07
モニタを見てから急に玄関へとバタバタ駆け出した
に続いて、イチはやく動き出したのはリンだった。
「滝川さんはこちらに!私が行きます」
既に立ち上がっていた滝川、麻衣、安原を残して、リンが
について玄関を出て行く。それにナルが続いた。
残るように言われたメンバーは、先ほど
が指さしたモニターを覗きにこぞって腰を上げた。映っていたのは、1階のエレベーターホール。このマンションの大家である佐久間秀久と、その妻である紗栄子が取っ組み合いをしている。
それはどちらかと言うと、紗栄子が佐久間に襲いかかっているような凄まじい有り様だった。
「こっちの非常階段から降りられます!」
は玄関から飛び出して、すぐに非常階段の扉へと向かった。扉を開けるとすぐに外階段に続いていて、そこから下へと降りられる。1階分ならエレベーターを使うより遥かにこちらの方が早い。
リンが玄関から出てくるのを確認してから非常階段を1段飛びで駆け下りる。
すぐに1階に辿り着いて扉を開けると、そこには未だ取っ組み合いをしている夫婦が居た。
傍から見たら、もしかしたら単なる夫婦げんかにも見えるかもしれない。
けれど
はこれがそうではないと分かっていた。
紗栄子の背後から漏れる黒い影に、
は眉をしかめた。うまく姿を隠している。
は何度も紗栄子に会った事があるが、普段は温厚で大人しい人だ。それが今は気性も荒く、まるで獣のように佐久間に襲いかかっている。必死に抵抗する佐久間の腕にも揉めて出来たような引っかき傷が多数に広がっている。
「やめてください、奥さん!」
が割って入ろうと横から紗栄子の腕を掴んだ。
「あっつ…!」
途端に、チリリと手の甲に痛みが走り、一度掴んだ紗栄子の腕を離してしまう。青い炎のようなモノが
の手の甲を焼いたのだ。
「狐火…!」
手の甲を庇って一旦後ずさる。けれど紗栄子の注意をこちらに引きつける事には成功したようだ。
紗栄子は佐久間から目を離すと、今度は
を睨みつけてまるで威嚇するように口からはシューシューと荒い息を吐く。
「大家さん、離れていてください」
「
さん…!」
佐久間は負った傷を庇いながら、近づくことも出来ず、かといって紗栄子をそのまま放置することも出来ず、困惑したように立ち尽くしている。
は紗栄子を、否、紗栄子の中に居るであろう霊を見据えながら、ゆっくりとした動作で両手で印を結んだ。
「(どうする…。やってみるか……?)」
正直な所、
は憑き物落としは大の不得手だった。
悪霊や化物を“滅する”ことを得意とする
の術は、乱暴ごとではその威力が発揮されるものの、人間の中から霊だけを剥離させるなどという、小手先の技術のいる“繊細な”処置は大の苦手とする所なのである。
の中にはそういう事に長けた人も居るにはいたが、完全にそれは
の専門外の分野である。
に続いて1階に辿り着いたリンは、紗栄子の注意が
に向いている内に、ス、と隙の無い身のこなしで後ろから紗栄子に近づいた。飛んできた鬼火をリンは紙一重で避け、素早く紗栄子の首筋に手刀を振り下ろす。
ケリがついたのは、ほんの一瞬だった。
パタリと倒れた紗栄子はそのまま意識を失ったようだった。
「お、おお……強いんですね、片目のお兄さん」
あっけなく意識を失ってしまった紗栄子をかかえるリンに、
はあっけに取られて呟いた。
も一応合気道をやっているので護身術やそこそこの事は出来るはずなのだが、その
から見てもリンの所作は全くの無駄がなく、それでいて的確で力強い動きだった。
「紗栄子…!」
佐久間は力を失った紗栄子を見ると、自分の怪我もお構いなしに紗栄子の元へと駆け寄った。
紗栄子をいたわるように、佐久間はそっとリンから紗栄子を受け取った。
紗栄子、紗栄子、と繰り返し名を呼んでいる。けれど彼女が目を覚ます様子は無かった。
「気絶しているだけです」
「大家さん、とりあえず布団に寝かせてあげましょう」
「ああ、はい…ええ、そうですね…」
紗栄子の顔を覗き込んだ佐久間は、心配しているような、ほっとしたような、まだ怯えが残っているような、複雑な表情をしていた。
「
さん。霊を落とせますか」
1階の佐久間の家に運び込んでとりあえず紗栄子を寝室の布団に寝かせた後、それまで動きを見守っていたナルが
に聞いてきた。
今は気絶しているが、起きたらまた同じ事の繰り返しとも限らない。まだ霊を追い出したわけではないのだから。
部屋の隅で見張りながら、リン、ナル、
は顔を突き合わせて対応を協議していた。
「出来なくはないんですけど、苦手なんですよね。だいぶ手荒な事になっちゃうし、結構危険だし……。他に出来る人が居なければしますけど、最終手段だと思ってください」
「なるほど、分かりました。リン、とりあえず眠らせておく」
「はい」
リンが金縛りをかけて眠らせておき、明朝、憑き物落としの専門家に霊を落としてもらう事にするらしい。
ナルは手短に佐久間にそのことを説明すると、大家は戸惑いながらも了承の意を示した。
術を掛け終わると、佐久間は気落ちした風に長く溜息をついた。
「今日の朝まではいつもどおりだったんです」
佐久間は少し疲れた様子で口を開いた。
今日の朝までは紗栄子に特に変わった所はなく、いつもどおりに婦人会の集まりに出掛けて行ったという。
けれど帰ってきた時にはなぜか、紗栄子は家のチャイムを鳴らして佐久間を玄関口まで呼び出した。いつもならもちろんそんなことはせずに、普通に家に入るはずである。
佐久間が玄関に出てみると、少し怖い顔をした紗栄子が玄関口に立っていた。
どうしたのかと聞いてみると、何か家に変な事をしただろう、と迫られたという。
霊能者から護符をもらったことを説明すると、紗栄子はすぐにそれを取って燃やしてしまえと凄んだ。
「それは出来ない、と言ったんです。そうしたら口論になって…」
そのまま取っ組み合いになってしまったのだと言う。
あれは憑依霊の仕業です、とナルが説明をしても、佐久間は困惑した表情でただ頷いて話を聞いているだけだった。
結局、佐久間は念の為にベースになっている部屋の寝室で今晩は休むようにして、紗栄子の見張りはSPRのメンバーで交代で行うことにした。
「大家さん、ここは僕達で見ていますので、傷の手当てをしてきてください。
さん、大家さんをベースへ連れて行って頂けますか」
「了解」
佐久間は紗栄子を心配そうに見ていたが、行きましょう、と
が声を掛けると渋々といった風に歩き出した。
肩を落とした姿に、気の毒に、と
も少し眉を潜めた。
2015/01/16