この国の主要な通りはどこも行き交う人でごった返していた。
そのみんながみんな、笑顔で行き交い、店先では威勢のいい声が飛ぶ。

はそんな風景を見て、へえ、と感心のような呆れのような息を漏らした。

「楽園、ねぇ…ただの噂だと思ってたけど」

シンドリアに憧れを持った人間の、尾ひれ背びれがついたただの噂だと思っていたけれど。
あながち、その“楽園”の名も伊達ではないようだ。
行き交う人々の表情や国民の生活ぶりを見れば、でさえそんな感想を持ちそうだった。
が、長らく戦場を渡り歩いてきたにしてみると、どうにもむず痒い国である。

平和である、そのことに酷く落ち着かないのだった。

警戒しなくても良い、武器を持たなくても良い、そのように治安のいい国はむしろ今までが避けて通って来た部類の国だ。
戦争を渡り歩き、自分の腕っ節で食べてきたである。平和な国よりもむしろ戦争のある国を選んで旅して来たには当然と言えば当然なのだが、あまりの落差に逆に気を抜けないような気になってきてしまうのだから、悲しい職業病である。

「ま、バカンスだと思って好きにやらせてもらうさ」

そう、バカンス。
これは運良く懐に転がり込んできた“ボーナス”のもたらす、バカンスに他ならないのだ。










南の楽園 <前>











つい先頃、とある国からの船に乗ってシンドリアへの入国を果たしたは、町の喧騒の中をのんびりと歩きながら、地図を頼りに宿へと向かっていた。
見えてきた宿は、二度見してしまうほどには、あまりに想像とかけ離れていてはのけ反りそうになった。

「………これは……さすがに…………」

二の句が告げないとはこの事である。
開いた口が塞がらない。
悠々とそびえ立つ巨大な建物、綺羅びやかな装飾。
恐る恐る建物内に入ってみると内装も外装に違わず派手やかで、はフロントまで来た所で本当にここで合っているのかが不安になって来た。
けれど、名前を言えば「お待ちしておりました」と恭しく頭を下げる受付嬢に、最早は観念した気持ちになった。
辿り着いた部屋の豪勢な佇まいに、これはこの宿をキャンセルして余ったお金で安い宿を取り、残りのお金で贅沢なご飯を食べた方が余程か経済的ではないか、と本気で考えてしまうほどには余りににとって馴染みのない待遇だった。貧乏性はこういう時にいいのやら、悪いのやら。
の空笑いは虚しくシンドリアの空へと消えた。

がこれほどまでに贅沢が出来るのには、理由があった。
先程訪れた国で、引き受けた依頼を成功させたは王からの謝辞を賜った。
それまでなら、その他大勢の謁見者と同じく御言葉を頂戴し報奨金を受け取るだけの何ら面白くないイベントだったのだが、その帰りに新たに妙な依頼を引き受けてしまったのだ。

「恋文、か…」

の擦り切れてだいぶ色落ちした旅の荷物の中には、明らかにそれにそぐわない赤いビロードで覆われた小ぶりの箱が大事そうに仕舞われている。
その箱の中には、その国の幼い王女より預かった恋文が入っていた。

幼い王女からの精一杯の依頼は、これをとある国のとある殿方に渡して欲しい、というものだった。

たったそれだけの依頼で、これだけの前払いと交通費・宿泊費等含む滞在費の全てを支払うというのだから相当な太っ腹である。
もちろん幼い王女一人で出来る依頼とも思えないので、おそらく王なり王妃なりも一枚噛んではいるのだろう。
けれど、これを一介の傭兵であるに頼むというのは、一概にが女であること、そしてこれは個人的な頼みであることに依る所が大きい。

この恋文の相手とは、

「………………」

これだけ贅を尽くした宿を見た後でさえ、はその目の前に立つ建物の豪華な様に、既に言葉を失っていた。
目の前には、この南の楽園の栄華を象徴する建物、シンドリア王宮が聳え立っていた。

そう、恋文の相手とは、超有名人も有名人、かのシンドバッド国王であった。

そのシンドバッド国王のおわす王宮を前に、はしばらくそれを眺めてから、くるりと踵を返して町へと歩き出した。
個人的な頼みというからには、シンドバッド“王”ではなく、シンドバッド個人に対して送られたものなのだろう。
そうでなければ、一介の傭兵などに依頼するはずもない。
これは王女から送られた、叶わない、ささやかな恋心を乗せた便りなのだ。
それを王宮に出向いて行ってシンドバッド“王”に渡すのではそもそもの意味が成り立たない。

は町へと取って返しながら、微かに溜息を零した。

「さて、どうやって渡したものか……」

王がそう簡単に市街に降りてくるとも思えない。
外交には頻繁に赴くようだから、港へは来る機会が多少なりともあるはずだ。そのチャンスを使うか。

いつもとは違った依頼には、それでも半分は楽しんでいた。













「へっ?」

まずは情報収集から、そう思って入ったバーでは素っ頓狂な声をあげた。
どこか品の良いバーや飲み屋は無いかと宿の受付嬢に聞いた所、紹介してくれたバーに入って情報収集を始めた矢先のことだ。

「王が、ここに来るんですか?」
「ええ、たまにですけれどもね。自分で言うのもなんですけど、王はこういう品の良いバーなんかよりも大衆でわいわい飲める所がお好きなもんで、ここには本当にたまにしかお見えにはならないんですけど」

初っ端から、これはかなり美味しい情報を得てしまった。
なんと王は、王宮から降りて市井の飲み屋でわいわいと騒ぐ事がお好きなのだという。
それどころか、八人将と呼ばれるその側近達は、王よりも頻繁に町に降りて来るらしかった。

「八人将の方々だったら、多分探せば今日だってどこかの飲み屋で飲んでるんじゃないですかね」

確かに今日は金曜日の夜だ、その可能性はあるかもしれない。
長期戦を覚悟していただけに、あまりの拍子抜けには目の前にあった高いカクテルを一気飲みした。
意外にこのバカンスは早く終るかもしれない。

もし側近達に接触することが出来れば、側近から“個人的に”王へ手紙を渡してもらう事も可能だろう。
直接渡せれば本当はいいのだろうが、直接でないといけないという条件は依頼には付いていないし、側近を中継する方がずっと早く依頼を遂行できそうだ。

は思わぬ収穫を得た事に微妙な気持ちになりながら、まだ夜も更け切らない内から宿へ帰ることにした。










「それにしても……広すぎ……!」

風呂から出て濡れた髪をそのままに、肩からふわふわのタオルを掛けて、は改めて自分に充てがわれた部屋を眺めながら溜息を付いた。
風呂便所付き、窓からの眺めは最高、足音が全くしない赤絨毯、そして天蓋付きのゴージャスな寝台。

「何かこれもしかしなくても、あたし終了のお知らせなんじゃないだろうか……」

と、なんだかしなくていい心配までしてしまうは、本当に自分は職業病だと思い知らされた。
タダで部屋に付いていた高いお酒を手に取って、窓辺の椅子に腰掛けて窓から見えるシンドリアを眺める。
闇に沈んだシンドリアは、それでもまだあちらこちらの窓から漏れる灯りで綺麗な夜景を演出している。
空には満天の星、そして斜め前にそびえ立つ綺羅びやかな王宮。
確かに、この国で暮らせる事はどんなにか幸せな事だろうか。

「…ま、あたしには関係ないけどね」

そう、自分とは別世界の話だ。
自分には、休暇で訪れる位がちょうどいい。

そうでなければ自分は牙をもがれた獣の如く、きっと使い物にならなくなってしまうだろうから。













2014/06/16

後半へ続く。