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絶対に「是」の判定は出ないだろうと思っていた面談は、次の日には結果が本丸へともたらされ、意外にも5段階の内上から2番目の「良」、鍛刀は審神者の都合の良いタイミングで行って良い、との判定だった。
読み上げてもらった結果を聞いた審神者の少年は、結果を間違って伝えられたのじゃないかと最初は訝っていたが、聞いた判定に間違いはないようだった。
面談から帰ってきた1人と2振りは、こんのすけが己の目を疑う程には、どこか“打ち解けた”ように見えて、一体何があったのだと思ってしまうくらいだった。鶴丸も、審神者の前で口を開くようになっていて、時折
と会話を交わしているのだから驚きだ。
面談で何かあったのかを前田に問い質そうと思う程には、こんのすけは驚いていた。
しかし前田は、お互いにお互いを、少し知ることが出来ただけです、と嬉しそうに話していたので、こんのすけと一期一振は、結果的に面談自体が良い作用をもたらしたのだろうとの結論に至った。
また、政府預かりの刀剣による“試験”という名の襲撃はこんのすけも初耳で、えらく腹を立てていた。
未成年の少年を異常のある本丸に着任させたというだけで既に異例ずくめの本丸だというのに、その上試験までこの様なので、政府の担当官は審神者に対して不敬にすぎる、とこんのすけは抗議を申し入れる事を決めたようだ。
面談の判定が分かってから少しして離れに和泉守が訪れて、次に手入れの出来そうな刀剣の目星がついた、という話を持ってきた。
早速今日か明日にでも手入れをしよう、と話していた所に、一期一振が来て、茶を入れたので休憩しようということになり、よい天気ということもあって縁側に座ってしばし茶を飲んでいた。
長かった冬もようやく開けて、庭には桜の花も咲き始めている。
審神者が定位置に座ると、横にはこんのすけが座り、その反対の横には一期一振や和泉守が座る。一期一振と
の間には人一人分くらいの間しか無かったが、最近
は「あっちに行け」とは言わなくなった。
部屋の中では前田が他の短刀や鶴丸の分のお茶も入れて、雑談らしい雑談は無いものの、ようやく
も、刀剣男士の方も、お互いを少しずつ受け入れてきているように見えた。
「そういや昨日は大変だったみてぇだなぁ、主」
最近は和泉守まで
の事を主と呼ぶので、なんだか訂正するのも面倒になってきた所だ。
和泉守は面白そうに湯呑を持ちながら、
の方を見ていた。昨日帰ってきてからは会っていないはずだが、誰かから聞いたらしい。
「先程結果が政府から届いたんですよ」
前田はそう言って政府からの文書を和泉守に手渡した。
和泉守は一通り読み終えると、へぇぇと面白そうに笑った。
「どんな魔法を使ったんだ?快調な滑り出しじゃねぇか」
「……僕も、不思議」
が短く言うと、和泉守は一瞬きょとんとして、それからからからと笑った。
「んで?久しぶりの現世はどうだったよ」
続けて言われたことに、
は首を傾げた。
「……?現世?」
「ん?昨日は現世の政府機関に行ってたんじゃなかったっけか」
「ええ、そうです」
首を傾げる
の代わりに一期一振が応えた。
「……あれって、現世だったの」
「ご存知ありませんでしたか」
一期一振が聞けば、
はふるふると首を振った。そしてどこか、おかしいな、とでも思っているかのように首をかしげる。
「どうされましたか」
「……現世に行けるの?」
「はい、会議や所用で現世の政府機関に赴くこともありますし、それでなくても、申請をすれば現世には行けますが………。担当官から聞いておりませんでしたか」
こんのすけがそう言うと、
は目をしばたいた。
どうやらこれは驚いている時に
がする仕草だ、というのに最近一期一振は気がついた。今の審神者の少年の様子を見るに、どうやら大層驚いているようだと思った。
「……凄い怪我をするか、なんか事情がない限りは、現世には帰れない、って聞いた」
「そんなことはございません。誰ですか、そのようなことを言ったのは!」
「……担当官?て奴だったけど」
「後でこちらから問い合わせをしておきます!ともかく、現世へ帰ろうと思えば帰れるのですよ、審神者様」
そうこんのすけが言うと、
はぽかんとしたようにまた数度目をしばたかせた。
現世には帰れないと聞いていた。
本丸というのは戦争の前線基地なのだから、それは当たり前だろうと
も納得していたし、だから上手く刀剣に殺してもらって、死体だけでも家族の元に帰れればいいと思っていたけれど。
現世には、帰ることが出来る、と言う。
しかも、思ったよりもはるかにその方法は簡単なようで。
嘘の規則を教えた担当官は、そうでも言わないと
がさっさと本丸を逃げ出すとでも思ったのだろうか。
どちらにしても、もし、帰れるのなら。
「……帰れるの。ここは前線基地、なんでしょ」
「ええ、そうです。ですが、審神者様も人間です、休養は必要でしょう」
「………僕も、帰っていいの」
「もちろんですとも!」
こんのすけのその言葉に、
は持っていた湯呑を眺めるように俯いた。
帰ろうと思えば、帰れる。
家族に、会える。
「…………………。………、………帰りたい」
小さな、声だった。
その声も手も少し震えていて、手に持つ湯呑に入ったお茶には、小刻みに波紋が浮かぶ。
無理もないだろう。
時折忘れてしまいそうになるが、しかし、手入れも完璧にこなしてみせる優秀なこの審神者は、けれどまだ、齢11の少年なのだ。
家に帰って元気な顔を家族に見せてあげてはどうか、その事を進言してあげられなかったのが、一期一振には悔やまれた。
彼が帰りたいと言わないのは、弱音を見せられるほどの信頼関係が出来ていないか、それを考えるほどの余裕が無かったか、はたまた、仕事を忠実に遂行しようと気を張っていたからか、そう思っていたけれど。
どれも間違ってはいないだろうが、しかし、それは意外にも一番頼れるはずである担当の虚言が原因だった。
帰りたい、そうつぶやいた
の視点はぼんやりと定まらないが、しかし
は泣いてはいなかったし、顔を歪めてもいなかった。ただ、信じられない、と思っているのはよく分かる。
刀剣達は一様に口を噤んで、審神者の方を見ていた。彼が「自分を殺して欲しい」と言う以外で、自分のしたいことを口にするのは、珍しい。しかし、帰りたい、その意味するところを良く知っている刀剣達からしてみれば、その申し出には今更ながら納得しかなかった。
彼は、文字通り自分の命よりも家族のことが大切で。
その家族に、会おうと思えば会えるのならば。
躊躇する理由はもう何処にもない。
「至急許可をもぎ取って参ります」
それだけ言うと、こんのすけは軽やかな足音をさせながら走って行った。
審神者はどこか年の割に大人びている所もあって、自分の仕事であると思えば他が何と言おうがやり遂げる気概を持っている、と一期一振は思っている。
けれど、彼はあまりに多くを知らない。
それは今までのこの本丸での環境がそうさせたのだ。聞けば、本丸に来る前の研修も半日しか無かったと言う。難しい文章も読むのは苦手だと言うし、あの分厚いマニュアルを渡されていても意味などなかっただろう。それでこの荒れた本丸に放り込まれたのだから、むしろ良くここまで生き残ったとすら思う。
これからここで、幼い審神者と一緒に“生きる喜び”を学んでいければいい。刀剣も、審神者も。そう、一期一振は思った。
「………ただいま」
そう言った時に見た家族の顔を、一生忘れないだろう、と
は思った。
歪んだ木の枝でこしらえた簡素な木組みに布をかぶせただけの、貧相な家。でも、
の家だ。その入り口のボロ布をまくれば、一間しかない家の全てが見渡せる。
約半年ぶりに会った妹や弟達は、見ない内に、少し、大きくなったような気がした。
弟達は驚いて目をまん丸に見開いて、それから堰を切ったように
の元へと飛びついてきた。にいちゃ、にいちゃ、と言って抱きついてくる妹と弟達。目を真っ赤にして泣いて泣いて、颯太が、颯太が、と何度も口にする。
兄弟たちをまとめて抱きしめて、流れそうになる涙を我慢した。
ごめん、と小さく言うと、バカ、と妹が言った。
ばか、バカ、と言って、ぽかぽかとやせ細った手で兄を叩く。でも、最後には泣いた顔を歪めて、帰ってきてよかった、とまた泣く。
生きて帰ってこられるとは思っていなかった。
思っていなかったけれど、こうしてまた兄弟達に会えたことがこんなにも嬉しい。
弟達をしっかりと抱きしめた後、
は一番年少になってしまった妹を抱えて立ち上がると、奥で横になっている母の方に顔を向けた。母はよろよろと上半身を起こして、信じられないものを見るような顔で
を見返した。
が消えてから、約半年。
ふた月ほど前に“政府”を名乗る見知らぬ男達から手渡された金に、遂に息子は一番上の兄の所へ行ったのだと思っていた。
「……ただいま、母さん」
身ぎれいになった息子は、後ろに知らない人を連れて、出て行った時よりも少し健康に見えるようになった顔で、小さく笑った。
「……おかえり、“ ”」
その名前は、護衛として付いて来た一期一振と小夜左文字には聞こえなかったけれど。
それは、慈愛に満ちた、優しい母の声だった。
それは、ひどくみすぼらしい場所だった。
貧民街の、少し外れ。
ゴミ溜めのような場所だ。
小さな石が置いてあり、その前にひなびて枯れた1輪の花が風にほんの少し、揺れている。
これが
の、一番年少の弟の墓だと言う。
審神者はその前に立ち、枯れた花を土に埋めてから、持ってきた花束を置いた。このゴミ溜めのような薄汚れた場所には些か不釣り合いな、大ぶりで白い美しい百合の花束が、地面に横たわる。
一期一振と小夜左文字は、それを離れた所から遠巻きに見ていた。
家族との邂逅を終え、存分に話し込んでいたらしい
は、小一時間もすると小夜左文字を伴って家を出てきた。そうして、また、家族に向かって言ったのだ。
「いってきます」と。
外に控えていた一期一振が「もう良いのですか」と聞くと、うん、と小さく頷いてから歩きだした。
それから言葉少なだった
は、帰りがけに一言、「少し、寄る所がある」と二振りに言った。それが、ここだった。
どさ、と音がした。
が膝をついたのだ。
今回の現世行きに合わせて新調した現代の服が汚れるのも構わず、
は地べたに膝をついたまま、墓を眺めている。
きっと泣くだろう、と一期一振は思っていた。
は、熱でうなされる中で薬研を殺そうとした時、その仮面を剥がしたように顔を歪めていた。また、一度目が覚めてから、一期一振に殺してと懇願して来た時には涙も見せた。
だから、きっと、墓を目の前にすれば涙を流すだろうと。
墓前には、
と、ただ時折吹く緩やかな風だけが存在していた。
どのくらいそうしていただろうか、しばらくすると
はゆるりと立ち上がり、2振りの元へと戻ってきた。一期一振の予想に反して、
には泣いた様子はなかった。
ただ、いつも以上に感情の無い顔で、
「……帰ろう」
と、ぽつりと呟いただけだった。
ただ、一期一振の横を通り抜けて歩いて行く時、その手が震えていることに一期一振は気がついていた。顔色も良くない。
ここで慰めてやれるような関係を、自分たちはまだ築けていない。
どちらにしても、審神者もそれは求めていないような気がした。
歩き出した
の後に付いて歩き出しながら、一期一振は言葉を掛けることが出来なかった。
本丸に帰り着いた
は、傍目にはいつも通りに振る舞っているように見えた。和泉守などは気を使っていたが、返って「何挙動不審になってんの」と審神者に呆れられるくらいには、普通、だった。普通であるように、見えた。
けれど、やはり、それは見かけだけに過ぎなくて。
その日の夜半も過ぎて、既に部屋の明かりは落ちて、日付が変わってからだいぶ経とうかと言う頃合いだった。
部屋前での不寝番は一期一振が買って出ていた。
その耳に、何か声が聞こえる。
審神者はこれで中々他人の気配に敏いので、夜部屋に人が入るのを嫌うのだけれど、それでもどうしても放っておけずに一期一振はそっと障子を開けて、中の様子を伺った。
あまり夜目の効かない目が、この時ばかりは恨めしい。
声は、
の声だった。
酷くうなされているようで、喉が引きつったような声がする。
そっと中に入ってみれば、
は部屋の隅で毛布にくるまりながら、荒い息で汗をかいている。時折首をふるふると振って、そして、涙をこぼしていた。
人には見せない
の心の内の葛藤が、夢で彼を苦しめているようだった。
どうしようもないけれど、一期はそっと、彼の母がそうしていたように、
の頭をなでてやった。少しでも悪夢から解き放たれればいい、そう、思って。
「僕、……ここに居てもいいのかなぁ」
朝食前。
箸を手に取る前の
は、瞳には何も映さずに、ぽつりと呟いた。昨日魘されていたからか、心なしか目の下が薄っすらと青黒い。
部屋には、朝餉の準備をしている一期一振、薬研、厚。それに入口付近に座っている鶴丸、その横には丸まったこんのすけ。布団の片付けをしている宗三と小夜が居た。
皆一様に動きを止めて、審神者の少年を見た。
一期一振は一瞬動きを止めて、しかし
の前まで来てから背筋の伸ばして座り直した。
「ええ。ここで、ぜひ、審神者の仕事をしてください」
「…………僕、本当は、ひとみごくう?だったんだけど。………いいのかなぁ、生きてて」
彼は、自分で審神者の仕事をすると決めた、はずだった。
けれど、改めてそれを認識するにあたって、本当にそれでいいのだろうか、と思ったのだろう。
家族に金を渡せるようにしたい。
本丸を正常に回すことで、定期的に給料が出るというのなら、もちろんそれに越したことはない。継続的に金を得る手段が手に入ったことは、大変有り難いことだ。
けれど、自分は、本当は。
人身御供として、自分の命を以って、神々の怒りを鎮めるためにここに来たはずだった。それで、家族に金が渡るようにして、自分はこの世から消えるつもりでいた。
それなのに、こうしてここで、審神者の仕事をしようとしている自分が居て。
「良いのです。他でもない、その刀剣男士達からの願いなのですから」
「………僕、馬鹿だけど、いいの」
「これから一緒に学んで参りましょう」
「霊力?とかの使い方も下手くそだし」
「最初から完璧な人などいませんよ。人間なのですから」
「文字もあんまり読めない、し……」
「誰かに手習いをつけてもらいましょう」
「…………僕、生きてて、いい?」
珍しく不安気に揺れる
の瞳が、一期一振を見上げていた。
「もちろんです」
一期一振は迷う事無く頷いた。
力強く頷く一期一振や他の刀剣達に、審神者は目をしばたいている。
「……そっか。じゃあ、もう僕のこと、殺さなくていいから」
「もとより、そのつもりですよ」
「………そ」
審神者はそれだけ言うと、箸を手に持った。この箸を持つのも、実はまだ慣れなくて、全然上手く使えないのだけれど。
今までは、“死ぬ”ことが前提だったから、何かこれから先のことを考えることはしなかった。
だけど、これからは。
たくさん、勉強しよう。
たくさん勉強して、ちゃんと、審神者の仕事が一人前に出来るようにしよう。
手習いも付けてもらって、文字も読めるようになろう。本だって読めるようになるかもしれない。
そうしたら、きっともっと世界が広がるに違いない。
「………僕、これから頑張る、から」
「ーーー」
「………よろしく」
ちらりと一期一振や周りの刀剣を見て言うと、もちろんだ、とか、こちらこそよろしくな、とか、温かい言葉ばかりが返ってきて。こんのすけなどは「審神者様〜〜」と涙声で審神者の足に頭をぐりぐりしてくる始末で。
はご飯を口に入れながら、ほんの少し、微笑んだ。
今日の朝ごはんは、なんだか少し、しょっぱかった。
2018/10/26
拙い文章に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。本編、一旦完結です。