番外3








「気づかなくて、ごめん」

もともと多くない荷物を小さな風呂敷一つに入れたものが、部屋の隅に置いてあった。どうしたのだろう、と一期一振が不思議に思って審神者に尋ねると、執務中で文机に向かっている審神者は少し視線をさまよわせてから、けれど一期一振の目を見ることなくそう言った。

「どうされましたか」

なぜ謝るのか。なぜ荷物をまとめているのか。
あまりいい予感はしないながらも、一期一振は殊更柔らかい声音で尋ねた。しかしはふるふると小さく首を振るだけで、理由を口にはしないし、一期一振の顔も見ようとしなかった。ただじっと、卓上の紙片を見ている。

「その時が来れば、さっさと出て行くから」

そんな事を言う。
その言葉に、一期一振は驚いて口を開く。

「出て行く、とはまた穏やかではありませんな。何があったのです?」
「…………、……僕の事は、気にしなくていいから」
「……話が見えませんな。どうして出て行くなどと申されるのですか」
「………」

は一期一振からは目を逸したまま、口を閉じてしまった。
は無表情ながらも、周りの事をよく見て、考えていることは周知の事実だ。しかしそれ故に、彼は相手を気遣って周りに何も言わない事がよくあった。
今の言動からするに、おそらく今回のこれはまさにそれだろう。
何か思い違いをしているのかもしれないが、しかしそれが何なのかを聞き出すのが容易では無いことは、一期一振は今までの経験から理解していた。
さて、どうしたものか。

「…どうしたんだい、君たち」

ちょうど部屋に入ってきた鶴丸が、難しい顔をして押し黙っている二人を見てぱちりと目を瞬いた。いや、難しい顔をしているのは一期一振で、の顔は相変わらずだが。

「鶴丸殿……。いえ、何と申し上げたらよいか」
「どうした、主」

鶴丸がの横に腰を下ろして、の方を向いて尋ねた。すると一瞬、ほんのわずかには苦しそうに目を細めてから、ふい、と鶴丸とは逆の方を向いた。
珍しい、と鶴丸は微かに目を丸くする。
がそんな顔をするなんて。
最近ではだいぶ打ち解けて来て、目も合うようになったと思ったけれど、全く見向きもされないどころか目を逸らされるとは。
これは何かあったようだというのは鶴丸もなんとなく理解した。

「主殿、何か思い違いをしているのでは?なぜ出て行くなどと申されるのです」
「…………」
「出て行く?それはまた、降って湧いた話だな。何があった」
「それが、私にもよく分からないのです」

一期一振の言葉に、鶴丸も少し驚いて聞き返すも、どうにも要領を得ない。一期一振にも良く分かっていないようだった。
どうしたのか、何かあったのか、と二人はなるべく柔らかい口調を心がけて色々とに尋ねてはみるものの、中々口を開こうとはしなかった。

「ここが嫌になっちまったかい?」

しかし鶴丸がそう言うと、今まで我慢していたのか、堰を切ったようにが口を開いた。

「だって……!」
「ーーー」
「……っ、僕に、出て行って欲しいん、でしょ」

がそう言うのに、鶴丸と一期一振は顔を見合わせた。
一体どこからそんな話が出たのか。全く身に覚えのない話である。
はやはり、二人の方は見なかった。

「なんだい、それは。誰がそんな事を言った」

鶴丸がそう尋ねると、は口を開かない代わりに俯かせていた顔を僅かに上げて、一期一振の方を見た。
無表情ながらに、それはどこか、寂しそうで。

「………私?」
「おい、一期。君、何を言ったんだい」
「いえ、私は何も……」
「いいんだ。僕なんかが審神者やるより、他のちゃんとした審神者がここに居た、方が、いいに決まってる……のは、分かってる、つもり。だから、気にしないで」

そう言われたことで、一期一振はやっと一つ思い当たることを見つけた。

「ーーーもしかして、豊後国の審神者様の事をおっしゃっていますか」

そう言うと、はふいと視線をまた別の方へとやった。
なるほど、勘違いの元はそこか。

「それはあれか?相談に乗ってもらうのに、本丸に来てもらおうと言っていた」
「ええ、そうです。なるほど、それを聞いていらしたのですね」
「…………」
「主殿」

一期一振はの横まで膝を進めると、の膝の上にあった手を取った。はその手を見下ろして、けれどやはり一期一振と目を合わせようとしない。

「誤解を招くような真似をして申し訳ありませんでした。先日、主殿が出陣について話しておられましたな」

さすがにそろそろ、本格的な出陣を考える頃合いに差し掛かっていた。本丸も軌道に乗り始めて、遠征や演練、合同作戦での後方支援など、ほとんどの任務を問題なく行えるようになってきた。
残るは、単独任務。この城の刀剣男士だけで行う単独での出陣を行うのみとなっている。
けれど、それには大きな壁がある。
任務を出してくるのは政府だが、その任務を紐解いて、その時代の時空の歪を感知し、出陣部隊に行動の指示を出すのは審神者である。
には、その“時空の歪”を感知する技術がまだない。
それは、出陣する上での最初にして最大の障害だ。
時空の歪、それをどのように感知し、読み取るのか。残念ながら刀剣男士にはそれを教えることが出来ない。
だから、一期一振はこんのすけに問い合わせをしてもらったのだ。「どこかの本丸の審神者殿に、師事を願えないか」と。

「わたくし共は、時空の歪を感知する技術は教えて差し上げることが出来ない。それを、他本丸の審神者様にお越し頂いて、教えを乞うことは出来ないだろうかと思案している所だったのです」

それをは、どこかで中途半端に聞いてしまったのだろう。新しい審神者をこの本丸に迎える、と勘違いしたのかもしれない。
そこまで説明すると、はようやく自分が勘違いしていた事に思い至ったらしい。

「……、…………そう、だったんだ……」

そう言って、ほ、とが胸を撫で下ろしたように、一期一振には見えた。
その反応を見て一期一振は、もしかして、と思う。
もしかしては今、出ていかなくてよいと知って、安心してくれた、のだろうか。
先程の物言いからするに、彼は、この本丸に優秀な審神者が来れば、例え自分が追い出されようと、この本丸のためになると思って、潔く身を引こうとしたのだろう。気持ちは付いてきていないようだったが、しかし彼はやはり、刀剣男士を一番に思って行動している。
けれど、それが自分の勘違いだと知って、ここにまだ居られるのだと知って、安心してくれたのだとしたら。
それは、一期一振にとって、とても嬉しいの心の変化だ。

「俺たちが君を放り出すわけがないだろう」

一期一振が思った事と全く同じ事を、鶴丸も思ったのだろう。鶴丸はぽん、との頭に手を置いた。おずおずとが鶴丸を見返してくるのを、今度こそ鶴丸は目を捉えて、ふわり、と仄かに笑う。

「そんな寂しいことを言ってくれるな」
「そうですぞ、主殿。我らは、貴方の刀剣なのです。この刃折れるまで、貴方と命運を共にすると、決めております」

二振りにそう言われて、は目をしばたかせた。
ここで驚いてくれるとは、と二振りは、いまだこのがどこか余所余所しいのを心の中で嘆きつつも、けれど、ここに居られることに安堵してくれたことに、微かに喜びを感じた。

「………僕、馬鹿だから。ごめん。……でも、良かった、かも」

少し申し訳なさそうに、けれども安心したようにそう言うが、こんなにも、愛おしい。







***********







「審神者様!」

軽い足音が、しかし慌ただしく駆けて来たかと思えば、が執務室として使っている離れの部屋へと飛び込んで来た。
が振り返ると、こんのすけと、すぐ後ろに和泉守兼定が一緒に走ってくる所だった。

「審神者様!第一部隊、緊急帰還でございます!」
「……“緊急”?」

聞き慣れない単語だ。帰還というのだから、帰ってきたのだろうけれども、緊急、とはどういう事か。

「部隊の中で何か問題が発生した場合や、重傷者が出た場合などに、部隊が緊急に帰還する事がございます」
「……じゅうしょう……」
「主、そういうこった。ちょっと騒がしくなるかもしれなーーーおい、主」

和泉守の言葉を待たずに、は立ち上がって転移門の方へと駆け出していた。それにこんのすけと和泉守も続く。
今まで、緊急帰還、というものは聞いたことが無かった。皆元気に笑って「ただいま」と言って当然のように帰って来るから、忘れそうになる。そうだ、今、自分達は戦争をしていて、ここはその前線基地なのだ。
この本丸に来た当初は、本丸中に重症や折れる一歩手前の刀剣男士はたくさん居たし、そもそもは貧民街で人の生死はなんども見てきている。今更驚くようなことではない。
けれどもやはり、それがすでに親しくなった者達となれば、心が急いてしまうのも無理からぬことで。
転移門まで辿り着くと、そこはちょっとした騒ぎになっていた。
いや、人が忙しなく動いてはいるが、混沌とはしておらず、歌仙兼定の指示のもと、刀剣男士がテキパキと怪我人に手を貸したりして、的確に動いている。
歌仙は近づいてきたに気がつくと、いつもの仄かな笑みは浮かばない、少し厳しい面持ちで、主、と呼んだ。

「重傷者が1名、中傷と軽傷者が5名だ。手入れ、いけるかい」

言われて、はすぐさま頷いた。

「うん。手入れ部屋に、お願い」
「分かった」

和泉守は、いつもの無表情のまま頷くに、心の中で少し感心していた。
もっと慌てふためくものだと思った。
和泉守の記憶する限り、が審神者になってからの出陣で重傷者が出たのはこれが初めてだ。負傷者は血みどろだし、それ以外だっていつもとは比べるべくもなく満身創痍だと言うのに。
は淡々と状況を確認しているように見えた。

「じゅうしょう、から手入れ、した方がいいのかな」
「そうだね。お願いするよ」

負傷者達と一緒に移動しながら、歌仙が頷いた。
分かった、と頷きかけたの眼が、一振りの刀の所で止まる。
今回の唯一の重傷者、鶴丸国永だ。
は鶴丸を担いでいる燭台切光忠の横まで来て、一緒に小走りで移動しながらその横に並んだ。

「鶴……?」

小さな声でが声をかけて、鶴丸の袖を、それでも遠慮がちに掴んで小さく引いた。いつもはそれで、「どうした、主」と金色の澄んだ瞳が振り返るのに。鶴丸は意識が無いのだろう、ほとんど閉じられた眼は、を映さない。
いつもの真っ白な着物は、今は見る影もなく赤黒く染まっている。頭のどこかを切ったのか、顔の半分近くも血に濡れて、折角の綺麗な髪まで赤い。

「…………」
「大丈夫だよ、おちびさん。これくらいじゃ折れないよ。この人、しぶといからさ」

光忠は、殊更明るい声でそう言った。

「…………、……うん、そうだね」

程なく手入れ部屋に到着すると、まずは鶴丸から手入れに取り掛かった。
鞘から本体を抜き出すと、今までに見たことのないほど刃が欠け、罅が入っていた。
どうやら、他の刀剣男士を庇ったらしい。
聞けば、前任に度重なる出陣を強いられていた時も、彼は良く他の刀剣男士を庇っていたと言う。鶴丸は希少度の高い刀剣なので、折られる寸前にいつも手入れはしてもらうことが出来た。しかし他を庇うことが前任の癪に障り、間断なく出陣を強いられたという。
対して、短刀などの比較的手に入りやすい刀種のものは、怪我をすれば放置か、それでなくても目障りだ、と度々手ひどく折られていた。練度も高くなる一方の鶴丸は、自然と、そういった刀剣達を庇うことが増えていった。
庇うから、また、前任の逆鱗に触れる。そして、出陣をする。その繰り返しだった。
おかげで練度はこの本丸で随一である代わりに、彼が他の刀剣を庇うのはほとんど癖のようになっている、と一緒に出陣していた刀剣男士は言った。
は、いつもよりも更に丁寧に、慎重に手入れをしていった。
他の負傷者は続きの間に寝かせておいて、一振り手入れが終わり次第、すぐに次の手入れをしていく。
途中、一期一振が「それ以上は」と制止する場面もあったが、中傷を放って置くことは出来ない、とが断固として譲らなかったため、結局6振りの手入れを立て続けに行った。最後の獅子王の手入れが終わった頃には、既に夜を越え、日が高らかに昇りきっていた。







「……和泉」
「お、眼が覚めたか、鶴丸」

鶴丸が手入れ部屋の続きの和室で目覚めると、布団の横には和泉守が座っていた。
それに、

「……、主………」

和泉守の膝を枕にして、主であるが丸くなって眠っている。の肩には和泉守の羽織がかかっていた。
は眠る時に他人の気配があることが好きでは無くて、よく刀剣男士が追い払われていたりしたのだが、最近は刀剣男士に心を許してきたその現れか、初期の頃から離れに出入りしていたメンバーにはこうして時折、眠る姿も見せるようになってきた。
うたた寝する際に和泉守の膝を借りるのだから、以前と比べれば大した進歩である。

「さっきまで頑張って起きてたんだけどなぁ。流石に6振りを手入れして、疲れたらしい」

最近ではようやく手入れにも慣れてきて、少しずつ加減が上手くなってきていた。とは言え、重症や中傷の刀剣を一度に6振りも手入れして、流石に疲れたのだろう。
必死に眠気に抵抗していたが、うつらうつらと船を漕いで、ついにはこてんと眠ってしまった。

「部屋に戻って寝ろって言ったんだけどなぁ。どうしてもここに居る、って聞かなくてな」
「……そうか」

普段そんな素振りも見せないのに、どうやら随分と鶴丸には心を寄せていたようだ。
鶴丸は起き上がろうとしたが、それを和泉守が制止する。

「おいおい、まだ寝てろよ。あんた相当酷い怪我だったんだ。反動で熱が出ることもあるってぇから、とりあえず今日は1日安静だとよ」
「……すまんな」
「なぁに、主の事なら気にするな。今一期達が布団の準備をしてる。準備ができりゃ、主を拾いに来るさ」

程なくして、和泉守が言った通り、一期一振と薬研がを迎えに来た。鶴丸と一言二言だけ言葉を交わすと、そのままを抱えて手入れ部屋から出て行く。それを、鶴丸は布団に横になったまま見送った。

次の日眼を覚ましたは、鶴丸の容態を近くに居た刀剣に聞いた時には「そう」とだけ返し、やはり表情もいつもと変わらなかった。
けれど、鶴丸が復帰して離れに居る時には、まるで猫がそっと主人に寄り添うかのように、傍近くに寄って、ただじっと座っていることがあった。
表情は変わらないし、何も言わないものの、どうやらなりに、だいぶ堪えるものがあったらしい。
やはり、はそういった心の内の葛藤を、周りの者には言わなかった。







何か声が聞こえた気がして、和泉守は視線をすばやく左右にやると同時に、耳を澄ました。
夜、の部屋の前で不寝番をしている時のことだ。
声、というよりも、荒い息遣いは、部屋の中からだ。また、夢に魘されているのか。は、時折夢に魘されていることがあった。
和泉守は、それでももしが眠っていた時の事を考えて、そっと静かに襖を引いて、中の様子を伺おうとした。
と、小さく開いた襖を勢いよく開けて、そこから小さな影が飛び出してきた。
部屋の中にいるのはだけだ。飛び出してきたのも、もちろん、その眠っているはずのだった。
は酷く焦ったような面持ちで、大量の汗をかいた顔を不安に歪めて、部屋から飛び出そうとした。

「待て、主」

咄嗟に和泉守が腹に腕を回して引き止めるも、の目は前だけを見つめている。つる、と時折、その口から荒い呼気とともに吐き出されるのは、数日前に重症を負った、この本丸の古参の刀剣男士の名だろうか。

「つる、」
「主、落ち着け。どうしたってんだ」
「……っ…、……」

尚も制止を振り切って駆け出そうともがくを、和泉守は片腕で抱えあげて、顔を下から覗き込んだ。その段になって、ようやくは和泉守の存在に気がついたように、暴れるのを止めてその顔に視線をやった。

「……、……いずみ?」
「おう。どうしたんだ、そんなに慌てて」

殊更落ち着いた声で和泉守がそう尋ねると、は少し俯いてから、ぎゅ、と和泉守の襟元を掴んだ。

「ん?」

言いにくそうにしているのを、促すように和泉守が優しく相槌を打つと、は少し眉尻を下げて、つる、と言った。

「鶴、は……?」
「鶴丸か?鶴丸なら、今日は見張り番だ。離れの周りに居ると思うが」
「……鶴、生きてる……?」

不安げに眉をひそめて、そう聞いてくる。
の酷く心配そうなその様子に、一瞬冷やりとしたものが背筋を落ちていったが、それはおくびにも出さず、和泉守は平然と口を開く。

「この間、手入れで鶴丸を治したのは主だろ?」
「……、……」

酷い重症を治したのは主だと言うのに、一体どうしたというのか。
は釈然としない顔で押し黙るので、和泉守は一回母屋を振り返ってそれからまたの方を向いた。

「鶴丸、探してみるか?」
「……ん」

は、素直に頷いた。
和泉守は一度を廊下に下ろして、自分の羽織を羽織らせると、縁側から降りて靴を履き、用の小さな草履を持ってきた。そうして急くように早歩きで歩き出すに付いて行った。
少し歩けば、母屋と離れの間で見回りをしている鶴丸が見えてきた。
視認した途端に駆け出すに、和泉守もその後を追った。鶴丸もこちらを確認したようで、少し驚いたように二人を見返してくる。
駆けていたは、けれど鶴丸のすぐ手前で突然止まった。

「どうしたんだい、君たち。こんな夜更けに」
「………鶴」
「どうした、主」

鶴丸は中腰になってと視線を合わせてから、少し訝しげに尋ねた。
は鶴丸をじっと見るばかりで、けれど問に答える様子は無い。

「悪い夢でも見たかい」

鶴丸がぽん、と優しく頭を撫でると、は鶴丸の差し出された方の腕の袖を申し訳程度に掴んだ。これは、が何か、その人に言いたいことがある時によくする仕草だ。
それは承知していたけれど、今回はなぜだか、は口を開こうとしなかった。
いや、口を開いたり、また閉じたり、何か言おうとしているけれども、どうにも言葉になって外に出てこないようだった。
鶴丸が困ったように和泉守の方を向くと、和泉守はお手上げと言わんばかりに肩を竦めて見せた。

「急に部屋を飛び出してきてな。鶴、って言うもんだから、とりあえずあんたに会いに来たんだが」

そんなことを言う。
鶴は少し困ったように、再度の顔を覗き込んだ。
汗をかいた顔で、わずかに眉根を寄せた迷子の犬のような不安げな表情がそこにはあって。
そういえば最近、そう、鶴丸が重症を負ってからだ。が、気がついたら何も言わずに鶴丸のそばに居るようになったのは。
思ったよりも心配を掛けたのかもしれない。そう思うと、鶴丸は嬉しいやら申し訳ないやらで、軽く眉尻を下げた。

「……少し、話そうか。主」

そう言って離れの縁側に促すと、は大人しく付いて来た。







「怪我。…………治った?」

真ん中をにして縁側に3人して座り込んでから、さて、何から話そうか、と鶴丸が月を見上げていた時だった。
が鶴丸の片方の袖を少し引いてから、ぽつり、とそうこぼした。の目は、自分のつま先を眺めている。

「ああ、主に治してもらったからな。ピンピンしてるぜ」

そう言って小さな黒髪を見下ろすと、安心したように、そう、と息を吐きながら答えた。

「………居なくなったかと、思った」
「ここに居るさ」
「………ん」
「しかし、大層心配させてしまったみたいだな。すまなかった」
「…………心配?……した、のかな……」

しかし当のは、どこか言われたことに不思議に思うのか、考え込むように呟いた。

「……怖かった。みんなが、居なくなるのが。………鶴が、居なくなる、のが」
「、そうか」

だから、心配してくれた。それは間違いなさそうなのに、どうやらはそれを理解していない。いや、なぜそこまで怖いのかが、理解出来ていないようだった。
それは、と刀剣男士達の間柄が親しくなった証拠だと、鶴丸などは思うし、喜ばしいことなのだが、どうやらはそれ故に感じる感情を上手く飲み込めないようだった。
は、刀剣男士と共に戦う日々を積み重ねるたび、刀剣男士達を信頼し、また、その存在を大事だと思うようになった。
そう、それは例えるなら“家族”のように。
そう感じていることをはっきりと認識出来ないし、だからこそ、そこから来る恐怖や不安にもまだ戸惑っている。
けれどそれは教えてどうこうなるものでもないだろう、と鶴丸は特にそれをに言うことはしなかったが、同じように考えたのだろう、の頭ごしに和泉守と目があって、お互いに小さく苦笑をこぼした。

「帰ってくるさ。この本丸に。なんたって、君が待っているんだからな」
「………ん」

鶴丸のその言葉が、どんな言葉よりも心強く感じた。
その感情の発露が分からずにはもやもやとした気持ちを感じたが、けれど、先程までの“怖い”気持ちは薄れていた。
そういえば、鶴丸はどうしてに力を貸してくれるようになったのか、は未だに知らない。気がつけば一期一振や粟田口の短刀達に混じって、いつものそばに居てくれた。
聞いてみようか。聞いたら答えてくれるだろうか。
なんとなく、答えてくれるような気がして、は再度、鶴丸の片方の袖を小さく、くい、と引いた。
鶴丸の金の瞳がこちらを向いて、遠慮がちに見上げたの目と合った。

「どうした、主」

穏やかな金色の目がきちんと見返してくることが、こんなにも安心する。

「………、…鶴は……」
「うん?」

どう続けようかと言葉を探すを、いつものように、鶴丸は急かすでもなく、言葉の続きを待ってくれる。
一旦合った目を外してからうろうろさせて、それからまた鶴丸を見上げた。

「……なんで、僕のこと、手伝おうって………思った、の。……結構最初から、鶴、離れに居た、よね」

そう問うと、鶴丸は少し驚いたように瞬きをして、間を空けてから、そうだなぁ、とどう説明したものかと月を見上げた。
少しして、小さく口を開く。

「君、俺の羽織を使っていただろう」
「?うん」

は離れの物置で鶴丸の羽織を見つけて、確かに、暖を取るためにいくらかの間使わせてもらっていた。
それが何の関係があるのだろう、とは少し首を傾げる。鶴丸はそれに少し笑んでから、どこか遠くを見るような目をした。

「瘴気が酷くてな。君と会う前の話だ。……俺は、纏わりつく瘴気をどうにかしたくて、毎日のように禊をしていた」
「……、…みそぎ?」
「身を清めることさ」

鶴丸がと出会う前、鶴丸は前任の残していった置き土産に苦慮していた。
瘴気が体に纏わりついて、全く消える気配がない。体が徐々に蝕まれていく感触に、しかしそれでも鶴丸は抗おうとしていた。
禊をしてみたり、神気を高めるために座禅をしてみたり、色々と試してはみるのだが、そもそも瘴気蔓延り空気の停滞したこの本丸では、焼け石に水だった。そんな有様の本丸を流れる井戸水だって、そもそもが汚染されていた。為す術が無かった。
このままでは、いずれ神気が尽きて、祟り神にでもなるのか。
そう思っていた時だった。
意味は無いと分かってはいても、鶴丸はいつものように井戸端で禊をしていた。
そこに、審神者の少年が現れた。
最初は、うんざりしていた。また人間が現れたことに。また、人間に仕えなければならないことに。関わるつもりもなかった。
けれど。

「羽織を、君がくれただろう」
「…うん」
「驚きなんだがなぁ。……君から渡された羽織を羽織ってから、次の日には、もう瘴気が全て取り払われていた。何をしても、全く消える気配もなかった、あの、瘴気が」

鶴丸は驚いた。
怪我は依然としてそこにあったものの、体が、とても軽くなっていた。
今まで何をしても駄目だったのに、が少しの期間使っていた羽織を羽織っただけで、瞬く間に瘴気が全て消えていたのだ。
それだけ、新しい小さな審神者の霊力が清浄であることを示していた。

「最初は、興味だった。そのような清浄な気を持つ人間とは、どのようなものだろうか、とな」

時折縁側から離れを眺めてみたり、審神者が庭を歩いている時には気が付かれないように後を付いて行ったりもした。
審神者の少年が城に留まるだけで、停滞していた空気が流れ始めるのがわかった。城が本来持っている浄化機能が作用しはじめ、少しずつ城に良い気が満ちていくのを感じた。

ずっと城を覆っていた霧が晴れた。
草木が少しずつ育つようになった。
鳥が戻ってきた。
風が吹くようになった。

それを目の当たりにした。
だと言うのに。
それを成し遂げた当の審神者は、それに反比例するようにその体に傷を増やし、どんどんと痩せ細っていった。
この本丸を浄化して、この本丸に居る者たちを救っている幼な子は、けれど死へと近づいていた。

「それがもどかしくて、なぁ。手助けをしてやるべきか、けれど人間と関わっても、また結局同じ末路なのではないか。そんな事を悶々と考えている内に、君が薬研に刃を向けた事を知らされた」
「……」

離れに入って見たのは、熱で魘されている痩せ細った子供。

「今にも消えそうになっている命を見て、気づいた。この本丸には、この幼な子が必要だ、と」

そして、手紙を読んだ。
審神者の母が書いたと思われる手紙。それを読んで、審神者が今までどうして不可思議な言動をしていたのかが合点が行った。合点が行って、そして、誰かが彼を助けてやらねばならない、と思った。
まだ、間に合う。
まだ、審神者はここに居る。
踏み出せなかった一歩を、今なら踏み出せると思った。
だから鶴丸は、その幼な子を助けてやろうと思った。助けてやらねば、と思った。

「そういうことさ」
「……ふぅん。……そっか」

話を聞いて、はそれだけぽつり、と呟いた。

「君は、この本丸に無くてはならない人間だ。俺は君を傍で支えられることを、誇りに思うぜ」
「……僕、そんなにすごい人じゃ、ないよ」
「君は自分には厳しいんだな。しかし、その人間が偉大であるかどうかを決めるのは、その人間がどう思うかじゃない。その人間が成し遂げた事や、それを周りの人間がどう思うか、さ。君は間違いなく、立派な我らが主だぜ」
「……そう、かな」
「ああ」

本丸の浄化は、が意識してしたことではない。
けれど、人間の持つ性質は、その人間の行いによっていかようにも変質する。
城の浄化を行えるだけの清浄な霊力を持つということは、がそれだけの器だったということだ。それは疑うべくもない。
はあまり釈然としていなさそうだったが、少し考えたようにした後、よく分かんないけど、と前置きしてから先を続けた。

「僕、全然凄くないけど。………鶴や、いずみが……みんなが、こいつが審神者で良かったな、って思えるように……僕、がんばる」

そう言って、は恐る恐る、といった風情に鶴丸と和泉守を見上げた。
二人は仄かに微笑んで、ああ、がんばろうな、と口々に言った。
和泉守が無遠慮にの頭をかき回した所で、さぁて、と鶴丸は話を切り替えた。

「すっかり話し込んでしまったな。主、そろそろ褥に戻ってはどうだい」
「……ん。寝る」
「ああ、そうすると良い」

鶴丸と和泉守におやすみを言ってから、眠たそうな目をこすりながら、は部屋に戻っていった。
廊下に残った鶴丸と和泉守は顔を見合わせてから、お互いに肩を竦めてから少し笑った。

「さて、んじゃ、もうひと頑張りといくか」
「そうだな。頼んだぜ、和泉守」
「ああ、あんたもな」

そう言って、月の白い光が照らす中、二人はまた、見張りの定位置へと戻っていった。








2019/01/12

拙い文章に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

僕を、殺して 18extra