「これは、何ですか」
が目をキラキラさせて、それを見つめている。
その視線の先には、食後のデザートにと思って買っていた、皿に乗った苺がある。
今しがた夕食を食べ終えた食卓で、向かいに座っている
は中也が出して来たものに興味津津といった様子で身を乗り出した。
「苺だ」
言うと
は、へぇこれが苺なんですね綺麗ですね宝石みたいですねと、尚も興奮覚めやらぬ、と言った感じで言葉を重ねる。
赤く熟れた苺が余程気に入ったらしい。
「食っていいぞ」
「えっと、あの……僕も食べていいんですか…?」
がここへ来てから3週間弱、
は特に食事に関してはこういった質問をすることが多かった。それでも最近では少しは減った方なのだが、それでもまだこうして聞いてくる。
中也が見せつけるだけ見せておいて、食わせてやらない、とでも言う性悪に見えるのだろうか。
単に
が食べ物を無償で与えられる事に慣れていないだけなのだと分かってはいるのだが、つい中也はそんな事を考えた。
「そのために買ったからな」
食べていいか、その問にノーと答えたことは今まで無かったはずだが、
は中也のその回答を聞くと嬉しそうに“やった!”と小さくこぼして、目に見えて顔に喜色を浮かべた。
一つ目を手に取って片方の手の平に乗せ、顔を近付けて香りを嗅いでみたり、転がして色を眺めたりしていた。
「ヘタは取れよ」
「……へた?」
「緑のやつ」
「あ、これ…。これは食べたら駄目なやつなんですか」
「駄目っつーか、不味いからな」
そう言うと
は、そうなんですね、と少し残念そうに丁寧にヘタを取った。
やはり、ヘタごと食べるつもりだったらしい。
それからわくわくとした顔で、けれどなぜか慎重な所作で一口、くちに含む。少し咀嚼してから、花が綻ぶようにふわりと笑った。
「うまいか」
聞かなくてもその所作を見れば分かりきった事だったが、あんまりにも嬉しそうなので、中也もつい口元を緩めてそう聞いた。
「はい、とっても!」
は満面の笑みで答える。
なかなかどうして、
はとにかく口よりも雄弁に表情が気持ちを語る。その事に気が付いたのも、もう随分と前のことのように思う。
中也が頬杖を付いて見ていると、
はハッとしたように笑みを引っ込めた。
「す、すみません僕ばっかり…!中也さんも、あの、食べてください」
そう言って、変に気を使って
は苺の乗った皿を少し中也の方へと押しやった。
ああ、と簡単に頷いてから、中也も苺を手に取ってかじる。
特別上等なものでもない、八百屋に売っている普通の苺にここまで嬉しそうな顔を出来るのも、それはそれで幸せなものだな、となんとはなしに思った。それも今までの貧民街での暮らしがあった故だ。
貧民街で暮らしていた
は、中也の家での生活は真新しいものばかりのようで、よく驚いた顔をしたり、嬉しそうな顔をしたりする。それと同じくらい、無知から来る恐怖で怯えていることもよくあることだったが。
は中也に、どうして助けたのか、という疑問を投げたりはしなかった。
まず真っ先に聞いてきそうなものだが、そもそも最初に中也を助けたのは
なので、物分りの良い
のことであるし、 変に遠慮をしているのかもしれない。
中也に常に感謝しているような姿勢は見せるものの、それ以上の質問や意見などは全く口にしなかった。それこそ、名前しか名乗っていない中也に対して、何者かを問うことすらもしなかった。
その内話すつもりではあったが、今はこのままでもいいか、と嬉しそうな顔の
を見て中也は思った。
06
口に含んだその真っ赤な実は、甘くて、しゃくしゃくしていて、とても美味しかった。
腐った匂いもしない、新鮮で芳しい素敵な果物だ、というのが
の感想だった。
苺という名前を聞いたことはあったが、食べたのは恐らくこれが初めてな気がする。もしかしたら、残飯の中に混ざったよく分からない何かと一緒に食べているかもしれないが、これだけ新鮮なものを食べるというのはきっと初めてだろう。
中也に食べて良いのかを聞くと、もちろん、というような答えをもらって、
は心が踊った。こんな宝石のような綺麗な果物を食べることが出来るなんて、なんて幸福なことだろうか。
けれど3つほど食べた所で、
は食べるのを止めた。
「全部食っていいんだぜ」
中也はそう言ってくれたが、こんなに美味しいものを一度に食べてしまうのがどうしても勿体なく思えて、
は首を横に振った。
「あの、もし冷蔵庫の場所が余っていればでいいんですけど。とても、とっても美味しいので、その…」
「なんだ?」
「あの………、明日食べる用に、取って、おきたいんです、が……」
そう言うと、中也は少し目を瞬かせてから、ははは、と笑った。
「そんなに美味かったか」
「あの……、はい」
遠慮がちに
が頷くと、中也は再度
の方へと苺の乗った皿を押しやった。
「そんなに気に入ったなら、また新しいのを買ってきてやる。全部食え」
中也はそんな事を言う。
は、自分がこんなに幸福なのが未だに信じられなかった。
美味しい、そう言うだけで中也は
に色んなものを与えてくれる。
は嬉しくて、申し訳なくて、けれどとても有り難い気持ちで微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
頭を下げると、中也は気にすんな、と言った。
このご恩は、僕の命を以って、お返しします。
そう言える日はきっとそう遠くないと、
はなんとなく感じていた。
2017/07/30