」
「誰か人を伴えば町へ降りる許可は出せます。いつでも言ってきていいのですよ」
「……、……いつか」
に町に降りたいという意思はあるようだったが、すぐにでも行こうというわけではないようだった。ジャーファルはそれ以上それについては言及せずに、それ以外の他愛の無い話に花を咲かせた。と言っても、ほぼ一問一答のような感じで、あまり話が盛り上がったという感じは全くもって無かったけれども。
はお咎めを受けるか、はたまた、王宮から出て行けと言われるのではと始終怯えてばかりだった。自分が王宮にあまりにも相応しくない人間であるということは、
が一番理解していた。
けれど最後までジャーファルは世間話のような話ばかりで、修行はどうだ、ここでの生活に不自由はないか、と
の日頃のことを聞こうとしているだけのようだった。それがまた
には不可解にしか思えなくて、休憩室前でジャーファルと別れるまで、ジャーファルの目を正面から見ることが出来なかった。
ジャーファルにとっては、既に彼女は警戒対象からはとっくに外れていた。だから腕輪だって自分で外せるものにする許可を出したし、見張りも外させたのだ。
だから、給仕の手伝いをしているという
と、単に話をしてみたいと思っただけだった。
彼女の魔力量や魔法の技術については、ヤムライハからも聞いているとおり評価は高く、王もそれらを高く買っている。これから先も長い付き合いになるだろうから、と思ったからだ。
けれど、とジャーファルは政務室へ帰る道すがら、先ほどの
の様子を思い出した。
「(これは、骨が折れそうですね……)」
全くこちらを見ようともせず、始終怯えるように恐縮しきっていた
。ヤムライハにはだいぶ心を開いているようだと報告に聞いてはいたものの、相当の人見知りなのか、単にジャーファルが怖がられているだけなのか、30分ほどの会話で全くと言っていいほど打ち解けた感じはしなかった。
長らく戦争孤児でその日食べるのもやっとの生活が長かったとも聞いているから、人の感情の機微に疎いのかもしれない、とも思いもした。事実、彼女は怒りに対して無力で、自分で制御する術を持たないようだった。
なんとかしてその部分の対策も何か講じる必要があるだろうと、少し話を聞きたかったのだが、残念ながらその取っ掛かりとなるようなものは見つけられなかった。
地道な努力が必要そうだ、とジャーファルはもう一度心の中で呟いて、政務へと戻っていった。
2016/02/28