南の楽園 <後>











は今日もいつもの時間に、いつものバーの扉をくぐった。
一番最初に訪れた少し洒落たバーだった。
昼間は町を散策し、夜は毎日違う市井の食事処で夕飯を取り、そして夜も少し更けたいつも大体同じ時間に、は最初の日に立ち寄ったバーへと来るのが日課になっていた。
そのカウンター席の奥から2番目の丸椅子が、ここ最近の指定の席だ。
すでにがシンドリアへ来てから10日ばかりが経っていた。

「(そろそろだと思うんだけどなぁ…)」

バーに入ってから奥から2番目のカウンター席に目をやると、奥から4番目の席、つまりが座る席から一つ開けた席に、珍しく人の姿があった。
それなりに落ち着いたこのバーはこの時間、連れ合いが訪れる事が多く、カウンター席は空いている事が多かったのだけれど、今日はどうやら同様に独り身の人間が居るらしかった。

「マスター、一昨日のやつお願い」
「おや、昨日のはお気に召さなかったかい」
「そういうわけでもないんだけど。今日はちょっとさっぱりしたのが飲みたい気分だから」
「はいよ、承知しました」

こちらもだいぶ慣れた風に、少し年配の品のいいマスターは渋く笑った後に酒を作りにかかる。
しばらくして出てきたカクテルをちびちびと飲みながら、マスターの手が空いていそうな時に、こちらも恒例となった情報収集を始めた。

「シンドバッド王の身に付けるあの装飾品、何か意味でもあるんですかね?」
「ん?どうしてだい?」
「町の人々から聞く“シンドバッド”って人は、どうもそういう高価な装飾品やブランド物をあんまり好まない庶民的な人のようにあたしは思ったんだけど。でも遠目に見た限り、だいぶ派手に、しかも色んな装飾品を付けておられたんで、何か意味でもあるのかなと」

数日前に偶然にも、市井にある果樹園を視察におとずれているシンドバッド一行を遠目に見ることが出来た。
近くには寄ることが出来なかったのでしっかりとは見られなかったが、紫の長い髪、整った顔立ち、金色に光る装飾品は遠目からでもよく分かった。

「なんでも不思議な力を使うのに必要なんだって聞いたことがあるけどね」
「不思議な力?」
「ほら、シンドバッド王は不思議な力を使いなさるからね」
「へぇ、見たことあるの、マスター?」
「僕は見たことはないけどね。南海生物を倒す時に使ったりするってんで結構有名な話だよ」
「ふーん」

それは7つもの迷宮を攻略したことと何か関係があるのだろうか。
そんな事を思っていると、いつもはない声が珍しくに話しかけてきた。

「随分とシンドバッド王に興味がおありなんですね」

一つ席を空けて隣に座っている、青年だった。
白い髪を隠すように頭にはターバンを巻き、袖口の広い服をまとっている。
独り身の人間がバーなどで話掛けられる事はそんなに珍しいことでもないので、は青年の方をちらりと向いて普段通りに口を開く。

「そりゃあそうですよ、なんて言ったって超有名人ですからね」
「それはそうですね。だからここ数日、シンドバッド王の情報ばかりを集めているのですか?」

来た、とは心の中でガッツポーズした。
こういう人間を待っていたのだ。

「あれ、もうそんな噂になってるんですか?」

けれどはそんな気持ちはおくびにも出さず、トボケて見せた。
白々しい、そう思ってるんだろうなとは青年を見たものの、青年はしれっと頷いた。

「ええ、シンドバッド王の身辺を嗅ぎまわっている外国人が居ると聞いたものですから」
「これはこれは、さすがお耳が早いですね」
「世辞は結構です。どうしてシンドバッド王の情報が必要なのです?」

探りに来た事を隠そうともせず、青年は目を鋭くさせてからを見返した。

のここ数日の行動は、全てこのような人間をおびき寄せるためにした行動だった。
シンドバッド王の事を、隠すでもなく人々に聞いて回っている人間がいる。しかもそれは最近入国したばかりの外国人だ。
バカンスと言った風でもない帯剣した女一人がそのような行動をしていれば、嫌でも目につくだろう。
そうして、八人将の配下の人間でも探りに来てくれれば、こちらから出向く必要もなくなるという寸法だ。

「ほとんど興味本位なんですけどね。まあ、でも一度お目にかかれればとは思ってるんですけど。ちょっと野暮用がありまして」
「へえ。それは興味深い。外国人のあなたが、王にどのような用事がおありで?」

青年の目が少し鋭くなる。
その視線を受けておきながら、は敢えてニコリと、随分と愛想のいい笑みを浮かべた。

「大した用じゃないんですけれどね。大丈夫、あなたが考えるような物騒な事じゃありませんから、八人将のジャーファル殿」
「!……」

ガタ、と青年、ジャーファルがほんの少し目を見開いて立ち上がった。

「……気づいてらしたんですね」
「その反応を見ると、当たりでしたか?これはツイてる」

それは楽しそうな笑顔で笑うにジャーファルはジト目で見ながら、ごほん、と咳払いをした。

「はい。改めまして、私はこの国で政務官をしております、ジャーファルと申します。いつから気がついていたんですか」
「もちろん、最初からです。いえ、あなたが八人将のジャーファル殿だというのは知りませんでしたが、相当な手練だな、と」

一般人であれば、ジャーファルの完璧なまでの立ち居振る舞いに別段怪しむことはなかっただろう。
けれど、からしてみると、袖の下に隠されているだろう武器や、彼の周囲への警戒ぶりは見ていてすぐに知れるものだった。
それは並大抵の人間がしようと思って出来ることではない。
それを、朝飯前だとでも言うように、彼は当たり前にこなしている。それくらいのことは一目見れば分かった。
八人将の配下かとは思ったけれど、これはどちらかと言えば八人将そのものでなければ持ち得ないような力だと思ったのだ。
八人将の特徴だけは噂を聞いて知っていたので、その特徴と照らしあわせて、結果合致したのが“政務官ジャーファル”だったという事だ。
ジャーファルが袖の中で暗器らしき“何か”を再度確認したのを目ざとくもは感知して、ほんの少し目を細める。

「……あなた、何者です」
「申し遅れました、あたしは。戦場を探して世界を旅しているただの傭兵です」
「傭兵がなんだってこんなことを?」
「まあ、話せばちょっと長くなるんですけどね。実はあなたにお願いしたいこともありまして。聞いて頂けます?」
「………聞くだけならば、致しましょう」
「十分です。マスター、奥の部屋借りるよ」
「はいよ」

奥には静かに飲める完全個室になっている部屋がいくつかあった。
その中の一つ、こんな事もあろうかと予め予約していた個室には入っていった。
先に入ったを見ながら、ジャーファルは出入口の所で入る事を躊躇しているようだった。
それはそうだ、こんな怪しい人間と密閉された空間に入ってよいものか、迷うのは当然だろう。

「そんなに心配しなくても、あたしはあなた方と敵対したいわけでもないし、戦いたいわけでもないので安心してください。それに多分、あたしはあなたに歯向かった所で見事に返り討ちにあうのが関の山でしょう。自分の力量は弁えてますからね」

そう言って何でもない事のように肩をすくめて見せる。

「なんだったら剣をお預けしましょうか?ついでに全て(、、)外してもいいですが」

は腰にさしてあった剣を鞘ごと机の上に置いて、更には靴の底を指指した。
靴底や腰の後ろなど、剣以外にも隠し持っている武器を指して“全て”と表現したが、ジャーファルは呆れたように首を横に振った。

「いえ、結構です。非常に酌ですが、とりあえず、あなたを信用することに致しましょう」
「それはありがとうございます」

小さな嫌味もには嫌味にはなり得ないようで、終始ニコニコしているにジャーファルは頭を抱えたくなった。

「それで、お願いしたいこととはどのような事でしょうか」
「はい。大それた推測までして頂いて大変恐縮なんですが、実はとある国のとある方から、あるものを預かっておりまして」
「勿体ぶらないで頂けますか、こう見えて忙しいもので」
「おっとこれは失礼。では単刀直入に申し上げましょう。ラース王国の末の王女、メイラー王女様よりシンドバッド王への恋文を預かっております」
「…………………………はい?」
「ですから、恋文を」
「…………」

ジャーファルは数回まばたきをした後、それはそれは長い溜息と共に頭を抱えてしまわれた。
中々おもしろい反応にはこれは意外に役得な仕事だったかもしれない、と内心思う。

「………一応、経緯をお聞きしましょうか」
「経緯、ですか。そんな大事が起こったわけではないんですが」

はジャーファルに、自分が魔獣討伐にラース王国に出向いた事、その帰りになぜかメイラー王女に雇われ恋文を預かった事、それからシンドリアに渡ってどうやって“シンドバッド個人”に恋文を渡すのかを思案していた事を話した。

「いや、まあ王宮に赴いても良かったんですけど、それだとさすがに“個人的に”というメイラー王女の条件に反してしまうと考えまして。側近から“個人的に”お渡し願えないかと。ジャーファル殿が来てくれて助かりました。お預かり、頂けますか?」
「…………………、………致しましょう」

そう言って心なしか疲れた顔をしたジャーファルが手を差し出した時、

「それは本人に渡すのが筋というものだろう?」

個室のドアが開いたと思ったら、ハスキーな声と共に紫色の髪の美丈夫が現れた。
見まごうはずもない、果樹園で見た顔だ。すなわち、このシンドリア国の国王、シンドバッドその人だった。

「……こ……れは、シンドバッド国王陛下。まさかこんな所でお目にかかれるとは思っていませんでした」

驚きもつかの間、なんとかいつもの調子では口を開いた。王に向って拱手するのも忘れない。
シンドバッドはしれっとがジャーファルに向けて差し出していた文箱を受け取っていた。

「シン様?!どうしてここにいるんです!?」
「まあ、いいじゃないかジャーファル君」

ジャーファルの剣幕にも慣れたもので、シンドバッドはまぶしい笑顔で軽くあしらって見せた。
言葉の最後に、さりげに「面白そうだし」と付け加える当たり、慣れているなんてものじゃない。確信犯だろう。

「初めまして、お嬢さん。一応ここでは“シン”と呼んでもらえるかな?まあバレるも何も皆よく知ってるんだがね」
「はあ…」
「名前をお聞かせ願えるかな?」
「これは申し遅れまして失礼しました。しがない傭兵をやっております、と申します」
。話は聞かせてもらったよ。任務ご苦労様だったね」
「いえ、あたしもだいぶ楽しませてもらったんで」

シンドバッドは自然な動作での横に腰を落ち着けて酒を注文している。
は若干度肝を抜かれたが、けれどシンドバッドがあまりにも自然体でいるものだから、なんだか緊張するのも忘れてしまった。
服装も公務の際にしていたものではなく民衆が来ているものに近かったし、装飾品もイアリングと腕輪があるくらいで、至って簡素なものだった。

「中を拝見してもいいかな?」
「それは既に陛下にお渡ししましたので、それは陛下の物です」
「そうか」

そう言ってシンドバッドは手慣れた手つきでビロードが張られた箱を開けて、高級そうな綺麗な透かし文様の入った、仄かに香の香る紙を広げて文字を読み始めた。
もちろんその中身を覗くほど野暮ではない。はその横で静かに酒に口を付けて、シンドバッドが読み終わるのを待っていた。
そう長くもない時間が過ぎてから、「なるほどね」とシンドバッドは手紙を畳んで元のように箱に収めた。

「何の変哲もない、本当にただの、恋文だ」

それを聞いてジャーファルが気の抜けたような呆れた顔になる。
どうやらジャーファルも、そしてシンドバッドも、の持ってきた物が恋文以外の“モノ”である可能性を少しは考えていたらしい。
そんな大それたものじゃないと言っているのに、とは口角を持ち上げて空笑いをした。

「それで?君はこれの返事を持って帰った方がいいのだろうね?」
「いいえ、それには及びません」
「返事は要らぬと?」
「はい。そのように伺っております。ただ本当に、それを渡したかっただけらしいので」
「では、メイラー王女はどうやってこれが俺の元に無事渡ったと確認するつもりなんだ?」
「あたしがこれからもう一度ラースへ赴き、手紙を渡した事の報告をする予定です」
「ほう。王女は本当に君を信頼していると見える」

何も持ち帰らぬでも良いという事は、すなわち、報告をするの言を全面的に信用するという事だ。
よほどを信用していなければ出来ない事だろう。

「止してください、そんなんじゃないですよ。多分、嘘を言ってるかどうかが分かる魔法でもあるんじゃないですかね」
「なるほど。確かに、あの国はそれなりに魔法に対して鷹揚な国でもあったな」
「そういう事です」
「(……それだけでも無い気もするがな…)」

恋文を渡すだけの任務だというのに、その傭兵を国一番の宿に泊めたり、滞在費を全て賄ってやるなど、やはり王女やラース王国から見たこのという女傭兵は、それなりに信が置けるということなのだろう。
それに応えるように、はしっかりと任務を遂行して見せた。

「ちなみに、君はラース王国へと報告した後はどうするつもりなんだい?」
「あたしですか?まだ決めてませんが…まぁ、また戦争を探して次の旅をするだけだと思いますが」
「そうか。、良かったらこの国で働かないか?」

それには、さすがにも面食らったように目をぱちくりとさせた。
話しを聞いていたジャーファルも同じ心境なのだろう、“なに言ってんだ”というような顔をしている。

「……えーっと、おっしゃる意味がわかりませんが」
「そのまま、さ。その腕を、戦争で活かすのではなく、シンドリアで活かしてみないかと言ったんだ」
「はぁ……。ちなみに、何を思ってそうおっしゃってくださるのかを聞いても?」
「俺の勘だ!」

堂々と、あっけらかんと言い切るシンドバッドに、はぷっ、とついつい吹き出してしまった。

「あっははは!これは奇なことをおっしゃる!さすがは噂に聞くシンドバッド国王陛下様ですね!」

くくく、とはしばらく腹を抱えて笑っていた。
ようやっとそれが落ち着いて来ると、すみません、と目尻に溜まった涙を拭いながら、再びシンドバッドの方を向き直った。

「いえ、大変嬉しいお申し出ではあるんですが。謹んで、辞退させて頂きます」
「おや。どうしてだい?」

シンドバッドはそれを予想していたかのように、あまり驚かずに聞き返した。

「お分かりでしょう?あたしはもうずっと戦場を歩いてきました。もう、戦場でしか生きられない。こんな平和な国に居たら、牙も爪も全てもがれて使い物にならなくなりますよ」
「そうか、それは残念だ」
「すみませんね」
「いや。もし気が変わったらいつでもシンドリア王宮の門を叩くといい。歓迎するよ」
「ありがとうございます。頭の片隅にでも覚えておきます」
「そうしてくれ」

それから王の好意に甘えて、二人が帰った後もカウンターに戻っては存分にタダ酒を満喫していた。
これでこの国でのバカンスも終わりかと思うと少し残念だが、どこか安心しているのも確かだった。
それこそ先ほど自分が言った通り、道端に寝たって無傷で朝を迎えられるようなこの国にいては、牙も爪も、自分が今まで培って来たものが全て無に帰すだろうと思えてしまうからだ。
それほどまでに、シンドリアは平和だった。
陽が昇れば船の切符を買って、明日の内にはこの国を出よう。
そう思いながら、は店主に礼を言って、チップを多めに払ってから店を出た。




見上げれば、悠然と佇むシンドリア王宮。

「見納め、か。いい休暇だったな」

はニヤリと笑って踵を返した。王はああやって誘ってくれはしたが、実際にこの国にもう来ることはないだろうな、と思いながら。












2014/06/18