アラジンがの顔を覗きこむと、熱で魘されて汗をかく苦しそうな表情があった。
アラジンは額の布を水で濡らし直し、静かにの額に載せた。







09








部屋で休んでいるアリババに代わって、この日はアラジンがの部屋に来ていた。アリババにはモルジアナが付いているので、アラジンはアリババが心配していたリコリスの看病にあたっているのだ。
アリババにかかった呪いが払拭されてから半日が経ち、今日明日中にはアリババは眼を覚ますだろうと医者は言っていた。
対して、は熱の身体を押してアリババの回復を夜通し待っていた事が災いして、最近の中でも特に酷い高熱を出してうなされていた。上気した頬は赤く染まり、吐く息は荒く速い。時折呻いたり、うわ言のように何かを呟いたりする。
アラジンはを見ながら、眼を細めた。
彼女のルフは、とても、とても、濁った色をしている。
それに、形が安定しない。
濁ったと言っても堕転するような濁り方ではない。
王子を失った事で彼女が呪ったのはきっと運命ではなく、自分自身だったのかもしれない。
うわ言の中の“おうじ”と言う言葉を拾う度、アラジンは顔を曇らせた。











その日の夜、夕食後にアラジンがの部屋に居ると、ドアがノックされる音がする。
アラジンがドアを開けると、立っていたのはアリババだった。

「アリババくん!眼が覚めたんだね。もう体調はいいのかい?」
「俺の方はもうすっかり元気だよ。アラジンが魔法を解いてくれたんだってな。ありがとな、アラジン」
「うん!元気になって良かったよ!」
「ああ、ありがとう!」

二人はにっこりと笑い合ってほんの少し和やかに立ち話をしていたが、それも束の間で、すぐにアリババは少し眉根を寄せて声のトーンを落とした。

「それで、さんが体調崩してるって聞いたんだけど…」
「うん……。熱、全然下がらないんだ」

二人は部屋に入ってベッドサイドに歩み寄る。アリババは暗い顔での様子を伺っていた。

「……アリババくんの魔法を解いている間、ずっと扉の外で待ってたんだって。お姉さん、熱があって安静にってお医者さんに言われてたのに」
「……そっか」

体調を悪くして寝込んでいる、とつい先程アリババもモルジアナから聞いたばかりだった。
もしかしたらと思ったが、やはり、自分が呪いにかかった事に関係していたと分かって、アリババは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「ホント、無茶な人だよな…。普段はすごく大人しい人なのに、突拍子も無くそういうことするんだから…」

アリババはそう言って眉尻を下げた。
知ってる。
彼女がそういう行動を起こす時は、いつだって“おうじ”が関係しているということを。
それがいつしか、アリババに置き換わっている事も。

「………おうじ…」

ぽつり、呟かれた言葉にアラジンとアリババはの顔を覗き込んだ。
眉間を寄せ、時折苦しそうに、何かから逃れるようには小さく首を振る。

「………もうし、わけ、……」
さん……」

うなされるにアリババはそっと声を掛ける。
けれどは眼を覚まさない。
瞼は固く閉ざされていた。

「どうか、……お許し、ください…どうか………。申し訳、ございません……。申し訳、ござい、ませ……」

そう言って、は涙をこぼした。
アリババの見る、始めてのの涙だった。
どんなに辛くても、嫌な過去を思い出しても、唇を紫色にして震えていても、決して涙を流さなかったが泣いている。
アリババは心臓を鷲掴みにされた気がした。
涙は両の眼から止めどなく流れて止まらない。
流れる涙を見てしまったら、アリババはもう何も言えなくなった。

「もうし、わ、け……」

アリババはの頬を流れる涙を、額に置いてあるタオルで拭ってやった。
サイドテーブルにある水でタオルを洗ってやりながら、知らず、悪態をついた。

「くそ……」

ぽたり、とアリババの頬から落ちた涙が、桶の水に波紋を作る。

さんは、きっとまだ許せないんだ。自分を……」
「……うん…」
「いつまでも自分を責め続けて、王子に許してほしいと言い続けてるんだ…」
「……そうだね……」

アリババは自分の目元をぐいと拭いて、洗ったタオルを再びの額に乗せた。
ベッドサイドの椅子に腰掛けて、深い溜息をつく。
それからそっと、の手を握ってやった。

「なんとかしてやりてぇよ…」

誰かに言うためではないだろう、独り言のようにアリババは呟いた。
アラジンはそんな様子のアリババを見て、次にの方を見てから、うん、と一つ頷いた。

「そうだね。もう、お姉さんが苦しむ必要は無いんだ。アリババくん、僕に任せておくれよ」
「え…?」
「ちょっと反則みたいだけど、今回は特別だよ」

パァ、とアラジンの額が光りを放つ。
アリババは眼を見開いた。バルバッドやザガンで見た、あの不思議な魔法を使おうとしているのだと理解する。

「――ソロモンの、知恵!」
「!!」
「アリババくん、ちょっと行ってくるね」
「あ、ああ……頼んだぜ!」

そうしてアラジンはの中へと入って(、、、)行った。









「居た、あの人だ!」

アラジンはルフの大いなる流れの中から、一人の青年を見つけ出した。
まさしく、先ほどの中で見た、の敬愛してやまないかの王子だった。
そのルフへと語りかけ、なんとか一時だけでも戻ってくるようにと説得し、アラジンは彼を連れての居る部屋へと意識を戻した。
部屋に戻ると、アリババが驚いたような顔で二人を出迎えた。

「この人が…」
「うん。お姉さんが仕えていた、ルカス王子様だよ」

茶色の髪。
優しそうな緑色の眼。
利発そうな顔立ち。

その彼が、まさにのベッドサイドに立っていた。
アリババはじっと“王子”を見た。
歳の頃で言えばアリババと同じ位。背も、恐らくそんなに変わらない。

。ねえ、起きてよ

柔らかい声がに話しかける。
王子の小さなその声に反応したのか、ゆっくりと、薄く、が眼を開けた。
アラジンとアリババは顔を見合わせる。
眼を開けたは視線を少し彷徨わせた後、王子へと視線を行き着かせた。
そうして驚いたように、の眼がゆっくりと見開かれていく。

「……王、子……っ!?」
『うん、そうだよ』

王子は困ったように、それでも再会を喜ぶように微笑んだ。

『大丈夫かい?また無茶をしたんだね。いつも言ってるでしょう、後先考えずに行動しちゃダメだって』

は信じられない物を見るような眼で何度か瞬いて、それから上半身を起こそうと動いた。
それを支えてやろうと王子が手を出す。が、その手がを掴めないことを知ると、悲しそうに、申し訳なさそうに、アリババに視線を寄越した。
アリババは何も言わずに、の身体を起こす手助けをしてやる。
上半身を起こしたは、王子に向かって必死に口を開く。

「王子……王子、私はずっとあなたに謝らねばと……!申し訳ございませんでした。私が、私に力が無いばかりに…!」
。あれはのせいじゃないよ。誰も、どうしようも無かったんだ』
「ですが…!ですが、王はおろか奥方様も、王族のご兄弟も、貴方様も、みな、みな……!」
『うん…そうだね。とても悲しい出来事だった。でもあれは王族の責任でこそあれ、、お前の責任なんかじゃないんだよ。お前がそんなに気負ってどうするんだい』
「でも…!」
の悪いくせだね。お前一人で背負ったってどうしようもないんだ。ね、。笑ってごらんよ。そうすればきっと、もっと気分が楽になって、もっと広い周りの事が見えるハズなんだ』
「―――」
『そうしたら、もう大丈夫。お前は自分で道を切り開く術を持っているもの。ね、。だから大丈夫だよ』

優しい瞳は、朗らかに笑って見せた。
の眼から涙があふれる。

「王子…!」
『ふふ。珍しいね、がこんなに泣いてくれるなんて』

王子の眼からも、涙がこぼれていた。

『お酒…一緒に飲めるの、楽しみにしてたんだけどな』
「はい…、わたくしもでございます」

二人は静かに見つめ合い、静かに涙を流して微笑みあった。
清々しい、けれど悲しい笑みだった。

『もう道が交わることはないけれど……でも、私はを見守っているよ。父上も母上も、みんな、ね』
「はい…!」
『ああ、もう時間みたいだ…。ありがとう、マギよ。そして、眩しいくらいに輝く君も。どうかを導いてやって欲しい』

王子はアラジンとアリババの方を向いて言った。
二人とも力強く首肯して、それに応えた。

、元気で居ておくれ。――じゃあね!』
「……はい!」



王子は笑った。
も、花が咲くような満面の笑みでそれに応えた。



先ほどまで王子を象っていた光はあっという間に霧散するように弾けて、後には何も残らなかった。



部屋には、の咽び泣く声だけが木霊していた。














2014/05/14

愁嘆の深淵に木霊する 09