「はい、これでいいわ」
新しくなった腕輪を見て、ヤムライハはとても嬉しそうに
に微笑みかけた。
どうしてヤムライハがそんなに嬉しそうなのか分からないまま、
はうかない顔で新しくなった腕輪をさすった。
07
外見はあまり変わらないように見えたが、腕輪は以前より大きくその機能を変えていた。
腕輪を自分で外せるようになったのだ。
依然、修行の時以外は付けていなければならなかったが、自分で取り外しが出来るということは、それだけ信頼された証だとヤムライハは言った。
既に、修行が始まってから半年が経とうとしていた。
「よかったわね。これで自由に歩き回れるわ」
腕輪が変わったのと時を同じくして、部屋の見張り番もお役御免となった。
ジャーファルから、もう監視の必要はないだろう、と太鼓判を押されたのだった。それは
を信用してくれたことの証だ。
まだ王宮から一人で出るのは許可されていないが、王宮の中を歩く分には一人で自由に出歩けるようになったのだ。
「……いいんでしょうか」
それに、一番納得出来ないのは当の
本人だった。
やっと最近はちゃんとした防壁魔法が使えるようになって来て、修行にも一段と力が入っている。けれど、いくら修行がうまく行っていると言っても、信頼してもらえるに足るだけの事を自分が成したとは、
は全く思えなかった。
「あたし、まだ、何の役にも立ってないし…」
「
!これは、あなたの日頃の真面目な頑張りが認められたのよ。何かを出来るようになるのはまだ先かもしれないけど、でも貴女は信頼に足ると判断された。だから、胸を張っていいの」
「……はい。すみません…」
どうにも釈然としない風の
にヤムライハは笑いかけてから、さあ修行を始めましょう、と今日もいつも通りに修行が始まった。
その日、午後の修行が始まってからだいぶ経ち、
とヤムライハが休憩をしていた時のことだった。
二人の恒例となっている修行場所に、いつもには無い声が飛び込んできた。
「なんだ、誰かと思ったら魔法馬鹿じゃねぇか」
八人将のシャルルカンである。
半年以上も王宮に住んでいればさすがに八人将の顔と名前くらいは知っていたが、シャルルカンをまともに正面からしっかりと見るのは
にとってこれが始めてだった。
「そう言うあんたは剣術馬鹿じゃないの」
あっという間に、既にシャルルカンとヤムライハにとっては挨拶代わりとなった喧嘩が始まった。
が、それを見慣れない
はどうしていいものかと目を瞬かせてオロオロとした。
互いに罵り合っているのは、このやり取りを初めて見る
にとってはとてもじゃないが健全な状態には見えなかった。
止めに入った方がいいのだろうが、果たしてどうやって止めたものだろうかと
はしどろもどろに右往左往するばかりだった。
「なんだ、そのチビ?」
その内話題がこちらにふられて、
はきょとん、とした。
シャルルカンは訝しんで、高い位置から
を見下ろしている。
「あ、えと……
……です……」
「私の弟子よ!」
「へぇぇ?」
ねめつけるような視線ももはや慣れたもので、特に
はどうとも思わなかった。むしろ、自分に対する態度はそういう態度の方が当たり前だと思っていたので、それを隠そうともしないシャルルカンにだって、
はさして態度を変えることは無かった。
けれど、次いでシャルルカンから出た言葉に
は目を見張った。
「こんな魔法馬鹿が師匠じゃあ、チビも可哀想ってなもんだよな!」
「何ですってぇ?!」
喧嘩の当事者達にとってはいつもの応酬の言葉だったのだろうが、その言葉は
の中の何かを逆立てた。
身体の奥からふつふつと怒りがこみ上げてくるのが分かる。
「……訂正してください」
急にワントーン下がった声に、喧嘩をしていた二人は言葉の応酬をやめて
の方を向いた。
いつもの表情の乏しい顔には、今ははっきりと分かる程の怒りが浮き上がっていた。
「訂正してください。ヤムライハさまは、とてもお優しい方です。とても立派な、あたしのお師匠さまです」
がそう言い終わるのと同時、ピシ、と鋭い音が響いた。
ヤムライハが音のした方を見ると、シャルルカンの右腕に裂傷が出来ている。見ているそばからその傷のすぐ下にまたもう一つ、傷が増える。
が無意識の内に魔法を攻撃的に使っているのだと、ヤムライハは瞬時に理解した。今は修行の合間の休憩中ということで、腕輪を外したままだったのだ。
「
!」
ヤムライハが
の腕を取り、大きな声と共に
を揺さぶる。
その声に、ハ、としたように
の目の色が変わった。
ヤムライハの目を覗きこんで、それから焦ったように目を右往左往させた。
「ごっ……ごめんなさい……」
怯えたような目が、今度はシャルルカンを見上げる。シャルルカンは驚いたように
を見返していた。
はシャルルカンの腕に出来た裂傷を見ると、驚きに目を見開いた後、みるみる内に顔を青くした。
「あっ、あたし……、なんてこと…を……!す……すみませんでした……!」
は勢い良く頭を下げて謝罪した。
自分は、自分は今何をしただろうか。
カッと頭に血が登って、また、また、怒りに任せて魔法を使ってしまったのだ。
背中に冷や汗が伝うのが分かった。
信頼されたと言って自由にさせてもらえるようになった矢先に、これだ。
自分は回りの人からの信頼を裏切ったのだ。
自分を信頼して、もう見張りは必要ないだろう、そう思って自由を与えてくれた人々を、裏切ってしまったのだ。
それどころか、人に怪我まで負わせて。
「す……すみません……、すみません………」
冷や汗が顎を伝って地に落ちた。
自分など、やはり信用に足る人間ではなかった。
ヤムライハ様に教えを乞えるような人間ではなかった。
食客で居て、いいハズがない。
の中で後悔の念が渦巻く。
ヤムライハは大丈夫よ、と殊更元気な声で
に話しかける。
「こんな筋肉馬鹿、つばでもつけとけば治るんだから!」
ヤムライハは手早く治癒の魔法でシャルルカンの傷を塞ぐと、シャルルカンに早くどっか行け、と手を払った。
「なんだよ、師匠が師匠なら弟子も弟子ってか!」
はずっと頭を下げたまま、すみません、ともう一度つぶやいた。
「
ちゃん、あんな奴の事ほっといていいの。もう傷は塞いだから」
は恐る恐る顔を上げる。
ヤムライハがニコリと笑っていることに、また
の中の罪悪感が膨らむ。
ヤムライハ様にまでこんなに迷惑を掛けて、と。
向こうに歩いて行ってしまったシャルルカンを見てから、もう一度
はヤムライハに向き直って頭を下げた。
「すみませんでした、ヤムライハ様……あたし……また……………」
「……、怒りに任せて、魔法を使ってしまったのね」
「………………はい…」
「でも、大事にはならなかったから大丈夫よ。きっと無意識の内に魔法を制限していたんじゃないかしら」
ヤムライハはそう言ってくれたが、けれど
は自分で魔法を止められたわけではないことは分かっていた。
を止めてくれたのは、間違いなくヤムライハだった。
「………でも」
「もとより、悪いのは口汚いシャルルカンの方よ」
「でも、あたし、魔法……を……」
そんな事に使ってはいけないと、そうしないための修行だったはずなのに。
「そうね。でも、あなたはそれがいけない事だってちゃんと分かっているでしょう?
「……はい」
「だから、今度は魔法だけじゃなくて、自分の感情もコントロール出来るようにしていきましょう。ね?」
「…………、はい……。すみません……ごめんなさい、ヤムライハさま…」
はまた、深く頭を下げた。
ヤムライハは真っ青な顔をした
の頭を撫でてあげた。
「今日はもう、修行はここまでにしましょう。……送って行くわ」
「……すみません」
ヤムライハが
を部屋まで送り届けても、
は始終俯いたままで、別れ際にもう一度「すみません、」と真っ青な顔で謝罪の言葉を口にした。
ヤムライハはもう一度、いいのよ、と言ったけれど、
は変わらない調子で頭を下げるばかりだった。
2016/02/20