「持てるか」
中也の言葉に、
と名乗った少年は一つ頷いて手を差し出した。
細くて箸すら持てそうにない頼りのない両手が、中也の差し出す皿をそっと受け取る。
まだ足腰の立たないらしい
に、中也が簡単な粥を作って持ってきたのだ。寝台に上半身だけ起こした
に渡すと、
はけれどしっかりと皿を握った。
目の前の皿の中身を見て、目を輝かせている。
別段何も珍しくもない少し卵の入った本当に只の粥だが、
の様子を見るに、まともな食事も久しぶりなのだろう。
は中也に一度顔を向けて、まだ信じられないと言わんばかりに戸惑った表情を作った。
「なんだ?」
「あの……えと、………ほんとに、食べて…ぃいんですか」
掠れて喋りにくそうな声が遠慮がちに尋ねてくる。
「そのために持ってきたんだろうが」
中也が当たり前だと頷くと、
はぱっと顔を明るくした。それから何度も礼を言って頭を下げる。
「いいから、とにかく食え。ゆっくりとだぞ。胃が弱ってんだから」
何日食べていないかは知らないが、少なくとも4日以上は何も食べていない。
急に何か食べれば胃がびっくりしてしまうだろう。
中也の言にこくこくと頷いて、
はまるでとても高級で希少な何かを扱うかのように、スプーンでそっと慎重に粥を掬った。それを眺めて、恐る恐る口に運ぶ。
その粥に唇が付いた途端、
は驚いたように一瞬離した。
「、悪い。まだ熱かったか」
充分冷ましたと思ったのだが、まだ熱かっただろうか。
中也は取り分けた皿とは別に持ってきていた鍋から掬って一口含んでみると、しかしやはりそれほど熱くない。湯気ももう立たないほどだ。
の持つ皿を見てみても、もう湯気は立っていない。
「いえ、あの、すみません…。暖かいもの、を、…食べるの、久しぶり、だったから。ちょっと驚いて」
は遠慮がちにそう言った。
湯気も立っていない、どちらかと言えばぬるい粥を食べて“暖かさに驚いた”とは、今更ながら中也は大したものを拾ってしまったと思い返した。
中也はなんとも言えない気持ちになって、けれど「よく冷まして食えよ」と当たり障りの無い事を言って、
が粥を食べるのを端で黙って見ていた。
けれど何度かスプーンを口に運んだ所で、
は皿を膝の上に戻した。中身はまだ5分の1程くらいしか減っていない。
それからスプーンを進めようとしない
に、つい中也は口を開いた。
「もう終わりか?」
あまり食べられないだろうと思って少なくよそっているのに、その量ですらほんの少ししか食べていない。
は辛そうに一息付いた。
「すみません……すごく美味しいです。本当に。でも………お腹、いっぱいで……すみません」
これは相当何も食べていなかったのだろう、と中也は眉根を寄せて、皿を受け取る代わりに白湯の入ったコップを渡した。
は大人しくそれを受け取って飲むが、3分の1も飲まない内にコップを膝の上に戻す。
「気にすんな。食べる量はちょっとずつ増やせばいい」
そういうと
はやはり驚いたように中也の顔を見上げて、それから再度頭を下げた。
「ありがとうございます。すみません」
「水飲んだら寝ろ」
「……はい」
コップをサイドテーブルに戻し、中也に促されるまま
は再び布団を被って横になった。
心なしか息が上がっているように見える。身体を起こしているだけでも辛いのだろう。
中也は水差しや灯りの位置を教えると、電気を消して部屋を出た。
04
真っ暗闇の中で、
は荒い自分の息を聞いていた。少し身体を起こしていただけなのに息が上がるなんて、相当弱っているらしい、と改めて思う。
それに、中也にもらった粥も、ほんの少ししか食べられなかった。
いつもならあんなにいい匂いのさせている、沢山の新鮮な米があればめいいっぱい食べるのに、どうしてもスプーンが進まなかった。心なしか胸が気持ち悪いような気もするし、もっと食べていれば戻してしまっていただろう。それを考えれば仕方がないのだが、それでも酷く申し訳なかった。
けれど中也は嫌な顔ひとつせず、気にするな、と。
は中也との会話に驚かされてばかりだった。
この小汚い餓鬼を助けてくれるだけでもありえない話だと言うのに、ふかふかの寝台に寝かせて、あまつさえ食事まで与えてもらい、気遣う言葉をもらうなんて。
は未だこの状況が信じられなかった。
実はこれは夢でした、と言われれば
は素直に信じてしまうだろう。
寝台脇の小さな灯りが点いていて、それに照されて小さな丸いものが置かれているのに気がつく。
が中也からもらった、飴玉だった。
がずっと握っていて少し溶けた飴玉は、汚い包装と相まって、もはや食べ物にはあまり見えない。
だと言うのに、それは
には、中也と引き合わせてくれた有り難い崇高な何かに思えて仕方がなかった。
そう言えばまだ、どうして
を助けたのかを聞けていない。
まだ聞くのが少し怖いというのもあったけれど、さっきの中也の様子を見ると、怒鳴りつけたりせずに答えてくれるかもしれない、なんて淡い期待を持つ。
そうだったら良いな、と思う。
こんな汚い餓鬼を拾って世話を見るなんて、きっと何か考えがあってのことだろう。
だって、学は無いがそんなに馬鹿じゃない。
無償で人を助ける善人がこの世に存在しない事は、今までの生活から身にしみて分かっている。
だけど今なら、それだって構わない、と
は思えた。
例え中也が何か途方もない計画の一端で
を拾って、それから紛争地域に放り込まれたって、誰かの代わりに拷問を受けさせられたって、どんなに酷いことが起こったって、
は構わないと思えた。
本来ならあの暗い裏路地で死んでいた。それを、少しでも生を引き伸ばして、こんな幸福をくれた。それだけでも、
にとっては有り得ないほどの幸運なのだから。
サイドテーブルの上にある飴玉をまだ左手で握りしめて、それから、
は少し泣いた。
どうか、この幸せが1秒でも長く続きますように、と。
2017/07/09