10
アリババは明日に出発を控え、
の部屋を訪れていた。
「リハビリ、順調か?」
「はい。だいぶ動けるようになって参りました。最近では走ったりも出来るんですよ」
そう言って、
は椅子の上で背筋を伸ばした。
はあの一件以来、めりめりと体調を回復させて来た。まだ熱を出したりすることもあるが、どこか吹っ切れたようにその表情も変わり、今では毎日リハビリに精を出している。
「本当に、アリババ様とアラジン殿のおかげです。ありがとうございました」
「それは
さんの努力の賜物だろ。なんだよ急に改まって」
「いえ、お二人のご助力がなければ、本当に私はここまでは来られませんでした」
明日にはアリババ・アラジン・モルジアナはシンドリアを発って、それぞれの目的地に向かって旅立っていく。
彼らがそれぞれの道を決めたように、
もまた、自分の道を決めていた。
命を拾ってくれたシンドリアのために、出来る事をしよう、と。
そうしていずれは、自国のために何か出来るようになろう、と。
そのためにリハビリを重ね、いずれはシンドリアの兵士として志願するつもりだ。
「それに…アラジン殿は本当にすごいですね。初めは夢なのだと思っていました」
あの時の事を振り返ると、
は今でもあれは夢だったのではないかと思う事がある。
けれど、あれは夢では無かった。
アラジンは“マギ”という存在で、彼だけに許された特別な力なのだと。
この国の事やルフの事など様々な事柄も学んでいる最中だ。
この国には、とりわけ迷宮やそれにまつわる金属器やジンと言った知識についての情報量は大量にあった。
この短い期間の勉強だけでも、マギがいかに貴重な存在であるのかは理解出来た。
その恩恵に預かる事が、どれだけ幸福な事だったのかという事も。
「私はずっと許されたいと思っておりました。けれど、王子は謝る必要すら無いとおっしゃってくださった。……救われる思いが致しました」
そう言って
は、ほんの少し口角を上げた。
は王子に再会出来たあの日から、“感情”を取り戻したようだった。
とは言ってももともと根が真面目なのだろう、そう簡単に笑ったり、ましてや泣いたりはしなかった。けれど、それでも以前に比べれば格段に表情が柔らかくなって、シンドバッドやジャーファルはその変化に大層驚いていた。
「時にアリババ様、明日出発との事ですが…アラジン殿とは仲直りされたのですか?」
「あー、それは、まあ、まだ……なんだけど」
「差し出がましい事を承知で申し上げますが、今仲直りせねば後悔致しませんか?」
「いや、なんつーか…引っ込みがつかなくてな。大丈夫だよ。船だって一緒だから、船の中でまあなんとかなるだろ。あ、これアラジン達には内緒だぞ!驚かそうと思ってんだから」
「左様ですか…心得ました」
そう言って、ふふ、とそれでも控え目に
は笑った。
その様子を見てアリババも微笑んだ。
二人はささやかな話題に花を咲かせ、これから話が出来ない分を補おうとするように、しばらく話し込んでいた。
明朝、アラジン達よりも先に船に乗り込むというアリババを見送りに、
も朝早くに起きて一緒に港までの道を歩いていた。
通りの店では、開店の準備のために人が忙しなく動いている。
「結局、一緒に町を見て回るのは出来なかったなぁ」
早朝の喧騒を横目で眺めながら、アリババは少し残念そうに呟いた。
は最近でこそなんとか外を歩けるようにもなっていたが、しかし今はアラジンとアリババは冷戦状態で、とても町を見て回るという感じではなかったのだ。
「そうですね。けれどみなさまが帰って来てから、もしよろしければ、町を見て周りたいものですね」
「そうだな。その時までのお楽しみって事にしとくか」
「はい」
港に着くと、既にアリババ達の乗る船も出港の準備が始まっていた。
アリババは船付近に居る船員に話しかけて、先に乗せてもらえるように頼むと快く了承してもらった。
「よかった、先に乗せてもらえるみたいだ」
「はい」
「今日は朝早くから悪かったな、まだ本調子じゃないってのに見送り来てもらって」
「いえ、滅相もございません。他の方々はよろしかったのですか?」
「うん、他の人達には昨日の内に挨拶を済ませてあるんだ」
「そうですか」
「うん」
「……………」
「……………」
「………じゃあ、
さん。行ってくる」
「―――」
は何か言おうと口を開いたが、すぐにその口を閉じた。
代わりに、片膝を地に付き、左手は立てた膝の上へ置き、もう片方の手は手のひらをピンと伸ばして自分の心臓の上に置いた。
そうしてゆっくりと、アリババに向って頭をさげた。
「ご自愛ください。レームにての生活につつがなけれと、シンドリアより祈念致しております」
「――!
さん……」
は顔を上げ、下からアリババを見上げた。
澄んだ瞳が見返している。
「わたくしも、わたくしに出来る事をしようと思っております。アリババ様も、何卒、成し遂げるべき事を成し遂げてください」
「――」
「お帰りをお待ちしております」
「―――ありがとう!」
ニッ、とアリババは、それでも少し照れくさそうに笑った。
も少し口角をあげてそれに応える。
アリババは手を振りながら、颯爽と船に乗り込んで行った。
はアリババの姿が見えなくなるまで、その場で見送っていた。
しばらくして、アラジン、モルジアナ、煌帝国の皇子と、その見送りの一行が港へとやってきた。王が来たこともあって、港は先ほどとは打って変わって活気に満ちていた。
はアラジン達とも別れの挨拶を済ませると、見送りの一行の後ろの方で静かに船出を見送った。
いつか、自分も船に乗って故郷に帰れる日が来るのだろうかと、そんな事に想いを馳せながら。
「アリババくんにお別れは言えましたか」
見送りの一行が帰る際、木陰に座り込んで休んでいる
を目ざとくもジャーファルが見つけて、声を掛けてきた。
「政務官殿。はい、無事見送る事が出来ました」
「そうですか、それは何より。所で、顔色が優れませんが、自分で帰れますか」
「――全く、政務官殿には隠し事は出来ぬと見える」
「あなたはすぐにそうやって無茶をするのですから」
「面目ない。けれどそれももうしばらくはないでしょう」
「………、そうですね」
ふふ、と寂しげに笑う
に、ジャーファルはどう反応すればいいのか分からず複雑な顔をした。
「大丈夫です。このくらいの距離、自分の足で帰れます。私はこれから、まだまだせねばならぬことが沢山あるのですから。これくらいで根を上げるわけにはいきません」
「…そうですね。では、私は先に行きますので。無理せずゆっくりと帰って来て下さい」
「はい。ありがとうございます」
そう言ってジャーファルは先を歩いている王の元へと駆け足で戻って行った。
――私も、こんな所で二の足を踏んでいる場合ではない。
――これから、せねばならぬことが山のようにあるのだから。
は大きく深呼吸をして、立ちあがった。
海を振り返り、もう随分と小さくなってしまった船を見つめる。
――大丈夫。私は、前へ進める。
踵を返して、王宮へと歩み始めた。
その歩みは今はまだゆっくりとだけれど、けれど、これからは―――
は前を見据えた。一度も、振り返らなかった。
<完>
2014/05/21
お付き合いくださりありがとうございました。