「
、今日は買い物に行くぞ」
そう言うと、
はきょとん、とした顔をした後にすぐに、はい、と答えた。
は、どこに、とも、何を、とも聞かない。
物分りは良いが、少々良すぎるきらいがある。
けれどこれも貧民街で身につけた処世術なのだろう。しかし、もし(、、)マフィアでやっていくとするなら、それもこれからは矯正していく必要があるだろうな、とぼんやりと考えた。
ここに来てから一度も外に出ていない
は、外に出たいなどとは一言も言わなかったが、しかし部屋から一歩出ると、まだ家を出たばかりだというのにうきうきとした顔をしていた。
髪を切って、穴も空いていない清潔な服を見繕ってやると、まだ少し細すぎるきらいはあったが、けれど
はどう見ても普通の子供だった。
地下の駐車場で車に乗せると、驚いたような、おっかなびっくりしたような色が、髪を短くしてよく見えるようになった顔に浮かんだ。
「くるま、車に乗るんですね」
助手席に乗ると、しげしげと車内を見回す。
その顔には、半分は好奇心だが、半分は少し不安ものぞいていた。
「車は初めてか」
「はい、そうだと思います。………あの…爆発したりしませんよね…?」
「……なんでそうなる?」
「いえ、あの、すみません忘れてください」
一体
の中で車とはどういうものなのかを聞いてみたくなった。少し不安な表情をしているのは、では車が“爆発する”と思っているからか。
は時折、中也の及びもつかないような事を言うのが、まだ少し面白い。
「シートベルト締めろよ」
と、言ってから「そう言ってもわからねぇだろうな」と思って隣を見てみると、案の定首を傾げてきょとんとしている
と目が合って、しょうがねぇな、と中也は
のシートベルトを締めてやった。
法を犯そうがどうしようが、それこそ全く今更なのだが、かと言って不用意に軍警にでも呼び止められていざこざになっても何も面白いことはない。
助手席のシートベルトを締めてやってから、中也は緩やかに車を発進させた。
やって来たのは郊外の大型ショッピングモールだ。
平日ということもあってそれほど混雑はしていないが、それでも横浜にほど近いショッピングモールは
の目を白黒させるには充分な人の数が居た。
は目を瞬かせて、忙しなく通り過ぎる店を眺めたり、すれ違う人々を見上げたりしている。
「
、手前の服を誂えてやる。もうちっとマシな服が無ぇとどこにも行けねぇからな」
言うと、忙しなく動いていた視線を中也に戻して、困ったように眉尻を下げた。
「あの、僕……そこまで、してもらえません」
「気にすんな、俺が買ってやるって言ってんだ」
「そんな、でも……いいんですか、本当に」
「そう言ってるだろ?こういう時は素直に厚意に甘えるもんだぜ」
「………、……えと、すみません、ありがとうございます」
は恐縮しきって、頭を下げた。
「で、どんな服が着てみたい?好きなものを選べ」
今
が着ているのは、シャツにストレッチの効いたスラックスという、ごく無難なものだった。中也がその場しのぎと思って、適当に買って与えたものだ。
それだけでも
は充分満足しているようだったが、流石にその恰好で外を歩き回るというのも中也にとっては我慢ならないものがある。
恐縮しきった
を連れて、色んな店を回ってみたが、
はどんなジャンルにもあまり興味を惹かれないようだった。
「なんか好みはねぇのか?」
「好み……。すみません、よく分からなくて」
それもそうか、と聞きながら中也は思った。貧民街の住民に服のセンスも何もないだろう。好みと言われても、首を傾げるのはしょうがないかもしれない。
小一時間歩いて収穫がないので、一旦通路に設けられた簡易な休憩所に座り込んだ。
「じゃあ、そうだな。人形が着てるやつとか、通行人の服装とか、あんなのがいいなってのはねぇのか」
そう言うと、
は少し周りを見渡して居たが、中也に視線を行き着かせると、あの、と申し訳程度に切り出した。
「なんかあったか?」
「えっと………、その……」
「いいから言ってみろ」
ためらっている風の
を促してやると、
は恐る恐る、と言ったふうに口を開いた。
「………中也さんのような……恰好が、いい、です……」
言われて中也は一瞬目を瞬いたが、次いで、ふは、と笑った。
なるほど、そこに行き着くわけか。
妙に納得してしまって、最初っから悩む必要なんてなかったのかと、今更ながらに気が付いた。
「分かった。なるほど、お探しの品はここにはねぇってワケだ」
中也の身につけている服は、どれも行きつけの店でのオーダーメイドだ。
が選びやすいようにと思って大衆向けのショッピングモールなんぞに足を運んでみたが、どうやらそれが間違いだったらしい。最初から行きつけの店に連れていけばよかったのだ。
折角ここまで来たので昼食だけはショッピングモールの中で摂ることにして、それから二人はまた車に乗って場所を移した。
07
店の入口をくぐると、中は見たこともないような高級な服や靴やネクタイなどが並んでいて、
はここでも忙しなく辺りをキョロキョロと見回した。
どうやら中也は常連なのか、店の主人は中也を認めるととても親しげに声を掛けてきた。
「今日は何をお探しですか」
軽い挨拶の後にそう聞かれて、中也は横に控えていた
の背に手を回して少し前へと押し出した。
それにも
はドキドキとしてつい中也を見上げてしまう。
「こいつに合うものを誂えたい。子供の服も確かあったと思ったが」
中也が小さい時からこの洋服屋には世話になっているので、子供用はあった筈だ。店の主人は「もちろんでございます」と微笑んで、
を店の奥へと促した。
「どうぞ、こちらへ」
そう言われて笑顔を向けられても、こんな高級そうなお店に来るのはもちろん初めてな
にとって、どうしたらいいのか分からず、再び中也を見上げた。
「あの……」
「身体の寸法を図ってもらって、見合った服を見つけてもらえ」
「えっと、でも……」
「行って来い」
「……あの、…はい。よろしくお願い、します」
最後は店の主人に向けて控えめに言うと、かしこまりました、と恭しく頭を下げられた。
これは本来なら常連である中也に向けられるべき礼節で、それをたまたま隣に居る
にまで向けられるのは、
はどうしてもむず痒くてそわそわしてしまった。
それから身体の寸法を図ってもらって、シャツやジャケットやズボンなど、一通り揃えていざ試着となった。
「着られたか?」
試着室のカーテンの向こうから、中也の声が聞こえる。
「あの…………」
一応、着るには着た。
けれど、あんまり上等なものを着ている自分を鏡で見て、自分はやはり場違いに思えてならなかったのだ。このまま中也に見せてもいいものか逡巡してしまう。
厚意には素直に甘えるものだ、と中也は言ったが、どうしても自分が受けていいような厚意には思えなかったのだ。
「開けるぞ」
けれど、そう短く中也が言い置くと、制止の声を上げる間もなくカーテンが開けられた。
「―――なんだ、似合ってんじゃねぇか」
の姿を見るなり、中也がそう言って片方の口角を上げて笑う。
それがなんだか嬉しくもあり、それと同じくらい申し訳なくなって、
は反射でつい、すみません、と謝罪を口にしていた。
「何で謝る?」
「こんな上等なもの………、やっぱり、僕には…勿体なくて」
「手前はそればっかだな」
中也は腰をかがめて
と同じ視線になると、巻かれずに手の中にあったネクタイを
から取りあげて、
の首にネクタイを巻き始めた。
ネクタイの巻き方など、当然
には分からなかったからなのだが、中也はそれを嫌がる素振りも、煙たがる素振りも全く見せず、むしろ少し楽しげにネクタイを巻いていった。
「――うし。ほら、見てみろ」
身体を反転させられて、再び鏡の方を向く。
そこにはやはり、不似合いに上等な服を着る自分と、それに少し笑った中也が映っていた。
「いいじゃねぇか、様になってる。常に身なりには気をつけろ。それが、相手に侮られないための第一歩だ」
まるで教師が生徒にそうするように、師匠が弟子にそうするように、そう言い聞かせる中也に、
はどうしようもなく胸を締め付けられた。
どうして、そこまでしてくれるのだろう。
どうして、自分などに、何か教えるようなことをしてくれるのだろう。
「これで、仕上げだ」
複雑な思いで鏡の自分を見ていたので、中也の動きに気づくのが一瞬遅れた。中也の言葉と共に急に頭に乗ったそれを見て、
は目を瞬かせた。
「――!ぼうし……」
「完璧、だな」
の真っ黒の髪の上には、中也が仕事に出かける際にかぶっている帽子に良く似た、子供用の帽子が乗っていた。
「これ……」
「いいだろう?」
「……はい、すごく格好いいです!ありがとうございます!」
そう言って思い切り頭を下げると、かぶせられたばかりの帽子が転げ落ちそうになる。それを慌てて受け止めると、中也と店主が笑った。
もつられて笑った。
やっぱりここは、天国に違いなかった。
2017/10/14