世界を緋色に染め上げて今日も陽が沈み、そろそろ神田が来る時刻だろうかと
は壁の時計を見上げた。昨日の朝から、食事時になると神田がふらりと医務室にやってきて、
を連れ出すようになっていた。
神田殿はそばが好きなんだな、取り留めもなくぼんやりと考えていると、涼やかな声音が医務室に響いた。
「
ちゃん!」
その声は
の名を呼んだ。
07,5 異郷
「
ちゃん!今日は神田が来られないから、私と一緒に夕食に行きましょ」
初めて見る人だ。
年の頃は神田と一緒くらいか、少し下だろうか。黒く長い髪を高い位置で2つに結んでいる。とても可愛らしい、東洋系の女の子。
にこりと
に笑いかける。
「さ、立って」
手入れの行きどといた綺麗な手が、
の乾いて荒れた手を取った。
をベッドから立ち上がらせて、少女は少しかがむ。
「私はリナリーよ。リナリー」
『?』
「リナリー。私の名前」
『りなり…?』
「そう、リナリー」
『リナリー!………私は
だ。
、
』
リナリーと同じように、自分を指さしてゆっくりと言う。
「
!よろしくね」
にこりと笑うので、
もつられて笑顔がこぼれそうになった。けれど、顔の筋肉は意図に反してぴくりともしない。
気持ちだけは伝わっただろうか。
リナリーはそれを気に留めた風はなく
の手を引く。それに一瞬躊躇する。
『婦長殿、出てもいいのだろうか』
婦長を見ると、いってらっしゃいとばかりに1つ頷いて微笑むので、問題ないのだろう。食事時以外の外出はまだ禁止されているはずだから、これから“リナリー”と一緒に食事に行くのだと結論付けた。
「
、何が食べたい?」
食堂の窓口でリナリーが振り向いて何事かを尋ねてきた。
言葉が通じないことは知っているはずなのに、リナリーはそんなことはお構いなしに声をかけてくれる。
が分からないと首を傾げても、全く嫌な顔をしない。
出来た人間だなと思う。
『?――そば?』
メニューを聞かれているのだろうと思ったのだが、そばと言うとリナリーはきょとんとした顔をした。
「そば以外にもあるのよ、
!」
『…?』
「ジェリーさん、
になにか消化のいいものをお願い。私は中華のCセットね」
「はーい、席に座ってちょっと待ってなさいな」
すぐに運ばれて来たのは、中華風にとろみを付けてかにと青菜を加えて食べやすくしたおかゆや、栄養豊富な小皿が何皿か、あとは緑茶で、気の配られた食事だった。
『ここの料理は何でもあるんだな』
「うん?」
『それに、とても美味しい』
が柔らかい口調でそう言うと、リナリーは合点がいったようによかった!と手を叩いた。
「そういう時はね、“おししい”って言うんだよ」
『なんだ?』
「これは、おいしい」
『これのことか?“おいし…い”?』
「そうそう、“おいしい”!」
「おいしい」
「何やってるんですか?」
大量のご飯を抱えて机の横から声をかけたのはアレンだった。
「アレンくん!今ね、
に言葉を教えてたの」
「
?…あ!この前の」
あれからまた任務に出ていたアレンは、
と面と向かって会うのはこれが始めてだった。騒動が収まったことは聞いていたし、てっきり医務室にいるものだとばかり思っていたのだが。
『あなたは』
あの街で出会った少年だ、とアレンの顔を見て思い出す。そうか、彼もここの人間だったんだ。
初めて会ったときには意識も朧げではっきりとは覚えていない。けれども、助けようと手を貸してくれたこと、それをはねのけてしまったことを思い出す。
苦虫を噛み潰したような顔をして、
は一礼する。
『あの時は世話になった。礼を言う』
「やだなあ、顔を上げてくださいよ。元気そうでよかったです」
大量の料理を机の上に置いて、
の下げた頭を柔らかく上げさせた。
嫌味の一つでも言われるかと思ったが、白人の少年は明るく笑っただけだった。全く嫌そうな素振りを見せず、むしろ“とんでもない”と言わんばかりの態度だ。
「僕、アレンって言います。アレン・ウォーカー」
『アレン』
「わ、すごいや!」
『よろしく、アレン殿。私は
。私もここで暮らすことになった』
「うん、
!すごいですね。もう名前覚えたんですか」
「覚えるの早いよねー」
食事の間中、アレンもリナリーも柔らかい雰囲気で
との会話を楽しんでいた。
あっという間に――アレンはものすごい量の食事を本当にあっという間に食べてしまった――食事を終え、リナリーとアレンは医務室まで
を送ったついでにそのまま居座って、
の話し相手になった。
それでもいい加減引き上げなさいと婦長に言われてから、アレンとリナリーは笑顔で手を振って医務室を後にした。
話し相手をしているといっても、
は二人の言っていることが全くと言っていいほど分からなかったし、言われたことに対して返すのは日本語だ。本当に会話として成り立っていたのか、
には分からない。
ただ一つ、
に芽生えた感情があった。
『(早く言葉を習得したい。たくさん勉強して……早く、ここの人たちと話がしてみたい)』
アレンやリナリーの言っていることを理解したいのに、自分の思っていることを伝えたいのに、言葉が出てこない。話がしたい、でも、出来ない。
そのことがひどくむず痒く、もどかしい。
それが鮮明に心に刻まれた1日になった。
2010/01/07
閑話。本編とはあんまり関係ない。でもこれはやっておきたかった。
私が語学が趣味みたいなもんなので、言葉に関しては疎かにしたくなかったんです。