未知の力と、未知の世界
<後>









麻衣の背中を見ながら階段を登っている内に、段々と自分の足が重たくなるのを感じた。
麻衣がバイトをしているというのだから、まがい物のペテン師という事はないだろうけれども。
もしSPRなる研究所の人達がホンモノだったとしても、果たして俺の言う事を信じてくれるかは甚だ疑問だった。「超能力使えるんです」だとか自分から言う人間が相当胡散臭く見えるという事を、俺は知ってる。
自分から相談に乗って欲しいと言ったくせに、俺は早速尻込みしていた。

もし事務所の人達の目の前で炎が出なかったら?
思い通りに力が出なかったら?
それどころか、全く何も起こらなかったら?

俺の能力が不安定なのは俺が一番良く知っている。
ヒリヒリと痛む右手の指先をさすってやっぱり辞めると言おうか本気で迷っている時に、麻衣が振り返った。

「ここだよ」

見えた扉は想像していたのとはだいぶ違って、妙に小洒落た雰囲気だった。
いや、渋谷の道玄坂という立地を考えたってその出で立ちはふさわしいのだろう。けれど、これが“心霊研究の事務所”と言われて無抵抗で信用出来る人間が果たしてどのくらい居るだろうか。

「どうぞ」
「あ、えと……どうも…」

麻衣が慣れたように開ける扉を、麻衣に続いて恐る恐るといった感じでくぐる。
入ってみると、中はそれなりに広いオフィスになっていた。
カウンターの後ろには応接セットがあって、いくつか個室のオフィスがあるのだろう、扉が見える。
オフィスの中は扉と同様に、“心霊調査事務所”のイメージをことごとく裏切っていた。

「ちょっとそこに座ってて」
「あ、うん…」

応接セットのソファを指さされて、周りをキョロキョロ見渡しながら腰掛ける。傍からみれば明らかに挙動不審だろうけど、これを治す術を生憎と知らないのだからしょうがない。
どうやらバッグを置きに行っていたらしい麻衣がすぐに戻ってきて、そのまま「C.E.O.」と書かれた扉をノックした。

「ナル?入るよ」

扉にC.E.O.と書いてあるし、噂に聞く若い所長さんを呼びに行ったのだろう。
中からの返事の後に麻衣は扉の中へと入って行った。声は聞こえないが、少ししてから麻衣に続いて全身黒い洋服に身を包んだ美男子が出て来た。
“顔だけはイイ”と麻衣が評する通り、確かに顔は恐ろしい程整っている。
けれどニコリと笑うでも無く無愛想なその表情に、その美しさも相まって俺は肩をさらにびくつかせた。
美人だけに、その迫力が怖いのだ。

「麻衣、お茶」
「はいはい。、ちょっと待っててね」
「お、お構いなく…」

若干的外れな事を返しながら、俺は俺の向かい側に腰掛けようとしている麗人を見ていた。
不機嫌なのかそれが常なのか、愛想笑いもしない麗人はソファに座ると優雅に足を組んで、ファイルを開いた。

「責任者の渋谷と申します。何かご相談がおありとか」
「あ、はい…えっと…」

さすがにこの威圧感凄まじい美人さんと一対一で相対するには度胸が足りなかった。
けれど麻衣を待ってもいいですかとも聞くのもあまりに情けない。俺は気力を振り絞って口を開いた。

「あの…えと、と言います。えと…その…俺、なんか変な力があるみたいで…」
「変な力、とは?」

ズバリ、と切り裂くように来る質問に俺は内心で悲鳴を上げた。
怖い。
こちらを見る漆黒の瞳がとてつもなく怖い。

「あの、手を触れずに物を燃やしたり……、物を動かしたりが出来ちゃってですね…」
「今、出来ますか」
「へ?あ、の、はい、多分出来る…かな…、いや、えと、どうかな…?」
「どちらですか」
「いや出来ます、やりますですスミマセン」

こちらの言い方にイライラしている様が伝わってきて、俺は既に逃げ出したくなってきていた。

「もう、ナル。あんまりズケズケ言わないであげてよ。その人にはその人のペースってのがあるんだから」

救世主登場。
麻衣が3人分のお茶を持って話に入ってくれた。
麻衣はそれぞれの前にお茶を置くと、俺の隣に座る。向かい側ではなくこちら側に座ってくれたというだけでなんだか安心出来た。

「ごめんね、。元々こういうヤツだから気にしないで」
「あ、や、えっと…俺の方こそごめん。なんか緊張しちゃって…」
「そりゃ当然だよ。相談したいほど困ってる事だもん、ゆっくりでいいから」
「……ありがとう、麻衣」
「うん」

そう言って笑う麻衣の顔に、身体に巣食っていた緊張が少しずつ溶けるのを感じた。
目の前に座る渋谷さんは未だに不機嫌そうな顔立ちだけど、なんとか気持ちは少し落ち着いた。
俺はまず、右手の手袋を外した。

「えっと、ちっちゃい火を出すくらいなら…」

右手を前に差し出して、親指で中指を押さえてちょうどデコピンをするような手を作る。
手のひらの方を上にして、軽く中指を跳ね上げる。
すると、ポ、とごく小さな炎が一瞬、右手の上に現れて消えた。

「おおー」

麻衣が少し驚いて目を丸くする。対して、渋谷さんの表情は全く変わらなかった。
マジックやそういった類ではないか見定めているのだろうか、渋谷の目元は注意深く俺の手元に注がれている。
俺はもちろん、後ろ暗いことなど何もないので堂々としていていいのだが、どうにも萎縮して自然と目線がウロウロする。

「えっと…」
「それ以外には何か出来ますか」
「あ、ええと……じゃあスプーン曲げとか……で、いいですか」
「ええ、やってみてください」
「じゃあスプーン持ってくるね」

一応手元にも紅茶用にスプーンがあったが、これを使ってしまうとお茶用に使えなくなってしまうからだろう、スプーンを取りに麻衣が席を立つ。すぐに麻衣が戻ってきて、持ってきてくれたスプーンを手渡される。
出来るだろうか。
俺は心配になってちらりと麻衣を見ると、麻衣がそれに気づいてニコリと笑う。
ああ、大丈夫だな。
俺はスプーンを机の上に置いた。

「あれ、手に持ってなくていいの?」
「うん、どっちでもいいんだけどね」

そう言いながら、念の為にスプーンの周りから物をどける。
何の変哲もないティースプーン。机の上のスプーンを見つめる。
じ、と見つめて数秒。

――折れろ

パキン、とスプーンから高い音がした。
スプーンが跳ねたと思ったら一瞬でスプーンが真っ二つに分離する。

「す、すごーい!」

麻衣が目を輝かせて拍手している。
失敗しなかった事に安堵して少し表情が緩む。

「よ、良かった、出来た……」
「すごいねー!」
「いや、結構失敗するんだけどね…」
「出来ない事があるんですか?」
「え?いや、出来ないというか…変化はあるんです。でも最近なんていうか、力が不安定で…スプーン折ろうとしてもねじれるだけだったり、炎だって思ってたのより大きい炎になっちゃって自分で火傷したり………あんまりうまく出来なくて。それで今回、コントロールの方法とか、超能力を消したりとか、なんとか出来ないかと思って相談に来たんです」
「なるほど。出来ることはその2つだけですか」
「え…信じてくれるんですか」
「何をですか」
「いや、スプーン曲げとか発火現象とか…、っていうか、この変な力を…」
「PKを信じない超心理学者は居ません」
「そ、そうなんですね…」
「ナルもスプーン曲げ出来るんだよ」
「えぇ!?」

それはたまげた。
この眼の前の麗人もスプーン曲げが出来ると言う。それは、つまり、彼も超能力者という事だ。
そりゃ、俺がスプーンの1本や2本折ろうがちぎろうが疑う余地はないという事、か。
結構すごい所に来てしまったかもしれない。

「麻衣、余計な事は言わなくていい」
「へいへい、スミマセンでした」

全く意に介した風もなく渋谷さんは麻衣をたしなめている。
本当かどうか見せて欲しい所だったが、そんな事を言える雰囲気でもないのでやめておいた。

「それで、出来るのはその二つだけですか」
「あ、いえ…他にもいくつか出来る…と思うんですけど…。ここで見せた方がいいですか…?」
「いえ、今は結構です。――訓練をするか超能力を消したいとのご相談ですが」
「あ、えっと、はい」
「ある程度制御出来るように訓練は出来ますが、超能力を消すということは出来ません」
「あ、ですよね……。その、訓練は、ここで出来るんでしょうか…?」
「可能です」
「そうなんですね…!よかった」

俺は安堵して、ほっと息をはいた。
彼らがホンモノだったからと言って、他者にその技術などを教えるとも限らない。
ここで訓練が出来るというなら、食い下がってでも教えを乞うべきだろう。この力は放っておけばきっと、その内に取り返しのつかない事になってしまうような気がしていた。

「あ、でも俺…お金とかあんま持ってなくて……その、訓練をもししてもらえるなら、バイトとかして頑張って払うつもりではいるんですけど……。いくら位、ですかね…?」

いくらか親に助成してもらうことは出来るだろうが、しかりあまり親に負担は掛けたくない。
渋谷さんは考え混むように少し視線を落としていたが、再び俺の方に顔を上げてから口を開いた。

「では、こういうのはどうでしょうか。この事務所でバイトをしてもらいながら、超能力の訓練をする。お代はバイト代から天引きという形で頂きます」
「え……いいんですか?それは、俺としたら願ってもないお話なんですが…」
「構いません。どのみち人手が欲しいと思っていました」
「えっと…」

俺は即決をしかねて、麻衣の方をみやった。
麻衣は嬉しそうにニッコリと笑っている。

「俺なんかで大丈夫かな…?」
「大丈夫!このミソッカスなあたしでもやってられるんだもん!あ、でも、結構力仕事多いし、それに幽霊出て来たりとかホントに怖い思いすることもあると思うけど、大丈夫?」
「ゆ、幽霊かぁ……」

今まで幽霊というものにはお目にかかった事が無いし、居るのかどうかも知らない。
けれど、まあ、俺は幽霊はきっといるのだろうと何となく思っていたし、麻衣の話しぶりからすると幽霊が実在することは“大前提”のようだ。もしこの仕事をするなら、いずれは遭遇することもあるんだろう。
けど。
この眼の前の麗人と、麻衣が一緒なら、大丈夫なような気がした。

「うん、幽霊は大丈夫…かな。多分。俺は幽霊は見えないと思うけど、力仕事なら頑張れるよ」

俺は再び麗人の方をみやって、すっと立ちあがって頭を下げた。

「よろしく、お願いします」
「分かりました」

渋谷さんは相変わらず無表情のまま淡々と言って、軽く会釈を返してくれた。

「訓練はうちの調査員が行います。詳しい事は麻衣から聞いて下さい」

渋谷さんはそれだけ言うと、ファイルをパタンと閉じて再び所長室に入って行ってしまった。
俺はそれを見送ると、立ったまま麻衣の方を向いた。

「調査員…、麻衣?」

麻衣は緩く頭を横に振る。

「ううん。多分もう一人の方だと思う。リンさんって言って、背の高い調査員の人がもう一人いるんだよ。後で紹介するね」
「うん、ありがとう」

それから俺は事務所の事など簡単に説明を受けた。
今日は簡単な説明で、後日正式に雇用契約書を作ってから働き始めるということになって、俺はその日はお暇することにした。

バイトをするのは始めてだし、心霊調査事務所なんて特殊な所で自分がどれだけ役に立つのかはわからないけれど、とにかく、がんばってみようと思った。

急務は、この自分の不安定な力をどうにか出来るようにすることだ。
それで訓練をしながらバイトも出来るなら、願ったり叶ったりじゃないか。

俺は事務所のある建物を振り向いて、これから起こるであろういろんな物事に思いを馳せた。
どんな事が起こるのだろう。
少しのわくわくと、大きい不安で、なんだか薄曇りの空がより一層どんよりとしているように見えた。
それからくるりと振り返って、俺は帰路につく。

不安もあるけれど、けれどほんの少し心が軽いのは、きっと間違いではないはずで。








2014/11/26

私もSPRでバイトしたい…。n番煎じですみません。