05
再び
はベースに来ていた。
SPRの渋谷所長から、話を聞きたいと再度の打診があったからだ。
「昨日はありがとうございました」
ベースになっている203号室の居間に着くと、迎えに出てくれた麻衣が
に向って軽く頭を下げた。
「ん?ああ、別に。大した事ないですよ」
「でも、助かりましたから」
「そりゃ良かった」
「麻衣の空っぽの身体の側に居てくれたんだって?」
の見覚えにない茶髪の男性が
に話しかける。
「ええ、まぁ。あなたは?」
「滝川法生だ」
「もしかして、協力者の?」
協力者、という聞き方をしたが昨日も聞いていた通り、協力者、ということはイコール霊能者、ということだ。
色素の薄い色をした髪で、今どきの若者の服を来て、全く霊能者という感じではなく普通の兄ちゃんだなぁ、と
は思った。
「そのもしかしてだな。お嬢ちゃんは噂の
さんだろ?」
「噂かどうか知りませんが、
です」
「質問をしたいのですが、よろしいですか」
挨拶もそこそこに、ナルはぶっきらぼうに
に話かけた。
のんびり挨拶するのも煩わしいとでも思っているかのような対応に、けれど先日の事でなんとなくナルの性格は把握していたので、
は大して気にしたふうもなく「ええ、いいですよ」と食卓の椅子に腰を下ろした。
「あなたは霊視が出来るようですが、このマンションの霊はいつから見えていましたか」
「うーーん……………半年程前だったと思います」
「それまでは何も居なかった?」
「居るには居ましたけど、特に多いとかそういった事は無かったです。今ほど多くなったのは、やっぱり半年くらい前だったと思いますけど。ここ最近、半年前よりも更に増えましたけどね」
「大家の話しでも、霊障が起き始めたのは半年前からだということです。何か心当たりはありませんか?」
「ええー……何かあったかな」
はしばし考えこんでいたが、さて、と首を傾げた。
「特に何も思い当たらないですね」
「では、本当に急に増えたという感じなんですね?」
「そうですね。なんていうか―――」
そこまで言った所で、
は不自然に言葉を切った。
挙動を静止して、ナルではなくどこか遠くを見るような目でゆっくりと2度ほど瞬いた。それからそっと立ちあがって玄関の方に顔を向ける。
「どうかしましたか」
ナルが聞き終えるか終えないかの時だった。
コンコンコン
ノックの音が聞こえる。
普通に人が扉を叩く音のようで、それはベースとして使っている部屋の玄関から聞こえていた。
「はー…――」
「静かに、谷山さん」
麻衣が答えようとした所で、
が手を上げて麻衣を制した。
「答えちゃいけない。場所を知られてしまう」
麻衣は慌てて口をつぐんだ。
そうして、ようやくそのノックの音が不自然であることに気がついた。
訪問を告げるなら普通は呼び鈴を鳴らすはずだ。それを、相手はわざわざ玄関の扉をノックした。
はその場に立ったまま、扉を睨みつけている。いつもののんびりとした様子と一変した姿に、麻衣は口を開く事が出来なかった。
コンコンコン
ノックの音は、少しの間隔を空けて何度も響き続ける。
「どうするよ、ナル坊」
「……
さん、相手が何であるか分かりますか」
「私は直に見ないと姿形が分からないんで何とも……」
ノックの音は、回数を増すごとに音が大きくなってきている。
それは既にコンコンではなくガツン、と表現出来るように乱暴な音だ。繰り返される内にポルターガイストと呼んでも差し支えない程に大きくなった音は、通常のノック音からしても桁違いに大きく荒くなっていた。
「なんか……ちょっと怒ってるっぽいんですけど」
「音を聞けば分かる」
「ですよねー」
ナルの冷静なツッコミに、
は苦笑いをこぼす。
「このまま聞いていても埒が開かない。ぼーさん」
「俺の出番ってわけね」
滝川は怯えることもなくむしろ生き生きとした様子で、リビングから玄関へと続く廊下を歩いて行く。
手で不動明王印を結び、少し腰を落としてじりじりと扉へと近づく。
扉は明けずにそのまま、真言を唱えた。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
しん、と室内が静まり返った。
「
さん」
ナルが
の方を見る。
声に応えるように
は扉から目を外してナルを見た。
「……逃げたみたい」
にへら、とそこにはいつもののんびりした様子の
が笑っていた。
戻ってくる滝川をちらりと見やりながら、再び椅子に腰掛ける。
「もしかして坊主か何かですか?滝川さん」
「おう。一応な」
「へぇ。これは面白いもんを見られました」
「どういう意味だいそれは」
「いえ。高尚なお力をお持ちの坊主が普通の兄ちゃんなんで、なんていうかギャップがですね」
「坊主は副業なんだよ」
「それは愉快な事で」
「お前ねぇ…」
「うん、いやでも久しぶりにまともな霊能者を見ましたよ。ありがとうございました、滝川さん」
「お、おう」
「
さん。さっきの霊はもとからここに居る霊ですか」
滝川との問答が終わるのを待っていたかのように、ナルが口を開いた。
「………、居たと思います、多分」
はもう一度、今度は座ったまま玄関の方を向いてから、何かを追うように視線をうろうろとさせた。
考えるように天井を見つめて、それから再びナルへと視線を戻す。
「なんだかこの土地に因縁があるような感じで、ずっとここに居たんだとは思います。けど活発に動き出したのはここ半年じゃないですかね。私がここに入居した時にはあんな禍々しい感じの人居ませんでしたので」
「禍々しい、とは強い力を持っているということですか」
「今の人の場合はそうですね。すごく大きくて濃い執念みたいなのが漂っていたので…なんていうか、結構面倒臭そうな感じの人だなぁと思います」
「そうですか」
ナルはそこまで聞いてファイルに何か走り書くと、少し考えるように沈黙した。
「
さん。可能なら調査にご協力願えませんか」
そのナルの言葉に
はきょとんとした。
いや、想像しなかったわけではないけれども、わざわざ外部の人間に頼むような事だろうか。
「えーっと…必要ですかね?気配を探るだけならそこの片目のお兄さんでも出来るだろうし、除霊なら立派な坊主がいるじゃないですか」
「残念ながら、霊視を出来る人間が今は居ません。忙しいのなら空いた時間だけでも構いませんので」
「うーん……まぁいいですけど。私は日中は授業があるし、サークルにも入ってるんで居ないこと多いですよ?」
「構いません」
「じゃあいいですけど。でも一つだけ約束してもらえます?」
「なんでしょう」
「私が協力する事はこの事務所の人以外には口外無用でお願いします。特にこの手の業界の人達には、ね」
「――分かりました」
「じゃあ、まあなんというか。こちらこそよろしくお願いします」
簡単に挨拶を済ませた後は、引き続きいくつかナルからの質問に答えた。
全てこのマンションで起きている現象についての質問だったが、特筆して何か新しい情報を
から得る事は無かったようだった。
一通りの質問を終えてから少し考えているふうだったナルは、ところで、と再度口を開いた。
「
さんは除霊や浄霊は出来ますか」
「ん?一応どっちも出来ますが、浄霊は大の苦手なので基本は除霊をします」
「なるほど。このマンションに霊が出る事を知っていてなぜ除霊をしないのですか?」
若干の責めるような響きに、
は返って心外だ、と言いたそうに軽く眉根を寄せる。
「なぜって……ここに居る人達は、ただココに居るだけです。タチの悪い奴もいるにはいるけど、今のところ人的被害があるわけでもない。私は無闇矢鱈に除霊はしません」
基本的に
にとっては人も霊も、同じ“人”。悪霊化してしまった人達は残念ながらその枠に収める事は出来ないけれど。
除霊は強制的に霊を滅する。
それはやはり、例え悪霊になってしまった霊だったとしても、心苦しい事なのだ。
「ただここに居るだけの人達を、なぜわざわざ除霊しなきゃならないんです?まぁ、あなた方から聞く限り、どうやら大家さんには被害が出ていたらしいので、そろそろそんな悠長な事は言ってられないかもしれませんけど」
「……なるほど」
「除霊はしたくないけど、浄霊は苦手。だから害がなければ基本的には放置って事かい、
さん」
「その通りですよ、滝川さん」
そう言って
は肩を竦めて見せた。
「では最後に一つ、よろしいですか」
「なんでしょう」
「
さんは事故物件にお住まいだということですが、その自殺した人の霊がまだ残っていて、今回の件に関係しているということはありますか」
「ないですね」
は即答した。首を軽く横に振る。
「その人の霊は確かに私の部屋に居ましたけど、さすがにその人にはご退場頂きました」
「基本的には放置なのに、その霊に限っては祓ったんですね」
「そうですね。でも除霊じゃなくて、浄霊ですよ。あの人は私の部屋自体に憑いてましたからね。ぶら下がってるだけだし無害っちゃ無害なんですけど。いくら相手が霊でもプライバシーの侵害じゃないですか。結構お顔もエグい感じだったし、なんかずっと見られてるのもヤだしね」
ケロリとした顔でそんな事を言う
に、横で聞いていた麻衣は思わず口元をひくつかせた。
「(
さんもだいぶ変わってらっしゃるようで)」
麻衣は滝川を盗み見てみたが、大体似たような顔をしている。
確かに、
の言い分も分からなくはない。
分からなくはないが、ここまであっけらかんと言ってのける人もそうそう居ないだろうと麻衣は思うのだ。
「でも大変だったんですよー、浄霊するのに4時間くらいかかったんですから」
「それでも除霊はしないんですね」
「しません。悪霊や化け物じみた奴には遠慮はしませんけどね。普通の霊を除霊するのはね、やっぱり、殺すみたいでイヤなんですよ」
そう言って
は、ほんの少し困ったように笑った。
2015/01/04