「はい、これ」
ヤムライハが差し出した物を、
はまじまじと見つめた。
地面に立てると
の胸の位置くらいまで高さのある少し太めの木の棒は、先端がくるくると丸く渦巻いている。
不思議そうに
が眺めていると、ヤムライハは困ったように笑って「あなたの杖よ」と言った。
05
牢屋を出た次の日の朝、湯殿を使った後に部屋で朝食を摂った
が手持ち無沙汰にしていると、昨日の宣言どおり、ヤムライハが部屋まで
を呼びに来た。
言われるがままヤムライハに付いて行くと、辿り着いたのは武器庫と思しき部屋だった。
数ある武器の中から、比較的小ぶりな杖を吟味していたヤムライハは、その内の一つを手に取ると
に差し出したのだ。
「杖…?」
「そう、魔法使いは杖を使って魔法を発動させるのよ」
「……絶対いるもの…なんですか」
今まで何度か、恐らく“魔法”らしきものを発動させたが、一度も杖のような物を使った事はない。
「絶対ではないけれど、杖があった方がルフに命令を送りやすいのよ」
「……?」
「それもこれから勉強して行きましょうね。それより、はい」
「……あたしがもらっても、いいんですか」
「ええ、ちゃんと許可は取ってあるから大丈夫よ」
「……、…はい」
はそろりと杖を受け取った。
少し大きい気もするが、確かにヤムライハも大きな杖を持っている。見た目に反して思ったよりも軽く、持って歩く分にはあまり不便はしなさそうだ。
まだ馴染みのない杖を
は眺めた。
「訓練の時には必ず持って来てちょうだいね」
「……はい」
「じゃあ修行する場所まで案内するわ」
連れて来られたのは、
の部屋がある建物群とは別の建物のようだった。周りでは他にも剣や槍や杖などを持って鍛錬をしている人達がいる。
ここは銀蠍塔と言って、兵士や食客などが鍛錬するための建物なのだと教えてもらった。
「さ、手を出して」
が両手を差し出すと、ヤムライハは自分の杖を
の腕輪の上にかざして何事か唱えた。
すると、木の腕輪に入っていた文様は一瞬光ったと思うと、スゥ、とその姿を消した。
「これで自分でも外せるわ。腕輪、取ってみて」
言われるがまま
が腕輪に手を掛けると、腕輪は何の抵抗もなく外れた。
「まずは、小さな魔法から試して行きましょう。少しずつ、魔法を“使う”感覚を覚えるのよ。慣れてきたら、もっと複雑で大きな魔法が出来るようにしていきましょうね」
そう言ってにこやかに笑うヤムライハに、
は戸惑いながらも小さく頷いた。
それから
は、少しずつ魔法の修行を始めた。
まずは簡単な風魔法から、呪文を混じえての修行。
最初は魔法を発動するのも怖がっていた
だが、ヤムライハが根気よく丁寧にやり方を教え、側で一緒に杖を握って魔法を発動させるようにしてくれたお陰で、意図的に魔法を発動出来るようになってきた。
魔法は計算式によって、厳密に、どのような魔法を発動させるのかが決まっている。けれど、最後にその計算式を実行させるのは、やはり魔法使い自身の感覚に依る所が大きい。
まずは、計算式も要らないような簡単なものから、その“魔法の発動”の感覚を覚えていった。
1ヶ月経った頃には段々と一人で杖を構えて、少しずつ、“魔法の発動”がどういう感覚なのかを覚えてきたようだった。
最初はそよ風のようなものだが、やっとまとまった風を吹かせることが出来るようにもなった。
実技だけでは無く、論理的科学的な視点からも魔法についての学習は行われた。
文字は少ししか読めないと言う
に、ヤムライハは字も少しずつ教えていった。
最初はヤムライハが魔法の論理について口頭で説明し、実際にやって見せたり、
に小さな実験をさせたりもした。
試しにと
にやらせてみた物を、
は思いの外苦労もなくやってのけるだけの才能があったらしく、ヤムライハは嬉々として目を輝かせながら修行に取り組んでいた。
「じゃあ今度はこっちよ、
!」
差し出された丸いガラス球の中には、白い角砂糖が3つほど入っている。
はそれを両手で受け取って、今しがた習った通りのイメージと呪文で、ガラスの中の角砂糖を睨みつける。
最初はカタカタと小さく振動していた角砂糖は、ほんの一瞬、ほんの少し浮いたかと思うと、次の瞬間には粉々に砕け散った。砕けた粒は、そのまま風に巻かれるようにぐるぐるとガラス球の中で回っている。
「すごいわ、
!あなたはやっぱり才能があるわね!」
ヤムライハはよくそう言って
を褒めた。
はどう言って良いか分からずに、とりあえず首を傾げて「はぁ…」と曖昧に返事をするのみだった。
よく見てみれば、ガラス球の中の砂糖は、角砂糖としてくっついていたつぶ同士を離しただけではなく、その粒一つ一つを粉砕したらしく、相当小さくなった砂糖の粒子がまるで雪のようにボール球の中で舞っていた。
その事にも大層ヤムライハは喜んで、
を褒めそやした。
修行が終わると
はまた魔法を制限する腕輪を着けてから、ヤムライハに部屋まで送ってもらった。
そんな日々にも、戸惑いながらもなんとか少しずつ慣れて来ていた。
ただ、気持ちの面ではまだまだ、
は大きな溝を感じていた。
部屋に入り、疲れた体を休めるために定位置となった部屋の隅の“寝床”に横になりながら考えた。
接してみる限り、ヤムライハはとても温厚でいい人だと
は感じている。
けれど、
自身、他人にどう接していいのかが分からないまま、与えられた日々を享受する事に違和感を覚えたのだ。
きっと周りの人間は、自分を恐ろしいと思っているに違いない。
あるいは、自分の力を思うように使うことすら出来ない、出来損ないと思われているかもしれない。
もしかしたら、辺り構わず危険な魔法を使う、危険な人間だと思われているのかも。
そんな
の中に生まれた疑心暗鬼の心が、
が周りの人間の目にさらされる度に
の気持ちを竦ませた。
それに、そう周りが思うのも最もだと
自身が思っている事が拍車を掛けて、
は無意識の内に心を閉ざそうとしていた。
自分で分かっているのだ。
自分が得体の知れない恐ろしい“モノ”であるということを。
だから、ジャーファルや部屋の見張りの兵のように、疑いや警戒を持って自分を見てくる方が当たり前だと思ったし、当然だと思った。なのにヤムライハは、まるで普通の人に接するように、あるいはもっと親密な関係でそうするように、とても親切に接してくれる。
ともすればそれは、まるで本当の“弟子”にするかのように接してくれて、
は肩身の狭い思いをした。
「(あたしにそんな価値、ないのに…)」
親切にヤムライハが話しかけ、教えを説いてくれる度、
は益々困惑した。
果たしてこれで良かったのだろうか、と思わずにはおれなかった。
けれど、ヤムライハと過ごす時間は決して嫌では無かった。
修行と必要最低限の外出を除いては一切部屋から出ていない
は、食事ですらも部屋で一人で摂り、仕方ないと思っていても心の片隅では隠し切れない寂しさがあった。
女将さんに会いたい。
会えば謝る事が先だと分かってはいるけれど、齢9歳の
には何より人が恋しくなったのだ。
母を亡くした
を、暖かく迎えてくれた場所に帰りたい。
そんな思いが時折強く
を襲い、今この状況は有り得ないくらいに恵まれていると分かってはいても、どうしても溢れてくる涙を抑えることは出来なかった。
そんな中で親身に
に接してくれるヤムライハに、知らず心を寄せていくのは、自然の成り行きだったかもしれない。
シーツにくるまって絨毯の上で丸くなった
は、微かに聞こえる王宮の喧騒を聞きながら、眠りに落ちた。
2016/02/07