07
武装探偵社で目を覚ました
は、周りの制止を振り切って社を飛び出した。
そのまま、今回の襲撃に力を貸してくれた御頭のもとへと向かった。
仕事や食事の世話をしてくれる、組の頭目だ。
家族を失い、路頭に迷って餓死しかけていた所を見つけて世話してくれたのが彼だった。
彼が
に目をかけて、仕事を融通してくれるお陰で
は生きている。家族を殺した下手人を、あらゆる情報網を駆使して探し出してくれたのも、御頭だった。
初めてそれを聞かされて、“家族の仇を討つ”と
が決意をした時、ではこれを持っていけ、と御頭は性能の良いナイフを差し出してくれた。
は彼だけは唯一、この世界で、この地球上で、信頼していい人間だと思っている。
騙し騙されのこの世界で、彼だけは、
の手を引いてくれた人だったから。
いつまでたっても仇をとれない
に、焦らずにじっくりと追い詰めてやればいい、と諭してくれたのも彼だった。それでも
が中々仇を討てずに焦っていく様子を見て、ではこうしよう、と最良の解決策をも授けてくれた。
もっと効率のよい、確実なものを考えた、と彼は言った。
そうして、
にあの爆弾の巻かれたベストを渡したのだ。
「君には期待している。きっと成し遂げられるさ。思い出せ、お前の家族の無残な最期を。悔しかっただろう、無念だっただろう。君は、それをした張本人に償いをさせてやる義務があるのだ」
御頭は言った。
君はそれを成し遂げることで、ようやく家族の元へと迎え入れられるのだ、と。
は覚悟した。
それは、太宰を道連れにする覚悟だった。
「御頭…!」
息を切らした
は、御頭の前に跪いた。
組の本部である御頭の邸宅、その執務室で、
は御頭を前に頭を下げていた。
「すみません、また、俺……!でも、次こそは必ず仕留めます!」
今までも、失敗の度に御頭に頭を下げていた。その度に御頭は大丈夫だ、次こそはうまくやれる、と
を励ましてくれた。
いつもならここで、いいんだ
。と言ってくれる御頭は、けれど今日は珍しく無言だった。
けれど
は疑っていなかった。
御頭は、自分に手を差し伸べてくれると。
今までがそうだったように、“なに、また次の手を考えればいい”と励ましてくれると、そう信じて疑わなかった。
けれどそれがあまりに甘い考えてあると、
は顔を上げて御頭の顔を見て思い知ったのだ。
「……散々手を掛けてやったというのに、この様とはな」
「……、…………」
心底うんざりした、と言いたげな御頭の表情に、溜息に、
は心臓が冷える思いだった。
御頭が何を言っているのか、分からなかった。
は必死で頭を働かせて、とにかく謝らなければと、より深く頭を下げる。
「申し訳ありません、御頭…!」
「生半可な覚悟では何も成せない」
「次は、次こそは、必ず…」
「もうお前は用済みだ」
「―――え?」
そう御頭が言うと、
は後に立っていた構成員にグイと腕を引かれた。
「なん…」
なんだ、と問う間も無く、頬に鈍い痛みが走る。それが構成員に殴られたのだと、一瞬後に理解した。
もう一人の構成員が、今度は革靴で腹を蹴り上げる。
それを皮切りに、構成員の2人が
に暴行を始めた。革靴で手を踏みつけられ、肘で側頭部を殴打し、ナイフで腹を切りつけられる。どれも殺そうとするものではなく、飽くまで痛めつけているだけ。
その内血反吐も出なくなった頃、ようやくそれは御頭の一声によって止められた。
「お、か、…しら……。次、こそ、は……」
「今までご苦労だったな」
抑揚のない声がそう言った。
の視界に、こちらに黒い塊を向ける御頭が映る。
塊。
あれは、
が仕事で商品として扱うものだ。
拳銃。
そうか、俺は――
「(捨てられるのか……)」
は黙って、目を閉じた。
世界で唯一信頼していた人が、もうお前は要らないという。ならば、もう自分はこの世界には不要だということだ。
自分はもう、死ぬしかないんだ。
すとん、とそれは
の心に落ちていった。
なら、しょうがないな。
この世界に、
の居場所はもうどこにもないのだと。
だったら、ここから消える以外に道はないのだと思った。
けれど、ふと胸に浮かぶ疑問。
自分の人生とは、なんだったのだろう。
なんのために、自分は生まれたのだろう。
もとから貧しい出自ではあったけれど、それでも一時のぬくもりは覚えている。確かにそこには、自分の居場所があった。
ぬくもりはあっけなく消えてしまったけれど、それでもなんとか独りで生を繋いできた。犯罪に手を染め、社会に蔑まれるような仕事をしながら、陽の当たらない場所を探して歩き歩いて、それでもなんとか生き延びた。
この苦労や苦しみは、その先に繋がる未来のために乗り越えてきたのでは無かったのだろうか。
そう思っていたのは、けれど、ただの自分に都合のよい綺麗事だったということか。
そのとおりだ、と今の現状が告げていた。
今までの苦労は、苦しみは、悔しさは、悲しさは、憤りは、全ては意味のないものだったのだと。
そう、悟った。
この苦しいだけの生活も今日で終わり、か。
そう思うと、むしろ清々した。
いい加減、疲れていた。
潮時だったんだな、と納得した。
それから、
は耳につんざくような破裂音を聞いた。
さようなら、だ。
最期に浮かんだのは、なぜか、憎き太宰の顔だった。
国木田や敦の顔ならわかるけれど、どうして太宰の顔なのだろう。
あいつを道連れに出来ずに、心底悔しいからだ。
きっとそうだ。
そうに違いないのだ。
「(―――――、痛く、ない?)」
しばらくしても弾が当たらなかったのか、
は痛みを感じないことに疑問を持った。
いや、既に体のあちこちが痛いから、銃撃による痛みを感じることすら出来なかったのか。
それとももうここは地獄だろうか。
そっと
が目を開けると、先程目に浮かんだ顔が、なぜかこちらを見下ろしていた。
一瞬、目の錯覚だと思った。
「だ……ざ、い……?」
酷く掠れた声が漏れた。
その声を拾うと、太宰は軽く眉尻を下げた。けれど何も言わずに背を向ける。彼の視線の先には、御頭がいる。
「貴様、太宰……どうしてここに…!」
さっきとは打って変わって、御頭の憎々しげな声が聞こえた。
どうやら御頭は太宰を知っているらしかった。
「
に免じて放っておいてあげたのに。おつむの方はどうやら残念な出来だったらしいね」
太宰は呆れた、とでも続きそうな声音だった。
「あなただろう?家族の仇が私だと
に吹き込んで、仇討ちをするように仕向けたのは」
「……そうだ。それは俺が拾って世話を見た餓鬼だ。俺のいいように扱って何が悪い。貴様だって、そうして来ただろうが」
「小さい人間だねぇ。正面切って私に喧嘩を売る度胸もないくせに、子供一人にそれをやらせようなんて」
どういうことだ、と聞きたい
の疑問に答えるかのように、太宰は一瞬
を振り返った。視線をもう一度
に寄越して、それから
にも見えるように御頭に向けて指をさした。
「君の大事な家族を殺したのはこの男だよ」
は、太宰の指の先に視線を向けた。
その先にはもちろん、自分の唯一信頼する男がいる。
「(どういう……ことだ……?)」
血が足りなくなって朦朧とする意識の中で、それでもどこかでクリアな思考が疑問を投げかける。
そんなハズはない。
だって、だって、両親を殺したのは太宰だと、いろんな情報網を駆使して調べて、やっと彼奴を見つけたと、そう言って。
「う、そ……だ……」
「残念ながら真実だ。私は君の家族を殺していない。4年前、君の家族を皆殺しにしたのはその男だよ」
嘘だ、と言ってほしかった。
今まで、あんなに優しくしてくれたのに。飯を抜かれた時も、酷いぽかをやらかして怒られた時も、飯を食わせてやれ、その辺にしておいてやれと、助け舟を出してくれたのはいつもこの人だった。
だから、だから。
――嘘だと言って
「だったら何だと言うんだ。貴様が殺して来た人間の数に比べれば、それくらいなんとでもないわ!」
金槌で頭を叩かれたような衝撃だった。
もう、否定すら、してくれないんだ。
は何を信じていいのか分からなくなった。
彼は、御頭は、自分が唯一……唯一信頼する、人、だったのに。
彼は、では、彼が家族を皆殺しにしたというのか。
皆殺しにして、でも、仇は太宰だからあの男を殺せと、そう言っていたのかと。
今までのあの優しさも、どれもこれも嘘だったと、そう言うのか。
目から零れた雫が、付いた血を絡め取りながら頬を伝い、床に落ちた。
「そん、な……」
急激に意識がしぼむ。
ああ、こんなの嘘であってほしい。
今まで自分が唯一縋っていたものが、実は全て幻だったなんて。
もう、なんでもいい。
どうでもいい。
どうせ、自分はもうここで死ぬのだから。
そこで
の意識は途切れた。
2017/04/01