「来るぜ」

神田の声にファインダーもその気配を察知して、タリズマンを取り出した。
綺麗な青空を背に、自然の摂理に背いた球体が浮かんでいた。











10. 激情












視認出来るのはレベル1が数体。これなら全く問題はない。
打ち出された砲弾を軽くかわしながら、神田は状況を見極めた。
いける。
発動した六幻から技を繰り出しながら次々と敵を爆散させていった。
アクマが出現したということは、もしかしたらここは“当たり”なのかもしれない。既に残り少なくなったアクマを薙ぎ払いながらそう考えていたときだった。

殿!」

ファインダーの声に咄嗟に神田は振り向いた。
の目の前には一体のアクマ。しかしレベル1だ、ならば一撃で仕留められるはず。相手はただ砲撃を打ち込んでくるだけなのだから。
けれど、は目の前に突きつけられた銃口をただじぃっと眺め、その砲弾が飛び出してくるのを待っているかのように動きを止めていた。
刀は鞘に収まったまま。


ドォンッ


レベル1の銃口が火を吹いた。

「!」

バカヤロウ!叫ぼうとして土埃の向こうに姿を認めて、神田は言葉を飲み込んだ。

「危ないじゃないですか!」

爆ぜた土の上にはいなかった。
咄嗟に飛び出したファインダーに抱えられて、着弾点から距離を取った所で放心したように硬直している。アクマの方を凝視しながら。
神田はほどなくして最後の一体を片付けてしまってから、未だに目を見開いて動けないでいるへ歩み寄った。胸ぐらを掴み上げる。小さな体は簡単に地面から浮き上がった。

「カンダ殿っ!」
『てめぇ…戦う気がねぇなら帰りやがれ。邪魔なんだよ』

いつもよりも一段と低くなった神田の地を這うような声にも、の瞳はアクマの残骸を見つめたまま動かない。呆然と、煙をあげるアクマだったものに視線を注ぐ。
左手だけは、雅菊の鯉口に添えられていた。
だが、それだけ。
結局その刀身が姿を現すことはなかった。

『聞いてんのか、あぁ?』
『聞いて…、…聞いて……いる。わかってるさ…、私がしなければいけないんだ』
『――』
『わかっている。私は………私が、エクソシストだ』
『…チッ』

掴んだ団服を荒々しく放れば小さな体は地面に座り込んだ。神田はそのまま早足で歩き出す。
歩き出したカンダに慌ててファインダーが付いて行く。を助けたファインダーは困ったように顔を右往左往させていたが、もの言わぬを立ち上がらせると、ゆっくりと後を付いて歩き出した。











村に着いて村長の話しを聞く間も、はどこか上の空だった。
イライラしている神田にファインダーは冷や汗をかきっぱなしだったが、話しが終わると二人とも早々に宛てがわれた部屋へと引っ込んでしまった。
それを見て、先に現地に入っていたファインダーが苦虫をかみつぶしたように口を開いた。

「おいおい、大丈夫かよあの新人エクソシスト」
「しっ。聞こえるだろ。まだ初任務だって話だし、俺たちが気にかけてやらんと。カンダ殿は助けたりしないだろうしさ」
「逆なんじゃないのか、普通」
「そう言うなよ。それより、見張りの方はどうなってる」
「交代でやってる。時期的にはそろそろだと思うぜ、次が現れてくれるのは」

現地入りしていたファインダーは連日、シフトを組んで交代で見張りに立っていた。いつ起こるとも知れない現象に気を張っているのだ。
今までの間隔のままでいけば次が来るのは数日中だと思われた。
今日も緊張した夜が来る。知らず、ファインダーからも溜息が漏れた。










夜の月を眺めていた。真ん丸い月。
とうに深夜も過ぎたというのに一向に来ない眠気に、は月光を浴びて窓辺に佇んでいた。その手にはしっかりと雅菊がある。椅子に腰掛け、片膝を立て、抱え込むようにそっと己の刀を抱(いだ)く。



アクマが眼前に迫ったとき、あり余る激情が体の中に渦巻いた。



目の前に銃口。醜い球体。
自分の仇は確かにこの手で仕留めたはずなのに、それでも尚、この湧き立つ感情の名をはどうつければいいのか分からなかった。アレを見た瞬間、体中の血液が沸騰したかのように暴れまわり、何も考えられなくなった。
いや、実際は頭の中は思考でいっぱいだった。いつでも刀を抜く準備は出来ていた。目の前の敵を倒したい(、、、、)とも思った。

こいつを破壊したい、バラバラにしてやりたい―――

けれどそのあまりにも大きな、どこから湧いたとも知れぬ感情に、思考が麻痺したようにしびれていた。確かに破壊したいと思うのに、御し難い感情が邪魔をして手足が言うことをきかなかった。

頭が冷えて、思考が働き初めた頃には、既にこの部屋にいた。

『(あとで神田殿に詫びを言わなくては…)』

怒り心頭のようだったから。
は瞑想のために刀をすぐ横に置き、椅子から降り地面に胡座をかいて目を閉じた。

忘れてはいけない。私が、エクソシストだ。












翌日、朝食にと宿の1階に降りてくると、そこでは神田と町長が何事か話し込んでいた。
昨日はぼんやりとしていてあまり宿屋をじっくり見た記憶が無かったが、1階は玄関に続いてラウンジ兼ダイニングになっている広間やカウンターがある、少し小じんまりとした印象の建物だった。
年季の入った広間には、山荘らしい内装が施してあり、熊の毛皮で出来た敷物、大掛かりな鳩時計、鷲の剥製、鹿の角などが壁にかかっている。小じんまりとはしているが、随分と年季の入った凝った宿だった。

神田と村長、ファインダーはその一角に陣取って、どうやら今までの事件について直接話を聞いているようだった。
町長はに気がつくと、愛想笑いを浮かべて朝の挨拶を寄越した。それに会釈をして応えながらファインダーに促されて席につく。

「よく眠れましたか、殿」

目の前に朝食を置いたのは昨日を助けたファインダーだった。昨日の様子を心配しているのか、しかし人の良さそうな笑みを浮かべている。

「はい。よく、眠った。…名前、あなたの…再び、聴いても?」

既に教団を出るときに一度自己紹介を受けたにも関わらず、すっかり名前を忘れてしまっている事に気がついて、逡巡の後、名前を尋ねた。

「俺はテオと言います。ルーマニアは初めてでしょう?」
「はい。来る、初めて」
「なかなかここの食事もうまいですよ。急がないんで、ゆっくりと食ってください」
「ありがとう、テオ」

口を動かしながら神田と村長の話に耳を傾けてみるが、どうにも早口なのと単語が難しいのとで、あまり内容は理解出来ない。

「おはようございまーす。おやっさーん、頼まれてたもん持ってきたよ!」

カラン、扉が元気良く開いて、娘が一人顔を出した。
朝の冷えた空気が、玄関と隣接するラウンジにまで流れてくる。

「すまんねぇ、そこ置いといてくれるかい!」
「はいよー」

成人を過ぎた若い娘は持っていた籠を食堂のカウンターに置くと、お?と目を丸くした。

「村長さんじゃないかい。おはようさんです」
「おはよう、ディアナ。いつもご苦労さんだねぇ」
「まあね。今日はどうしたんだい?珍しいじゃないか。あら?外国人のお客さんかい?」

大きくもない村の小さな宿に泊まりに来る人間なんてたかが知れている。
しかし見慣れない外国人の客に、娘は物珍しそうに目を細めた。

「ああ。彼らが、例の方々だよ。後で現場にも顔を出すから」
「なるほど、了解。っても私は何も出来ないけどさー」
「いいよいいよ」
「じゃああとで、村長」

まぶしい笑顔を向けて、娘は出て行った。

「今の娘が、現場の一番近くに住んでいる者です。あとで案内させますので」

そう一言村長は断って、また話の続きを始めた。








現場を目で確かめたいという神田の言により、この日は朝から現地に赴く事になった。
出発の際、早々に扉を出て捜索部隊の先を歩き出した神田に、は駆け寄った。

『神田殿』

返事はない。どうやらまだ相当ご立腹の様子だった。
目線すらへ寄越さず、つかつかと歩みを進める。
それにもめげず、小走りで神田に付いて行きながらは再度口を開く。

『昨夜はすまなかった。有り余る感情に体を動かすことが出来なかった』
『また死のうとでもしてやがったか』

神田の物言いは冷たい。
それでもは言葉を止めることはしなかった。

『死のうと思ったわけではない。ただ、アクマを壊してやりたいと思ったのだ。破壊してやりたい、と。その気持ちが強すぎて、刀を抜けなくなった』
『ふん。お前は宿に戻れ、戦えない奴は邪魔だ』
『私も行かせてもらう。私も、エクソシストだ』
『…。…次はねぇぞ』
『分かっている』

神田はそれ以上何も言わなかった。
は心の中で感謝しながら、鯉口を握った。

―――大丈夫。

次は大丈夫だという自信があった。
次こそは、あの醜い球体を破壊してやる、と。











「少しお待ちください」

山の麓から続いていた家々は、山を登るごとにその数を減らし、家の群れが途切れる辺りにまで来た所で村長は最後の1軒に向かって歩き出した。

「ディアナ、来たよ!悪いけど頼まれてくれるかい」
「はいはいー、今行きますよ」

村長が声を掛けて程なくして、今朝見かけた女性が顔を出した。
いかにも山の娘、そのような格好をした女性は、派手でこそないが、民族衣装に身を包んだ様ははつらつとして愛らしい。

「私は案内するくらいなんだけど、とりあえずディアナと言います。村の端っこに住んでます」
「あんた、現象を見たことは」

ディアナの自己紹介が終わるが早いか、神田は真一文字に閉めていた口をぶっきらぼうに開いた。

「私?私はそれを見たことはないの。初めて見たのは2軒隣のクリスだね。その後も、残念ながら私が外出している時だったらしいからさ」
「そうか」
「現場はここからすぐ近くだから。まあ、とりあえず行きますかね」

そう言ってディアナが先頭を歩き出す。神田、、村長、捜索部隊3人もそれに続いた。
現場には既に何も残されていなかった。
どうやら、残った灰のようなものについては住民がその度に近くに穴を掘って埋めているのだという。

「少しこの辺りを見て回る」
「分かりました」

神田はファインダーにそう言うとつかつかと早足で山のもっと上へと歩き出した。

「案内がいりますか?」
「必要ない」

ディアナが居ても意味がないと思っているのか、神田は何かを探すように地面を眺めながら短く言った。
は特に何をすべきか良く分からなかったが、何か思い当たる節の見える神田に少し後ろから付いていった。
現場はファインダーが大体調べ尽くし報告に上げているはずだが、それでも神田は自分でも確かめておきたいと言って今日ここへ来たのだ。何か思う所があるのだろう。

「おい、群れて飛んでいた生き物は何だった」
「最初の方は小さくてよく分かりませんでしたが…。5度目が蜂、6度目がスズメ、7度目がニワトリだったと聞いております」
「ふん、…そうか。だとしたら、操っていたんだな」
「はい?」
「この山には鷲や鷹の類が多いのか」

宿屋の剥製もそうだが、村に近い駅でも、村の至る所でも、鷹を象った紋章や看板などが多く見られた。
神田の突然の物言いに目を瞬いた村長だったが、困惑した顔で首を縦に振った。

「え?ええ。この村は鷹匠を多く排出するので有名なんです。鷹も、この山の麓には多く生息しておりまして」
「なるほど」
「ディアナも、有名な鷹匠なんですよ」

そう言って、村長はディアナを指差す。
かわいい民族衣装を身にまとった女性からはおよそ連想出来ない職業に、ファインダーはへええ、と感嘆の声を上げた。

「“タカショウ”?」
「鷹を飼い慣らして、狩りなどに使う人の事ですよ」

聞き覚えのない単語には首を傾げるが、テオがこっそりと耳打ちをしてくれる。

「あんたの鷹は、今どこにいる?」
「え、私の?小屋にいますけど」
「ここに連れて来い」
「は?いや、今朝狩りをしたばっかりで休んでる所だから無理です。夜にしてください」
「そう言わずに、ディアナ」
「ダメですったら。彼らの健康を考えるのも立派な鷹匠の仕事です」
「分かった、夜でいい」
「いいので?」
「構わない。降りるぞ」
「もういいんですか」
「ああ」

あっさりと神田は引いて、もう見るものは見たと言わんばかりに神田は山を降り始めた。
ファインダーは腑に落ちないような顔でそれに続く。
取り残されたディアナは一つ首を傾げ、それから集団の後ろから付いてきた。

「あの人って、いつもあんな感じ?」

途中、こそこそとに耳打ちをして来たディアナは、変な人だとでも言いたそうな目線で神田を見ていた。

「はい。カンダ、そう。いつも」
「ふーん」

やがて自分の家が見えてくると、ディアナは村長に軽い挨拶をしてから帰っていった。











宿に帰ってから再び村長と早口で何かを話していた神田は、ファインダーにも何か指示を出すと、部屋に続く階段へ向かって歩き出した。
途中でと目線が合うと一言、

『夜だ』

そう告げて、部屋へと入っていった。

『…』

これは、また夜に何か行動を起こすという事だろう。
無言で突っ立っているを見たテオが、夜までは自由行動ですと気を使って声を掛けてくれた。
一体何をしようか、は宿屋の居間にかかった鷲の剥製を眺めながら、ぼんやりと考えた。












2013/05/04


ながらへば 10