03








「太宰、覚悟!」

武装探偵社の事務所に元気な声が響く。
言葉と共に繰り出されるのは本物のナイフで、それによって切りつけられた書類が無残にも真っ二つになる所を見ても切れ味は本物である。それが人に向けられているというのに、事務所の人間にとってはもはや慣れた光景で、その声に反応を返すのは律儀にも行方を見守ろうとした敦くらいのものだった。

ヒュ、ヒュ、と音を鳴らしてナイフが空を切る。
いつものように、それを軽くひょいひょいと避けているのは当然、その標的である太宰である。
机の周りはそんなに広くはないので、太宰は攻撃を避けながら器用に入口前の小さな空間まで移動した。

「君も飽きないねぇ」
「死ね、太宰!」
「だから君に言われなくっても、その内死ぬって言ってるのに」

この会話ももはや聞き慣れたもので、「あ、あのー……」とそれとなく止めるかどうするか迷っている敦の横で、今日もと太宰は元気に物騒な攻防を繰り広げている。いや、元気なのはだけだが。

、程々にしとけよ」
「分かってるよっ!」

なぜか「奇襲を仕掛けるならば武装探偵社の事務所でし給え」と言う太宰の言葉に律儀にも従って、は奇襲を仕掛けるのは探偵社の事務所でのみになっていた。
国木田は、その提案を素直にのむに、本当に大丈夫だろうか、と心配したのは言うまでもない。
それに、事務所でどんぱちされても困る、と当然の如く太宰に文句を言ったものの、公道で人様に迷惑をかけてもいいの?けが人が出てもいいの?という太宰の言に、一般人を巻き込むよりはよいという判断のもと、“探偵社の他の人間に危害を加えないこと”、“迷惑を掛けないこと”を条件に、非常に渋々な上に納得していないながらも国木田は引き下がったのだった。
事務所に出入りするのなら名前くらい教えろ、そう国木田に言われて、は素直に名前を名乗った。
名乗ったのは国木田に対してであり、太宰に対する態度は相変わらずだったが。

「こ、のっ……!」

いつも身軽に避けられるのに腹を立てつつも、はめげずにナイフを繰り出す。
ナイフ術の訓練も初めて、その中で学んだ事を活かしていつもとは違う攻撃を混ぜながら、不意を付くようにナイフを操る。

「脇が甘いね。それに狙うならここだろう?」

太宰は難無く攻撃をかわしながら、時に煽るように何かに言い含める。すると誘われているとも気付かずに、は太宰の思惑通りの攻撃をする。
太宰にとっては全く、やりやすい相手どころか、そもそも相手にもならないのだが。
太宰は基本的に反撃はしない。いなすために腕を引いたり、胴を押したりといったことはするが、基本的に受け身一方だ。反撃するまでもない、というのが本当の所だったが。
しばらくそんなやりとりをしながら、もはや慣例と言ってもいいようなナイフでの攻防が事務所の中で奇妙に行われていた。
その内、いつもにはない太宰の隙に、ここだ、と渾身の一撃をが繰り出した、筈だったが、太宰は少しそれを面白そうに見ただけで、やはりいつもと同じようにあっさりと身を捻ってかわした。どちらかと言うと、その隙はわざと作られた罠だったようにも思える。
そして重心をしっかりと前に持っていっているの横に周り込んで、ひょい、と軽く足を引っ掛ければ見事には地面と熱い抱擁を交わす羽目になった。
どすん、とその上に太宰が乗る。
もちろんナイフを取り上げて、腕を捻り上げる事も忘れない。

「まだまだだねぇ」
「~~~っ、くそっ!!どけよ!」
「君ねぇ、もうちょっと周りの迷惑を考えてくれる?」
「迷惑は掛けてない!」
「いやいや、さっき君、私の作った書類を切り刻んでたでしょ」
「お前以外には、迷惑は掛けてない!」
「うわー確信犯だったか」

確かに、散らかっているのは、と言ってももとよりそれほど綺麗な机ではないが、散らかっているのは太宰の机の上だけである。
切り刻まれたのも、全て太宰が作った書類だけだった。

「やれやれ、これじゃあ仕事にならないね」
「貴様が仕事をサボるのはいつもの事だろうが!」

すかさず国木田の突っ込みが飛んでくる。それに太宰は肩を竦めると、の上から退いて立ち上がった。

「はい、今日はもうお終い」

そう言って、太宰は手に持ったナイフを、横で事の成り行きを見守っていた敦に渡してさっさと自席へと戻って行った。

「……くそっ!」

上半身を起こして地面に座り込む少年に、敦が寄っていく。

「大丈夫?」
「……うん」

もはやそれも見慣れた光景になってしまった。
太宰以外に対しては、それなりの態度を取るである。恨みがあるのは本当に太宰にのみで、それ以外には存外に素直で大人しい様子を見せた。

「はい、コレ」
「……悪い」

敦がナイフを渡しても、はもう今日は太宰に攻撃を仕掛けるつもりはないようだった。大人しく腰のホルダーにナイフを戻す。
以前はその制止の声を振り切ってしつこく攻撃を続けていて、国木田に雷を落とされたことがあったのだ。
やかましい、と。
探偵社への出入りを禁止にするぞ、と脅されて、は素直に謝罪して、以降は素直にキリのいいところで手を引くようにしていた。
素直に謝罪したり、指示に大人しく従ったり、本当は大人しくて素直な子なのだと、探偵社の人間は分かっていた。
それがなぜ太宰を殺すなどと息巻いて、3日と間を空けずしてこうして足繁く通ってくるのか、それは皆の疑問でもあった。けれど、はその問に関してはいつも、「あいつが俺の仇だから」としか言わず、詳しい事は何ひとつ口にしようとはしなかった。
太宰も否定はしないので、恐らくそうなのだろうとは思っているのだが、それだけにに同情してしまいそうになる社員も多い。
その恩情もあってか、こうして頻繁に奇襲をかける蛮行も、目を瞑ってもらっているというわけなのである。

「えーっと、……惜しかったね?」

落ち込んでいる風のに、敦は励ましの言葉を考えて、けれどいいものが思いつかずに思った事をそのまま口に出して言った。
事務所の端で微かに誰かが吹き出して笑う声が聞こえたが、敦はから笑いをしながらも聞こえないフリをした。
太宰を仕留めて欲しいとなどとは微塵も思ってもいないが、こう落ち込む姿を見ると何か声をかけてやらねば、と思ったのだ。あまりその成果はなかったようだが。
しばらく悶々と考え込むように座り込んでいただったが、考えても仕方がないと思ったのか、頭をフルフルと振ってからバチン、と自分の両手で頬を景気良く叩いた。

「くそっ!」

は思い切り立ち上がると、太宰に向けて口を開いた。

「覚えてろよ!次はないからな!」

型通りな言葉を吐くと、早く帰れと言わんばかりに太宰はひらひらと手を振った。
それにはさらにひと睨みしつつ、今日も今日とて元気に戸口に立った。
社内を振り向いて、

「失礼しました!」

それだけ事務所全体に向けて大声で言い放ち、そっと扉を開けてパタパタと帰って行く。
最近ではそれに対して「お疲れー」と社内から声が返る始末で、これが日常になりつつあることに敦は和んでいいのか、困っていいのか、焦った方がいいのか、よく分からなくなった。

「いつもながら見事な捨て台詞だな」
「そうですね。そしてちゃんと挨拶していく辺り、偉いですよね」

国木田の言に対して、敦も苦笑しながら同意して、自席に戻った。

「しかし太宰、いつまでこの茶番を続ける気だ」
「少年に聞き給えよ。私が好きでやってるわけじゃない」

太宰は肩を竦めて見せるが、そうは言いながら、と国木田は考える。
が仇討ちと言って事務所を訪れるようになってから既に1ヶ月以上が経過していた。
この期間だけでも、はめきめきとナイフ術の腕を上げている。そんなことは、攻防を見ていればすぐに分かった。
動きのキレや、ナイフの扱い、攻撃の読み方、間合いの取り方、それらがぐんぐんと良くなっているのだ。
そして、まるでそれを指導するかのように、太宰がの相手をしているのだということも、国木田は薄々感づいていた。太宰はそれをおくびにも出したりはしないが。

「最後の一撃はいい線を行っていたな」
「うん、もうあんな手が出せるようになるとはね。少し驚いたよ」
「我流ではあるようだが、日頃訓練をしているのだろう。動きがどんどん良くなっている」
「そうだね。彼はセンスがある。良い使い手になるよ」

太宰が珍しく素直にそう褒めるので、国木田は少し意外そうに太宰に目をやった。
太宰は先程無残な姿に変えられた書類を片付けながら、どこか含みのある笑みを浮かべていた。

「(やはり、か)」

なんの思惑があるのかは知らないが、しかしこれがうまくいい方向へ転がればいいのだが、と国木田はメガネを押し上げて、先程までしていた業務に戻るため、パソコンに向き直った。










2017/03/04

神もなく しるべもなくて 03