生きるすべ、だった










赤ら顔が、真上からを見下ろしていた。のしり、と力強い体が体重をかけてきて、小さなの体を畳に縫い付ける。

「………何か、用」

ひっく、と、天井を背景にした眼の前の短刀の喉が時折鳴る。長い髪がの方にも垂れて来て、わずかにこそばゆい。

「信長様はなぁ、大層お好きだった」
「……」
「衆道は武士の嗜み、なんだそうだ」
「……?」

何を言っているのか、にはよく分からなかった。
信長というのは、確かこの人がたまに言っている前の主の名前だ。教科書で見たことがあるような気もする。が覚えているくらいなのだから、有名な人なんだろう。その人が何かを好きだった、と言ったのだろうことは、何となく分かるのだが。
不動行光が何を言っているかはよく分からなかったが、何をしたいかはでもすぐに分かった。
最近少し身重が伸びたとは言っても、まだ不動よりいくらも小さいし、もとより相手は戦場に出る刀剣男士の力だ。がちょっとやそっと押し返した所でびくともしない。
上に跨っている不動の顔が、ゆっくりと降りてくる。その赤ら顔がニヤリと笑った。右手に持っていた甘酒の瓶を近くの畳の上に置いて、の両手を顔の横で畳に縫い付ける。

「………」
「あんたは、なるべく俺たちの希望は叶えてくれるって言ったもんなぁ?」

仄かに酒の匂いのする呼気が顔にかかった。
どうやら、彼は夜の相手をご所望らしい。

「……そっか。刀剣男士も男だから………そういう相手も、必要なのか」

なるほどな、とは素直に納得した。
今までそういう類のことを言われた事が無かっただけで、本来ならそういうの(、、、、、)も審神者の仕事なのだろう、とは考えた。神様はみんな優しいから、まだ体の小さいには遠慮して何も言わなかっただけなのかもしれない。
この不動行光という刀は、けれどそういう遠慮はしないらしかった。短刀故か子供のような成りをしているが、数百年を生きる刀の付喪神だ。常に武人の身の回りに置かれていたというし、そういう方面だって知らないわけはないということか。

「分かった、いいよ。好きなようにして」

そう言って、は抵抗も何もせずに大人しく目をつぶった。刀剣男士が欲するならば、それを与えるのは審神者の仕事だろう。
ただ、そう思った。
しかしそれに、返って不動がきょとん、とした顔をする。なんだその反応は、とでも言いたげな顔だ。
不動が期待していたのは、慌てふためいて逃げていく審神者の姿だ。
ちょっとからかって、いつもと違う審神者の様子が見られればそれで満足だった、はず、なのに。
しばらくしても不動が何もしてこないので、審神者の少年は目を開けた。
不動が、面白くなさそうというよりも、どこか困惑した表情でを見ていて、結局何も言わずに起き上がっての上から体をどかした。
先程まで饒舌だった口は閉ざされて、面白くなさそうにへの字に曲がっている。

「……どうしたの」

上半身を起こして、どこか困惑したような様子の不動に尋ねる。

「いや、お前……」
「?」

不動が何もしてこないので、は少しの間首を傾げていたが、すぐに慣れたように袴の帯を解いて袴を脱ぎ始めた。続けて内衣の合わせを何の躊躇いもなく解こうとするので、思わず不動はその手を掴んでいた。

「?……遠慮はいらない、けど」
「ーーー」
「……脱がすのは自分でしたい……とか?」

不思議そうに首を傾げるに、不動は酔いが覚めたように笑みを消し、眉間に皺を寄せた。

「あ、場所、変える…?」
「……、…………嫌じゃ、ないのかよ。お前」
「?別に………慣れてる、し」
「慣れて……?」
「……貧民街では、僕の仕事の一つ、だったから」
「!」
「あ、だから、ごめん。僕、汚いけど。嫌だったら、えっと、そういう仕事の人手配出来るか、こんのすけに聞いてみる、けど。ちゃんとした、人。……どうする?」

そんな事を、審神者の少年は至極真面目に言う。
その顔に、嫌悪や羞恥や、想像していたどの感情も無いことに、不動は呆気に取られた。いや、むしろのその慣れた様子に、困惑すら覚える。もしかして自分はとんでもなく無神経なことをしたのではないか、と頭の端で考える。
袴を脱いだ審神者を見ていられなくなって、不動は顔を背けてうつむいた。

「……悪かったよ」
「……?」

仮面でも付けたようにいつも無感動なその表情が、何か別の、ちゃんとした“感情”を乗せるのを、見たかっただけだ。
それなのに、審神者は慌てるどころか、むしろ気を使うような事を言ってくる始末で。
ましてや、慣れている、だなんて。
汚い、だなんて。
そんな事を言わせたかったわけじゃない。

「お前の事、からかってやろうと思っただけなんだ」
「…そう?」
「……汚いとか、言うなよ」
「?ホントのこと、だし」
「汚くねぇよ!……仲間を助けてくれた、綺麗で、高潔な手だ」
「………」

はまた不思議そうに首を傾げていたが、不動はため息を一つついた。
一体、自分は何をやっているのだか。
不動が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、廊下から人の近づく気配を感じて、パッと振り返る。障子戸の木枠をノックして入って来たのは、内番着姿の鶴丸国永だった。
一歩部屋へと入ってきた鶴丸は、微妙な空気のまま固まっている二人を見て、訝しげにわずかに眉根を寄せた。審神者は袴を履いていないし、不動は渋い顔をしている。
どうした、とつい不審気に声を掛けたが、不動は審神者に向かってもう一度謝ると、鶴丸の問には答えずにそそくさと部屋を出て行った。
何かがあったのだろうことは、今の雰囲気で何となく察した。それがあまりいい出来事では無さそうだと思いながらも、鶴丸が障子戸を閉めながらどうしたのかと再度尋ねると、は首を傾げて「からかわれた、みたい」と言ったのであまり意味が分からなかった。
しかし、その後鶴丸がに尋ねられたことで、おおよその事を理解した。

「鶴」
「どうした?」

改めて鶴丸に審神者装束を着付けてもらいながら、はいつものように口を開く。

「夜の相手をするのも、審神者の仕事?」

言われて、思わず鶴丸の手が止まったのは無理もないだろう。
だというのに、の表情はいつもと変わらず、あまり感情をのせてはいない。手入れが審神者の仕事か、そう聞くのと同じように、夜の相手も自分の仕事か、と、そんな事を平気な顔で聞いてくる。

「……どうしてそんな事を聞くんだい」
「さっき、不動が僕に夜の相手をしろって言ったから」
「!あいつ……」

それで袴を脱いでいたのか。
は多くは語らなかったが、貧民街の出自で、そういう仕事をしていたこともあるとちらりと零したのを聞いた刀剣が居た。そのことは、一期一振や和泉守など、極一部の刀剣男士のみしか知らない。
鶴丸は眉根を寄せつつも、いつもと変わらない表情でそんなことを言ってのけるに、袴の紐を締める手先が冷えていく心地がした。
彼はこの年にして、多くの辛い経験をしている。なのに、常人であれば感じるような、辛さやその他の感情なんて微塵も感じていないかのように、淡々としている。
それは彼の強さかもしれないが、時折、鶴丸はそれが酷く危ういと感じることがある。

「……冗談だったみたい、だけど」
「だとしても問題だ。幼な子になんてことを…」
「……それは、別に。慣れてる。でも、それも僕の……審神者の仕事なんだとしたら、僕はみんなに気を使わせてたのかな、と思って」

がそう言うと、鶴丸は悲しそうに目を細めた。
彼は、は、閨の相手をしろと言われても、きっと眉一つ動かさなかったのだろう。それどころか、自分のことではなく、刀剣男士のことを気遣うなんて。

「……君が世間知らずなのは知っていたつもりだが、ここまでとは」
「?……なんで?」
「はぁ……。主、それは審神者の仕事じゃない。そんな事はしなくていいんだ」
「……そうなの?」
「そうだとも。頼むから、そんな悲しい事を言わないでくれ。心臓が潰れちまいそうだぜ」

心底不思議そうにするに、鶴丸は頭を抱えたい気分になった。
だいぶ彼の思考回路が分かってきたと思ったら、背後から不意打ちを食らうようなことが、まだこうしてあったりする。まだまだ、が”普通の”人間のような考えを獲得するには、今しばらく時間が必要なのだろう。
けれど、どうってことない。
時間はまだ、たくさんある。
に寄り添う刀剣男士も、以前に比べれば随分増えた。鶴丸だって、辛抱強く付き合うつもりだ。だから、大丈夫だと、以前であれば思えなかったようなことが、今では普通に思えることに、鶴丸は心を引き締めた。
急ぐ必要はない。まだまだ、始まったばかりなのだから。この本丸も、の審神者の仕事も。

「?ごめん。でも、僕は別に、へいき。だから、もし必要になったら、言って」
「君なぁ……そんな事言うやつには、こうだ!」

そう言うと、鶴丸はこしょこしょとの脇の下や腹をくすぐりだした。

「わ、鶴、やめ……くふ、…ふふ」
「あっははは!もうそんな事言わないって言ったらやめてやる」
「わ……分かったったら……ふ、ふふ」

こしょこしょとくすぐられて、二人はまろびながら笑いあった。
の笑みはまだどこかぎこちない。けれど、ちゃんとした笑みが顔をほころばせていた。
折角着付けてもらった袴着もまたぐちゃぐちゃになってしまって、部屋に入ってきた一期一振に呆れられてしまうのは、また別の話。







2019/03/21