自由に過ごしていいと言われて、一旦は部屋に返って瞑想をしたものの、昼食を摂ると特にすることも無くなった。
やりたい事も特に思いつかなかったは、結局村を散策する事に決めた。
居間でくつろいでいるファインダーに、外の空気を吸ってくる、と一言言いおいて、は宿屋の玄関をくぐった。











11. 襲撃












黒い団服は殊の外目立つ。加えて、この小さな村で外からの来客である。当然のように、村の者はが何者であるかを知っていた。
ある者は好奇の目を向け、ある者は煙たい者を見るような目でを見た。
けれど、優しく声をかけて行く老人、すれ違い様に挨拶をしてくる子ども、その村の安穏とした様子は、平和だった頃のの故郷の村を思い出させた。

教団に来てからこちら、故郷について考えなかったわけではなかったが、それでも温かい故郷の事を思い出すとどうしても酷く物哀しい気分になった。だから、はあまり考えないようにしていた。
けれど、村の住民に声を掛けられる度、考えないわけにはいかなくなった。
そうして一緒に思い出す。


憎き仇の事。
憎き仇を討った事。


仇を討ったにも関わらず、の心の中から憎しみが消えることは無かった。
初めはただ単純に、自分が生きる事で、死ぬ運命にある命を助ける事が出来る、その事実のためだけに生きた。
けれど鍛錬を積む中で、アクマを屠る時の事を考えると、心の底から沸き上がってくる感情があった。


―――憎い
―――人間を食い物にするアクマが、ただ、憎い


それが、実際にアクマを目の前にした時、計り知れない激情となって心から溢れた。
その時の事を思い出すと、今でも憎しみで思考が焼き切れそうになる。




けれど、今度こそは。




考えながら歩いていたは、村の外れまで来た所で立ち止まって顔をあげた。
小さな村だ、気がついたらいつの間にか村の外れまで来ていたようだった。
折角だからもう少し歩こうかと踵を返した所で、は視界の端に黒いコートが翻るのを捉えた。
はっとして、もう一度そちらを凝視する。
家と家の間に既に消えた影は、あれは、エクソシストのコートでは無かったか。
この村には今、エクソシストは2人しかいない。
特に何をすると聞いたわけではなかったが、部屋に居ると思っていた神田が村の中を歩いていることに疑問を持って、は神田と思しきコートが消えた路地へと足を向けた。
小さな路地を歩いていると、奥の方から声が聞こえて来た。

「―――逃げるのか」

神田の声だった。
誰かと話しているのか、その声は誰かに向けられているようだった。
は路地を更に声の方へと進む。

「―――村のためよ。あいつらの標的は私なんでしょう。ずっと悩んでた、分からなかった。どうすればいいのか、何が目的なのか」

もう一つの声は、どこかで聞き覚えのあるものだった。
女性の声。
まだ若い。

「貴方達が来て、確信を持ったわ」

そう言った所で、声の主がディアナであることに気がついた。
神田とディアナが話しているらしかった。
神田の後ろ姿が見えた所で、は二人に声を掛けようと口を開いた。正確には、開きかけた。

「か――」
「教団へ来い。拒否権はない」
「横暴なのね、教団とやらは」

何の話をしているのか、神田は反論を認めないといった風に強い口調で言い放つ。
ディアナはそれをあざ笑うように、そして決してそれを聞き入れる事はしないというような姿勢だった。
声をかけようとしたが、どうやら割って入れる雰囲気ではない。
は出て行くタイミングを逸して、姿を見せるべきかこのまま立ち去るべきか、逡巡した。

「嫌よ。私は、出来るだけあいつらとは戦いたくない」
「個人的な意見は認めない」
「そう。なら、力ずくでも出て行くわ」

ディアナがそう言った瞬間だった。

村の外れで轟く爆発音。
人々の悲鳴。
神田もディアナも一瞬音の方へと意識を向けて静止したが、それも本当に一瞬で、次には二人揃って路地の出口へと向かって走り出した。

『神田殿、ディアナ殿!』

あっという間に二人はが居る辺りまで来て、3人はばったりと出くわした。
神田は何をしてたんだと一瞬怪訝そうな顔をしたが、今はそれ所ではないと判断したのだろう、またすぐに走り出す。

『襲撃だ』
『…!』

すぐに3人揃って路地から出ると、目の前には逃げ惑う人々に襲い来るアクマ達の姿があった。
十数匹はいるだろうか。
黒い球体が、まだ陽も高い町へと容赦なく砲弾を打ち込む。
人々は得体の知れない物体に恐れ慄き、どこへ行くともなく、一目散に逃げていく。
途端、の目の前に幾度となく繰り返し見てきた襲われた村々の様子が浮かんだ。


―――同じだ。ここも、また
―――また、同じ事が繰り返されるのか


『おい、チビ!お前は手近なのからやれ!』
『…っ!』

遠くから神田の大きな声が聞こえ、ハ、とは我に返った。
つい先程まで目の前に居た神田は、既に前方にある家屋の屋根の上へと移動し状況を判断しているようだった。
そうだ、アクマを倒せるのはイノセンスのみ。
そのイノセンスを扱える、他ならぬエクソシストがアクマを破壊しなければ。
すらり、とは雅菊を抜いた。

『――承知!』

の目つきが変わった。
獲物を捕らえるための目。
今までとは全く違う、鋭い光がその目に宿る。
既に空いてしまった神田との距離を埋めるべく、は走り出した。

「ディアナ殿、隠れて、ここに!」

振り向いて、呆然と路地の入口に立つディアナに叫ぶ。
聞こえていたのかいないのか、ディアナは何も答えなかった。
すぐにが視線を前へ戻すと、神田が一体目のアクマを切った所だった。
屋根の上を移動する神田を視界の端に収めながら、も臨戦態勢に入った。

突然、目の前にアクマが躍り出る。
黒い、醜い球体。

不自然に歪んだ顔をはめ込んだ機械の塊は、すぐにへと銃口を向けた。
神田が一瞬、へと目をやる。
雅菊を抜いたが、一瞬、アクマの銃口の前で静止した。

そのまま、動かない。

その様子は、昨日、アクマの前で硬直していた様に酷似していた。

「(あいつ、また…!)」

動かなくなったを見て神田が屋根を飛び降りようとした、刹那。

す、との剣先が下に動いた。
そう思った次の瞬間には、切断されたアクマの銃口が宙を舞っていた。
剣の動きはあまりにも速く、そして流れるように自然な動作だった。それだけに、斬られたアクマだとて“斬られた”事に気づくことすら一瞬遅れる。
続けて、ほんの少しの砂煙をあげたは、あっと言う間にアクマの背中を取っていた。
身体に不釣り合いな程の長さの刀を、しかしはまるで身体の一部のように扱い、難無くアクマを一刀両断した。

『―――』

刀を振るった直後、が何か言ったように口を開いたが、神田にはなんと言ったかは聞こえなかった。
ピシ、と球体の体に亀裂が入り、次いで派手な音と共に爆散した。

「……」
『……』

はしばし、アクマだった“もの”に目をやった。
その目には、もはや何の感情も込められていなかった。










神田やと時を同じくして路地から出た来たディアナは、状況を見て数瞬凍りついていたが、ギリ、と歯を食いしばると、高い音で指笛を吹いた。その音に呼ばれて、すぐにディアナの腕に一羽の大きな鷹が舞い降りた。

「もう隠れる事なんて無いね…。セルジュ、行くよ…!」

セルジュと呼ばれた鷹は大きく飛翔し、一瞬その身体が光ったかと思うとその身体はみるみる内に巨大化して通りに大きな影を作った。
そして、鷹が一声、大きな声で鳴いた。

その声に答えて、セルジュの元には同じく鷹や鳩やカラスなど翼を持った生き物達が集まって来た。それが、セルジュの行く先々で、先回りしてアクマに取り付き動きを封じている。セルジュはそれを、鋭い爪を使って次々に攻撃を加えていった。
在る鳥はアクマに取り付いたものの銃弾に倒れ、あるものは毒素を含んだ煙を吸って石になり粉々に砕けた。
けれどセルジュに加勢する事を止めず、ディアナの操る鷹は、アクマを確実に仕留めていった。

数体のアクマを倒して町の中心へ向かおうとしてたは、ディアナの行動を目にして思わず立ち止まった。
すぐ近くに居た神田を振り返る。

『神田殿…ディアナ殿は、もしかして適合者なのか!?』
『見ての通りだ。奴らの狙いはあの女だ。お前はここであいつが逃げないように見張ってろ』
『見張る?守るの間違いではないのか』
『今までこの村を守ってきたのはあの女だ』
『…!』

そう言い置いて神田はさっさと屋根を伝って移動を始める。どうやらまだアクマが残っている方へと向かったようだ。
今の神田の言は、ディアナはここを単独で守れる位に力があるのだから、が守ってやらなくてもいい、ということが言いたかったのか。
イマイチ言葉が足りないのか、しかし確かに、ディアナの指揮する鷹は危うげなく次々に敵を仕留めている。
が手近に居たアクマの最後の1匹を切り捨ててディアナの元へ向かうと、大きくその姿を変えた鷹が残り一体のアクマを屠った所だった。
は一旦刀を仕舞い、とにかくどこか場所を移そうと辺りを見回す。
が、その途中でどこかディアナの様子がおかしい事に気がついた。
ディアナの目には、光る雫が見えた。

『(ディアナ殿…泣いてる…?)』

辺りに敵が居ないことを確認しながら、はディアナへと駆け寄った。

「ディアナ殿…大丈夫、か?」

ごしごしと目を拭いたディアナが、ふう、と大きく息を吐いた。
目はまだ心なしか潤んでいる。

「…私は人殺しだわ…」
「…え?」
「村を守るためだったの…そう、仕方なかったのよ」

ディアナはアクマの残骸を見つめながら、に構う様子もなくつぶやいた。

「皆を助けなきゃ」

ディアナは旅装のマントを翻して町の中心部へと歩き出した。
そういえばこうやって改めて見てみると、ディアナは旅支度だった。背中には大きめのリュックを背負って、服装は旅がし易いようなブーツにマント、右手には鷹用だと思われる厚い皮の手袋をしている。
先程の路地でのやりとりを見るに、もしかしたらディアナは旅に出ようとしていたのかもしれなかった。

「ディアナ。あっち、危ない。探す、安全な場所」

がディアナの手を取ると、ディアナはつらそうに顔を歪めてから、の手をそっと自分の腕から外した。
その様子にも困惑する。

「ディアナ、どこか痛い?」
「私、皆を助けるわ。でも、あいつらを倒したら私はこの村を出て行く。あなたも、あなたの仲間の事を第一に考えて」
「でも、ディアナ…」

が言い募ろうとするも、ディアナはさっとマントを翻して走りだした。
慌ててもその後を追う。

「待って、ディアナ!」

ディアナが何か思いつめているような事は分かった。
けれど、何をそこまで思いつめて、何をそこまでつらそうにしているのかは分からない。
はもう一度、今度はディアナの前へと躍り出て両手を開き道を塞いだ。
ディアナが急停止して、を見て顔を諌める。

「神田殿、大丈夫。だから、今はあなた、逃げる。そしたら、私達と一緒、イギリス行く」
「あなたも私に、あいつらを殺せって言うの?私は行かないわ」
「アクマ、人殺す。あなたは適合者。アクマ倒せる、だから大事。人、救える」
「救う?冗談じゃないわ!」

途端にディアナは苦しげに顔を歪めて声を荒らげた。
が言った事に信じられないとでも言いたげに、首を振る。

「あなたは何も知らないでアクマを殺しているの?」
「…?」

何も、とはどういう事か。
自分は今までアクマに殺された人間を嫌という程見てきた。
アクマに根絶やしにされて、滅びた村をたくさん見てきた。
だから、アクマを倒せる唯一の存在であるエクソシストが貴重な存在であるというのは、揺るぎない事実だ。
けれどディアナが言っているのは、別の次元の話であるようだった。
はディアナの早口で荒げられた言葉を正確に聞き取ろうと、神経を研ぎ澄ました。

「アクマは確かに機械だけれど、その中には呼び戻された死んだ人の魂が内臓されてる。私はそれを破壊したのよ!だから、私は人殺しだと言ったのよ…っ!」

ディアナは感情的に言い切った。
既にその事実を受け入れているのだと。その罪をすべて、背負ってきたのだと。
言った言葉に迷いはなかった。

は驚きに目を見開いた。
そのまま、ディアナの言った事を頭の中で反芻する。


――死んだ人間の、魂…?


「死んだ、人。魂?アクマの、中に?」
「……知らなかったのね」

憐れむような目だった。
ディアナは適合者でありながら、アクマを殺す事を忌避しているようだった。
それは、そういった事情を知っていたからなのだ。
おそらく、先ほどが村の外れで聞いた神田とディアナの問答は、そういう事だったのだ。
適合者は教団へと連れて行かなければならない。けれど、ディアナはそれを拒否したのだろう。
人殺しは嫌だと言って。
ディアナはまた、その目から涙をこぼした。
それを目にしながら、は考える。

『(だって、神田殿は、あの時…)』

あれは兵器で、だから私は人殺しではないのだと。
そう言ったのではなかったか。
兵器が、人を殺す。だから、人々を助けるために自分は生を選んだはずだった。
けれど、兵器の中に入っているものもまた、“人”だと言う。
目の前が真っ暗になるのを感じた。

『(そんな、まさか……)』

あれは、神田が言ったあの言葉は、自分を生かすための方便だったのか。

『(…なんてことだ………)』

自分が死んでは困るから、だからその場しのぎの嘘を言ったのだ。
確かには生きている、生かしてくれた事には感謝しなければならないのかもしれない。


―――けれど、では、やはり私は…


再び同じ罪を重ねた。
それどころか己の仇以外にも、何体ものアクマと共に、そこにあった人の魂をこれまでに斬って来たということだ。
そしてそれはこれからも、ずっとずっと、生きている限り、続く。

「私はあなた達とは一緒に行かない」

ディアナは指笛で鷹に合図をすると、町の中心へ向かって今度こそ走り出した。
には呼び止めることも、反論することも出来なかった。
ただその背を追うことしか、出来なかった。


















2014/04/05

ながらへば 11