<< Sunday : Day 7 >>






異変が起こったのは、日曜日の夜だった。


土曜日には303号室の居間で2度ほど霊障が起こったものの、滝川とジョンの見事な除霊さばきで事無きを得た。真砂子もも、それらは兵士本人ではなく、使役された霊であると断言した。その時はその場に兵士の霊は現れなかった。
夜が明けてからは一旦人形を隠し、それぞれ交代で仮眠を取ったり食事を摂ったりしていた。
昨夜の緊張感はそこには無く、などは昼間は普通に自室に戻って大学のレポートを書いていたりしたくらいだ。
けれど陽が暮れる頃にはまた303号室にメンバーが戻り、作戦の2夜目が静かに始まった。






16







ドン、と音がしたのは日付が変わって少しした頃だった。

「ナル。気温が下がります」

同時にモニタを見ていたリンが言った。
リンに言われるまでもなく、いくら深夜とは言っても夏にほど近いこの季節では有り得ないくらいに部屋は肌寒くなってきていた。
いくらかのんびりしていた空気が、途端に緊張したものに変わる。

「霊が近づいて来ますわ」
「……本丸のお出ましだ」
「兵士の霊か、?」
「みたいですねぇ。でも、その前に色々と来そうですよ」

短い問答が終わるか終わらないかの所で、バチ、と異様な音と共に電気が消えた。外部電源からとっているはずの機器なども全て電源が落ちている。

皆が息を潜める中、ドン、と大きく壁が鳴る。
何かがものすごい力で壁を叩いているような音。それを皮切りに、次々と部屋に色んな音が響く。

ドン、ドン、と壁を叩く音。
何かを引っ掻くようなカリカリという音。
相当数の僧侶が唱えているかのような読経の声。
人が走るようなバタバタという音。
甲高い悲鳴のような声。

今までの静寂が嘘のようなひどいラップ音に、は思わず耳を塞ぎたい衝動にかられた。
けれど、それがある時を境にフ、と消えた。

「………」

突然訪れた静寂に、みな口を閉ざして次に起こるであろう変事に身構えていた。



最初に見えたのは、目、だった。



宙空に一対の目玉が浮かんでいた。
少しずつその目の周りに煙のようなものが凝り固まっていき、人間のようなあたかも実体であるかのような形を象る。
それがいくつもいくつも、現れた。
一応人間のような形を作っているそれらはしかし、完全には人間とは言えず、眼球がこぼれ落ちているもの、片腕がもげているもの、首の無いもの、多種多様な様相を呈していた。
そのまるでゾンビ映画に出てくるような霊が、大挙して押し寄せてくる。

「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
「臨兵闘者皆陣列在前!」

それぞれが口々に真言や九字を唱え、霊に相対した。
仕方ない、と言わんばかりに、も右手で軽く剣印を結ぶ。
出来るだけ出力を押さえる時には、このように錫杖を使わず簡易な剣印だけで済ませるのだ。
とりあえず動きを封じるために剣印を払って弱い気を霊にぶつける。足がもげて動きが鈍くなった霊を、滝川やジョンが除霊していった。
数はそれなりに居たが、それぞれは真言一つで掻き消えるような脆弱なものばかりで、そう時を経ずして最後の一匹が麻衣の九字によって消滅した。

「おおーう、ゾンビ映画より迫力ありますねぇ」
「……お前さんはもうちっと緊張感を持てよ」
「おっとこりゃスミマセン」
「……」

軽い問答で一時空気は軽くなったが、びくり、と突然真砂子が肩を揺らして振り返った。
真砂子の視線の先には佐久間の人形があった。

「兵士の霊ですわ……」

達のいる場所の向かい側の壁に、顔だけが浮かびあがっていた。
落ち窪んだ目の中で、鋭い光を湛えた目がぎらりと佐久間の人形を睨む。
それがゆっくりとこちら側にのめり出し、段々とその身体が壁から姿を現す。
兵士の様相をした細身の男だった。
腰には帯刀し、帽子をかぶっている。
頬は削げ落ち、骨と皮だけのような四肢が随分と心もとない印象を受ける。
口から吐く息は黒い瘴気となって地面を這い、踏み出す足元にたゆたっている。

「手札が無くなって自らお出ましになったらしい」
「でも……一人ですわ」

真砂子は足早に人形の横まで歩いて行った。
そうする内にも、兵士の霊はこちら側へと歩みを進める。
それはだいぶ覚束ない足取りで、既に相当疲弊している様子が見て取れた。
滝川とジョンが真砂子の前に出る。麻衣が真砂子の横で剣印を結んで待機する。

「待って下さい。お話を…させてください」

ゆっくりと近づいて来る霊に、けれどジョンと滝川は霊を睨み据えたまま、その場で静止していた。

「もう、戦争は終わりました。ここに住む人達は、みんなあなた方のお味方ですわ」


『……………、出テ行け………』


ぼんやりと、声が聞こえる。
かさかさでほとんど水分のない霊の唇が、微かに動いている。


『我らハ……守らネば、ならヌ……。命に、カエてモ……』

「あなた方の守った日本で、わたくし達は生きています。幸せに、暮らしています。もう、あなた方の仕事は終わったんです」

スラリ、と霊が刀を抜いた。
滝川とジョンが身構える。

「待って、まだ…!」

真砂子が止めようとするよりも早く、兵士の霊が刀を振り上げる。
それ目掛けて振りかけたジョンの聖水が刀に当たると、刀は形もなく溶けて無くなった。

「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」

続けざまに滝川の放った真言で、兵士は足を失い地に付した。
横倒しになった霊に追撃を仕掛けるまでもなく、霊は既に、ほとんど消えかけていた。
真砂子が兵士の方へと歩み寄る。

「真砂子、近づくな」
「もう…力は残っていませんわ」

滝川が止めるものの、真砂子はゆるく首をふってから、そっと兵士の横へと膝をついた。

「下に光が見えますかしら……どうぞ、休んでください。もう、あちら側へと行ってもいいのですわ」

『…お……う………』


兵士の落ち窪んだ瞳から、数滴の涙がこぼれ落ちる。
虚ろな目は、けれど真砂子を見上げていた。


『………君たち、は、……今……お腹いっぱい……食べられて…いる、か……?』


兵士の身体からは暖かな光が漏れ始めていた。
それと同時に、削げ落ちていた頬も、落ち窪んだ目も、かつてはそうであったであろう若々しい顔立ちへと戻っていった。
それは、麻衣や真砂子と同じ年頃の青年だった。

「はい」

真砂子は穏やかに頷いた。
兵士の霊は仄かに微笑んで、淡い光に包まれて、消えた。

「……………、……浄化しましたわ」

真砂子は淡く弾けた光を見届けてから、軽く目元を押さえた。麻衣がその横に寄り添って、同じく目に涙を浮かべながら、真砂子の背をゆっくりと撫ぜていた。
部屋は、何事も無かったかのように、パチリ、と明かりがついた。
皆一様に、どこかほっと息をつく。
とりあえず、作戦は半分程は成功したらしい。

「ふう…一人の方はどうにかなったみたいだな。もう一人も出てくるまで作戦を続けるかい?」

軽く伸びをしながら滝川が言った。
一人目はなんとかなったが、肝心のもう一人の黒幕がまだ出て来ていない。

「そうだな、――」
「いえ、その必要はありません」

ナルが何かを言おうとしたのを制して、が口を開く。一斉に皆の視線がに向けられる。
は天井を見つめていた。
その目は、鋭い。

「どういうことだ、
「さっきので、もう一人がどこに潜んでいるかは分かりました」
「どこだ?」
「――…人には入れない場所です」
「人には、入れない?」
「なんと言えばいいのか。闇と現世の狭間、とでも言いますか」

は依然として天井を睨みつけたまま言う。

「じゃあやっぱり出て来るのを待ってるしかねぇんじゃねーの、ちゃんや」
「私が行ってきます。さっきの人とは違って、もう一人は既に闇に堕ちきって悪霊になってる。滅するより他ありません」

先ほどの霊だって、彼もだいぶ悪霊に近い所まで来ている、とは感じていたし、滅する方が遥かに現実的であるとも思っていた。弱っていたし、それは滝川やジョンに任せるつもりでいたけれども。
けれどその実、彼は真砂子の声に耳を傾け、最後には涙をこぼしながら浄化していった。
まだ彼は、堕ちきって(、、、、、)はいなかったのだろう。
けれど、今もまだ闇の奥深くでこちらを睨み据えているあれは、あの霊だけは、もうどうにもならないだろうとは思う。

「お一人で大丈夫でっか?」

ジョンの心配する声には天井から視線をずらすと、いつものようににへら、と笑った。

「ええ、大丈夫でしょう。けど体を空にして行きますので、出来れば体は見ていてもらえると有り難いんですが」
「ああ、そりゃ俺たちは構わんが…どうする、ナル坊?」

視線を受けたナルは、そうだな、と軽く前置きしてからに向き直った。

「危険なようなら一人で行かせるわけにはいかない。どのくらい確証がある?」
「うーん?だいぶ弱ってる今なら結構余裕だと思うけど」
「あたしも行く」
「…麻衣?」
を一人でなんて行かせられないよ。あたしも、行く。何が出来るか分かんないけど、でもを一人で行かせるよりかはマシだと思う」
「うーん……確かに麻衣は体外離脱に慣れてるみたいだけど、単調な情報収集と違うんだよ?そこそこ訓練してる人間ならまあいいけど、麻衣はやっぱり危ないと思う」
「いや、麻衣も連れて行ってくれ、
「え?いいの?」
「これでも一応、校舎に巣食う強力な霊達を一人で浄霊した実績がある。手伝いくらいは出来るだろう」

は驚いて麻衣を見た。
九字も切れる麻衣が只者では無いことは分かっていたが、それだけの浄霊能力を持っていたなんて。
それに、ナルがその能力について太鼓判を押しているということが尚の事珍しく思えて、はいいよ、と口の端を上げて言った。

「そういう事なら、付いて来てもらおうかな」
「うん!」
「大丈夫ですか、麻衣さん?」

心配そうに尋ねるジョンに、は笑ってみせた。

「大丈夫、私が居るからね。もし危なくなったら、強制的に送り返すし。だから安心して待っててくださいな」

そうして、と麻衣が最後の除霊を行う事になった。









2015/04/02

蘇った守護者達 16