番外2










「三つ編みの人がそう伝えてくれ、って」
「そうですか、分かりました」

執務の合間に、そろそろ一服してはどうですか、と一期一振が茶を持ってきた時の事だ。
はそうやって覚束ない様子で、けれど申し訳程度に、先程まで居たらしい和泉守からの伝言を報告してくるのに、一期一振は緩やかに頷いた。
相変わらずは自分から相談事はしてこないが、しかし仕事上必要な報告はこうして行うのだから、律儀なものである。彼は存外、こうして真面目な所が見受けられた。
一期一振は頷きながら、しかし今回は別の事が気にかかっていた。

「所で、どうしてわたくし共の事を名前で呼ばれないのですか」

彼は未だに、花の人、とか、白い人、とか、三つ編みの人、と刀剣男士の事を呼ぶことが多い。
一期一振が問うと、きょとん、としたふうに目をまたたいた。少し、驚いているらしい。それからは、少し視線を逸して畳の方に視線を降ろしてしまった。

「……人の名前と顔、覚えるの苦手、だから。ここの人たちの名前、難しい、し」
「そうですか?私の事は、一期、と呼んでくださって構いませんよ」
「………ん。……でも、」
「はい」

は、言葉を頭の中で考えているのだろう、次の言葉を口にするまでに間があった。
はこのように、よく吟味してから言葉を口にすることがままあった。和泉守などは、よく先をせっついたりするが、そうするとは返って「やっぱりいい」と言葉を続けるのを止めてしまう。
だから一期一振は、が次に口を開くまで、急かさず待つようにしている。
それをも分かってきたのか、一期一振や鶴丸には、少しずつだが、自分のペースで、思っていることを言ってくれるようになって来ていた。

「………名前。気安く呼ばれるの、嫌、でしょ」
「ーーーわたくし共が、ですか」
「うん」
「…どうしてそのように思うのです?」

そう問い返すと、はまた少し考えるように沈黙したあと、だって、と先を続けた。

「僕、貧民街の餓鬼で」
「……ええ」
「中学も入ってない、取り柄もない馬鹿で」
「ーーー」
「でも、あんた達は、神様で。すごく長い時間生きてて、教科書に出てくるみたいな偉い人に仕えてたりして、あとなんか色々と文化財?とかに指定されてたりする刀で」
「…はい」
「そんなあんた達が、僕みたいなのを主と呼ばなきゃいけないのだって、ほんとは凄く渋々、だと思うんだ。……その上、その餓鬼から名前を気安く呼ばれたら、絶対嫌だと思う」

そんな事を言う。
なるほど、と一期一振は少し考えた。
彼は自分の身分や程度を気にしているらしかった。
その上で、身を弁えようとしているのだ。
貧民街で培った処世術だろうか、しかしそれはここでは当てはまらないというのに、控え目にはそう言ったきり、口を閉ざす。

「(本当にこの御方は…)」

彼が存外にいろんな物事をよく見て、よく考えているのは、随分前に気がついたことだ。しかし彼は、たまにそうやって自分の中でだいぶ後ろ向きに自己完結してしまうことがあって、それが時折双方の考えに齟齬を作り出していた。
彼なりに色々考えたのだろう。そういう時は、必ずと言っていいほど相手を気遣ってのことなので、一期一振はのそういう所を酷く好ましく思う。
けれど、齟齬は解消しておかねばなるまい。

「そんなことはありません」
「……あるよ」
「ありません。当の刀剣男士が言うのですから、そうなのです」
「じゃあ、あんたが変わってるだけだ」
「では、皆がこぞってあなたと食事を共にしたいと思うのはなぜだと思いますか」
「……知らない」
「身支度を整えようとしてくれたり、頼んでもいないのに茶菓子を持って来てくれたりするのはなぜですか」
「……、“主”の機嫌取りをしたいんじゃないの」

なるほど、そうなるわけか。
一期一振はつい苦笑が浮かんでしまった。
彼は、周りの人間に対して気を配ることは息をするようにしてみせるのに、なぜだか、己に対する好意については、とても疎い。

「いいえ。彼らは、貴方と親しくなりたいのです」
「……なんで?」
「貴方を慕っているからですよ」
「……なんで?」

まるで言葉を覚えたての幼な子のように、彼は分からない、と言うように疑問を重ねる。
なぜ“自分なんか”に好意を寄せるのかが、心底分からないと言った様子だ。

「貴方が我らのために頑張ってくれているのを知っているからです。貴方と親しくなって、色々な時間を共に過ごしたいと思っているのです」
「僕は審神者の仕事を、してるだけ。なんであんた達が、そんなふうに……思うの」
「そういうものなのです」
「……よく、分からない」

彼は、審神者の仕事をするだけ、と言うのだけれど、その実直な仕事ぶりはよく周りを感心させる。文書関係の仕事はまだまだ苦手なようだが、彼は積極的に内番にも参加するし、手が空いた時には厨房の手伝いや、共用部分の掃除の手伝いなど、色々なことに手を出している。
それだけでも大したものだと皆が感心しているのに、彼は“仕事なのだから当たり前だ”と言って、周りの感心に首を傾げている。
更に、刀剣男士が少しでも怪我をすれば、彼は惜しみなく資材と自身の霊力を使って、刀剣男士を手入れする。まだ霊力の扱いに慣れておらず、軽傷ならいいが、少し大変な負傷であったり、まとめて数振りを手入れする際には、ぱたりと倒れることもまだよくあると言うのに、それを厭う様子も見せない。むしろ周りが止めても“仕事なのだから”と無理を通すことすらある。
だと言うのに、彼は刀剣男士に多くを求めない。
戦いたくなければ戦わなくていいし、やりたくない事はなるべくやらなくて良いと言う。さすがに内番全てをやらないというわけにはいかないが、しかし、彼は良い意味で“あるじ然”としておらず、とにかく刀剣男士が一番良いように、と思って行動しているのは言動の端々から伺い知ることが出来た。
それなので、逆に長年生きてきた付喪の神達からすると、その誰にも頼らずに様々なことをやってのけようとする年少の審神者を見て、もっと頼ればいいのに、もっと手伝いをしてやろう、たまにはゆっくりと休息をとらせてやろう、と返って彼に好意的な意見を自然と生み出しているのである。
しかし彼は元々の生まれ育った環境もあるのか、“自分なんか”に好意を寄せる人間が居るということが、どうやらうまく理解出来ないらしい。ありえない、と思っている節すらある。
そんなことで、なかなかもどかしい状況が出来上がっているのだった。
けれど、いつまでもそれでは困るのだ。

「いずれ、分かりますよ。我らは、貴方と親しくなりたい。それが分かる目安の一つが、名前です」
「名前?」
「ええ。あなたに名前を呼んでもらうことは、親しくなれたことの一つの目安です。ですから、もし貴方がお嫌でないのなら、名前を呼んで差し上げてください。きっと喜びます」
「喜ぶ?神様が……そんなことで?」
「そうですとも」
「ふぅん……。そんなもの、かな……?」
「ええ」

それからはちょっと考えるように沈黙して茶をすすっていた。

「………いちご。お茶、ありがとう」

小さな声で控え目にそう言って、は遠慮がちにちらり、と一期一振を見上げる。
一期一振は柔らかい笑顔を浮かべていた。

「ええ。お粗末様でした」

そうして桜の花弁がひとひら、落ちていったような気がした。
やっぱりこの人が変わってるだけなんじゃないだろうか、とは口元に小さな笑みを浮かべて思った。






****






「兄弟。頼まれてたやつ、持ってきたよ」
「すまない、兄弟。助かった」
「うん。お勤めご苦労さま」

が仕事している執務室に顔を出したのは、堀川国広だった。今執務室には、山姥切国広と、厚藤四郎が待機している。
堀川国広は、どうやら山姥切に何か用事があって、離れを訪れたらしい。
山姥切国広は以前は遠征の折にはよくこうして護衛として離れに居たが、特に護衛を置くこともなくなった今は、こうして離れが空になりそうな時にたまに顔を覗かせるくらいになっていた。
厚藤四郎は、以前は審神者であるを酷く敵視していたが、の勤勉な様子や、刀剣を大事にする姿勢に絆されたのか、最近ではそれもほとんど無くなって来ていた。こうして、手の空いた時には一人でちょくちょくと離れに顔を出すこともあり、の執務を手伝ったりもするようになった。
今日は一期一振や練度の高い刀剣達が、薬研藤四郎や新しく来た短刀達の任務に付き合って城を空けているので、離れには久しぶりに山姥切国広と厚藤四郎だけになっていた。

山姥切と会話をしている堀川は、比較的最近顕現した刀剣だ。
彼が来た時には和泉守兼定が大層喜んでいて、聞けば、彼らはお互いにお互いを相棒だと呼び合う仲だと言う。以前の主が同じで、長く共に戦場にあったということらしい。
以前この本丸に居た堀川は、前任に手酷い折られ方をしたと聞いていたが、和泉守はその影も見せずに、素直に堀川が顕現したことを喜んでいたようだった。
堀川国広は家事や厨房仕事を進んでするし、和泉守に付いてよく離れを訪れるので、来てから日は浅い方だが、とは会う機会が多い刀剣の一人だ。

「主さん、今日の夕餉は主さんの好きな炊き込みご飯ですよ!」
「……ん」

どうやら既に、の好みはだいぶ把握しているらしい。特に何が好きだとから言ったことはないのだが、厨房に立つことの多い堀川には察するのは容易いことなのか、よくそういうふうに言ったり、たまにの好物を持って八つ時に離れに来たりすることがある。
今日は炊き込みご飯らしいので、は何の炊き込みだろうな、と少し頭の中で考えた。
刀剣男士は、刀の割に、と言うと語弊もあるかもしれないが、彼らが作るものはとにかく美味なものが多く、は食事の度に良く驚かされる。
そう言えば、とは、並んで立つ二人を見比べて、少し首を傾げた。彼らはいま、お互いを“兄弟”と呼んでいた。

「……兄弟?なの。あんた達」

山姥切と堀川が“兄弟”とお互いを呼ぶのを見て、なんだか不思議な感じだった。
の言葉に、二人は一瞬顔を見合わせて、それから再びの方を向いて同時に頷いた。

「そうですよ」
「ああ。同じ国広だ」
「……そっか」

堀川は和泉守に“国広”と呼ばれているが、山姥切のことはみんな“山姥切”と呼ぶので、あまり意識したことはなかったが。
言われてみれば、確かにそうだ。ふたりとも同じ名を持っている。

「……似てない、ね」

そう言って二人の顔を見比べてみる。
目の色は……似ているかもしれない。でも、髪の色や顔の作りは、あまり似ていない気がする。服装は似ているけれど。
横で書類をさばいていた厚藤四郎が、はは、と笑って言葉を返す。

「顔は似てねぇかもしれねぇな。人間と違って、血がつながってるわけじゃねぇからな」

そう言えば、兄弟の多いこの藤四郎達も、あまり顔は似ていない気がする。似ているものも、中には居るにはいるのだが。

「……藤四郎、も、兄弟、多いよね。何人いるの」
「何人?うーん……。いっぱい、としか分からねぇな」
「……変なの」
「人間にとっちゃ、そうかもしれねぇなぁ」

そう言ってからから笑う。

「血……繋がってないのに、なんで兄弟?」
「それは人間と一緒だ。親が一緒だからな」
「…誰?」
「粟田口吉光。短刀を造るのにかけちゃあ、天下一品の腕をお持ちだった我らが父上殿さ」
「ふぅん。……でもいちごは、短刀じゃ……ないよね」
「ああ。いち兄は、粟田口吉光の鍛えた唯一の太刀なんだ。だから俺達の兄貴、なんだぜ」
「へぇ。……あわた……えっと、なんて、書くの」

そう聞くと、厚はからペンを借りて、不要になった紙の裏に、彼らを生み出した刀工の名前を書いた。それを、も真似て下に何度か書く。
歌仙に手習いを付けてもらって、だいぶ文字の読み書きが出来るようになってきた。は真面目に、知らない単語や人の名前を聞いたときには、紙にメモして後で練習しているのだから、熱心なものだった。

「あんた達を作った人は、なんて名前?」

今度は国広達に聞くと、堀川がこうですよ、と名前を書いた。

「……?ほりかわ、くにひろ?……あんたと同じ名前だね」
「そうですね」
「ふぅん」

堀川国広が作ったから、その刀剣もみんな国広なのだと思いきや、藤四郎を作った人は粟田口吉光と言うらしい。規則性があるのかないのか、良く分からない。あとで手習いの時にでも歌仙に聞いてみよう、とは思った。

「やまんばぎり、は、山姥を斬ったから、山姥切?」

そう聞くと、なぜか山姥切は頭の上の布をぐいと引き下ろしてしまった。

「…違う。山姥を斬ったのは、本歌である山姥切だ。その写しとして、堀川国広が打った。それが俺だ」
「……山姥切?っていう刀が別にあるの?」
「そうだ」

なぜか山姥切の声が低くなっていくので、は首を傾げた。

「写し……って何?」

そう言えば、何度か山姥切から聞いたことがある、気がする。前々から少し気になっていた。写しとはなんだろうか。写し、というのだから、真似して作ったということなのだろうか。

「主さん、この話はこれくらいにしてーーー」
「写しだというのが、気になるか」

堀川がやんわり話題を逸らそうとしたが、しかし当の山姥切がそれにかぶせて口を開いた。

「?気になる、というか、写しが何か、知らない。山姥切、を真似して、作られたの?」
「……そんな所だ。でも俺は、……偽物なんかじゃない……」

ぼそりと山姥切が言うので、はまた首を傾げた。
そう言えば、彼はよくそのように卑屈な物言いをすることがあったな、と思い出す。それは全て“写し”がどうとか、“偽物なんかじゃない”とか、そういうふうに言っていた、気もする。
写しだと、そんなに問題があるものなのだろうか。

「その、写し?だと、敵が斬れないの」

そう聞くと、布の奥から、澄んだ青い瞳が刺すようにこちらを見返した。

「敵は斬る」
「……じゃあ、斬れ味が悪い?」
「本歌にだって負けない」
「なんか曲がってる?……変な汚れがあるとか、なんか欠陥でもある?」
「俺は国広の最高傑作だ」
「?じゃ、いいんじゃない」

そうが言うと、山姥切は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「僕、馬鹿だから、写しがどうのとか………あんたの悩みは、ちょっと難しい」

そもそも写しについても、よく分からない。いや、それを言えば、刀の価値というのも、正直は真に図るものさしを持っていない。
刀を見れば、綺麗だな、と思う。
戦で誉を取れば、すごいな、と思う。
それだけで、いいのではないか。
今しているのは戦争なのだし、たとえ偽物だろうが無銘だろうが、敵を斬ることが出来るのなら、それは立派に役割を果たしていることになるのではないか。それで何の問題があるのか。
どうにも、刀剣男士である彼らの基準は、にはまだ難しかった。

「あんたが気になるって言うなら、しょうがない、けど……。僕は気になんない、から……あんたも気にしなくて、いいんじゃない」

首を傾げて、そう言った。
なぜかその横では堀川国広が嬉しそうに微笑んでいるし、山姥切は目を丸くしている。
それから、ふ、と山姥切は笑った。
堀川も、厚もくすくすと笑い出す。

「?……なんで笑う……?」
「いえ、なんでもないですよ」
「主、休憩でもするか。確か、棚の奥に茶菓子があった」

口元を緩めたまま、山姥切が言った。
はよく分からなかったが、山姥切が少し嬉しそうにも見えたので、とりあえずまあいいのかな、と思うことにした。






****






「どうしたのですか?!」

の腕に出来た切り傷を見て、一期一振は驚いたように声を上げた。
傷を水で洗ったのか、洗い流された跡があるが、しかし未だ血は流れ続けていて、滲んだ血がじわじわと袖を赤く染めていた。

「……転んだ」

どう見ても刀傷であるそれに、転んだとはまた大した嘘である。しかし、なぜだかは分からないが、がこの傷の正体を隠そうとしていることはわかった。
すぐに薬研を呼んで傷は丁寧に手当され、今は包帯の下にある。
しかし手首まで覆う包帯に、一期一振は苦い顔をした。最近はの傍に護衛を置いていない。城内ではその心配ももう無いだろうと、皆で話し合ってそう決まったのだ。けれど、まだ知らぬ脅威が潜んでいたことに、それを防げなかったことに、一期一振は自分の考えの甘さに唇を噛んだ。
今回は腕の傷だけで済んだようだが、毎回それだけで済むとは限らない。

夕餉の後、離れの執務室でくつろぐに、一期一振は再度昼間のことについて問い詰めた。
その傷はどうしたのか、と。
は一期一振が話を蒸し返したことに、けれどいい顔をしなかった。部屋に居た鶴丸国永や小夜左文字も、口には出さないが、やはり気にしているのか二人に視線をやった。

「……転んだ」
「それは刀傷です。刀の付喪である我々に付く嘘にしては、些か粗が目立ちますな」
「……」
「まさかご自分でされたのですか?」
「……自分で、じゃ、ない」
「では、誰にされたのです」

違うことには違う、と答えるけれども、肝心の原因については、は「転んだ」の一点張りだった。
がいくら転んだ、とか別に、とか言っても、一期一振が納得するはずもない。どうあっても偶然出来た、転んで出来た、ということにはしてくれそうになかった。
結局、は散々渋った後に口を開いた。

「……まだ、そういう奴が居たっていうだけ」
「再び護衛を傍に置きましょう。その刀剣には今後警戒しなければなりません。下手人は誰ですか」
「………」

下手人、とは心の中で呟いた。
随分な言われようである。増々、口を割りにくくなった。

「………」
「……。…分かりました、言いたくないのですね」
「……」
「なぜ言いたくないのか、お聞きしても?」

少し口調を和らげて、一期一振は伺うようにの顔を優しく見返した。
は少し悩んだようにした後、ためらいがちに口を開く。

「……だって……、……。いや、やっぱりいい」
「……主殿。我々は貴方をお守りしたい。もしそれをした者が分かっているのなら、教えていただきたいのです。そうすれば、事前に策も練ることが出来ようというもの」

それでも、は刃を向けて来た相手の名前を中々言おうとはしなかった。
どうして言わないのか、何かあったのか、いろいろと一期一振が優しげに聞いてくる。はもう転んだとは言わなかったが、しかし、それが誰だか知らないというわけでもなさそうなのに、どうしても下手人の事については口が固い。
だが一期一振も諦めなかった。懇々と一期一振に諭されて、結局、最後にはは白旗を上げるよりほか無かった。

「……でも、だって………あんまり、叱らないでよ」
「素直に話してくだされば叱りませんとも」
「そうじゃなくて……、この傷を付けた刀剣を」

そこまで言われて、一期一振は口を一瞬噤んだ。
叱らないでほしい、とは言う。
普通、刀派の違う刀剣、たとえばそれが加州などがやったのだとすれば、それは一期一振は「叱る」のではなく、話し合いをするなり、諭すなり、諌めるなりするだろう。
叱る、と言う、ということは。

「………なるほど。我が弟が、大変申し訳ございませんでした」

そう言って、頭を下げた。
が犯人を言うのを躊躇った理由。それは、兄である一期一振を気遣ってのことだったのか。
その心遣いを思うと、有り難いやら、情けないやらで、一期一振はに向かって深々と頭を下げた。審神者の少年は、微かに眉根を寄せて見下ろしていた。

「一期のせいじゃない…でしょ」
「ええ、ですが主殿のせいでもないでしょう」
「………」
「誰ですか。私からきつく灸を据えておきます」
「だから……叱らないでってば」

あの刀剣男士だって、どうしたらいいか分からないのだろう。気持ちをどこにぶつけたらいいかが分からない。まだが本丸で一人、寒さと飢えと戦いながら、刀剣に殺そうとしてもらおうとしていた時にも、彼は何度もの前に現れた。そうして、泣きそうな顔でに手を上げた。それでも彼は、を殺さなかったけれども。
それが、多くの刀剣男士がに協力的になった今でも、ふとした拍子に、起こってしまった。
この本丸に居る刀剣男士は、長く前任の審神者によって辛酸を嘗める生活を余儀なくされていた。だから、人間や審神者に並々ならぬ思いをいだく者が居るのは当然だろう。
だから、新しく来た審神者にその怒りの矛先が向くのは、至極当然なのだ。と、はそう思う。

「これも僕の仕事の一つ、だと思う、し」
「確かに、我々刀剣の思いを受け止めるのは審神者の仕事かもしれません。ですが、手段に暴力を用いるのは間違いです」
「……そう、かな」
「ええ、そうです。前任に何をされたかは問題ではありません。我らは人の体を与えられています。自分で考え、意思を伝える口を持っています」
「……うん」
「そして、貴方は我らの主なのです。………いつか、弟が話しがしたいと思った時には、話を聞いてやってくれませんか」

確かにそうだな、と、もなんとなく思った。
相手がそうしたいなら、を傷つけたいなら、気が済むまで好きにさせればいいと思ったけれど。これから一緒にこの本丸を運営していく上では、それではきっと、駄目なのだろう。
そういうこと、なのかな。

「うん。………ごめん。…………脇差の、人。髪が黒くて、長い方」

それを聞いて、一期一振は息を長く細く吐き出して目を瞑って俯いた。
おおよそ想像は付いていた。しかし、やはり、という気持ちと、どうして、という気持ちで、一期一振はもう一度深くため息を付いた。

「兄として、このけじめはきっちり付けさせて頂きます」

そう言ってもう一度「誠に申し訳ございませんでした」と深く頭を下げて、一期一振は部屋の隅や縁側で見守っていた小夜と鶴丸に後のことを頼むと、離れを出ていった。

「………だから叱らないでって、言ってるのに……」

一期一振の後ろ姿を眺めながら、はぽつりと呟いた。

「優しいなぁ、主は」

縁側で事の成り行きを聞いていた鶴丸は、そう言ってポツリと呟いた。
その言葉に、は、別に、と呟く。

「………兄弟喧嘩は、無い方がいい。……僕は、喧嘩は、嫌い」

がはっきりと、何かについて好き嫌いを表すなんて。
鶴丸は少しの驚きを覚えつつも、の苦虫を噛み潰したような顔を見返していた。普段から表情も少なく、ぶっきらぼうに見えるけれども、彼はその実、とても周りの刀剣男士に気を配っているのがこういう時に垣間見えて、鶴丸はことあるごとに感心してしまう。
それに、彼にも兄が居たと聞く。少なからず重ねてしまうのだろうことは、想像に難くない。

「大丈夫さ。このくらいで崩れるようなヤワな兄弟じゃない、粟田口は」

そう言って、鶴丸は立ち上がると部屋に入ってきた。
の傍に座って、ふわりと笑う。こんなに傍に寄っても、最近は嫌がらなくなってきた。またそのことが、小さな喜びとして鶴丸の中に蓄積されていく。

「それに、今回のは喧嘩じゃなくて、悪さをした弟を兄が注意するのさ。それは、どの兄弟でも自然な光景だろう?」
「………、そっか」
「ああ、そうさ」

素直に頷いたに、鶴丸は頭にぽん、と手を置いて優しくなでた。
きっとのことだ。刀剣男士から刃を向けられても、避けることもしなかったのだろう。それは彼なりの優しさなのかもしれないが、鶴丸達にしてみれば、恐ろしい事態には変わりない。

「しかし、身の危険を感じたら、すぐに周りの刀剣を呼んでくれ。君はこの本丸には無くてはならない人間なんだからな」

鶴丸の言葉に、は目をぱちくりとさせた。
そんな風に言われるなんて、思ってもみなくて。
けれどそのの反応に、逆に鶴丸も少し驚いたような、少し呆れたような表情になった。

「なぜそこで驚くんだい。君はもう少し、自分を大切にすべきだぞ」
「……うん……?」

は分かったのか分からないのか判断に困る反応をして、けれどとりあえず頷いた。









2018/12/08

僕を、殺して 17extra