―――
闇の中から、自分を呼ぶ声がする。
はい、
はそう答えたつもりだったが、けれど声は音にはならなかった。
―――
自分を呼ぶ声がする。
最初は穏やかだった声は、
、
、と何度も名を呼ぶ内に、段々と苦しそうな声音に変わっていく。
はなんとか応えようと口を開くのに、声が出ない。
呼ぶ声の元へ駆け寄ろうとするのに、体が動かない。
―――
、
…!
それは最後には絶叫に変わっていた。
側に駆け寄って行けない事が歯痒い。
今すぐにでも行って差し上げたい、なのに声が、体が、言う事を聞かない。
―――助けておくれ、
ッ!!
「(ああ、この声は―――――!!)」
04
「王子……っ!!」
「うわっと…!?」
は突然覚醒した。
激しい動悸がする。
ハァハァと自分の大きな息遣いが耳に入って、今まで自分が眠っていて、そして今覚醒した事を知る。
同時に、目の前に金髪の青年が居ることに目を見開いた。
相手も
と同じように、とても驚いた表情をしている。
「びっくりした…」
「……、アリババ王子殿下……どうして、こちらに?」
ここは中庭にある大木の、木陰の中だ。
は今日も軽い運動を兼ねた散歩の途中、あまりにいい天気だったので、外で休憩などしようと大きな影を作る大木の根本に腰を下ろしたのだ。
どうやら
は、そのまま眠ってしまったらしかった。
「いや、たまたま通りかかったんだけど…、なんだかうなされてたみたいだったから起こそうかと…」
起こそうとした時に
が目を覚ましたということだろう。
「えー…っと?」
アリババは躊躇いがちに自身の右手を見た。
アリババの右手を
の右手が掴んでいた。
気まずそうに言うアリババに、
はやっと自分がアリババの手を握っている事に気がついた。
ぱ、と手を離す。
「も、申し訳ございません、アリババ王子殿下。とんだご無礼を…」
なぜそうしたのかは覚えていない。
どうしてこうなったのか、覚醒する時の事を思い出そうとして、そういえば、と夢の内容を思い出す。
―――あれは、王子の声だった…
「えーっと、貴女は確か3つ隣の部屋に住んでる……」
「…はい、
と申します」
「
さん。顔色相当悪いですよ。部屋まで送って行きましょうか?」
「…。…いえ、大丈夫です。少し休めば自分で戻れますので……ありがとうございます、王子殿下」
アリババはそれを聞くと、少し考えるような素振りをしてみせて、それからへらりと笑った。
どこか、何かを我慢したような、けれどそれを隠そうとしているような、そんな笑みだった。
「あの、その王子殿下っての止めませんか?えっと、もう俺、王子じゃないんで」
頬をかきながら、なんともない事のように、ハハハ、と笑う。
アリババに無理に笑みを作らせてしまったのだと気付き、
は更に申し訳ない気持ちになった。
王子であった事は間違いなさそうなのに、今はもう王子ではないと言う。その経緯は分からないが、きっとアリババにも何か深い事情があるだろう事は察しが付いた。
「…それは、重ねてのご無礼、申し訳ございませんでした、アリババ様」
「いや、様もいらないんですけど…
さん、もしかしてバルバッドの出だったり?」
「いえ、違いますが…」
「じゃあ、全然アリババでいいですよ」
「いえ、あの………、はい……」
「あ、隣、いいですか。俺もいい天気に釣られて外に出てきたクチなんで」
「…、もちろんです。どうぞ」
本当は、部屋にいては余計に気分が落ち込むからと部屋から半ば強引に放り出されたのだが、アリババはそんな事はおくびにも出さなかった。
このまま立ち去っても良かったのだが、あまりの
の顔の青さと、それから先程の
の言葉に、アリババはこのまま立ち去ってはいけないような気がした。
先程
は、目覚める間際に“王子”と言った。いや、あれは叫んだと言った方が正しいだろう。
それくらい、
は必死の様子だった。
恐らくこの時
が言った“王子”はアリババの事ではないし、無関係と言われれば全くその通りだ。
数日前に
がアリババ達の滞在する部屋を訪った際にも、アリババと
は全く言葉を交わしていない。
けれども、なんとなく、アリババは気になったのだ。
の、能面を貼り付けたような無表情の中に垣間見える、一抹の不安が見えてしまったから。
アリババはしばし、
と言葉を交わす事を選んだ。
しばらく二人は、静かに木陰に座っていた。二人の間には、遠慮から出来た人一人分くらいの間がある。
雲一つない、いい天気だ。
海の色をした真っ青な空が、果てしなく広がっていた。
時折拭く風が、枝葉をゆらして涼しげな音を奏でる。
しばらくしてから、アリババの口をついてふと、疑問が飛び出した。
「さっき、目が覚める時に王子って言ってましたけど……?」
アリババの言葉に、
が一瞬息を詰める。
アリババは
を見ない。
も、アリババを見なかった。
アリババはただ自分のつま先を見つめた。
「…すみません、なんか気になって」
「……いえ、大丈夫です」
そうして、
は静寂を胸に吸い込み、体から緊張を逃がすように息をはいた。
「私は“王子”と言っておりましたか」
「…、ええ、そう言ってました」
「……そうですか」
そうして少し逡巡した後、
は何かを思い出すような遠い目をして、小さく口を開いた。
「私は西方の小さな国で王家にお仕えしておりました。6人居る王のお子の中で、末の王子が私の主で……その、末の王子のお声を夢で聞いたような、そんな気が致しました。だからだと――思います」
「―――そうなんですか。………すみません、嫌なこと思い出させてしまって」
「いえ、謝るような事は何も」
アリババと
は、当たり障りの無い内容を、それでも言葉少なに語った。
アラジンとモルジアナの事。
二人との出会い。
ジャーファルとマスルールの事。
シンドリアの事。
シンドバッド王の事。
二人とも、お互いの身の上話には極力立ち入らないように話題を選んだ。
一つの話自体があまり長くは続かない、けれどそんな事はどうでも良かった。
二人とも、どこか、似た心境をしていたからかもしれない。
まだ身の上を話すには、時間も経っていないし、そもそもお互いにお互いをそんなに知っているわけではない。
けれど、だからこそ、二人は何も知らないフリ(、、)をして話が出来る。
どのくらいそうしていただろうか、赤髪の女の子がアリババを呼びに来るまでのそんなに長くはない時間、二人はそうして静かに語り合った。
「アリババさん、お昼の支度が出来ました」
「モルジアナ。悪いな、今行く。
さん、じゃあ、また」
「はい、アリババ様。……また」
様はいらないと言っているのに、どうにも
はアリババの事を様を付けて呼んでしまうようだった。
その事についてはアリババはもう何も言わなかった。
“王子”、二人を結びつけたその言葉に、きっと何か意味があるのだろうとアリババも何となく気がついていたから。
王子に仕えていたという
。“元”王子であるアリババを前に、丁寧な言葉使いや呼び方をしてしまうのは、もはや無意識なんだろうと思った。
二人はまだ、お互いがどうしてシンドリアにいるのか、それぞれの身の上についてはほとんど知らない。
けれど、今の二人の雰囲気はどこか似ていた。
だからかもしれない。
本当は、二人とも、もっと話たいと思っている。
自分の国について、自分の民について、自分の成した事について、誰かに聞いてもらいたいと、そう思っている。
思っているけれども、仔細を思い出して説明し、思いを語り合う事が出来る程には、まだ二人の心の傷は癒えて居なかった。
それほど深い傷を負っていた。
後ろ髪を引かれる思いで二人は別れた。
2013/09/23