10
終電の1本前の電車に乗って、
は住んでいるマンションの最寄り駅まで辿り着いた。
既に日付も変わって、電車にはそれなりに人も居たが、家までの道のりは人通りもだいぶまばらになっていた。
それなりに飲んでいい気分だがいつもとは変わらない足取りで、
はマンションまでの道を歩いていた。日付が変わったといっても24時間営業しているコンビニなどの明かりで、通りはだいぶ明るい。
そのコンビニの前を通り過ぎようとしていた所で、コンビニから放たれる明るい光がちょうど途切れた暗がりに人が立っているのに、
は気がついた。
それが霊だという事はすぐに分かった。
暗がりにいるせいで顔は見えないが、その気配は例え酒が入っていたとしても間違えるはずはない。
生気の無い、死人の気配。
夜、光の届かない暗闇に霊がうろついていることは珍しくない。
も別段驚くでもなかったが、しかしその霊の前を通り過ぎようとした所で
は呼び止められた。
もちろん、その霊に、である。
「
さん」
その霊は
の事をそう呼んだ。しかも最近では聞き慣れた声で。
が立ち止まるとその霊は暗がりから出て来た。
霊のくせに(、、、)しっかりとした足取りで出て来たそれの顔を見て、
は今度は目を見開いた。
その顔が、最近調査に来ている某心霊調査事務所の所長様に瓜二つだったからである。
「……」
声は同じ。
顔も同じ。
服装も同じ。
けれども、生きた人の気配ではない。
ならば、今日
が大学に行っている間に所長がご臨終あそばされて、それで
の前に化けて出たとでも言うのだろうか。
はしばし、その霊を上から下まで穴が空くほど見ていた。
どう見たって、姿かたちは渋谷そのものである。ただ死んだ人間特有の気配を除けば。
そんな様子の
を見て、目の前の“所長らしき霊”は再び口を開いた。
「
さん。話を、聞いて欲しいんだ」
「……、あなたは……渋谷さん……ですか」
「……」
その問に霊は答えない。
その代わりに霊は仄かに笑った。どこか“困った”とでも言うかのように。
「随分とはっきりとした意識をお持ちのようだけど。ご自分が亡くなっている事には気がついてますよね?」
「うん。僕はもう死んでる」
そう言って、素直に首肯した。
渋谷にしては物腰が柔らか過ぎるような気もする、と
は思った。
名乗るのを躊躇しているようではあるが、どうやら自分が死んでいる事はしっかりと理解しているらしい。
霊がナルの姿を借りているのかとも思ったが、そんな事をする意味が分からない。第一、その姿は偽っているもののようには見えなかった。姿を偽れば必ず何らかの違和感が生じたりするものだが、それが全く無いのだ。
「とりあえず、名乗ってもらえませんか。話はそれから聞くかどうか考えますんで」
「……そっか。困ったな。嘘をついてもすぐにバレてしまうだろうしな…。……僕は、ユージンと言います」
困ったように仄かに笑ったまま、その霊はユージンと名乗った。
良かった、と
は少し安心した。渋谷が死んだというワケではないようだから。
確かに、もし仮にここで彼が渋谷一也だと名乗ったとしても、次に生きたナルに会えば、目の前の“彼”が偽物だということはすぐにバレてしまうだろう。
それにしても、どう見ても日本人に見えるのに“ユージン”とは、外国人だろうか。
「ユージン、さん。あなたは渋谷さんのご兄弟……かな?」
「……うん、そうです。兄弟でした」
これだけ似ているのだから親戚というのもないだろう。兄弟と言われれば、まだ分かる。
けれども、それにしてもよく似ている。
口を閉じて無表情にしていれば、どちらがどちらかは分からないだろう。
「双子…とかですか、もしかして」
「うん。そんなに似てるかな」
「そりゃあ、もう」
はぶんぶんと首を縦に振った。それにもまた、ユージンは苦笑を返す。
ユージンが渋谷の兄弟ということは、渋谷は外国人なのだろうか。“渋谷一也”という名前は日本名か、あるいは偽名か。
はじっとユージンを眺めてから、ある点に気がついた。
「あなた、もしかして今日の朝……もう昨日の朝ですか、大家さんの奥さんの除霊の際に一瞬出て来た…よね」
「――驚いたな。あなたは気がついていたんだね」
「ええ、まあ…」
昨日の朝の除霊の際、一瞬感じた気配はこの人だったのだ。
「えっと、それで話というのは?」
とりあえず怪しい人ではないようだとの結論に至り、
は素直に話を聞く体制を取った。
ユージンもそれを感じ取り、微かに頷いてから口を開く。
「麻衣に警告をしたくてあの場に行ったんだけれど、あの場所は変なんだ」
「変、と言うと」
「あそこが昔、墓地だったのは知ってる?」
「ええ」
「昔から墓地には古い結界が張られていたりしたんだ。その名残だと思うんだけど……あそこに弔われていた人以外の霊は、中々あの中に入れなくて。僕が入っても、何かに弾かれるようで長くは居られなかったんだ」
元々墓地にあった結界は、墓地そのものやそこに眠る霊を守るための結界だ。
部外者であるユージンは、昨日の朝は麻衣に警告しようと出て行ったけれども、結局その結界に弾かれてしまい一瞬で消えてしまったのだと言う。
「それで、警告とは?」
「あそこは良くないモノが住んでる。多分、首謀者になってるのは戦争で死んだ兵士だ。細身で、帯剣した兵士が二人。あの場所に入ってきた大家を、領地を奪いに来た敵だと思って攻撃してる」
「そんな昔の人が、なぜ今になって活発に動き出したんです?」
「今までは、護符によって出来た新しい結界で封印されていたみたい。元々墓地にあった結界とは別のものだ」
その土地に元々いた霊達を守るための古い結界とは違う結界が、マンションが建つ際に張られた。
そこに住まう“生きた人達”を守るために、“死んだ人達”の霊を封印するための結界だ。
「けれど、半年前にその新しい結界が効力を失ったんだね」
「どうして…?」
「多分……地殻変動のようなものじゃないかな」
「地殻変動……?ああ!地震か!」
は思い出した。
半年前といえば、確かに大きな地震があった。
「護符はマンションの4本の支柱の中に埋められていた。1本は既に消えてしまった。今までは3本でがんばっていたけど、その内の一つが入った柱には地殻変動で亀裂が入って、亀裂から入った雨水に侵されてしまっている」
消えた1本というのは、恐らく駐輪場の増設で撤去した支柱の1本のことだろう。
亀裂の入った1本に埋められた護符は浸水を受けて、どんどん効力を弱めているという。だから、最初は霊が増えたように見えただけだったけれども、弱まった護符のせいで結界が薄れていき、それに従って力を取り戻していっている霊達がどんどん活発になってきている、とユージンは言った。
「もう結界はほとんど欠片しか残っていないみたい。力をほぼ取り戻したあいつらが、きっと直に大変な事を起こすと思う」
「なるほど…」
「あの人達は危険だ。大家さん達を殺そうとしている。そして、それを守ろうとしているナルや麻衣達も危ない。それを知らせたくて」
「―――分かった。私が伝えましょう」
「ありがとう…」
そう言って、ユージンは少し安心したように仄かに笑んだ。
「ええ。こちらこそありがとう、貴重な情報をもらっちゃって。あの、その、よかったら………渋谷さんに何か伝えましょうか」
がそう言うと、ユージンは少し目を瞬いて、それから緩く首を振った。
「ただ、気を付けて、と」
最後にそう声が聞こえた気がしたけれども、声とともにユージンの姿はゆるやかに暗闇に消えた。
はユージンが消えた場所を見ながら、ほう、と一つ息をはいた。
あれほどはっきりとした意思を保ち、且つこちらへコンタクトしてくる強さも持っている。
しかも、あれだけの霊の情報を知り得たということは、彼も生前から霊能者のようなものだったということだろう。死んだからと言って、特別な能力が付くわけではないのだから。
知り得た情報の種類を見る限り、もしかしたらユージンは霊媒だったのかもしれない、と
は思う。
は再びマンションへ向けて歩き出した。
警告を伝えると約束したものの、既にこんなに遅い時間でもあるし、モニター番くらいは起きているだろうけれども、疲れて仮眠しているメンバーを起こすのも忍びない。明日の朝イチにベースに行くことになるだろう。
「(それにしてもホントに似てたな……霊媒らしき、ユージンさん。渋谷所長の双子のご兄弟……)」
先ほどの顔を思い出しながら、
は最後に見えたユージンの苦笑を思い出した。
あれだけ似ているのだから一卵性の双子だろう。渋谷と身長もほとんど同じようだったから、亡くなったのはきっと最近のことなのかもしれない。渋谷がユージンを見ることが出来たとしたら、きっと喜んだだろうに、と
は微かに眉根を寄せた。
心霊調査事務所の所長と、その兄弟の霊媒。
さすがは兄弟と見えて、専門とするものも同じらしい。
「(ん?待てよ…………、………ユージン?霊媒?」
はた、と
は足を止めた。
「(………渋谷さんは外国人。渋谷サイキックリサーチ、通称SPR………)」
いくつかの符号が重なりあって、今までバラバラになっていたものが繋がったような、妙な感覚がある。
浮かんできた言葉に愕然としながらも、けれども頭は一つの答えを導き出そうとしていた。
「(マジか………。とんでもないことに気づいてしまったかもしれない………)」
“ユージン”という名の凄腕の霊媒を、
は知っている。
その弟と合わせて、この二人はこの業界ではあまりにも有名だ。
そしてその弟が属している組織もまた、不思議な事に“SPR”と言う名を持っている。
だから先ほどユージンは、名乗るのを躊躇したのだろうか。
「(何で気が付かなかったんだ……)」
SPRと言えば、この業界ではそれなりに名の通った組織だ。
渋谷サイキックリサーチなんて言うから、てっきりその略称だと思い込んでいたけれど。
「(て事は何だ、まさか渋谷さんは………デイヴィス博士だとでも言うのか……?)」
導き出された答えに、
は呆然と立ち尽くした。
まさかまさか、そんな有名人がこんなに身近に居るなんて誰も思わないじゃないか。
でも確かに、彼は研究者で、そして専門が超心理学であると言っていたではないか。
「(だとするなら……そりゃ偽名の一つや二つ、使いたくなるってもんですよねー)」
ハハ、と口からはカラ笑いが漏れる。
これは気が付かなかった方が良かったかもしれない。
は明日の朝、渋谷とどうやって顔を合わせたらいいのか、考えるのが少し面倒になった。
「(明日考えればいっか……)」
くあ、と一つ欠伸をする。
もう夜中の2時も過ぎている。
は考える事を放棄した。
とにかく寝てからまた考えよう、と
は心なしか重たい足を、今度こそ家へと向って前に出して歩き始めた。
2015/02/06